その心をば恋と呼べ(小竜さに)
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小竜の様子がおかしい。最初にそう感じたのは修行から帰還した翌朝。朝食の席で迷うことなく、私の正面の席についたときだった。
「おはよ、主」
「お、おはよう。……昨日は眠れた? みんなで飲んだんでしょう?」
「飲んだというか飲まされたというか……おっさんたちに絡まれて散々だったよ。キミがいると思ったから行ったのに」
「……そ、そっか、ごめん」
寝ぼけまなこであくびを噛み殺しながら言う小竜に違和感を抱いたのは私だけのようだった。他の刀たちは小竜の姿を見つけると修行からの帰りを祝い、労う言葉をかけていく。
(……でも、やっぱり変)
普段の彼は自分から私のそばに寄ってくることはない。私がいるからと飲み会に顔を出すようなこともなければ、それをわざわざ私自身に告げることも絶対にない。それほど彼は私に無関心だったはずだ。
(帰ってきたばかりだからかな)
私にとっては数日間の別れでも、彼らは長い年月を修行先で過ごしている。懐かしさからしばらくの間近くにいたがる刀はこれまでもいたし、修行から戻ると以前よりも親愛を示してくれる刀も多い。大抵は数日のうちに落ち着くから、きっと小竜もそうなのだろう。そう考えて好きなようにさせていたが、小竜は落ち着くどころか状況を悪化させていった。
(修行帰りからこっち、常に小竜がそばにいる気がする)
もちろん出陣中や私の執務の時間はその限りではないが、食事中や休憩時間、夜の自由時間など、暇さえあれば話しかけてくれる気がする。もったいぶった口調はそのままだが、以前よりも試すような言動はかなり減った。その代わり、いろいろな質問をしてくることが増えた。質問の内容はさまざまで、好きな食べ物や趣味、故郷のこと、審神者になった経緯など、当たり障りがないと言えばない。他の刀たちだって知っていることばかりだ。
けれど相手は小竜だ。あの小竜景光だ。私のプライベートへの興味が皆無だった刀が突然それを探り出したとあっては、違和感しかない。加えて物理的な距離も、以前より縮まった気がする。遠巻きに私を見定めているだけだった刀が、手を伸ばせば触れられる距離で和やかに会話している。この違和感は最早無視することができない。
そうして小竜を除く長船の刀たちを執務室に招集したのが、小竜が帰ってきてから10日目のおやつどきだった。
「小竜がおかしい」
「ええっ!?」
開口一番そう断言した私に大きく反応したのは謙信だけだった。兄弟がおかしいと聞かされれば確かに心配になるだろう。一方、太刀3振りはお互いに顔を見合わせて、微妙に生あたたかい目を私に向けるだけだった。
「小竜がどうしたの? ぐあいがわるいの?」
「いや、なんか分からないんだけど、なんか……あの……」
「? なに? そ、そんな、くちにできないようなことなの……?」
「そ、そういうわけではなくて……えっと……なんか、距離が近いっていうか……?」
「よし、解散!」
大般若がぱしんと膝を叩いて宣言し、それを合図に燭台切と小豆も立ち上がった。そのままあっさりと退室しようとするものだから、たまったものではない。慌てて3振りを引き留めるも、やはりそろって生あたたかい笑顔を見せるだけで特に何を言うでもない。何故このような反応をされるのかが分からず狼狽えていると、仏心を出したらしい燭台切が「言っておくけど」と、少し困った顔をした。
「え、な、なに?」
「長船はわりと個人主義なところがあるから」
「うん」
「恋愛相談とかされてもうまく答えられないと思うよ。というか甘酸っぱいくらいなら全然オッケーだけど、あんまり生々しい話には積極的に巻き込まないでほしいな」
「何の話!?」
「えっ、だって距離が近いって……あ、これだけ確認したいんだけど双方合意の上だよね?」
「いやいやいや、そういうのじゃなくて! 主と刀としての距離感が一足飛びで一方的に縮まっちゃってて逆に怖いって話!」
「ああ、そういう?」
それならば聞いてもいいかと美しいお顔で語りながら元の位置に戻る光忠と長光たち。やはり彼らはいい子ではない、悪い大人たちだった。
「今のやり取りで9割理解できたけど、小竜との仲が縮まって何か問題でもあるのかい?」
招集ついでに小豆が持ってきてくれたおやつの牛乳プリンをスプーンですくいながら大般若は首を傾げた。
