ある日突然時を遡ってしまった女の子が室町時代を必死に生き抜くお話
春の湊
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ここ最近、一年は組では何やら紙の工作が流行っているようで。
書き損じた紙をありったけ集めてはああでもないこうでもないと折り目をつけてその紙を飛ばしている。聞けば“紙ヒコーキ”なるものらしく、その作り方は澪さんに教わったそうだ。よく飛ぶ形とはこれいかに、と日々熱心に研究しているのは大変結構。できればその情熱を忍術の勉強にも注いでくれたのなら尚のこと嬉しいのだがそれはさておき…
「お前達…流石に教室を散らかしすぎだ!
なんだこの紙ヒコーキの残骸は!足の踏み場がないじゃないか!!」
少し早めに教室を訪れたところ、教室の床が見えなくなるほどそこかしこに紙ヒコーキが転がっていた。「早く片付けなさい!」と一括すれば、飛行機を飛ばそうと固まっていた生徒や床に座り込んで紙を折っていた生徒達が慌てて紙ヒコーキを拾いだす。
「授業までまだあと少し時間あるのに…」
「なんだって?兵太夫」
「いえっ!なんでもありませ〜ん!」
唇をつんと尖らせて小さく不満を垂れた兵太夫に目を遣るとニコニコと笑いながら返事をするものだから思わず唇の隙間からため息が漏れた。
足元に落ちた紙ヒコーキを拾ってしげしげと見つめる。数日前は歪だった折り目が今や器用に丁寧に折られていて良い子達の小さな成長が垣間見れた。なんだか微笑ましくてゆるりと頬が緩む。
「とりあえずこの試作品たちは教室の隅にでも集めていよう。」
「そうだね庄ちゃん」
庄左ヱ門が指差す教室の隅に紙ヒコーキが山のように積まれる光景を眺め、最後に手の中にあったそれを山の頂点にそっと置いた。
きっと、彼女がこれを見たら目を丸くして慌てふためくんだろう。いや、良い子達がこんなにも目を輝かせて夢中になっているんだ。くすくすと笑ったりして。
下がり眉でまなじりをとろりと下げて小さく笑う彼女の姿が容易に想像できて、釣られるように笑ってしまった。
「どうしたんですか?土井先生」
「いや、なんでもないよ。ほら良い子達、授業を始めるぞ!」
「えぇ!まだ休み時間なのにぃ…」
「授業が遅れているんだから仕方がないだろう…ほら座った座った!」
頬を膨らませた良い子達はぶうぶうと不満を垂れている。そりゃあ休み時間くらい楽しく遊ばせてやりたいが、授業進度が遅れに遅れているためそうも言ってられないのだ。良い子達を思っての事とはいえそうそう理解してくれるはずもなく。緩慢な動作で席に着こうとする彼らの姿をやれやれと見守っていた。
「あっ!澪さあ〜〜〜ん!!」
きり丸の大きな声に振り返ると、窓から身を乗り出して大きく手を振っている。つられて良い子達もなんだなんだと窓の方へと近寄っていくので腰に手を当ててスウっと息を吸ったが、一瞬の静止の後、その息をゆっくりと吐き出した。団子状態になって手を振る子供達越しに窓の外を覗いてみると、校庭の隅に彼女が立っていた。小さく手を振り返す澪さんは照れているのかほんのりと頬が赤くて、けれどとても穏やかに笑っていた。こんなにも距離があるはずなのにやけに彼女の表情が鮮明に見える。
「そうだ!きり丸、この紙ヒコーキ澪さんに向けて飛ばしてみようよ!」
「んでも、まだ試作品だからあんな遠くまでは届かないっしょ」
「な〜に言ってんの、モノは試しだよ。ほらほら早く!」
きり丸と兵太夫の会話にフッと意識が戻る。なんだか自分がだらしない顔をしているような気がして慌てて口元を覆い隠した。良い子達は彼女の方に夢中で誰にも気づかれていないようでホッと息をついた。
「澪さーーーん!!受け取ってーーー!!!」
