ある日突然時を遡ってしまった女の子が室町時代を必死に生き抜くお話
春の湊
お名前をどうぞ
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
はらりと本の頁をめくっては顔を上げ、再び視線を戻し頁を読み進めてはまた顔を上げ。そわそわと落ち着かない様子の伊作はひたすら本と澪を見比べ続けていた。相変わらずしとしとと雨が降り続ける空の色は濁ったままで、けれど日暮れに差し掛かった頃なのか外はすっかり暗くなっている。本を閉じて燭台の火を灯すと、部屋がぼんやりと明るくなる。
そのとき、背後から僅かに衣擦れの音がしてあっと振り返った。
「澪さん、」
布団から中途半端に起き上がった彼女は目をシパシパと瞬かせて辺りを見渡している。ゆっくりと身体を起こせば額に乗せていた手拭いがポトリと布団の上に落ちた。
「あの、私どれだけ寝て、」
「す、すみませ、また迷惑かけ「澪さん」
動揺している澪の、掠れた小さな声を遮って名前を呼ぶ。彼女の額に手を添えると依然体温は高いままで。落ちた手拭いを拾えばそれもすっかりぬるくなっていた。
「迷惑なんかじゃ、ありません。」
「僕は、澪さんのことをそんな風に思ったことはないです。」
ないんですよ。
優しく、念を押すようにそう呟いた。
熱のせいでとろりとした彼女の目と目が合う。燭台の燈が瞳の中で微かに揺れている。
「…思えば、僕達がちゃんと言葉を交わしたのは、ほんのわずかですよね。」
「それは、っ…」
「僕は、澪さんのこと知っているつもりでいました。初めて貴女と話したのは僕で、事情だって知っていて。手当てだって何度もして、接した時間はそれなりにあったから。」
澪は何か言葉を探しているようだったが、なかなか見つからないのか、何も言わずにきゅっと唇を噛んだ。
「とんだ思い上がりです。
こんなんで、頼りにしてもらえるはずがないんだ。」
伊作は眉を下げて小さく笑いながら視線を落とした。
だって、僕は澪さんが何を好きか、どんなことをしたら笑ってくれるのか、知らない。一年は組の忍たま達に向ける貴女の表情を、真正面から見たことなんてない。
どうしてもっと頼ってくれないんだろうと、そう思っていた。手当てをする度澪さんは申し訳なさそうに謝るばかりでひたすらもどかしくて。でも、結局僕はなんて言葉をかけたらいいのかわからないから何も出来ずじまいだった。
「そんっ、そんなこと、ないですっ…!」
澪の引き攣ったような声に思わず顔を上げる。ぎゅっと目を瞑って首を振る彼女は上がる息を押さえ込むように胸に手を押し当てていた。ひっひっと不自然な呼吸が静かな部屋に響く。喘息の症状が出てきたんだろうかと手を伸ばしたが、彼女の言葉にピタリと動きを止めた。
「あ、あの日、初めてここに来た日。善法寺さんが大丈夫って言ってくれたから、私今もこうして生きていられるんです」
「大袈裟でも、何でもない。だって、な、何も分からなくて、自分が目にしている光景がしんっ、信じられなかったんです。気が、狂ってしまったんじゃないかって、でも、全部、全部夢じゃなくて本当でっ…!死ぬほど、こわ、かった」
蚊の鳴くような声で嗚咽まじりに必死に言葉を紡ぐものだから遮ることなんてできなくて、黙って聞いていた。ただ、あの日の『大丈夫』が、確かに彼女の心に届いていたという事実がどうしようもなく嬉しくて、吐く息が少しだけ震えた。
板間に手をついて身を乗り出した彼女がその手に頭を擦り付けるように蹲った。
「縋って、しまったの。出会ったときから、もうずっと、頼りきっているの。い、一生をかけても、報いきれないくらいの恩情を、あなたからもらっていて…!」
