その心をば恋と呼べ(小竜さに)
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
小竜景光という刀は顕現してからこの方、初対面の際のよそよそしい態度をほとんど崩さない刀だった。華やかな装いや気安い話し言葉にごまかされそうになるが、よくよく聞いてみれば人を試すような物言いに思わせぶりな言動ばかり。それは私に対してだけではなく他の刀、ひいてはこの本丸全体に対しても同じだ。
彼自身の明確な意思のもと、着かず離れずの距離を保ち続けている。
「寂しくないのかな、そういうの」
「さてなあ。少なくとも、ここでの生活自体に悪い気はしてないと思うが」
そうでなければとっくに本丸を抜け出し、どこぞへと姿をくらましているだろう。小竜と長い付き合いのあるらしい大般若長光はそう言っていたずらっぽく笑った。
「あんたのことも、ことのほか気に入ってると思うよ。こうして俺とあんたが2人きりで酒を飲み交わしてるなんて知ったら、きっとぶすくれてふて寝しちまうだろうさ」
「ないない。小竜が何かに執着するとこなんて、想像つかないもの」
小竜はいつも軽い笑みを携えながら、その実シビアに私の言動を観察し、主にふさわしい人間なのか見定めようとしている。そのくせこちらから手を伸ばそうとすればひょいと身を翻し、真意を隠した軽口とともにあっという間に遠ざかってしまう。おかげさまで私は未だに小竜が好きな食べ物すら知らない。小竜の方も、私のプライベートにまで興味はないはずだ。彼はきっとここでの人間関係を、すべて仕事だと割り切っている。
「……ま、そう思わせるようなことばかりしてるあいつが悪いってとこかな」
「別に悪いわけじゃないよ。いろんなスタンスの刀がいるし、もっとみんなと仲良くしなさいなんて言うつもりもない。小竜、仕事はしっかりやるしね」
「ちょっとくらい文句言ってやってもいいと思うけどなあ」
「たぶん適当に流されて終わりだよ」
「……まあ何にせよ、同派の若いのが目をかけられてるってのは悪くない。あいつは修行先で、何を見てくるのかね」
私の手元をちらりと見て、大般若は切れ長の目を少しだけ細めて見せた。先ほど開いたばかりの3通目の手紙は、妙に手に力が入ってしまったために少しくたびれている。それでも大般若の視線に促されるように、もうすっかり暗記してしまった文字に再び目を走らせた。
5日前、小竜が旅に出たいのだと言い出したときは大層驚いた。明石国行が修行に行くと言い出したときよりも驚いた。何せ小竜景光のことは、私を見定める側に立っているのだと思っていた。私に対してならともかく、彼が彼自身の変容や成長を望むとは考えすらしなかった。
けれど彼は望んだ。ならば主として応えねばならない。本丸総出で大急ぎで修行道具を整え、彼を送り出すことができたのは3日前の深夜近く。
何事もなければ明日の同じ時間、彼は本丸に帰ってくる。
「心配することはないさ」
深夜の厨房。特大の冷蔵庫の奥から引っ張り出した発泡酒の缶を片手に、大般若は「心配いらない」と同じ言葉を繰り返す。
今の私はどれほど情けない顔をしているのだろう。自分では分からない。けれど大般若がわざわざ私を捕まえてお酒を押しつけ、慰めるような言葉をかけてくれる程度には、不安そうに見えているのだと思う。そんな自分がやはり情けなく、さらに気分が沈んでいく。
かつての主の生き様を目の当たりにし、心を寄せ、新たな旅への決意を固めた小竜にふさわしい主として、私は認めてもらえるのだろうか。何度考えても、自信が持てない。
「俺たちはみんな、あんたのことが好きなんだ」
