ある日突然時を遡ってしまった女の子が室町時代を必死に生き抜くお話
春の湊
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長次は自分の腕の中で脱力し切っていた澪の身体に再び力が入るのを感じた。苦しげな呼吸音が大きくなるとともに全身が強張ってゆく。「もう直ぐです」と澪の頭の近くで呟いて両手に力を込めた。
そうして医務室にたどり着いた長次は障子を足に突っかけて器用に開く。中にいた伊作はこちらに目をやると状況を察知していくらか長次と言葉を交わし把握した。そっと澪を畳の上におろせば自ら這いつくばるようにうずくまって呼吸を潜めようとする。ヒューヒュー、ゼーゼーと息を吸うのに混じって咳を繰り返しどんどん呼吸が乱れていった。
「澪さん、そのままじゃ呼吸が苦しいから、少し体勢を変えようか」
肩を支え上体を引き上げるも自分の力だけでは支えきれないようでクタッと崩れてしまう。伊作は自分の胸にもたれかからせるように澪を引き寄せるが、震える手がイヤイヤと言いたげに胸を突き返される。それでも「大丈夫だから。大丈夫、大丈夫。」と肩を抱き寄せてゆっくり彼女の背中を摩り続けた。
長次は少し乱れた髪の毛の隙間から覗く澪の血の気が引いた顔をただじっと見つめていた。
あれからしばらくして、ようやく呼吸が落ち着いてきた澪は肩下まで積み重なった布団を背にぐったりと俯いていた。時折咳き込むと伊作たちから顔を背けるように布団にしがみついてその咳を押し殺す。咳と呼吸に混じって途切れ途切れにごめんなさいごめんなさいと同じ言葉を繰り返す澪に「喋ると呼吸が乱れるから。落ち着いて、息を吐くんだ」と言い聞かせて背中を摩った。
「伊作先輩、白湯を持ってきました。」
「数馬、ありがとう」
数馬と呼ばれた少年は澪の様子をチラチラと見ながら伊作の側に盆を置いて正座した。澪が運び込まれたあと、遅れて保健室へやって来た彼は最近学園で噂になっている女性がいることに驚き目を丸くしたが、笛が鳴るような呼吸音にハッとして医務室を飛び出した。白湯を持って戻ってきた数馬はほんの少しだけ落ち着いた澪の呼吸に息をつき、改めて彼女の顔を見つめる。髪の毛がハラハラと顔にかかっている。暗い髪色のせいか血の気が引いた顔色がより白く見える。伊作の呼びかけに睫毛を震わせた彼女はおぼつかない手つきで湯呑みを手に取り唇に当てて、こくりと小さく喉が上下する。それだけなのになぜだか神聖な儀式でも見ているかのような感覚に陥って、目が離せず瞬きもせずにいた。
「…ほんとうに、すみません…」
澪の声はひどく掠れていてほとんど息の音と化している。額に手を押し当てて申し訳なさそうに顔を歪める彼女は伊作から軽く状況を聞かされるとよたよたと姿勢を正そうとした。「楽にしてていいから」とゆるく肩を押せば力無く布団に背を預ける。
「澪さんは喘息持ちなのかい?」
「いえ、もう、小さい頃に…治って…」
「緊張や疲れのせいでぶり返したのかもしれないね。とにかくしばらくここで休んでください」
伊作の言葉に澪は首を振る。ちゃんと返さなきゃと呟いて畳についた手を握りしめた。
「こんな、これじゃ……」
悲痛な声が途切れてひゅっと喉が鳴る。
数馬は無性に胸が締め付けられた。なんでこの人はこんなに焦っているんだろう。苦しくて、呼吸一つ満足にできていないのに、一体何を返すというのだろう。
『幸運の女神様』は慈愛に満ち溢れた笑顔を携えて慈悲の手を差し伸べてくれるような神様じゃなくて、一人頽れて何かに怯え、焦り、震えているただの人間だった。
***
「絆されすぎだバカタレ」
ガヤガヤと生徒の声が響く食堂で伊作は目元に隈を携えた青年に小言を言われつんと唇を尖らせていた。伊作を含めた6年生が集まった卓はどこかピリついた空気が漂っていた。