兵太夫に背中を押されたきり丸が思い切って窓の外へと紙ヒコーキを飛ばす。それの行く先が気になって子供達の邪魔にならない程度に窓へと近づいた。きゅっと手を握りしめた澪さんは目を丸くしてパチパチと瞬きを繰り返している。紙ヒコーキと彼女の様子を忙しなく目で追いながら唇を少しだけ噛み締めた。
風に揺られた紙ヒコーキを見てきり丸が「ダメだぁ!」と頭を抱える。良い子達は紙ヒコーキの行方ばかりを気にしていたが、この場でたった一人、自分だけが大きく一歩を踏み出す彼女の姿をその目に捉えていた。
頑張れ。
「頑張れ、澪さん」
ゴクリと息を呑んで、心の中で何度も唱えた言葉を無意識に口からこぼした。
地面を蹴って飛び跳ねた彼女がその手で紙ヒコーキを掴んだその瞬間、誰よりも真っ先に声を上げた。
「やった、あぁって!?澪さん?!」
と同時に激しい水音が校庭に響き渡り慌てて窓に駆け寄った。良い子達を若干押しつぶしているような気がするけれど、今だけは許してほしいと心の中で謝る。けれど彼らも同じようにお互いを押し合ってまで窓の外を心配そうに眺めていた。
「大変だ!澪さんが池に落ちちゃった!」
「ど、どどど、どうしよう!?溺れ、えと、えっと…救急箱、医務室、救護…?!」
「乱太郎落ち着いて!さっきの音を聞きつけた先輩が今澪さんのところへ向かっておられる」
「さすが庄ちゃん。冷静ね…」と眼鏡をかけ直しながら呟く乱太郎。
視界の端で深緑の着物を纏う生徒が駆け出しているのを捉えホッとするのも束の間、池をじっと見つめて両手を握りしめた。
水面が揺らいで最初に出てきたのは彼女の腕。その手にはしっかりと紙ヒコーキが握られていた。次いでバシャンと音を立てて彼女が顔を覗かせる。
よ、よかった…
一年は組の良い子達も一斉に安堵のため息を漏らす。
胸を撫で下ろしていると池の方から彼女の小さな声が聞こえて顔を上げた。
「届いたよぉ〜!」
嬉しそうに笑う澪さんの表情はいつもよりも幾らかあどけなかった。初めて見せたそんな表情を、決して近くはないけれど真正面からこの目に収めることができた。水面に木の葉や花びらが落ちて静かに波紋を描くように穏やかに心が湧き立った。
「…ふ、ははっ、ははは!」
胃の辺りがじんわりと温かくなって、込み上げてきたそれを抑えきれずに腹を抱えて笑った。良い子達が不思議そうにこちらを見つめてきたけれど、すぐにニコニコと満足げな顔で彼女に手を振り返したり、互いの手を合わせて喜び合った。
ひとしきり笑った後、何気なく彼女に目を向けた。半身は水に浸かったままで全身はびしょ濡れ。けれど嫌な顔せずむしろとても晴れやかな表情に見えた。両手で大事そうに濡れた紙ヒコーキを抱える彼女は目を閉じて空を仰いでいる。水滴がきらきらと陽光を反射させて、濡れた瞼が開かれるその瞬間は時が止まったかのように見えて目が離せなかった。じっと空を見つめた彼女はフッと目を細めて柔く微笑み、こちらへと視線を向けた。
片手で紙ヒコーキを胸に抱き、もう片方の腕をゆっくりと空に掲げて人差し指を立てる彼女。その指先を辿って空を見上げた。
「虹だ!」
ワッとはしゃぐ良い子達がこぞって窓から虹を見ようと身を乗り出す。その危なっかしさにヒヤヒヤしながら「お前達落ち着きなさい!」と声をかけた。
「私こんな虹見たことない!」
「僕も!」
私もだ。文献では見たことがあるだけで、実際にこの目で見たことはなかった。確か、日暈とか白虹とかいう…
「なんだか澪さんに出会った時のことを思い出すね。あの日も彩雲っていうすごく珍しい虹が見えて…」
「そうそう、吉兆の印だって伊作先輩が」
「きっとこの虹も何か良いことが起きる前触れなんじゃない!?」
「えぇっやっぱり澪さんって幸運の女神さまなのかなぁ?」
吉兆
そうだ、確か澪さんの処遇について職員会議が開かれたとき。学園長先生は何かを言い淀んでおられた。吉兆が、どうだとか…。あれは一体、なんだったのだろうか?
