ある日突然時を遡ってしまった女の子が室町時代を必死に生き抜くお話
春の湊
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医務室に澪が運び込まれてから、いつの間にか三日が経っていた。中々熱が引かず、慎重を期して安静が続けられている。澪自身はもう身体を動かすことに支障はないと感じているものの、保健委員の判断は変わらずもう一日だけ静養するよう告げられていた。
一日目は意識が朦朧としていてぼんやりとしか覚えていなかったが、二日目はそれはもう、罪悪感やら羞恥心やらいろんな感情に押しつぶされそうになって悶え苦しんだのは記憶に新しい。きり丸たちの部屋で寝落ちしてしまったことや、伊作に対してぶちまけたあれやこれといった諸々を鮮明に思い出し力の入らない身体に鞭打ってとにかく謝り倒した一日だった。そうして三日目を迎えたのだが、昨日のこともあってか妙に心が凪いでいる。
神様…これが、悟りってやつでしょうか…?
なんて間抜けなことを考えながらぼんやりと外を眺めていた。
「今日も雨、ですね」
「最近は日照りが続いていたので、この雨はまさに干天の慈雨です。ありがたいことですよ」
「なるほど、恵みの…」
半分開いた医務室の障子から見える外は絹糸のような雨がさあさあと降り続けている。伊作は薬棚の整理をしながら澪に釣られるように雨模様の空を見遣った。
灌漑や水道の設備が整っていないこの時代では雨は喜ばしいものだということが伊作の言葉で改めて思い知らされる。どちらかというと晴れた日の方が好きで雨の日はちょっぴり憂鬱な気持ちになるけれど、慈しみの雨という言葉を聞いて少しだけ雨を好きになれた。
目を閉じて雨音に耳を澄ませる。仕切りが薄く、外と内の境界線が現代よりも曖昧な建物だから外の音がよく聞こえる。葉っぱが雨を弾く音、池に雨が落ちる音、地面や屋根を叩く雨の音。どれも微かに音が違って心地が良い。
こんなにゆっくりしていて良いのだろうかと思う反面、眠気に逆らえずついウトウトしてしまう。そうして微睡んでいたとき、遠くから軽快な足音が近づいてきているような気がしてうっすらと瞼を開いた。
「君たち、そんなところに隠れていないで入っておいで」
伊作が障子の向こうに向かって声を掛ける。障子からぴょこんと飛び出た二つの小さな頭。「失礼します」と小声で囁きながらいそいそと入ってきた二人は澪の様子を伺うように布団の傍に腰を下ろした。
「…きり丸くん、金吾くん」
「澪さん、まだ辛い?」
「ううん、大丈夫だよ。もうすっかり元気」
えへ、と小さく笑いながらそう呟けば「嘘つけ。まだ目がとろんってしてるよ。」なんて言われたから手厳しいなぁ…と苦笑がこぼれた。彼らは生憎の天気で実技の授業が自習に変わったらしく、暇を持て余しているようだった。
二人の話を聞きながらよいしょ、と起き上がって軽く身だしなみを整える。
「あっ澪さんはちゃんと寝てなきゃダメですよ」
「ご、ごめんなさい。寝ながらお話聞くの、なんだか落ち着かなくて…」
金吾に平謝りしたところでそうっと伊作の方に視線を移す。これくらいでも怒られちゃうかな…?と様子を窺っていると、伊作は一息ついてこちらにすり寄ってきた。
「少しだけですよ。あまり身体は冷やさないでくださいね」
伊作はそう言って澪の肩にそっと羽織を掛ける。ふわりとした羽織の温もりと彼の優しい気遣いに澪は小さく微笑んだ。
「ありがとうございます、善法寺さん」