「修行に行ってきた連中は、どういう仕組みか全員そうなるだろう? 以前に増してべったりになったやつも少なからずいる。そもそもあれだけ不安がってたんだから、今の状況を喜びこそすれ、怖がる必要なんてないじゃないか?」
「それは……そうなんだけど……でもなんか、変っていうか……」
「ほかのこたちとはちがう?」
「うん、そう。何が違うのかは分からないけど……落ち着かない」
「うーん……確かに急に距離を詰められてびっくりするっていうのは理解できるよ。具体的にどんなことがあったんだい?」
燭台切に促され、この10日間のことを思い返しながら具体的にエピソードを上げていく。4振りはうんうんと頷きながら真剣に話を聞いてくれたが、終わりの方になると内3振りは件の生あたたかい目に戻ってため息を吐いたりしていた。呆れられたらしい。
「……ごめん、やっぱり私の過剰反応だったよね」
「あんたが落ち込むことじゃないさ。なんというか……なあ?」
「こう……ね? 露骨すぎるというか……0か100しかないのかな、あの刀」
「もうすこしきようなかたなだとおもっていたけれど、ぞんがいそうでもなかったようだ」
「えーと……つまり?」
「とりあえずおやつでも食べようか」
燭台切が差し出したスプーンを受け取り、小豆特製の牛乳プリンをすくい上げる。やわらかいプリンがスプーンから零れないよう慎重に口に運ぶと、クリーミーな甘さが舌の上でほんのりと広がった。
「おいしい」
「ありがとう。謙信はどうかな。くちにあったかな」
「うん、とってもおいしいぞ! ……ねえ、主」
「ん?」
「ぼくにはなんでみんながあきれているのかわからないけど……小豆のすいーつはおいしいよね?」
「うん、もちろん」
「おいしいものをたべるとげんきがでるんだ。だから、よかったらはんぶんたべて! 主にはわらっていてほしいんだぞ」
「あ、ありがとう謙信。なんていい子なんだろう……気持ちだけでお腹いっぱい……私の食べさしだけど半分あげちゃう……」
「えっ! で、でもぼくがはんぶんあげるのに、主からはんぶんもらったら、お、おかしいような……?」
状況が分からないなりに一生懸命な謙信にほっこりして器を渡すと、小豆と燭台切も同じように微笑みながら謙信に自分の牛乳プリンを差し出す。大般若も同じようにしようとしたが、彼はとうにすべて食べきっていたため輪に入れず、切なそうに唇を噛むばかりだった。
「そういえば、その小竜はどこにいるのかな」
謙信の頭をなでくりまわしながら、ふと小豆が思い出したように言った。あれだけ大声で長船の刀を集めたわりに彼が来なかったことに今さら気が付いたのだろう。遠征中だと答えれば、納得したように頷いた。
「なるほど、そうして小竜をとおざけているわけだね」
「ひっ、人聞きの悪い言い方しないで」
「だがじじつだろう?」
「小豆くん、もう少しオブラートに包んであげて」
「わたしはすいーつしょくにんだから、もちやくれーぷにはつつめても、おぶらーとはすこしむずかしい」
「次は薬剤師でも目指すかい? ……というか、朝一の遠征ならそろそろ帰ってくる時間なんじゃないか? ほら、モニターにも」
「ただいまー」
「!」
大般若が指さしたモニター画面に「遠征帰還」と表示された瞬間、玄関から元気でごきげんなあいさつが聞こえた。その声は渦中の刀のもので、思わずひゅっと息をのみこむ。縁側に面した障子戸はしっかりと閉ざされているが、1分と待たずに彼はここからひょいと顔を出すだろう。
(ま、まずい)
特に何か悪いことをしていたわけではなかったが、彼について同派の刀たちに相談していたのは事実だ。少しの後ろ暗さもある。わたわたと慌てふためく私をよそに、長船の刀たちはさっさと奥の部屋に引っ込んで静かにふすまを閉じた。それとほぼ同時に、障子戸が断りもなく開かれる。屋内の明るさに慣れきっていた瞳が、障子の合間から入り込んだ午後の日差しにくらんで視界が黒く染まった。
「帰ったよ」
一瞬の暗闇が過ぎ去ると、そこに立つ人物の姿がはっきりと見えた。陽光をたっぷりと含んで輝く金の髪がまぶしくて目を細めると、その持ち主が笑う気配がする。かろうじて告げた「おかえりなさい」に、小竜は機嫌よく「ただいま」と繰り返した。
「報告は休憩のあとに上げるよ。資材はもう蔵に入れた」
「……ありがとう、おつかれさま。ちょうどおやつの時間だから、厨房に行ってみて」
「そうさせてもらうよ。キミはもう食べ……」