彩雲、日暈。
吉兆。
この点同士は線で結びつきそうな気がするけれど、今それを確かめる術はなくて。何か関係があるのだろうかと再び彼女を見遣ったが、子供達を眺める彼女の顔はひどく優しげでただひたすらに清らかだった。
不意に遠くから鐘の音が聞こえて「あっ」と大きな声を上げた。
「しまった…!もう授業の時間に!」
少しでも遅れを取り戻そうと早めに教室に来たはずが…!
頭を抱えて重苦しいため息を吐いても、一年は組の良い子達は我関せずという表情で窓にへばりついている。
「ほら!鐘が鳴ったんだからもう席に着きなさい!授業を始めるぞ」
「でも土井先生、まだ澪さんが…」
乱太郎が心配そうに眉を下げながらそう呟く。そんな乱太郎を安心させるかのように団蔵が口を開いた。
「乱太郎、大丈夫そうだよ。今潮江先輩が…」
「いつまで池の中にいるつもりだバカタレ!!」
キーンとつんざくような文次郎の声が教室にまで届いて驚いたり、苦笑したり…。「確かに、大丈夫そうだね」と頬をかきながら苦笑いを浮かべる乱太郎は急足で席についた。
最後まで名残惜しそうに窓から離れようとしないきり丸の名前を呼ぶ。振り返ったきり丸は数秒、じっと見つめ合った後ゆっくりと席に戻った。
席に着いた彼らは少しばかりそわそわしていて、その様子に思わず顔を綻ばせた。
「授業が終わったら、彼女の元へ行くといい。話したいことがたくさんあるんだろう?」
その言葉に良い子達の顔はパッと輝き、大きな返事が返ってくる。
今にも駆け出して澪さんの元へ駆けつけたい気持ちが溢れているのがよくわかる。
私も。
私もだよ。お前達と、同じ気持ちだよ。
伏し目がちに出席簿の縁を指でなぞって緩やかな弧を描く唇を少しだけ喰んだ。今もなおじんわりとあたたかいままの心が気持ちをはやらせた。
窓から吹き込む風が心地良く、ふわりと前髪がたなびく。
気合いを入れ直すように目を閉じて深く息を吐いた。
よし、と目を開けば一年は組の良い子達がシャンと背筋を伸ばしていた。
「それでは、授業を始める!」
書き損じた紙をありったけ集めてはああでもないこうでもないと折り目をつけてその紙を飛ばしている。聞けば“紙ヒコーキ”なるものらしく、その作り方は澪さんに教わったそうだ。よく飛ぶ形とはこれいかに、と日々熱心に研究しているのは大変結構。できればその情熱を忍術の勉強にも注いでくれたのなら尚のこと嬉しいのだがそれはさておき…
「お前達…流石に教室を散らかしすぎだ!
なんだこの紙ヒコーキの残骸は!足の踏み場がないじゃないか!!」
少し早めに教室を訪れたところ、教室の床が見えなくなるほどそこかしこに紙ヒコーキが転がっていた。「早く片付けなさい!」と一括すれば、飛行機を飛ばそうと固まっていた生徒や床に座り込んで紙を折っていた生徒達が慌てて紙ヒコーキを拾いだす。
「授業までまだあと少し時間あるのに…」
「なんだって?兵太夫」
「いえっ!なんでもありませ〜ん!」
唇をつんと尖らせて小さく不満を垂れた兵太夫に目を遣るとニコニコと笑いながら返事をするものだから思わず唇の隙間からため息が漏れた。
足元に落ちた紙ヒコーキを拾ってしげしげと見つめる。数日前は歪だった折り目が今や器用に丁寧に折られていて良い子達の小さな成長が垣間見れた。なんだか微笑ましくてゆるりと頬が緩む。
「とりあえずこの試作品たちは教室の隅にでも集めていよう。」
「そうだね庄ちゃん」
庄左ヱ門が指差す教室の隅に紙ヒコーキが山のように積まれる光景を眺め、最後に手の中にあったそれを山の頂点にそっと置いた。
きっと、彼女がこれを見たら目を丸くして慌てふためくんだろう。いや、良い子達がこんなにも目を輝かせて夢中になっているんだ。くすくすと笑ったりして。
下がり眉でまなじりをとろりと下げて小さく笑う彼女の姿が容易に想像できて、釣られるように笑ってしまった。