二人の様子をじっと見ていたきり丸と金吾もつられて笑みを浮かべた。
*
「…でもさあ、三日も雨が続いているからもうどの遊びも飽きちゃったんだ」
「そうそう、それで僕たち今すっごく退屈なんです」
「あらら、そっかぁ…」
きり丸と金吾の話によると、は組の子達は生憎の天気でも楽しく遊ぼうと試行錯誤を重ねたらしい。しかし万策尽きて今は皆暇を持て余しているようで。作業をしながら彼らの話に耳を傾けていた伊作は苦い表情を浮かべながら「自習はどうしたんだい自習は…」と静かにつっこむ。
自習そっちのけの、チャンバラごっこだとかからくり仕立ての迷路づくりだとか、実に男の子らしい遊びの数々にクスクスと笑いが止まらなかった。先生に叱られたという話のオチまで聞かされて、多分土井さんは胃を痛めていらっしゃるんだろうなあ…と彼の心労に思いを馳せたり。
「ねえ澪さん、なんか面白い遊びとかないかな?」
「えっ?う、う〜ん…そうだなぁ…」
10歳男子。つまり小学生男子が楽しめる、室内遊び、とは。
頭をフル回転させて小学生の頃の記憶を呼び起こすが、そもそも男の子の遊びは傍目に読書だとか仲の良い女の子の友達と遊んでいたので碌に思い浮かばない。
消しゴム飛ばし…?あ、でもここそもそも消しゴムないものね…
カードゲーム、も無理よね、当然…
チャンバラごっこ、は既にやっていて…
「んと、…か、紙飛行機飛ばし、とか……?」
うぐぐ、と腕組みしながら苦し紛れに搾り出した無難そうなそれ。どうでしょう…?と薄目できり丸たちを窺うと、「紙ヒコーキって?」と顔を見合わせて首を傾げていた。
あ、そっか。
「この時代にはまだ、」と言いかけて慌てて口を噤む。
別に隠しているわけじゃない、けれど。そもそも自分がこの事象を信じられていなかったから。“ここがどこか分からない、帰り方が分からない”なんて曖昧な言い方をしてしまった。結局その後も誰かに話すわけでもなく、というか俄には信じられないだろうし、頭でもおかしいのかと怪しまれるんじゃないかと思って言えずじまいだった。
素性の知れなさはまさしく自分が蒔いた種。怪しまれるには十二分過ぎる。それはもう、承知の上よ。でもじゃあ、今更『未来から来ました』だなんて…
言えるわけないないないっ…!
年甲斐もなく泣いてしまった三日前、少しは吹っ切れて前を向けたと思っていたのに。もっと、この学園の人達と真摯に向き合わなきゃいけないと思たのに。自分のことをなんて説明したら納得してもらえるのか、そもそも自分でも納得できていないのに、他人に説明なんて。
……、
_____さん
「澪さん?大丈夫?」
不意に名前を呼ばれ、ハッと視線を彷徨わせる。
「あ、ごめ、ごめんね。何か…?」
「突然黙りこくっちゃってどうしたの?」
「眉間に皺が寄ってましたよ。それに何だかちょっと顔色が…」
「なんでもないのっ!ちょっと、考え事してただけで、」
は、ハハ、と笑ってみせるけれど、自分でもその笑顔が引き攣っていることが嫌なくらい分かった。心配そうな表情の二人の気を逸らすように無理矢理話題を引き戻す。
「紙飛行機の、…そうっ作り方!作り方思い出したのっ」
「その“紙ヒコーキ”ってなんすか?」
「えと、紙をね、こう、折って…って、言葉で説明しても、分からないよね…」
もにゃもにゃとジェスチャーで説明するもいまいち要領を得ないので、伊作に裏紙を数枚もらって実際に作ってみせる。
あれ。な、流れで作っちゃってるけど、これってあまり良くないこと…?