小竜は執務室の奥に目をとめ、中途半端に言葉を切った。もしやあのかさばる刀たちがはみ出していたのかと慌ててそちらを見るも、彼らの手も足も装束の一部も見当たらない。代わりにあったのは、空の器とスプーンだった。
「……誰かいたのかい?」
「あ、ああ、うん。何振りか、一緒におやつを食べたから。牛乳プリン、おいしかったよ」
「ふうん……」
外の明るさにようやく慣れた瞳が、小竜の表情に変化を見つけた。口元は相変わらず笑っていたし、声音にも変化がない。けれどあの美しい瞳が、すうと細められている。おもしろくないとでも言いたげな視線に、背筋がざわと粟立つ。修行後からこちら、小竜の言動の変化だけに気を取られていたが、もともと彼は私を見定めようとしていた刀だ。彼の前では主にふさわしい振る舞いを心がけてきたが、そういえばここのところ気が緩んでいたかもしれない。小竜が望むのは、清廉潔白で優秀な、ちゃんとした主なのだ。
「今日はたまたまだよ。普段は執務室でおやつなんて食べないし」
慌てた拍子に口から出ていったのはあからさまな弁解だった。すべて言い切ってから、子どもっぽい言い訳に恥ずかしくなって身を小さくする。これのどこが清廉潔白だと内心で自分を罵れば、障子戸の合間から小さなため息が降ってきた。ざわついた背筋が、一気に冷える。だらしない主だと呆れられたに違いない。
「ご、ごめん」
「別に責めたわけじゃないさ。ただ……」
「……ただ?」
「……そういえばキミ、たまに大般若とお酒を飲むんだってね」
「え?」
思いがけない、唐突な話題だった。思わず視線を持ち上げると、小竜は障子戸を開いたときと変わらない笑みを浮かべている。
「俺はてっきり、キミはアルコールの類がダメなタイプかと思ってた」
「あ、えっと、それは……」
それも小竜を意識してのことだった、などと言えるわけもなく、もごもごと口ごもる。宙をうろついた視線は、そのまま畳の上に落ちていった。頭に浮かぶのは言い訳にもならない言葉ばかりで、小竜が納得するような理由も見当たらない。膝の上で握った手が、ぎゅうと音を立てた。
「……だから、責めたわけじゃないってば」
「そ、そうだったね。ごめん」
苦笑混じりの声に、無理やり笑顔を作って謝罪を口にする。これが他の刀であれば、こんなに挙動不審にならずに済んだのに、何故彼の前ではいつもこうなのだろう。
(だって小竜に、ちゃんと自分の主だって認めてほしいから)
自分でも呆れるような単純な動機に、なんだか泣きたいような気分になる。けれどそんな情けない姿をさらすのはいやで、必死に笑顔を貼り付けて、まっすぐに小竜を見上げた。小竜はわずかに瞳を丸くしてたじろいたが、やがて先ほどの私のように視線を宙に泳がせ、頬をかきながらぽつぽつと言った。
「まあ、俺は大般若みたいに大酒飲みってわけじゃないけど」
「大般若も強いわけじゃないよ。強いっていうなら、小豆の方がよっぽど強いと思う」
「うん、そうだね、そうなんだろうけど……あー、その、なんだろうな……」
「?」
「つまり……俺だって、酒くらい付き合えるってこと」
「え?」
「……今度は俺を相手に選んでくれって言ってるつもりなんだけど」
「え」
いつの間にか、小竜はいつもの調子に戻っていた。余裕を感じさせる気安い口調に、少しだけ挑戦的に細められた瞳。端を持ち上げられた唇の合間から見える八重歯に、何故だかどきりと心臓が跳ねる。私の動揺を見破ったのか、いたずらっぽく「ダメかい?」と首を傾げる刀に、反射的に首を振る。
「ダメじゃないよ」
「それは良かった。お声がかかる前にとっておきの酒を準備しておかなくちゃな。苦手なのある?」
「と、特には……」
「そ。じゃあ楽しみにしてるよ、俺の主」
とびきり甘い声音とこなれたウインクを残して、小竜は障子戸を閉ざした。口笛とともに遠ざかっていく足音に、どっと全身から力が抜ける。かたわらの文机に手をついて、ドキドキとうるさい胸元をぐっとおさえる。私の意思を無視して好き勝手に暴れ回る心臓に嫌気がさしたころ、すっと静かな音とともにふすまが開いたのが分かった。心臓の上に手を置いたまま振り向けば、生あたたかい笑みを携えた太刀3振りと、キラキラと目を輝かせた短刀が1振り、私を見ていた。
「な、なに、その顔……」
「黒だな」
「黒だね」
「くろだ」
「なにがくろで、なにがしろ?」
「小竜が主をすいているならしろ、小竜がとくべつに主をすいているならくろだよ」
「じゃあくろだね!」
「ちょいちょいちょい」