「どうしたんですか?土井先生」
「いや、なんでもないよ。ほら良い子達、授業を始めるぞ!」
「えぇ!まだ休み時間なのにぃ…」
「授業が遅れているんだから仕方がないだろう…ほら座った座った!」
頬を膨らませた良い子達はぶうぶうと不満を垂れている。そりゃあ休み時間くらい楽しく遊ばせてやりたいが、授業進度が遅れに遅れているためそうも言ってられないのだ。良い子達を思っての事とはいえそうそう理解してくれるはずもなく。緩慢な動作で席に着こうとする彼らの姿をやれやれと見守っていた。
「あっ!澪さあ〜〜〜ん!!」
きり丸の大きな声に振り返ると、窓から身を乗り出して大きく手を振っている。つられて良い子達もなんだなんだと窓の方へと近寄っていくので腰に手を当ててスウっと息を吸ったが、一瞬の静止の後、その息をゆっくりと吐き出した。団子状態になって手を振る子供達越しに窓の外を覗いてみると、校庭の隅に彼女が立っていた。小さく手を振り返す澪さんは照れているのかほんのりと頬が赤くて、けれどとても穏やかに笑っていた。こんなにも距離があるはずなのにやけに彼女の表情が鮮明に見える。
「そうだ!きり丸、この紙ヒコーキ澪さんに向けて飛ばしてみようよ!」
「んでも、まだ試作品だからあんな遠くまでは届かないっしょ」
「な〜に言ってんの、モノは試しだよ。ほらほら早く!」
きり丸と兵太夫の会話にフッと意識が戻る。なんだか自分がだらしない顔をしているような気がして慌てて口元を覆い隠した。良い子達は彼女の方に夢中で誰にも気づかれていないようでホッと息をついた。
「澪さーーーん!!受け取ってーーー!!!」
兵太夫に背中を押されたきり丸が思い切って窓の外へと紙ヒコーキを飛ばす。それの行く先が気になって子供達の邪魔にならない程度に窓へと近づいた。きゅっと手を握りしめた澪さんは目を丸くしてパチパチと瞬きを繰り返している。紙ヒコーキと彼女の様子を忙しなく目で追いながら唇を少しだけ噛み締めた。
風に揺られた紙ヒコーキを見てきり丸が「ダメだぁ!」と頭を抱える。良い子達は紙ヒコーキの行方ばかりを気にしていたが、この場でたった一人、自分だけが大きく一歩を踏み出す彼女の姿をその目に捉えていた。
頑張れ。
「頑張れ、澪さん」
ゴクリと息を呑んで、心の中で何度も唱えた言葉を無意識に口からこぼした。
地面を蹴って飛び跳ねた彼女がその手で紙ヒコーキを掴んだその瞬間、誰よりも真っ先に声を上げた。
「やった、あぁって!?澪さん?!」
と同時に激しい水音が校庭に響き渡り慌てて窓に駆け寄った。良い子達を若干押しつぶしているような気がするけれど、今だけは許してほしいと心の中で謝る。けれど彼らも同じようにお互いを押し合ってまで窓の外を心配そうに眺めていた。
「大変だ!澪さんが池に落ちちゃった!」
「ど、どどど、どうしよう!?溺れ、えと、えっと…救急箱、医務室、救護…?!」
「乱太郎落ち着いて!さっきの音を聞きつけた先輩が今澪さんのところへ向かっておられる」
「さすが庄ちゃん。冷静ね…」と眼鏡をかけ直しながら呟く乱太郎。
視界の端で深緑の着物を纏う生徒が駆け出しているのを捉えホッとするのも束の間、池をじっと見つめて両手を握りしめた。
水面が揺らいで最初に出てきたのは彼女の腕。その手にはしっかりと紙ヒコーキが握られていた。次いでバシャンと音を立てて彼女が顔を覗かせる。
よ、よかった…
一年は組の良い子達も一斉に安堵のため息を漏らす。
胸を撫で下ろしていると池の方から彼女の小さな声が聞こえて顔を上げた。
「届いたよぉ〜!」
嬉しそうに笑う澪さんの表情はいつもよりも幾らかあどけなかった。初めて見せたそんな表情を、決して近くはないけれど真正面からこの目に収めることができた。水面に木の葉や花びらが落ちて静かに波紋を描くように穏やかに心が湧き立った。
「…ふ、ははっ、ははは!」