「はあ…文次郎は頭が硬いなあ」
「何を言うか。俺はただ忍者の三禁を重んじているだけだ」
「でも学園長先生が直々に保護すると仰ったんだ。悪い人じゃないよ絶対に」
学園長の名を出されるとぐうの音も出なくなる文次郎だが、それでも素性の知れない女にそう安安と気を許すことができないのかフンと息をついて飯をかき込む。
「それで澪さん今は?」
「少量の眠り薬を混ぜた香を焚いたら気を失うように眠ったよ。数馬がずっと見てくれている。」
留三郎はその言葉にほっと息をつく。いつまで経っても強張ったまま震えていた澪の姿を思い返して目を伏せた。不憫な人だと、思った。
「帰るための算段がついていないとはどういうことだ。さっさと元いたところに連れて行けばいいじゃないか。」
「元いたところって…あんな人里離れた山奥に置いて行けるわけないだろう」
「じゃあ道でもなんでも教えてそこら辺の村にでも送り出せばいいだろう」
目元の涼しげな癖ひとつない黒髪を携えた青年、もとい仙蔵が他人事のように呟く。まあ実際他人事であることに変わりはないのだが、その淡白な物言いに伊作は顔を顰めた。
「ただの迷子とかそういうんじゃ…ないんだよ、多分」
「ハァ…要領を得ないな。つまり何なんだ」
「いや、うぅん…」
「まるで…世界でひとりぼっちみたいな、目をしてるから」
ポツリと呟いた伊作を見て今度は仙蔵が顔を顰める。
言っている意味がわからない。そこにいたんだから、道はあるんだろう。
仙蔵が澪を初めて見たのは一年は組に囲まれて質問攻めにされているときだった。その時から違和感だらけなのだ。なんてことない一年生の言葉ですぐに空気が、目が揺らぐ。ものを知らぬ幼子のようだが、無知蒙昧というわけでもなく何かを察している様はあまりにもちぐはぐだった。
「それで長次は?」
伊作は当てにならないと悟ったのかため息をつきながら長次に問う。
「…薄氷のような人だ」
長次は目を閉じて、静かに呟く。
触れると緩やかに溶けてしまい、少しでも力を込めれば割れてしまうような。
どういうことだと多方から声が上がるも長次はそれ以上何も答えない。
「まあ細かいことは気にするな!」
「少しは気にしろバカタレ!!」
「いけいけどんどーん!」と音を立てて立ち上がった青年、小平太はニッカリと笑って拳を突き上げた。能天気な彼に対して文次郎は苛立ちを抑えられない様子で説教を始めるが、小平太はただ笑って聞き流す。
仙蔵は呆れたように何度目かもわからないため息をついて「馬鹿馬鹿しい」と席を立つとそのまま食堂を去って行った。
***
ゴロゴロと遠くで空が鳴りだし蝋燭の火が揺らぐ。湿気が身体にへばりつくような感覚が煩わしくて僅かに顔を歪めた三郎は頬杖をついて雷蔵の話に耳を傾けていた。
雷蔵の部屋には五年生の兵助、勘右衛門、三郎、八左ヱ門が集まっている。
今日の出来事を粗方聞き終わり、三郎は眉間に皺を寄せた。それ見たことか、と心の中で吐き捨てる。澪が忍術学園に運ばれて来てから三郎は毎晩彼女を天井裏から監視していたのだ。
なぜ頑なに寝ようとしない?部屋の隅で身体を縮こませて夜を明かす彼女の真意が全く理解できない。皆が寝静まる夜の隙をうかがっている様子はなく、時折鼻を啜る音と息をのむ音が僅かに聞こえていた。そして消え入るような声で呟かれた独り言。
なんて馬鹿馬鹿しいと頭を振る。
「というかあの女、俺と雷蔵の見分けがつくなんて宣ったのか」
「いや突っ込むところそこ?」
勘右衛門は苦笑いを浮かべながら突っ込む。
「大問題だ。あんな間抜けなやつに見分けられてたまるものか!」
「そもそもあんなビビリで間抜けで弱いくせに間者なんて務まるわけもないし警戒するだけ損だ。あんなの一年生でも伸せる。」
肯定派とも否定派とも取れる見解を述べる三郎はフンと鼻息を荒くした。