当の主を置いてきぼりに話を進めないでほしい。息も絶え絶えになりながらひとまず冷えきったお茶を一気に飲み込む。その横で長船の刀たちは、なんとも言えない表情でこそこそと言葉を交わしていた。
「なに? ていうか、聞いてたでしょう? 小竜、おかしかったよね?」
「そうだね、だからやっぱりくろだ」
「なんか話飛躍してない!? 長船の刀ってみんなそうなの!?」
「ついてこれてないの、主だけだと思うよ。僕たち今まで白か黒かわりと半信半疑でいたんだけど、まああれは黒だったね」
「そういうはなしなら、ぼくもさいしょからこたえがわかってたのに」
「さすが、謙信は聡い子だなあ。……ところで主、不整脈と戦ってるところ悪いんだが、取り急ぎひとつ聞きたいことがある」
「な、なに……?」
「あれ、杏仁豆腐じゃなくて牛乳プリンだったのかい?」
「え、うん」
大般若長光はがっくりと肩を落として空になった器を見下ろした。どうやら発泡酒に引き続き、牛乳プリンのことを杏仁豆腐だと思い込んでいたらしい。哀れな。心底落ち込んだ様子の大般若に、少しだけ平静を取り戻す。ふうと一度息を吐いて姿勢を正すと、見計らったかのように小豆が口を開いた。
「ともあれ、このままではあまりよろしくないきがするね」
「そうだね、甘酸っぱいとか生々しいとかいう以前の問題だ。自業自得と言えばそうでしかないけど……小竜くんはともかく、主がかわいそうだ」
「え? え? どういう話? やっぱり小竜がおかしいってこと?」
「小竜はおかしいんじゃなくて、主のことがすきなんだとおもうぞ。それも、とくべつに」
謙信はどこかうれしそうに顔をほころばせ、さらに続けた。
「たびにでてからきゅうに、とかじゃないよ。小竜は主のことがずっとすきだから、もっと主のことがしりたいっておもってるんだ」
「う、うーん? それはものすごく前向きすぎる解釈のような……」
「うそじゃないぞ! おなじ景光のぼくがいうんだから、まちがいないんだ」
一生懸命に訴えかける謙信の言葉を、小豆や燭台切も否定はしなかった。大般若は未だに切なそうに空の器を見つめている。私はひたすらに、狼狽える。
だって小竜景光は、私が主にふさわしい人間なのかを見極めようとしている。どうしたってその考えが頭から抜けない。燭台切が言う通り――なのかは分からないが、それ以前の問題、という部分は同意するほかない。好きとか嫌いとか言われても、何もピンときやしない。それなのに、目の前の刀たちは何事かを――どうやら小竜の好意を、確信している。私はただ、困惑するしかなかった。
「……ま、いくら外野が騒いだところで、結局は当人たちが納得しなきゃどうにもならない。お節介もほどほどに、ってね」
ようやく牛乳プリンの呪縛から立ち直った大般若が、ふいにそう言った。彼は彼で燭台切や小豆、謙信と同じことを考えているらしいが、ぶつかった視線のあたたかさが、他の3振りとは少し異なる。いやらしさは感じない、けれどこれ以上はないというほどに、いとおしいものを見るような瞳。あの赤い瞳の温度が、私は嫌いではない。ありのままの自分で彼の前にいてもいいのだと、そう言われている気がして安心する。
「俺たちは小竜と同じ刀派だけれど、どちらも困ってるっていうなら間違いなく主人を選ぶ。だから、まずはあんた自身がこれからどうしたいのかを教えてほしい」
「どうって、小竜のこと?」
「ああ。何せあんたの心はあんた自身にしか分からない。あんたを困らせることはしたくないから、その口から語って聞かせてくれないか」
私自身が、どうしたいのか。
それはとうに分かっていた。というかひとつしかない。彼らを招集した時点で、それだけは明確に心の内に存在していた。
「私は、小竜が認めてくれるような主になりたい。本当に、ただそれだけ」
真偽はともかく、小竜が修行に行く前から私を好いてくれていると言うならば、私の方だって同じだ。彼が修行に行く前から、それよりもずっと前、顕現された彼が真の主を求めているのだと言った、そのときから。私はずっと、彼が認めてくれる、立派な主になりたいと思っていた。今も、それは変わらない。きっと私は、彼がああして親愛を示してくれても恥ずかしくない、ちゃんとした人間でいたいだけなのだ。
「ああ、そうだろうね。そうだろうと思ってたさ」
いつかの小豆と同じように、大般若は眉尻を下げて笑った。仕方がない子だと言われたような気がしたが、不思議と悪い気はしない。どちらかといえばこそばゆい気分だ。燭台切と謙信はぽかんとして私を見ていたが、小豆だけは訳知り顔で頷き、ポケットから取り出したあめ玉を私に握らせてくれた。