ことさら優しい声で言いながら、大般若はどこからか出してきたおかきをつまむ。
「これまで修行に行ったやつらだって、身なりや考え方は変わっても、それだけは変わらなかった。小竜だけが違うかもなんて、なんでそんなこと思うんだい?」
「分からないけど、でもそう思ったの」
「その不安も否定するつもりはないさ。でも小竜景光は、間違いなくあんたの刀だ。あんたがいるから、ここに帰ってくる」
「……そう思う?」
「思うとも」
「はー……大般若って本当にできた刀だよね。ちょっと元気出たよ。ありがとう」
「少しでも力になれたなら光栄だ。役に立ってこその刀だからね」
「大般若の修行のときは本物のビール買って待ってるからね」
「え? これ偽物なの?」
顕現してから今日までビールだと思い込まされていた発泡酒を愕然とした表情で見下ろす刀に少しだけ笑って、立ち上がる。未開封の発泡酒も彼にあげてしまおうかと考えて、しかしその手を途中で止めた。
「……前に小竜が、自分もここに本格的に腰を据えることになるかって言ってくれたとき、すごくうれしかったの」
「そりゃあ本人に言ってやりな。泣いて喜ぶよ」
「大般若はすぐそういうことを……修行から帰ってきても、同じこと言ってくれるかな」
「それは本人のみぞ知るってな。ほら、早く寝ちまいな。明日は夜更かしして出迎えるんだろう?」
「うん、ありがとう。これ、もらっていくね」
発泡酒の缶をひらひらと揺らして私室に戻る。不安が消え去ったわけではないが、思いのたけを吐き出せたおかげで少しだけ心は軽くなった。
(あんなに大般若が言ってたんだから、きっと大丈夫。今まで通り、小竜に主だって認めてもらえるようにがんばればいいんだ)
彼のかつての主が、その主人に人生を賭けたように――とまではいかなくとも。小竜が私のもとで刀を振るってもいいと思ってもらえるよう、せめて審神者としては立派に務めなければ。
決意も新たに、廊下でプルタブを引いて発泡酒を胃に流し込む。その瞬間を燭台切に目撃されこってり説教され、その日は泣きながら就寝するはめになった。
翌朝、目覚めて朝食を済ませてからも重たい気分は続いていた。仕事をしている間は考えずに済んだ不安が、ふとした瞬間に首をもたげて心の中をぐちゃぐちゃに乱していく。鉛のかたまりがずっとのどの奥につまっているような感覚が気持ち悪かったが、なんとか顔や態度には出さずに執務の時間を終えることができた。平静を保てたのは夕食の片づけが終わるまで。深夜が近づくにつれおとなしくなり、かと思えばそわそわと時計を気にしてため息を吐いたり、お酒に手を伸ばそうとしてやめたりする私の奇行を、主に長船の刀たちが苦笑して見守っていた。
「そんなにきになるのなら、はとをつかってはどうだろう」
「小豆ぃ、若者たちの青い春を邪魔するんじゃない。このじれったい時間がいいんじゃないか」
「あおいはる?」
「青春ってやつだね。……主と小竜くんに当てはまるのかは分からないけど」
「でもたしかに、ほかのこたちのときはもっとおちついていたね。どうしてこんかいだけ、そんなにそわそわしているんだい?」
「いろいろあるの~! いろいろと~! ね~、大般若~!」
「ね~。いやあ、それにしても発泡酒がうまい! 身にしみるなぁ!」
「だましてたのは悪かったから当てつけやめて」
「大般若と主はなかよしなんだね。ぼく、しらなかった」
「これを仲良しと呼ぶのもどうかと思うけど……」
「ひとまず主はもうすこしきもちをしずめたほうがいいだろうね。おさけをのまないのなら、すいーつでもたべるかい?」
「食べ……いや、大丈夫。ありがとう、小豆。ちゃんと小竜のこと、待ってるよ」
「ちゃんと?」