「俺は全く話についていけねぇよ…」
どこか疲れた表情でそう呟く八左ヱ門。
「その女の人が来たって日なんか飼育小屋にいた動物も虫たちもなぜかすんげぇ興奮してて大変だったんだぜ。檻は突き破られるし威嚇は鳴り止まないし脱走するし。」
「だからここ最近よく欠伸してたんだ。お疲れ様」
「八左ヱ門はいつだってそうだろ」
「失礼だなオイ!」
八左ヱ門を労わる雷蔵とは裏腹に三郎は辛辣な言葉を投げかける。八左ヱ門が三郎に向かってやいのやいのと叫んでいるが彼らを背に勘右衛門は兵助に話しかける。
「兵助は二回会ったんだよね。」
「うん、すごく緊張してた。」
どう思う?と問いかける彼らの視線に腕を組んだ。
「くくちさん」と呼ばれた小さな小さな澪の声を思い出す。
「応援したくなるって感じかな」
「なんだそれ」と呆れた表情の三郎が呟く。
「何か伝えたくて必死な感じがさ、頑張れって言いたくなるよ。」
兵助は「悪い人ではないんじゃない?」と笑みを浮かべた。雷蔵もその言葉にうんうんと頷いている。
「すごく丁寧で良い人だったよ。」
「へえ、雷蔵が迷わないなんて珍しい」
「甘いぞ雷蔵!」と叫んだ三郎はぶつぶつと不満げに何かを呟いている。そんな三郎を尻目に勘右衛門はニコニコ笑ってはいはーい!と手をあげた。
「ちなみに俺は…面白そうだからヨシ!」
「ハァ?ふざけてるのか勘右衛門」
「ふざけてないさ、至って真面目。そもそも学園長先生が保護するって仰っているんだし俺たちの一存で追い出そうとか出来っこないし。良いんじゃないか?別に」
「そりゃお前…確かにそうだけど…」
三郎は肯定的な意見の多さに面白くなさそうな表情を浮かべる。
数刻前食堂で六年生の口論に耳を傾けていたが、先輩方はそれなりに意見が対立していた。それなのに私たちの学年ときたらなんともまあ楽観的で。あの女、人を迷わす妖なんじゃないか?と眉間の皺が深くなる。
あの間抜けな化けの皮、すぐにでも剥いでやる
ギリっと親指の爪を噛み締めて目を細めた。
夜が更けるにつれて空の轟は徐々に大きくなり、いつしか雨が降り始めた____
そうして医務室にたどり着いた長次は障子を足に突っかけて器用に開く。中にいた伊作はこちらに目をやると状況を察知していくらか長次と言葉を交わし把握した。そっと澪を畳の上におろせば自ら這いつくばるようにうずくまって呼吸を潜めようとする。ヒューヒュー、ゼーゼーと息を吸うのに混じって咳を繰り返しどんどん呼吸が乱れていった。
「澪さん、そのままじゃ呼吸が苦しいから、少し体勢を変えようか」
肩を支え上体を引き上げるも自分の力だけでは支えきれないようでクタッと崩れてしまう。伊作は自分の胸にもたれかからせるように澪を引き寄せるが、震える手がイヤイヤと言いたげに胸を突き返される。それでも「大丈夫だから。大丈夫、大丈夫。」と肩を抱き寄せてゆっくり彼女の背中を摩り続けた。
長次は少し乱れた髪の毛の隙間から覗く澪の血の気が引いた顔をただじっと見つめていた。
あれからしばらくして、ようやく呼吸が落ち着いてきた澪は肩下まで積み重なった布団を背にぐったりと俯いていた。時折咳き込むと伊作たちから顔を背けるように布団にしがみついてその咳を押し殺す。咳と呼吸に混じって途切れ途切れにごめんなさいごめんなさいと同じ言葉を繰り返す澪に「喋ると呼吸が乱れるから。落ち着いて、息を吐くんだ」と言い聞かせて背中を摩った。
「伊作先輩、白湯を持ってきました。」
「数馬、ありがとう」