「おはよ、主」
「お、おはよう。……昨日は眠れた? みんなで飲んだんでしょう?」
「飲んだというか飲まされたというか……おっさんたちに絡まれて散々だったよ。キミがいると思ったから行ったのに」
「……そ、そっか、ごめん」
寝ぼけまなこであくびを噛み殺しながら言う小竜に違和感を抱いたのは私だけのようだった。他の刀たちは小竜の姿を見つけると修行からの帰りを祝い、労う言葉をかけていく。
(……でも、やっぱり変)
普段の彼は自分から私のそばに寄ってくることはない。私がいるからと飲み会に顔を出すようなこともなければ、それをわざわざ私自身に告げることも絶対にない。それほど彼は私に無関心だったはずだ。
(帰ってきたばかりだからかな)
私にとっては数日間の別れでも、彼らは長い年月を修行先で過ごしている。懐かしさからしばらくの間近くにいたがる刀はこれまでもいたし、修行から戻ると以前よりも親愛を示してくれる刀も多い。大抵は数日のうちに落ち着くから、きっと小竜もそうなのだろう。そう考えて好きなようにさせていたが、小竜は落ち着くどころか状況を悪化させていった。
(修行帰りからこっち、常に小竜がそばにいる気がする)
もちろん出陣中や私の執務の時間はその限りではないが、食事中や休憩時間、夜の自由時間など、暇さえあれば話しかけてくれる気がする。もったいぶった口調はそのままだが、以前よりも試すような言動はかなり減った。その代わり、いろいろな質問をしてくることが増えた。質問の内容はさまざまで、好きな食べ物や趣味、故郷のこと、審神者になった経緯など、当たり障りがないと言えばない。他の刀たちだって知っていることばかりだ。
けれど相手は小竜だ。あの小竜景光だ。私のプライベートへの興味が皆無だった刀が突然それを探り出したとあっては、違和感しかない。加えて物理的な距離も、以前より縮まった気がする。遠巻きに私を見定めているだけだった刀が、手を伸ばせば触れられる距離で和やかに会話している。この違和感は最早無視することができない。
そうして小竜を除く長船の刀たちを執務室に招集したのが、小竜が帰ってきてから10日目のおやつどきだった。
「小竜がおかしい」
「ええっ!?」
開口一番そう断言した私に大きく反応したのは謙信だけだった。兄弟がおかしいと聞かされれば確かに心配になるだろう。一方、太刀3振りはお互いに顔を見合わせて、微妙に生あたたかい目を私に向けるだけだった。
「小竜がどうしたの? ぐあいがわるいの?」
「いや、なんか分からないんだけど、なんか……あの……」
「? なに? そ、そんな、くちにできないようなことなの……?」
「そ、そういうわけではなくて……えっと……なんか、距離が近いっていうか……?」
「よし、解散!」
大般若がぱしんと膝を叩いて宣言し、それを合図に燭台切と小豆も立ち上がった。そのままあっさりと退室しようとするものだから、たまったものではない。慌てて3振りを引き留めるも、やはりそろって生あたたかい笑顔を見せるだけで特に何を言うでもない。何故このような反応をされるのかが分からず狼狽えていると、仏心を出したらしい燭台切が「言っておくけど」と、少し困った顔をした。
「え、な、なに?」
「長船はわりと個人主義なところがあるから」
「うん」
「恋愛相談とかされてもうまく答えられないと思うよ。というか甘酸っぱいくらいなら全然オッケーだけど、あんまり生々しい話には積極的に巻き込まないでほしいな」
「何の話!?」
「えっ、だって距離が近いって……あ、これだけ確認したいんだけど双方合意の上だよね?」
「いやいやいや、そういうのじゃなくて! 主と刀としての距離感が一足飛びで一方的に縮まっちゃってて逆に怖いって話!」
「ああ、そういう?」
それならば聞いてもいいかと美しいお顔で語りながら元の位置に戻る光忠と長光たち。やはり彼らはいい子ではない、悪い大人たちだった。
「今のやり取りで9割理解できたけど、小竜との仲が縮まって何か問題でもあるのかい?」
招集ついでに小豆が持ってきてくれたおやつの牛乳プリンをスプーンですくいながら大般若は首を傾げた。
「修行に行ってきた連中は、どういう仕組みか全員そうなるだろう? 以前に増してべったりになったやつも少なからずいる。そもそもあれだけ不安がってたんだから、今の状況を喜びこそすれ、怖がる必要なんてないじゃないか?」