「うん、ちゃんと」
「昨日も言ったが、そんなに心配することないさ。何せうちの刀派の太刀、修行帰りの第一声がイメチェンしてきたと衣替えしてきただからな。どうせ小竜もさらにキュートになってきたよとか、そんなんに決まってるさ」
「僕は事実を報告しただけだったんだけどな」
「おなじく。なにもおかしなところはなかったとおもうけれど」
「すごむなすごむな。場を和ませようとしただけだから、本当に。圧がすごい」
他意はないと主張する大般若に笑顔で圧をかける燭台切と小豆の間で、謙信がわたわたと慌てている。普段通りのやりとりに、ようやく少しだけ緊張が解けた気がした。
中身のない会話をしている間に謙信は床につき、あっという間に深夜が近づいた。遅くなるからと、ほとんどの刀は自室に帰した。残ってくれた長船の3振りと他愛もない会話を交わしながらも、時計の針がひとつ進むごとに、脈拍も妙な調子に狂っていった。
「さて、そろそろ時間かな」
見かねた燭台切の提案で、帰還予定時刻の少し前に場所を移し、玄関で帰りを待つことになった。玄関先で大人4人が何をするでもなく佇んでいる姿は、端から見れば少し滑稽だ。たまたま通りがかった歌仙兼定が心底呆れた顔をして無言で立ち去っていったのがその証拠だった。
「お、来たかな?」
遠くで聞こえた門が動く音に、しつこく発泡酒の缶を傾けていた大般若が言った。しばらく待つと、暗闇の中でふわふわと揺れる金髪が、まず目に入る。あっと声を上げた私に応えるように視線を持ち上げた小竜は、意外そうに目を開いたあとにゆったりと口角を持ち上げた。
「おや、誰もいないと思っていたのに総出……ではないか。いい子を除いた悪い大人総出でお出迎えしてもらえるとは、光栄だね」
夜の闇の中からぼんやりと現れた輪郭は、以前の小竜とは少し違っていた。ハーフアップだった金髪は下ろされ、防具が増えたり胸元がびっくりするほど開いていたり、少し貫禄が出たような印象だ。けれど見れば彼だとすぐに分かる。彼は間違いなく、私が顕現させた小竜景光だ。
小竜は燭台切や小豆、大般若とひとしきりあいさつを交わすと、居住まいを正してまっすぐに私を見据えた。ドキリと、胸が大きく鳴る。かと思えば今度は小さく速く、全力で走ったあとかのように心臓が暴れ始めた。そのくせ頭の奥には未だ不安が付きまとい、その部分だけが氷のように冷えている。
私の動揺など知るよしもない小竜が、一歩、また一歩とこちらに歩み寄る。彼の歩みは手を伸ばせばかろうじて指先が届きそうな場所で止まり、透き通るような双眸が私を見下ろす。玄関の明かりが紫色の瞳の中で反射して、妙にあたたかな色彩を宿していた。
「……おかえりなさい、小竜。その……イメチェンというか、衣替えというか、したんだね」
「ああ、キミに合わせた姿にしてきたんだ」
「え……」
「キミが俺の主なんだから当然だろう?」
「!」
小竜は何を驚く必要があるのかとでも言いたげに、今度は確かな笑みを浮かべた。その一言にどれほど私が救われたかなど、彼は知らないだろう。私を安心させるような、ひどく優しい声で紡がれた「ただいま」に、この数日間積もりに積もった不安や緊張が溶けていく。ガチガチに固まっていた肩から力が抜け、もしかしたら顔も締まりがなくなっていたかもしれない。私の変化にぎょっと目を開いた小竜が薄く口を開く。しかしその直後、大般若と燭台切がぐいぐいと小竜の背中を押して無理矢理玄関に押し込んでしまった。
「ちょっと、なんだい急に!」
「主との感動の再会は酒でも飲みながら交わせばいいさ。明日は休みだし、とりあえず荷解きして風呂でも行ってきな」
「いや、荷解きはするし風呂も行くけども」