胃の辺りがじんわりと温かくなって、込み上げてきたそれを抑えきれずに腹を抱えて笑った。良い子達が不思議そうにこちらを見つめてきたけれど、すぐにニコニコと満足げな顔で彼女に手を振り返したり、互いの手を合わせて喜び合った。
ひとしきり笑った後、何気なく彼女に目を向けた。半身は水に浸かったままで全身はびしょ濡れ。けれど嫌な顔せずむしろとても晴れやかな表情に見えた。両手で大事そうに濡れた紙ヒコーキを抱える彼女は目を閉じて空を仰いでいる。水滴がきらきらと陽光を反射させて、濡れた瞼が開かれるその瞬間は時が止まったかのように見えて目が離せなかった。じっと空を見つめた彼女はフッと目を細めて柔く微笑み、こちらへと視線を向けた。
片手で紙ヒコーキを胸に抱き、もう片方の腕をゆっくりと空に掲げて人差し指を立てる彼女。その指先を辿って空を見上げた。
「虹だ!」
ワッとはしゃぐ良い子達がこぞって窓から虹を見ようと身を乗り出す。その危なっかしさにヒヤヒヤしながら「お前達落ち着きなさい!」と声をかけた。
「私こんな虹見たことない!」
「僕も!」
私もだ。文献では見たことがあるだけで、実際にこの目で見たことはなかった。確か、日暈とか白虹とかいう…
「なんだか澪さんに出会った時のことを思い出すね。あの日も彩雲っていうすごく珍しい虹が見えて…」
「そうそう、吉兆の印だって伊作先輩が」
「きっとこの虹も何か良いことが起きる前触れなんじゃない!?」
「えぇっやっぱり澪さんって幸運の女神さまなのかなぁ?」
吉兆
そうだ、確か澪さんの処遇について職員会議が開かれたとき。学園長先生は何かを言い淀んでおられた。吉兆が、どうだとか…。あれは一体、なんだったのだろうか?
彩雲、日暈。
吉兆。
この点同士は線で結びつきそうな気がするけれど、今それを確かめる術はなくて。何か関係があるのだろうかと再び彼女を見遣ったが、子供達を眺める彼女の顔はひどく優しげでただひたすらに清らかだった。
不意に遠くから鐘の音が聞こえて「あっ」と大きな声を上げた。
「しまった…!もう授業の時間に!」
少しでも遅れを取り戻そうと早めに教室に来たはずが…!
頭を抱えて重苦しいため息を吐いても、一年は組の良い子達は我関せずという表情で窓にへばりついている。
「ほら!鐘が鳴ったんだからもう席に着きなさい!授業を始めるぞ」
「でも土井先生、まだ澪さんが…」
乱太郎が心配そうに眉を下げながらそう呟く。そんな乱太郎を安心させるかのように団蔵が口を開いた。
「乱太郎、大丈夫そうだよ。今潮江先輩が…」
「いつまで池の中にいるつもりだバカタレ!!」
キーンとつんざくような文次郎の声が教室にまで届いて驚いたり、苦笑したり…。「確かに、大丈夫そうだね」と頬をかきながら苦笑いを浮かべる乱太郎は急足で席についた。
最後まで名残惜しそうに窓から離れようとしないきり丸の名前を呼ぶ。振り返ったきり丸は数秒、じっと見つめ合った後ゆっくりと席に戻った。
席に着いた彼らは少しばかりそわそわしていて、その様子に思わず顔を綻ばせた。
「授業が終わったら、彼女の元へ行くといい。話したいことがたくさんあるんだろう?」
その言葉に良い子達の顔はパッと輝き、大きな返事が返ってくる。
今にも駆け出して澪さんの元へ駆けつけたい気持ちが溢れているのがよくわかる。
私も。
私もだよ。お前達と、同じ気持ちだよ。
伏し目がちに出席簿の縁を指でなぞって緩やかな弧を描く唇を少しだけ喰んだ。今もなおじんわりとあたたかいままの心が気持ちをはやらせた。
窓から吹き込む風が心地良く、ふわりと前髪がたなびく。
気合いを入れ直すように目を閉じて深く息を吐いた。
よし、と目を開けば一年は組の良い子達がシャンと背筋を伸ばしていた。
「それでは、授業を始める!」
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