「それは……そうなんだけど……でもなんか、変っていうか……」
「ほかのこたちとはちがう?」
「うん、そう。何が違うのかは分からないけど……落ち着かない」
「うーん……確かに急に距離を詰められてびっくりするっていうのは理解できるよ。具体的にどんなことがあったんだい?」
燭台切に促され、この10日間のことを思い返しながら具体的にエピソードを上げていく。4振りはうんうんと頷きながら真剣に話を聞いてくれたが、終わりの方になると内3振りは件の生あたたかい目に戻ってため息を吐いたりしていた。呆れられたらしい。
「……ごめん、やっぱり私の過剰反応だったよね」
「あんたが落ち込むことじゃないさ。なんというか……なあ?」
「こう……ね? 露骨すぎるというか……0か100しかないのかな、あの刀」
「もうすこしきようなかたなだとおもっていたけれど、ぞんがいそうでもなかったようだ」
「えーと……つまり?」
「とりあえずおやつでも食べようか」
燭台切が差し出したスプーンを受け取り、小豆特製の牛乳プリンをすくい上げる。やわらかいプリンがスプーンから零れないよう慎重に口に運ぶと、クリーミーな甘さが舌の上でほんのりと広がった。
「おいしい」
「ありがとう。謙信はどうかな。くちにあったかな」
「うん、とってもおいしいぞ! ……ねえ、主」
「ん?」
「ぼくにはなんでみんながあきれているのかわからないけど……小豆のすいーつはおいしいよね?」
「うん、もちろん」
「おいしいものをたべるとげんきがでるんだ。だから、よかったらはんぶんたべて! 主にはわらっていてほしいんだぞ」
「あ、ありがとう謙信。なんていい子なんだろう……気持ちだけでお腹いっぱい……私の食べさしだけど半分あげちゃう……」
「えっ! で、でもぼくがはんぶんあげるのに、主からはんぶんもらったら、お、おかしいような……?」
状況が分からないなりに一生懸命な謙信にほっこりして器を渡すと、小豆と燭台切も同じように微笑みながら謙信に自分の牛乳プリンを差し出す。大般若も同じようにしようとしたが、彼はとうにすべて食べきっていたため輪に入れず、切なそうに唇を噛むばかりだった。
「そういえば、その小竜はどこにいるのかな」
謙信の頭をなでくりまわしながら、ふと小豆が思い出したように言った。あれだけ大声で長船の刀を集めたわりに彼が来なかったことに今さら気が付いたのだろう。遠征中だと答えれば、納得したように頷いた。
「なるほど、そうして小竜をとおざけているわけだね」
「ひっ、人聞きの悪い言い方しないで」
「だがじじつだろう?」
「小豆くん、もう少しオブラートに包んであげて」
「わたしはすいーつしょくにんだから、もちやくれーぷにはつつめても、おぶらーとはすこしむずかしい」
「次は薬剤師でも目指すかい? ……というか、朝一の遠征ならそろそろ帰ってくる時間なんじゃないか? ほら、モニターにも」
「ただいまー」
「!」
大般若が指さしたモニター画面に「遠征帰還」と表示された瞬間、玄関から元気でごきげんなあいさつが聞こえた。その声は渦中の刀のもので、思わずひゅっと息をのみこむ。縁側に面した障子戸はしっかりと閉ざされているが、1分と待たずに彼はここからひょいと顔を出すだろう。
(ま、まずい)
特に何か悪いことをしていたわけではなかったが、彼について同派の刀たちに相談していたのは事実だ。少しの後ろ暗さもある。わたわたと慌てふためく私をよそに、長船の刀たちはさっさと奥の部屋に引っ込んで静かにふすまを閉じた。それとほぼ同時に、障子戸が断りもなく開かれる。屋内の明るさに慣れきっていた瞳が、障子の合間から入り込んだ午後の日差しにくらんで視界が黒く染まった。
「帰ったよ」
一瞬の暗闇が過ぎ去ると、そこに立つ人物の姿がはっきりと見えた。陽光をたっぷりと含んで輝く金の髪がまぶしくて目を細めると、その持ち主が笑う気配がする。かろうじて告げた「おかえりなさい」に、小竜は機嫌よく「ただいま」と繰り返した。
「報告は休憩のあとに上げるよ。資材はもう蔵に入れた」
「……ありがとう、おつかれさま。ちょうどおやつの時間だから、厨房に行ってみて」
「そうさせてもらうよ。キミはもう食べ……」
小竜は執務室の奥に目をとめ、中途半端に言葉を切った。もしやあのかさばる刀たちがはみ出していたのかと慌ててそちらを見るも、彼らの手も足も装束の一部も見当たらない。代わりにあったのは、空の器とスプーンだった。