数馬と呼ばれた少年は澪の様子をチラチラと見ながら伊作の側に盆を置いて正座した。澪が運び込まれたあと、遅れて保健室へやって来た彼は最近学園で噂になっている女性がいることに驚き目を丸くしたが、笛が鳴るような呼吸音にハッとして医務室を飛び出した。白湯を持って戻ってきた数馬はほんの少しだけ落ち着いた澪の呼吸に息をつき、改めて彼女の顔を見つめる。髪の毛がハラハラと顔にかかっている。暗い髪色のせいか血の気が引いた顔色がより白く見える。伊作の呼びかけに睫毛を震わせた彼女はおぼつかない手つきで湯呑みを手に取り唇に当てて、こくりと小さく喉が上下する。それだけなのになぜだか神聖な儀式でも見ているかのような感覚に陥って、目が離せず瞬きもせずにいた。
「…ほんとうに、すみません…」
澪の声はひどく掠れていてほとんど息の音と化している。額に手を押し当てて申し訳なさそうに顔を歪める彼女は伊作から軽く状況を聞かされるとよたよたと姿勢を正そうとした。「楽にしてていいから」とゆるく肩を押せば力無く布団に背を預ける。
「澪さんは喘息持ちなのかい?」
「いえ、もう、小さい頃に…治って…」
「緊張や疲れのせいでぶり返したのかもしれないね。とにかくしばらくここで休んでください」
伊作の言葉に澪は首を振る。ちゃんと返さなきゃと呟いて畳についた手を握りしめた。
「こんな、これじゃ……」
悲痛な声が途切れてひゅっと喉が鳴る。
数馬は無性に胸が締め付けられた。なんでこの人はこんなに焦っているんだろう。苦しくて、呼吸一つ満足にできていないのに、一体何を返すというのだろう。
『幸運の女神様』は慈愛に満ち溢れた笑顔を携えて慈悲の手を差し伸べてくれるような神様じゃなくて、一人頽れて何かに怯え、焦り、震えているただの人間だった。
***
「絆されすぎだバカタレ」
ガヤガヤと生徒の声が響く食堂で伊作は目元に隈を携えた青年に小言を言われつんと唇を尖らせていた。伊作を含めた6年生が集まった卓はどこかピリついた空気が漂っていた。
「はあ…文次郎は頭が硬いなあ」
「何を言うか。俺はただ忍者の三禁を重んじているだけだ」
「でも学園長先生が直々に保護すると仰ったんだ。悪い人じゃないよ絶対に」
学園長の名を出されるとぐうの音も出なくなる文次郎だが、それでも素性の知れない女にそう安安と気を許すことができないのかフンと息をついて飯をかき込む。
「それで澪さん今は?」
「少量の眠り薬を混ぜた香を焚いたら気を失うように眠ったよ。数馬がずっと見てくれている。」
留三郎はその言葉にほっと息をつく。いつまで経っても強張ったまま震えていた澪の姿を思い返して目を伏せた。不憫な人だと、思った。
「帰るための算段がついていないとはどういうことだ。さっさと元いたところに連れて行けばいいじゃないか。」
「元いたところって…あんな人里離れた山奥に置いて行けるわけないだろう」
「じゃあ道でもなんでも教えてそこら辺の村にでも送り出せばいいだろう」
目元の涼しげな癖ひとつない黒髪を携えた青年、もとい仙蔵が他人事のように呟く。まあ実際他人事であることに変わりはないのだが、その淡白な物言いに伊作は顔を顰めた。
「ただの迷子とかそういうんじゃ…ないんだよ、多分」
「ハァ…要領を得ないな。つまり何なんだ」
「いや、うぅん…」
「まるで…世界でひとりぼっちみたいな、目をしてるから」
ポツリと呟いた伊作を見て今度は仙蔵が顔を顰める。
言っている意味がわからない。そこにいたんだから、道はあるんだろう。
仙蔵が澪を初めて見たのは一年は組に囲まれて質問攻めにされているときだった。その時から違和感だらけなのだ。なんてことない一年生の言葉ですぐに空気が、目が揺らぐ。ものを知らぬ幼子のようだが、無知蒙昧というわけでもなく何かを察している様はあまりにもちぐはぐだった。
「それで長次は?」
伊作は当てにならないと悟ったのかため息をつきながら長次に問う。
「…薄氷のような人だ」
長次は目を閉じて、静かに呟く。
触れると緩やかに溶けてしまい、少しでも力を込めれば割れてしまうような。
どういうことだと多方から声が上がるも長次はそれ以上何も答えない。