この時代にないものを作ると何か、歴史の流れ的なアレが変わったりとか、ない、よね。いやでも、これほとんど折り紙っていうか、別に大したことないものだし…
あどうしよう、ちょっと怖くなってきたかも…
ぐるぐると思考しながら折っていると変に指先が震えた。結局難なく紙飛行機は出来上がり、手の上にちょこんと乗ったそれをきり丸と金吾は目をまん丸にしてまじまじ見つめている。
「じゃあ、飛ばしてみるね」
紙飛行機の端を摘んで、そっと前に押し出し手放す。スゥーッと空を漂った紙飛行機は壁にぶつかるとそのまま落下した。「すごい!」とか「わあ!」と無邪気に声を上げる二人は床に落ちた紙飛行機を拾って俺も僕も、とそれを手ずから投げる。がしかし、二人ともおおきく振りかぶって投げるものだから上手く飛ばずにペしゃりと床に落ちてしまう。
「澪さんうまく飛ばないよ」
「あまり、力は入れなくていいの。」
「おいで」と二人を手招きして、きり丸が飛行機を持つ手に自分の手を添えた。そのまま一緒にそれを押し出せば、壁までは届かなかったがふわふわと前へ進んだ。嬉しそうにはしゃぐきり丸の次は金吾。彼も同じように一緒にやってあげると今度はしっかりと壁まで届いた。
「やった!きり丸に勝った〜!」
「なっ!俺だってもう一回やったら届くしぃ?」
白熱する二人を微笑ましげに見守る。だんだん騒がしくなってきたところで黙っていた伊作が咳払いを一つ。
「君たち、ここがどこだか分かっているよね」
「医務室です…」
「すみません…」
「分かっているならよろしい」
シュンと静かになったきり丸と金吾を見て小さく吹き出してしまう。
「折り方を少し変えてみるだけでも飛ぶ距離が変わったりするんだよ。一番よく飛ぶ紙飛行機作りとか、案外楽しめるんじゃないかなぁ、なんて…」
「うんうん!これなら退屈しないよ澪さん!」
「教えてくれてありがとうございます!」
きり丸はキラキラと目を輝かせて紙飛行機を掲げている。「早速は組の皆にも教えようよ!」と金吾が駆け出したので、慌てて布団から飛び出して後を追う。急に立ち上がったせいでふらついてしまったが、ガタリと障子に手をついて体勢を立て直した。
「ま、待って!」
きり丸と金吾の背に向かって慣れないながらも声を張り上げると、少し裏返ってしまった。若干の恥ずかしさが拭えず耳の辺りが熱くなる。キョトンとした顔で見つめられて口篭ってしまったが、吃りながらもなんとか言葉を紡ぐ。
「それで、遊ぶのは…学園の中だけ、で…えと、あまり、広めたりとかはしないで、欲しいの」
何があるか、分からないから。
紙飛行機 が、どんな影響を及ぼすのか、分からないから。
そもそも教えてしまったから、もう後の祭りかも知れないけれど。
おかしな頼み事の真意なんてこれっぽっちも伝わっていないのだろう。目をパチパチと瞬かせたきり丸と金吾はあっさりと了承して教室へと戻っていった。
誰もいない廊下の先を眺めてドッと息を吐く。へなへなとしゃがみ込んで髪の毛をかき混ぜながら小さく唸った。
彼らと歩み寄るって、そういうことだよ。隠したままじゃいられないし、こういうことはこの先何度だって起こり得る。
大丈夫、なんだよね…?ていうか、そもそも“私”っていう存在が一番まずいっていうか…えぇ、でも帰りたくても帰れないんだし…
待って、そういえば髪飾り。あれあげちゃったけど、もしきり丸くんが誰かに、どこかに売っちゃってたら…?お、オーパーツ的な何かになってしまったり、
頭のてっぺんから血の気が引いていく感じがした。正直そんなの考えれば当たり前にわかることのはずだった。自分の行動があまりにも軽はずみすぎたのかもしれない、いや、軽はずみだったと、ようやく気づいた。
うぅ…頭痛くなってきた…
でも、ちゃんと向き合おうって、決めたんだ。だから、ここで後戻りなんてできない。しちゃいけない。過ぎたことをうじうじ考えていてもしょうがないんだ。
「……いつか、話すときが来るのかな」
誰にも届かないような小さな声で、そう呟いてみる。自分の置かれた状況を思えば思うほど、何が正解なのか分からなくなる。未来から来たことは、多分まだ誰にも言えない。
頭を抱えて再び吐息を漏らした。消えかけていたはずの疲れが身体の隅々までじんわりと広がり、何かを考えようとしても思考が絡まってうまくまとまらない。
_________
そんな彼女を、伊作は静かに見つめていた。言葉をかけることもせず、ただ澪の様子を伺っている。彼女が何を思い、どんな不安を抱えているのか、次々に思考が巡る。それでも、彼はただそこに黙って座っていた。
その視線に、澪は気づいていない。
澪の世界には今、澪自身しか存在していなかった。
一日目は意識が朦朧としていてぼんやりとしか覚えていなかったが、二日目はそれはもう、罪悪感やら羞恥心やらいろんな感情に押しつぶされそうになって悶え苦しんだのは記憶に新しい。きり丸たちの部屋で寝落ちしてしまったことや、伊作に対してぶちまけたあれやこれといった諸々を鮮明に思い出し力の入らない身体に鞭打ってとにかく謝り倒した一日だった。そうして三日目を迎えたのだが、昨日のこともあってか妙に心が凪いでいる。
神様…これが、悟りってやつでしょうか…?