「……誰かいたのかい?」
「あ、ああ、うん。何振りか、一緒におやつを食べたから。牛乳プリン、おいしかったよ」
「ふうん……」
外の明るさにようやく慣れた瞳が、小竜の表情に変化を見つけた。口元は相変わらず笑っていたし、声音にも変化がない。けれどあの美しい瞳が、すうと細められている。おもしろくないとでも言いたげな視線に、背筋がざわと粟立つ。修行後からこちら、小竜の言動の変化だけに気を取られていたが、もともと彼は私を見定めようとしていた刀だ。彼の前では主にふさわしい振る舞いを心がけてきたが、そういえばここのところ気が緩んでいたかもしれない。小竜が望むのは、清廉潔白で優秀な、ちゃんとした主なのだ。
「今日はたまたまだよ。普段は執務室でおやつなんて食べないし」
慌てた拍子に口から出ていったのはあからさまな弁解だった。すべて言い切ってから、子どもっぽい言い訳に恥ずかしくなって身を小さくする。これのどこが清廉潔白だと内心で自分を罵れば、障子戸の合間から小さなため息が降ってきた。ざわついた背筋が、一気に冷える。だらしない主だと呆れられたに違いない。
「ご、ごめん」
「別に責めたわけじゃないさ。ただ……」
「……ただ?」
「……そういえばキミ、たまに大般若とお酒を飲むんだってね」
「え?」
思いがけない、唐突な話題だった。思わず視線を持ち上げると、小竜は障子戸を開いたときと変わらない笑みを浮かべている。
「俺はてっきり、キミはアルコールの類がダメなタイプかと思ってた」
「あ、えっと、それは……」
それも小竜を意識してのことだった、などと言えるわけもなく、もごもごと口ごもる。宙をうろついた視線は、そのまま畳の上に落ちていった。頭に浮かぶのは言い訳にもならない言葉ばかりで、小竜が納得するような理由も見当たらない。膝の上で握った手が、ぎゅうと音を立てた。
「……だから、責めたわけじゃないってば」
「そ、そうだったね。ごめん」
苦笑混じりの声に、無理やり笑顔を作って謝罪を口にする。これが他の刀であれば、こんなに挙動不審にならずに済んだのに、何故彼の前ではいつもこうなのだろう。
(だって小竜に、ちゃんと自分の主だって認めてほしいから)
自分でも呆れるような単純な動機に、なんだか泣きたいような気分になる。けれどそんな情けない姿をさらすのはいやで、必死に笑顔を貼り付けて、まっすぐに小竜を見上げた。小竜はわずかに瞳を丸くしてたじろいたが、やがて先ほどの私のように視線を宙に泳がせ、頬をかきながらぽつぽつと言った。
「まあ、俺は大般若みたいに大酒飲みってわけじゃないけど」
「大般若も強いわけじゃないよ。強いっていうなら、小豆の方がよっぽど強いと思う」
「うん、そうだね、そうなんだろうけど……あー、その、なんだろうな……」
「?」
「つまり……俺だって、酒くらい付き合えるってこと」
「え?」
「……今度は俺を相手に選んでくれって言ってるつもりなんだけど」
「え」
いつの間にか、小竜はいつもの調子に戻っていた。余裕を感じさせる気安い口調に、少しだけ挑戦的に細められた瞳。端を持ち上げられた唇の合間から見える八重歯に、何故だかどきりと心臓が跳ねる。私の動揺を見破ったのか、いたずらっぽく「ダメかい?」と首を傾げる刀に、反射的に首を振る。
「ダメじゃないよ」
「それは良かった。お声がかかる前にとっておきの酒を準備しておかなくちゃな。苦手なのある?」
「と、特には……」
「そ。じゃあ楽しみにしてるよ、俺の主」
とびきり甘い声音とこなれたウインクを残して、小竜は障子戸を閉ざした。口笛とともに遠ざかっていく足音に、どっと全身から力が抜ける。かたわらの文机に手をついて、ドキドキとうるさい胸元をぐっとおさえる。私の意思を無視して好き勝手に暴れ回る心臓に嫌気がさしたころ、すっと静かな音とともにふすまが開いたのが分かった。心臓の上に手を置いたまま振り向けば、生あたたかい笑みを携えた太刀3振りと、キラキラと目を輝かせた短刀が1振り、私を見ていた。
「な、なに、その顔……」
「黒だな」
「黒だね」
「くろだ」
「なにがくろで、なにがしろ?」
「小竜が主をすいているならしろ、小竜がとくべつに主をすいているならくろだよ」
「じゃあくろだね!」
「ちょいちょいちょい」
当の主を置いてきぼりに話を進めないでほしい。息も絶え絶えになりながらひとまず冷えきったお茶を一気に飲み込む。その横で長船の刀たちは、なんとも言えない表情でこそこそと言葉を交わしていた。