「お腹空いてるよね? 深夜だけど、今日は特別に何か作るよ。何食べたい?」
「残り物でいいよ。それより主が」
「おいおい、戻ってきたばっかりでもうそれかい? 愛しいものを愛でたいなら、もうちょっと雰囲気ってものを作ってからだな」
「そもそも同意が必要だよね、相手の。長船の刀ともあろうものが無理矢理とかかっこ悪い真似したら絶対に許さないからね」
「そんなんじゃないっての!」
急に日中のにぎやかさを取り戻した玄関の声が次第に遠ざかり、夜中の静寂が戻ってくる。残ってくれた小豆が、私の肩に優しく手を添えた。ドキドキと鳴り続ける心臓が、ほんの少し正常に近づく。脈拍を整えるように細くゆっくりと吐き出した空気は、けれどもしっかり震えていた。
(よかった……)
小竜が変わらず私を主と呼んでくれた。主と呼んでもいい存在だと認めてくれた。その事実がうれしい。うっかり涙腺がゆるんでしまうほど、うれしい。ここで泣きじゃくることができるほど私は子どもでも素直でもなかったが、それでも一筋、溢れた涙が頬を伝う。
「大般若のよそうははずれてしまったね。おなじ長船でも、景光たちはまじめないいこだ」
「光忠も長光も、真面目で紳士的だよ」
「そういってもらえるとうれしいな。まじめなわたしたちはこれからちゅうぼうですこしだけおさけをのむけれど、あるじはどうしようか。こどもたちはねてしまったから、おてほんに、なんてかたくるしいことはいわずにすむのだけれど」
「今日はやめておく。私ね、小竜の前でお酒なんて飲んだことないの」
「りゆうをきいても?」
「ちゃんとした主だって、認めてほしかったから。……これからも、がんばらなくちゃだね」
涙を拭いて隣の刀を見上げる。小豆は虚を突かれたようにわずかに目を開いたが、すぐに仕方がない子どもを見守るように、眉尻を下げて口角を上げた。
こうして、私の小さな悩みは解決に至り、翌日からはいつも調子を取り戻した――のだが、その10日後。
「長船~! 長船の刀たち~! 集合~!!」
新たな問題が浮上し始めた。
彼自身の明確な意思のもと、着かず離れずの距離を保ち続けている。
「寂しくないのかな、そういうの」
「さてなあ。少なくとも、ここでの生活自体に悪い気はしてないと思うが」
そうでなければとっくに本丸を抜け出し、どこぞへと姿をくらましているだろう。小竜と長い付き合いのあるらしい大般若長光はそう言っていたずらっぽく笑った。
「あんたのことも、ことのほか気に入ってると思うよ。こうして俺とあんたが2人きりで酒を飲み交わしてるなんて知ったら、きっとぶすくれてふて寝しちまうだろうさ」
「ないない。小竜が何かに執着するとこなんて、想像つかないもの」
小竜はいつも軽い笑みを携えながら、その実シビアに私の言動を観察し、主にふさわしい人間なのか見定めようとしている。そのくせこちらから手を伸ばそうとすればひょいと身を翻し、真意を隠した軽口とともにあっという間に遠ざかってしまう。おかげさまで私は未だに小竜が好きな食べ物すら知らない。小竜の方も、私のプライベートにまで興味はないはずだ。彼はきっとここでの人間関係を、すべて仕事だと割り切っている。
「……ま、そう思わせるようなことばかりしてるあいつが悪いってとこかな」
「別に悪いわけじゃないよ。いろんなスタンスの刀がいるし、もっとみんなと仲良くしなさいなんて言うつもりもない。小竜、仕事はしっかりやるしね」
「ちょっとくらい文句言ってやってもいいと思うけどなあ」
「たぶん適当に流されて終わりだよ」
「……まあ何にせよ、同派の若いのが目をかけられてるってのは悪くない。あいつは修行先で、何を見てくるのかね」