なんて間抜けなことを考えながらぼんやりと外を眺めていた。
「今日も雨、ですね」
「最近は日照りが続いていたので、この雨はまさに干天の慈雨です。ありがたいことですよ」
「なるほど、恵みの…」
半分開いた医務室の障子から見える外は絹糸のような雨がさあさあと降り続けている。伊作は薬棚の整理をしながら澪に釣られるように雨模様の空を見遣った。
灌漑や水道の設備が整っていないこの時代では雨は喜ばしいものだということが伊作の言葉で改めて思い知らされる。どちらかというと晴れた日の方が好きで雨の日はちょっぴり憂鬱な気持ちになるけれど、慈しみの雨という言葉を聞いて少しだけ雨を好きになれた。
目を閉じて雨音に耳を澄ませる。仕切りが薄く、外と内の境界線が現代よりも曖昧な建物だから外の音がよく聞こえる。葉っぱが雨を弾く音、池に雨が落ちる音、地面や屋根を叩く雨の音。どれも微かに音が違って心地が良い。
こんなにゆっくりしていて良いのだろうかと思う反面、眠気に逆らえずついウトウトしてしまう。そうして微睡んでいたとき、遠くから軽快な足音が近づいてきているような気がしてうっすらと瞼を開いた。
「君たち、そんなところに隠れていないで入っておいで」
伊作が障子の向こうに向かって声を掛ける。障子からぴょこんと飛び出た二つの小さな頭。「失礼します」と小声で囁きながらいそいそと入ってきた二人は澪の様子を伺うように布団の傍に腰を下ろした。
「…きり丸くん、金吾くん」
「澪さん、まだ辛い?」
「ううん、大丈夫だよ。もうすっかり元気」
えへ、と小さく笑いながらそう呟けば「嘘つけ。まだ目がとろんってしてるよ。」なんて言われたから手厳しいなぁ…と苦笑がこぼれた。彼らは生憎の天気で実技の授業が自習に変わったらしく、暇を持て余しているようだった。
二人の話を聞きながらよいしょ、と起き上がって軽く身だしなみを整える。
「あっ澪さんはちゃんと寝てなきゃダメですよ」
「ご、ごめんなさい。寝ながらお話聞くの、なんだか落ち着かなくて…」
金吾に平謝りしたところでそうっと伊作の方に視線を移す。これくらいでも怒られちゃうかな…?と様子を窺っていると、伊作は一息ついてこちらにすり寄ってきた。
「少しだけですよ。あまり身体は冷やさないでくださいね」
伊作はそう言って澪の肩にそっと羽織を掛ける。ふわりとした羽織の温もりと彼の優しい気遣いに澪は小さく微笑んだ。
「ありがとうございます、善法寺さん」
二人の様子をじっと見ていたきり丸と金吾もつられて笑みを浮かべた。
*
「…でもさあ、三日も雨が続いているからもうどの遊びも飽きちゃったんだ」
「そうそう、それで僕たち今すっごく退屈なんです」
「あらら、そっかぁ…」
きり丸と金吾の話によると、は組の子達は生憎の天気でも楽しく遊ぼうと試行錯誤を重ねたらしい。しかし万策尽きて今は皆暇を持て余しているようで。作業をしながら彼らの話に耳を傾けていた伊作は苦い表情を浮かべながら「自習はどうしたんだい自習は…」と静かにつっこむ。