伊作は思わず息を呑んだ。澪の言葉が彼の胸に突き刺さる。自分が想像していた以上に、彼女はずっと頼ってくれていたのだ。それがわかった瞬間、伊作の中で何かが弾けた。
静かに布団の脇に膝をつき、蹲って震える澪の肩に手をそっと置く。
「…知らなかった。澪さんがそんなふうに思っていただなんて。」
「僕の言葉は、少しでも、澪さんの支えになっていた?」
もう一度確かめるように、一語一語噛み締めるようにそう問えば、澪は勢いよく顔を上げて何度も必死に頷いた。それを見て、全身から力が抜けたと同時にふは、と気の抜ける笑いが込み上げてきた。くつくつと笑いながら、大切そうに澪の手をとり自分の額に押し当てる。その手はカッと熱を帯びていて、けれどその熱さを今度こそ受け止める覚悟ができていた。
「…もっと早く、こうしてちゃんと話しておけばよかったなあ。」
伊作の胸に温かい感情が広がっていく。彼女の言葉は、今までの自分のもどかしさを静かに溶かしていくようだった。
そのとき、澪の身体がふっと傾き、床についたもう片方の手が小さく音を立てた瞬間、伊作はハッとした。ぐったりと俯く彼女を慌てて支える。
「澪さん、無理しないで。もう休みましょう。あ、その前に水分…えぇと、」
部屋を見渡すも飲み水を準備していなかったことに気づき、しまった…と眉間に皺を寄せた。動こうとするも片手を繋ぎ止められ身動きを封じられる。
「ま、待って…わたしまだ、伝えたいこと、たくさんあって、…」
「うん、うん。ちゃんと聞くから。ちゃんと受け止めるから。」
ほとんど空気みたいに掠れた声で呟く澪をあやすように背中を摩る。彼女の身体は熱く、体調が万全ではないということがよく分かる。普段は抑えている感情が溢れ出て、今、彼女は本当に言いたいことを必死に語ろうとしているのだろう。しかし、身体がそれに耐えられない。
「焦らなくて大丈夫だから。今はしっかり休んでください。」
握りしめられた手の力が徐々に緩み、くたりと力の抜けた身体がこちらへと寄りかかってくる。伊作は微笑みを浮かべ、彼女の手を離さずにしっかりと握り続けた。少しずつ澪の呼吸が整い、表情が柔らかくなる。
優しい静寂が二人を包み込む。雨音が静かに屋根を叩き、燭台の燈がゆらゆらと一定のリズムを刻むように揺れ動く。雨音に混じって澪の呼吸が微かに響く。伊作は彼女の隣に静かに寄り添いながら、これからの言葉が交わされる未来を思い描いた。心の中にじんわりと温かさが広がり、彼女との距離が少しだけ縮まってたことを確かに感じた。その瞬間、ただ穏やかな時間が流れ、静けさの中に二人の存在があることに小さな安堵を覚えた。
__________
「…でもやっぱり水分はとって欲しいかも…!だ、誰かぁぁ!」
なんてハッとして、澪の眠りを妨げないように小声で叫んだのは、また別のお話。
そのとき、背後から僅かに衣擦れの音がしてあっと振り返った。
「澪さん、」
布団から中途半端に起き上がった彼女は目をシパシパと瞬かせて辺りを見渡している。ゆっくりと身体を起こせば額に乗せていた手拭いがポトリと布団の上に落ちた。
「あの、私どれだけ寝て、」
「す、すみませ、また迷惑かけ「澪さん」
動揺している澪の、掠れた小さな声を遮って名前を呼ぶ。彼女の額に手を添えると依然体温は高いままで。落ちた手拭いを拾えばそれもすっかりぬるくなっていた。
「迷惑なんかじゃ、ありません。」
「僕は、澪さんのことをそんな風に思ったことはないです。」
ないんですよ。
優しく、念を押すようにそう呟いた。
熱のせいでとろりとした彼女の目と目が合う。燭台の燈が瞳の中で微かに揺れている。
「…思えば、僕達がちゃんと言葉を交わしたのは、ほんのわずかですよね。」
「それは、っ…」
「僕は、澪さんのこと知っているつもりでいました。初めて貴女と話したのは僕で、事情だって知っていて。手当てだって何度もして、接した時間はそれなりにあったから。」