私の手元をちらりと見て、大般若は切れ長の目を少しだけ細めて見せた。先ほど開いたばかりの3通目の手紙は、妙に手に力が入ってしまったために少しくたびれている。それでも大般若の視線に促されるように、もうすっかり暗記してしまった文字に再び目を走らせた。
5日前、小竜が旅に出たいのだと言い出したときは大層驚いた。明石国行が修行に行くと言い出したときよりも驚いた。何せ小竜景光のことは、私を見定める側に立っているのだと思っていた。私に対してならともかく、彼が彼自身の変容や成長を望むとは考えすらしなかった。
けれど彼は望んだ。ならば主として応えねばならない。本丸総出で大急ぎで修行道具を整え、彼を送り出すことができたのは3日前の深夜近く。
何事もなければ明日の同じ時間、彼は本丸に帰ってくる。
「心配することはないさ」
深夜の厨房。特大の冷蔵庫の奥から引っ張り出した発泡酒の缶を片手に、大般若は「心配いらない」と同じ言葉を繰り返す。
今の私はどれほど情けない顔をしているのだろう。自分では分からない。けれど大般若がわざわざ私を捕まえてお酒を押しつけ、慰めるような言葉をかけてくれる程度には、不安そうに見えているのだと思う。そんな自分がやはり情けなく、さらに気分が沈んでいく。
かつての主の生き様を目の当たりにし、心を寄せ、新たな旅への決意を固めた小竜にふさわしい主として、私は認めてもらえるのだろうか。何度考えても、自信が持てない。
「俺たちはみんな、あんたのことが好きなんだ」
ことさら優しい声で言いながら、大般若はどこからか出してきたおかきをつまむ。
「これまで修行に行ったやつらだって、身なりや考え方は変わっても、それだけは変わらなかった。小竜だけが違うかもなんて、なんでそんなこと思うんだい?」
「分からないけど、でもそう思ったの」
「その不安も否定するつもりはないさ。でも小竜景光は、間違いなくあんたの刀だ。あんたがいるから、ここに帰ってくる」
「……そう思う?」
「思うとも」
「はー……大般若って本当にできた刀だよね。ちょっと元気出たよ。ありがとう」
「少しでも力になれたなら光栄だ。役に立ってこその刀だからね」
「大般若の修行のときは本物のビール買って待ってるからね」
「え? これ偽物なの?」
顕現してから今日までビールだと思い込まされていた発泡酒を愕然とした表情で見下ろす刀に少しだけ笑って、立ち上がる。未開封の発泡酒も彼にあげてしまおうかと考えて、しかしその手を途中で止めた。
「……前に小竜が、自分もここに本格的に腰を据えることになるかって言ってくれたとき、すごくうれしかったの」
「そりゃあ本人に言ってやりな。泣いて喜ぶよ」
「大般若はすぐそういうことを……修行から帰ってきても、同じこと言ってくれるかな」
「それは本人のみぞ知るってな。ほら、早く寝ちまいな。明日は夜更かしして出迎えるんだろう?」
「うん、ありがとう。これ、もらっていくね」
発泡酒の缶をひらひらと揺らして私室に戻る。不安が消え去ったわけではないが、思いのたけを吐き出せたおかげで少しだけ心は軽くなった。
(あんなに大般若が言ってたんだから、きっと大丈夫。今まで通り、小竜に主だって認めてもらえるようにがんばればいいんだ)
彼のかつての主が、その主人に人生を賭けたように――とまではいかなくとも。小竜が私のもとで刀を振るってもいいと思ってもらえるよう、せめて審神者としては立派に務めなければ。
決意も新たに、廊下でプルタブを引いて発泡酒を胃に流し込む。その瞬間を燭台切に目撃されこってり説教され、その日は泣きながら就寝するはめになった。