自習そっちのけの、チャンバラごっこだとかからくり仕立ての迷路づくりだとか、実に男の子らしい遊びの数々にクスクスと笑いが止まらなかった。先生に叱られたという話のオチまで聞かされて、多分土井さんは胃を痛めていらっしゃるんだろうなあ…と彼の心労に思いを馳せたり。
「ねえ澪さん、なんか面白い遊びとかないかな?」
「えっ?う、う〜ん…そうだなぁ…」
10歳男子。つまり小学生男子が楽しめる、室内遊び、とは。
頭をフル回転させて小学生の頃の記憶を呼び起こすが、そもそも男の子の遊びは傍目に読書だとか仲の良い女の子の友達と遊んでいたので碌に思い浮かばない。
消しゴム飛ばし…?あ、でもここそもそも消しゴムないものね…
カードゲーム、も無理よね、当然…
チャンバラごっこ、は既にやっていて…
「んと、…か、紙飛行機飛ばし、とか……?」
うぐぐ、と腕組みしながら苦し紛れに搾り出した無難そうなそれ。どうでしょう…?と薄目できり丸たちを窺うと、「紙ヒコーキって?」と顔を見合わせて首を傾げていた。
あ、そっか。
「この時代にはまだ、」と言いかけて慌てて口を噤む。
別に隠しているわけじゃない、けれど。そもそも自分がこの事象を信じられていなかったから。“ここがどこか分からない、帰り方が分からない”なんて曖昧な言い方をしてしまった。結局その後も誰かに話すわけでもなく、というか俄には信じられないだろうし、頭でもおかしいのかと怪しまれるんじゃないかと思って言えずじまいだった。
素性の知れなさはまさしく自分が蒔いた種。怪しまれるには十二分過ぎる。それはもう、承知の上よ。でもじゃあ、今更『未来から来ました』だなんて…
言えるわけないないないっ…!
年甲斐もなく泣いてしまった三日前、少しは吹っ切れて前を向けたと思っていたのに。もっと、この学園の人達と真摯に向き合わなきゃいけないと思たのに。自分のことをなんて説明したら納得してもらえるのか、そもそも自分でも納得できていないのに、他人に説明なんて。
……、
_____さん
「澪さん?大丈夫?」
不意に名前を呼ばれ、ハッと視線を彷徨わせる。
「あ、ごめ、ごめんね。何か…?」
「突然黙りこくっちゃってどうしたの?」
「眉間に皺が寄ってましたよ。それに何だかちょっと顔色が…」
「なんでもないのっ!ちょっと、考え事してただけで、」
は、ハハ、と笑ってみせるけれど、自分でもその笑顔が引き攣っていることが嫌なくらい分かった。心配そうな表情の二人の気を逸らすように無理矢理話題を引き戻す。
「紙飛行機の、…そうっ作り方!作り方思い出したのっ」
「その“紙ヒコーキ”ってなんすか?」
「えと、紙をね、こう、折って…って、言葉で説明しても、分からないよね…」
もにゃもにゃとジェスチャーで説明するもいまいち要領を得ないので、伊作に裏紙を数枚もらって実際に作ってみせる。
あれ。な、流れで作っちゃってるけど、これってあまり良くないこと…?