「まあ細かいことは気にするな!」
「少しは気にしろバカタレ!!」
「いけいけどんどーん!」と音を立てて立ち上がった青年、小平太はニッカリと笑って拳を突き上げた。能天気な彼に対して文次郎は苛立ちを抑えられない様子で説教を始めるが、小平太はただ笑って聞き流す。
仙蔵は呆れたように何度目かもわからないため息をついて「馬鹿馬鹿しい」と席を立つとそのまま食堂を去って行った。
***
ゴロゴロと遠くで空が鳴りだし蝋燭の火が揺らぐ。湿気が身体にへばりつくような感覚が煩わしくて僅かに顔を歪めた三郎は頬杖をついて雷蔵の話に耳を傾けていた。
雷蔵の部屋には五年生の兵助、勘右衛門、三郎、八左ヱ門が集まっている。
今日の出来事を粗方聞き終わり、三郎は眉間に皺を寄せた。それ見たことか、と心の中で吐き捨てる。澪が忍術学園に運ばれて来てから三郎は毎晩彼女を天井裏から監視していたのだ。
なぜ頑なに寝ようとしない?部屋の隅で身体を縮こませて夜を明かす彼女の真意が全く理解できない。皆が寝静まる夜の隙をうかがっている様子はなく、時折鼻を啜る音と息をのむ音が僅かに聞こえていた。そして消え入るような声で呟かれた独り言。
なんて馬鹿馬鹿しいと頭を振る。
「というかあの女、俺と雷蔵の見分けがつくなんて宣ったのか」
「いや突っ込むところそこ?」
勘右衛門は苦笑いを浮かべながら突っ込む。
「大問題だ。あんな間抜けなやつに見分けられてたまるものか!」
「そもそもあんなビビリで間抜けで弱いくせに間者なんて務まるわけもないし警戒するだけ損だ。あんなの一年生でも伸せる。」
肯定派とも否定派とも取れる見解を述べる三郎はフンと鼻息を荒くした。
「俺は全く話についていけねぇよ…」
どこか疲れた表情でそう呟く八左ヱ門。
「その女の人が来たって日なんか飼育小屋にいた動物も虫たちもなぜかすんげぇ興奮してて大変だったんだぜ。檻は突き破られるし威嚇は鳴り止まないし脱走するし。」
「だからここ最近よく欠伸してたんだ。お疲れ様」
「八左ヱ門はいつだってそうだろ」
「失礼だなオイ!」
八左ヱ門を労わる雷蔵とは裏腹に三郎は辛辣な言葉を投げかける。八左ヱ門が三郎に向かってやいのやいのと叫んでいるが彼らを背に勘右衛門は兵助に話しかける。
「兵助は二回会ったんだよね。」
「うん、すごく緊張してた。」
どう思う?と問いかける彼らの視線に腕を組んだ。
「くくちさん」と呼ばれた小さな小さな澪の声を思い出す。
「応援したくなるって感じかな」
「なんだそれ」と呆れた表情の三郎が呟く。
「何か伝えたくて必死な感じがさ、頑張れって言いたくなるよ。」
兵助は「悪い人ではないんじゃない?」と笑みを浮かべた。雷蔵もその言葉にうんうんと頷いている。
「すごく丁寧で良い人だったよ。」
「へえ、雷蔵が迷わないなんて珍しい」
「甘いぞ雷蔵!」と叫んだ三郎はぶつぶつと不満げに何かを呟いている。そんな三郎を尻目に勘右衛門はニコニコ笑ってはいはーい!と手をあげた。
「ちなみに俺は…面白そうだからヨシ!」
「ハァ?ふざけてるのか勘右衛門」
「ふざけてないさ、至って真面目。そもそも学園長先生が保護するって仰っているんだし俺たちの一存で追い出そうとか出来っこないし。良いんじゃないか?別に」
「そりゃお前…確かにそうだけど…」
三郎は肯定的な意見の多さに面白くなさそうな表情を浮かべる。
数刻前食堂で六年生の口論に耳を傾けていたが、先輩方はそれなりに意見が対立していた。それなのに私たちの学年ときたらなんともまあ楽観的で。あの女、人を迷わす妖なんじゃないか?と眉間の皺が深くなる。
あの間抜けな化けの皮、すぐにでも剥いでやる
ギリっと親指の爪を噛み締めて目を細めた。
夜が更けるにつれて空の轟は徐々に大きくなり、いつしか雨が降り始めた____