翌朝、目覚めて朝食を済ませてからも重たい気分は続いていた。仕事をしている間は考えずに済んだ不安が、ふとした瞬間に首をもたげて心の中をぐちゃぐちゃに乱していく。鉛のかたまりがずっとのどの奥につまっているような感覚が気持ち悪かったが、なんとか顔や態度には出さずに執務の時間を終えることができた。平静を保てたのは夕食の片づけが終わるまで。深夜が近づくにつれおとなしくなり、かと思えばそわそわと時計を気にしてため息を吐いたり、お酒に手を伸ばそうとしてやめたりする私の奇行を、主に長船の刀たちが苦笑して見守っていた。
「そんなにきになるのなら、はとをつかってはどうだろう」
「小豆ぃ、若者たちの青い春を邪魔するんじゃない。このじれったい時間がいいんじゃないか」
「あおいはる?」
「青春ってやつだね。……主と小竜くんに当てはまるのかは分からないけど」
「でもたしかに、ほかのこたちのときはもっとおちついていたね。どうしてこんかいだけ、そんなにそわそわしているんだい?」
「いろいろあるの~! いろいろと~! ね~、大般若~!」
「ね~。いやあ、それにしても発泡酒がうまい! 身にしみるなぁ!」
「だましてたのは悪かったから当てつけやめて」
「大般若と主はなかよしなんだね。ぼく、しらなかった」
「これを仲良しと呼ぶのもどうかと思うけど……」
「ひとまず主はもうすこしきもちをしずめたほうがいいだろうね。おさけをのまないのなら、すいーつでもたべるかい?」
「食べ……いや、大丈夫。ありがとう、小豆。ちゃんと小竜のこと、待ってるよ」
「ちゃんと?」
「うん、ちゃんと」
「昨日も言ったが、そんなに心配することないさ。何せうちの刀派の太刀、修行帰りの第一声がイメチェンしてきたと衣替えしてきただからな。どうせ小竜もさらにキュートになってきたよとか、そんなんに決まってるさ」
「僕は事実を報告しただけだったんだけどな」
「おなじく。なにもおかしなところはなかったとおもうけれど」
「すごむなすごむな。場を和ませようとしただけだから、本当に。圧がすごい」
他意はないと主張する大般若に笑顔で圧をかける燭台切と小豆の間で、謙信がわたわたと慌てている。普段通りのやりとりに、ようやく少しだけ緊張が解けた気がした。
中身のない会話をしている間に謙信は床につき、あっという間に深夜が近づいた。遅くなるからと、ほとんどの刀は自室に帰した。残ってくれた長船の3振りと他愛もない会話を交わしながらも、時計の針がひとつ進むごとに、脈拍も妙な調子に狂っていった。
「さて、そろそろ時間かな」
見かねた燭台切の提案で、帰還予定時刻の少し前に場所を移し、玄関で帰りを待つことになった。玄関先で大人4人が何をするでもなく佇んでいる姿は、端から見れば少し滑稽だ。たまたま通りがかった歌仙兼定が心底呆れた顔をして無言で立ち去っていったのがその証拠だった。
「お、来たかな?」
遠くで聞こえた門が動く音に、しつこく発泡酒の缶を傾けていた大般若が言った。しばらく待つと、暗闇の中でふわふわと揺れる金髪が、まず目に入る。あっと声を上げた私に応えるように視線を持ち上げた小竜は、意外そうに目を開いたあとにゆったりと口角を持ち上げた。
「おや、誰もいないと思っていたのに総出……ではないか。いい子を除いた悪い大人総出でお出迎えしてもらえるとは、光栄だね」
夜の闇の中からぼんやりと現れた輪郭は、以前の小竜とは少し違っていた。ハーフアップだった金髪は下ろされ、防具が増えたり胸元がびっくりするほど開いていたり、少し貫禄が出たような印象だ。けれど見れば彼だとすぐに分かる。彼は間違いなく、私が顕現させた小竜景光だ。