この時代にないものを作ると何か、歴史の流れ的なアレが変わったりとか、ない、よね。いやでも、これほとんど折り紙っていうか、別に大したことないものだし…
あどうしよう、ちょっと怖くなってきたかも…
ぐるぐると思考しながら折っていると変に指先が震えた。結局難なく紙飛行機は出来上がり、手の上にちょこんと乗ったそれをきり丸と金吾は目をまん丸にしてまじまじ見つめている。
「じゃあ、飛ばしてみるね」
紙飛行機の端を摘んで、そっと前に押し出し手放す。スゥーッと空を漂った紙飛行機は壁にぶつかるとそのまま落下した。「すごい!」とか「わあ!」と無邪気に声を上げる二人は床に落ちた紙飛行機を拾って俺も僕も、とそれを手ずから投げる。がしかし、二人ともおおきく振りかぶって投げるものだから上手く飛ばずにペしゃりと床に落ちてしまう。
「澪さんうまく飛ばないよ」
「あまり、力は入れなくていいの。」
「おいで」と二人を手招きして、きり丸が飛行機を持つ手に自分の手を添えた。そのまま一緒にそれを押し出せば、壁までは届かなかったがふわふわと前へ進んだ。嬉しそうにはしゃぐきり丸の次は金吾。彼も同じように一緒にやってあげると今度はしっかりと壁まで届いた。
「やった!きり丸に勝った〜!」
「なっ!俺だってもう一回やったら届くしぃ?」
白熱する二人を微笑ましげに見守る。だんだん騒がしくなってきたところで黙っていた伊作が咳払いを一つ。
「君たち、ここがどこだか分かっているよね」
「医務室です…」
「すみません…」
「分かっているならよろしい」
シュンと静かになったきり丸と金吾を見て小さく吹き出してしまう。
「折り方を少し変えてみるだけでも飛ぶ距離が変わったりするんだよ。一番よく飛ぶ紙飛行機作りとか、案外楽しめるんじゃないかなぁ、なんて…」
「うんうん!これなら退屈しないよ澪さん!」
「教えてくれてありがとうございます!」
きり丸はキラキラと目を輝かせて紙飛行機を掲げている。「早速は組の皆にも教えようよ!」と金吾が駆け出したので、慌てて布団から飛び出して後を追う。急に立ち上がったせいでふらついてしまったが、ガタリと障子に手をついて体勢を立て直した。
「ま、待って!」
きり丸と金吾の背に向かって慣れないながらも声を張り上げると、少し裏返ってしまった。若干の恥ずかしさが拭えず耳の辺りが熱くなる。キョトンとした顔で見つめられて口篭ってしまったが、吃りながらもなんとか言葉を紡ぐ。
「それで、遊ぶのは…学園の中だけ、で…えと、あまり、広めたりとかはしないで、欲しいの」
何があるか、分からないから。
そもそも教えてしまったから、もう後の祭りかも知れないけれど。
おかしな頼み事の真意なんてこれっぽっちも伝わっていないのだろう。目をパチパチと瞬かせたきり丸と金吾はあっさりと了承して教室へと戻っていった。
誰もいない廊下の先を眺めてドッと息を吐く。へなへなとしゃがみ込んで髪の毛をかき混ぜながら小さく唸った。
彼らと歩み寄るって、そういうことだよ。隠したままじゃいられないし、こういうことはこの先何度だって起こり得る。
大丈夫、なんだよね…?ていうか、そもそも“私”っていう存在が一番まずいっていうか…えぇ、でも帰りたくても帰れないんだし…
待って、そういえば髪飾り。あれあげちゃったけど、もしきり丸くんが誰かに、どこかに売っちゃってたら…?お、オーパーツ的な何かになってしまったり、
頭のてっぺんから血の気が引いていく感じがした。正直そんなの考えれば当たり前にわかることのはずだった。自分の行動があまりにも軽はずみすぎたのかもしれない、いや、軽はずみだったと、ようやく気づいた。
うぅ…頭痛くなってきた…
でも、ちゃんと向き合おうって、決めたんだ。だから、ここで後戻りなんてできない。しちゃいけない。過ぎたことをうじうじ考えていてもしょうがないんだ。
「……いつか、話すときが来るのかな」
誰にも届かないような小さな声で、そう呟いてみる。自分の置かれた状況を思えば思うほど、何が正解なのか分からなくなる。未来から来たことは、多分まだ誰にも言えない。
頭を抱えて再び吐息を漏らした。消えかけていたはずの疲れが身体の隅々までじんわりと広がり、何かを考えようとしても思考が絡まってうまくまとまらない。
_________
そんな彼女を、伊作は静かに見つめていた。言葉をかけることもせず、ただ澪の様子を伺っている。彼女が何を思い、どんな不安を抱えているのか、次々に思考が巡る。それでも、彼はただそこに黙って座っていた。
その視線に、澪は気づいていない。
澪の世界には今、澪自身しか存在していなかった。