「なに? ていうか、聞いてたでしょう? 小竜、おかしかったよね?」
「そうだね、だからやっぱりくろだ」
「なんか話飛躍してない!? 長船の刀ってみんなそうなの!?」
「ついてこれてないの、主だけだと思うよ。僕たち今まで白か黒かわりと半信半疑でいたんだけど、まああれは黒だったね」
「そういうはなしなら、ぼくもさいしょからこたえがわかってたのに」
「さすが、謙信は聡い子だなあ。……ところで主、不整脈と戦ってるところ悪いんだが、取り急ぎひとつ聞きたいことがある」
「な、なに……?」
「あれ、杏仁豆腐じゃなくて牛乳プリンだったのかい?」
「え、うん」
大般若長光はがっくりと肩を落として空になった器を見下ろした。どうやら発泡酒に引き続き、牛乳プリンのことを杏仁豆腐だと思い込んでいたらしい。哀れな。心底落ち込んだ様子の大般若に、少しだけ平静を取り戻す。ふうと一度息を吐いて姿勢を正すと、見計らったかのように小豆が口を開いた。
「ともあれ、このままではあまりよろしくないきがするね」
「そうだね、甘酸っぱいとか生々しいとかいう以前の問題だ。自業自得と言えばそうでしかないけど……小竜くんはともかく、主がかわいそうだ」
「え? え? どういう話? やっぱり小竜がおかしいってこと?」
「小竜はおかしいんじゃなくて、主のことがすきなんだとおもうぞ。それも、とくべつに」
謙信はどこかうれしそうに顔をほころばせ、さらに続けた。
「たびにでてからきゅうに、とかじゃないよ。小竜は主のことがずっとすきだから、もっと主のことがしりたいっておもってるんだ」
「う、うーん? それはものすごく前向きすぎる解釈のような……」
「うそじゃないぞ! おなじ景光のぼくがいうんだから、まちがいないんだ」
一生懸命に訴えかける謙信の言葉を、小豆や燭台切も否定はしなかった。大般若は未だに切なそうに空の器を見つめている。私はひたすらに、狼狽える。
だって小竜景光は、私が主にふさわしい人間なのかを見極めようとしている。どうしたってその考えが頭から抜けない。燭台切が言う通り――なのかは分からないが、それ以前の問題、という部分は同意するほかない。好きとか嫌いとか言われても、何もピンときやしない。それなのに、目の前の刀たちは何事かを――どうやら小竜の好意を、確信している。私はただ、困惑するしかなかった。
「……ま、いくら外野が騒いだところで、結局は当人たちが納得しなきゃどうにもならない。お節介もほどほどに、ってね」
ようやく牛乳プリンの呪縛から立ち直った大般若が、ふいにそう言った。彼は彼で燭台切や小豆、謙信と同じことを考えているらしいが、ぶつかった視線のあたたかさが、他の3振りとは少し異なる。いやらしさは感じない、けれどこれ以上はないというほどに、いとおしいものを見るような瞳。あの赤い瞳の温度が、私は嫌いではない。ありのままの自分で彼の前にいてもいいのだと、そう言われている気がして安心する。
「俺たちは小竜と同じ刀派だけれど、どちらも困ってるっていうなら間違いなく主人を選ぶ。だから、まずはあんた自身がこれからどうしたいのかを教えてほしい」
「どうって、小竜のこと?」
「ああ。何せあんたの心はあんた自身にしか分からない。あんたを困らせることはしたくないから、その口から語って聞かせてくれないか」
私自身が、どうしたいのか。
それはとうに分かっていた。というかひとつしかない。彼らを招集した時点で、それだけは明確に心の内に存在していた。
「私は、小竜が認めてくれるような主になりたい。本当に、ただそれだけ」
真偽はともかく、小竜が修行に行く前から私を好いてくれていると言うならば、私の方だって同じだ。彼が修行に行く前から、それよりもずっと前、顕現された彼が真の主を求めているのだと言った、そのときから。私はずっと、彼が認めてくれる、立派な主になりたいと思っていた。今も、それは変わらない。きっと私は、彼がああして親愛を示してくれても恥ずかしくない、ちゃんとした人間でいたいだけなのだ。
「ああ、そうだろうね。そうだろうと思ってたさ」
いつかの小豆と同じように、大般若は眉尻を下げて笑った。仕方がない子だと言われたような気がしたが、不思議と悪い気はしない。どちらかといえばこそばゆい気分だ。燭台切と謙信はぽかんとして私を見ていたが、小豆だけは訳知り顔で頷き、ポケットから取り出したあめ玉を私に握らせてくれた。