小竜は燭台切や小豆、大般若とひとしきりあいさつを交わすと、居住まいを正してまっすぐに私を見据えた。ドキリと、胸が大きく鳴る。かと思えば今度は小さく速く、全力で走ったあとかのように心臓が暴れ始めた。そのくせ頭の奥には未だ不安が付きまとい、その部分だけが氷のように冷えている。
私の動揺など知るよしもない小竜が、一歩、また一歩とこちらに歩み寄る。彼の歩みは手を伸ばせばかろうじて指先が届きそうな場所で止まり、透き通るような双眸が私を見下ろす。玄関の明かりが紫色の瞳の中で反射して、妙にあたたかな色彩を宿していた。
「……おかえりなさい、小竜。その……イメチェンというか、衣替えというか、したんだね」
「ああ、キミに合わせた姿にしてきたんだ」
「え……」
「キミが俺の主なんだから当然だろう?」
「!」
小竜は何を驚く必要があるのかとでも言いたげに、今度は確かな笑みを浮かべた。その一言にどれほど私が救われたかなど、彼は知らないだろう。私を安心させるような、ひどく優しい声で紡がれた「ただいま」に、この数日間積もりに積もった不安や緊張が溶けていく。ガチガチに固まっていた肩から力が抜け、もしかしたら顔も締まりがなくなっていたかもしれない。私の変化にぎょっと目を開いた小竜が薄く口を開く。しかしその直後、大般若と燭台切がぐいぐいと小竜の背中を押して無理矢理玄関に押し込んでしまった。
「ちょっと、なんだい急に!」
「主との感動の再会は酒でも飲みながら交わせばいいさ。明日は休みだし、とりあえず荷解きして風呂でも行ってきな」
「いや、荷解きはするし風呂も行くけども」
「お腹空いてるよね? 深夜だけど、今日は特別に何か作るよ。何食べたい?」
「残り物でいいよ。それより主が」
「おいおい、戻ってきたばっかりでもうそれかい? 愛しいものを愛でたいなら、もうちょっと雰囲気ってものを作ってからだな」
「そもそも同意が必要だよね、相手の。長船の刀ともあろうものが無理矢理とかかっこ悪い真似したら絶対に許さないからね」
「そんなんじゃないっての!」
急に日中のにぎやかさを取り戻した玄関の声が次第に遠ざかり、夜中の静寂が戻ってくる。残ってくれた小豆が、私の肩に優しく手を添えた。ドキドキと鳴り続ける心臓が、ほんの少し正常に近づく。脈拍を整えるように細くゆっくりと吐き出した空気は、けれどもしっかり震えていた。
(よかった……)
小竜が変わらず私を主と呼んでくれた。主と呼んでもいい存在だと認めてくれた。その事実がうれしい。うっかり涙腺がゆるんでしまうほど、うれしい。ここで泣きじゃくることができるほど私は子どもでも素直でもなかったが、それでも一筋、溢れた涙が頬を伝う。
「大般若のよそうははずれてしまったね。おなじ長船でも、景光たちはまじめないいこだ」
「光忠も長光も、真面目で紳士的だよ」
「そういってもらえるとうれしいな。まじめなわたしたちはこれからちゅうぼうですこしだけおさけをのむけれど、あるじはどうしようか。こどもたちはねてしまったから、おてほんに、なんてかたくるしいことはいわずにすむのだけれど」
「今日はやめておく。私ね、小竜の前でお酒なんて飲んだことないの」
「りゆうをきいても?」
「ちゃんとした主だって、認めてほしかったから。……これからも、がんばらなくちゃだね」
涙を拭いて隣の刀を見上げる。小豆は虚を突かれたようにわずかに目を開いたが、すぐに仕方がない子どもを見守るように、眉尻を下げて口角を上げた。
こうして、私の小さな悩みは解決に至り、翌日からはいつも調子を取り戻した――のだが、その10日後。
「長船~! 長船の刀たち~! 集合~!!」
新たな問題が浮上し始めた。
1/9ページ