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Vodka Gibson.



 昼下がり珍しく気晴らしに散歩へ出ていたベルさんが、門下生を引き連れて帰ってきた。
 シンプルな飾りのついていない手鏡を見知らぬ老婆に貰ったと困りながら帰ってきたのがことの始まり。
 怪しすぎると門下生に押しつけたが、2人が鏡を覗くと驚いた。お互いの顔を見つめたと思うと鏡を凝視したり奇妙な動きを繰り返している。こわい。

「えぇ…ただの鏡だろ?」
「えーー!そんな事ないですよ!」
「すっっごいタイプの女性が」

 化け物でも見る様な目で和気藹々と騒ぐ2人を見つめる。異質な光景。
 こちらに気づいたベルさんは助けを求める様に話しかけてきた。眉がいつもよりも下がって怯えてる様だ。

「この2人変なことばっかり言って怖いんだよ…。」

 ベルさんの声に合わせて門下生2人が僕の方に鏡面を見せる。驚いた、本来僕が写り込んでいる筈のそれは別人が写っていた。

「僕も、普通の鏡とは思えませんね。」
「えぇ……。」

 僕の言葉を聞いて瞼の影が益々濃くなった。
 若者だけがあれやこれやと手鏡で盛り上がってる最中、ベルさんは鏡と睨めっこ。普通の鏡に見えてるって事か?

 あんまりにも盛り上がるので手鏡はそのままベルさんが預かることになった。他所でこの鏡のことを話したら、可笑しな連中が会合してると思われて私が変な目で見られてしまうから、だって。

「ベル先生には理想の女性像があるんですか?」

 門下生の金子くんが核心を突いてしまう。
 ベルさんだけどうして“普通の鏡”だと思っているのかは、3人共気にはなっていた。
 机にゆっくりと手鏡を置き、俯きながら深く息を吸う。そして吐きながら机に両膝を置いて顔を覆った。

「そりゃ、私にだって理想の女性くらいは」

(あ)
 不味いと思った時にはもう遅く、ベルさんのネガティブスイッチが入ってしまった。“腐った味ご飯”がなんだとかうわ言が止まらなくなってしまった。
 今日のところはこれくらいでお開きにした方が皆の為になると、門下生らも申し訳なさそうに頭を下げつつ帰っていた。手鏡を机に置いて頭を抱えてブツブツ呟く彼に冷たい水を差し出す。

「ベルさん取り敢えずこれ飲んでください。」

 返事はなくコップを受け取ると勢いよく飲み干した。あまり見れない顎から喉仏のラインが露になる。勢い余って口から少し水が溢れてそこを伝う。色気が溢れでていて見ていられなくなった。
 深いため息を吐きながら、袖で溢れた水をゴシゴシ拭った。その後僕を見つめながら、
「ありがとう、ワトソンくん。」
少し上目遣いなベルさんがそう言った。

「今日はもうこのまま終わりにしましょう。研究の続きをしても良いですが順調にことが進むとは思えません。」
「ああ、そうだね。私も今は乗り気にならないや。」
「では、そうと決まれば。」

 僕は例の手鏡を持ち部屋を出ようとする。

「ワトソンくん、それは私が管理すると言ったろ?」
「大丈夫です。この家からは持ち出さないので。」

 隣の部屋を指差して微笑む。なんとなくで伝わったのか、何も言わずに僕は見送られた。
 部屋を移すと扉を軽く閉め鏡の中を見つめる。
 そこにいるのは紛れもなく隣の部屋にいるベルさんだ。
 思わず口元が緩む、鏡の中の彼も口元が緩む。
初めて見る顔に見惚れると、恍惚とした瞳で見つめられてる気分になって頭が可笑しくなりそうだった。

 いつもの椅子に腰掛けまた鏡を覗く。永遠に見つめられるなぁ…。
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