澪は何か言葉を探しているようだったが、なかなか見つからないのか、何も言わずにきゅっと唇を噛んだ。
「とんだ思い上がりです。
こんなんで、頼りにしてもらえるはずがないんだ。」
伊作は眉を下げて小さく笑いながら視線を落とした。
だって、僕は澪さんが何を好きか、どんなことをしたら笑ってくれるのか、知らない。一年は組の忍たま達に向ける貴女の表情を、真正面から見たことなんてない。
どうしてもっと頼ってくれないんだろうと、そう思っていた。手当てをする度澪さんは申し訳なさそうに謝るばかりでひたすらもどかしくて。でも、結局僕はなんて言葉をかけたらいいのかわからないから何も出来ずじまいだった。
「そんっ、そんなこと、ないですっ…!」
澪の引き攣ったような声に思わず顔を上げる。ぎゅっと目を瞑って首を振る彼女は上がる息を押さえ込むように胸に手を押し当てていた。ひっひっと不自然な呼吸が静かな部屋に響く。喘息の症状が出てきたんだろうかと手を伸ばしたが、彼女の言葉にピタリと動きを止めた。
「あ、あの日、初めてここに来た日。善法寺さんが大丈夫って言ってくれたから、私今もこうして生きていられるんです」
「大袈裟でも、何でもない。だって、な、何も分からなくて、自分が目にしている光景がしんっ、信じられなかったんです。気が、狂ってしまったんじゃないかって、でも、全部、全部夢じゃなくて本当でっ…!死ぬほど、こわ、かった」
蚊の鳴くような声で嗚咽まじりに必死に言葉を紡ぐものだから遮ることなんてできなくて、黙って聞いていた。ただ、あの日の『大丈夫』が、確かに彼女の心に届いていたという事実がどうしようもなく嬉しくて、吐く息が少しだけ震えた。
板間に手をついて身を乗り出した彼女がその手に頭を擦り付けるように蹲った。
「縋って、しまったの。出会ったときから、もうずっと、頼りきっているの。い、一生をかけても、報いきれないくらいの恩情を、あなたからもらっていて…!」
伊作は思わず息を呑んだ。澪の言葉が彼の胸に突き刺さる。自分が想像していた以上に、彼女はずっと頼ってくれていたのだ。それがわかった瞬間、伊作の中で何かが弾けた。
静かに布団の脇に膝をつき、蹲って震える澪の肩に手をそっと置く。
「…知らなかった。澪さんがそんなふうに思っていただなんて。」
「僕の言葉は、少しでも、澪さんの支えになっていた?」
もう一度確かめるように、一語一語噛み締めるようにそう問えば、澪は勢いよく顔を上げて何度も必死に頷いた。それを見て、全身から力が抜けたと同時にふは、と気の抜ける笑いが込み上げてきた。くつくつと笑いながら、大切そうに澪の手をとり自分の額に押し当てる。その手はカッと熱を帯びていて、けれどその熱さを今度こそ受け止める覚悟ができていた。
「…もっと早く、こうしてちゃんと話しておけばよかったなあ。」
伊作の胸に温かい感情が広がっていく。彼女の言葉は、今までの自分のもどかしさを静かに溶かしていくようだった。
そのとき、澪の身体がふっと傾き、床についたもう片方の手が小さく音を立てた瞬間、伊作はハッとした。ぐったりと俯く彼女を慌てて支える。
「澪さん、無理しないで。もう休みましょう。あ、その前に水分…えぇと、」
部屋を見渡すも飲み水を準備していなかったことに気づき、しまった…と眉間に皺を寄せた。動こうとするも片手を繋ぎ止められ身動きを封じられる。
「ま、待って…わたしまだ、伝えたいこと、たくさんあって、…」
「うん、うん。ちゃんと聞くから。ちゃんと受け止めるから。」
ほとんど空気みたいに掠れた声で呟く澪をあやすように背中を摩る。彼女の身体は熱く、体調が万全ではないということがよく分かる。普段は抑えている感情が溢れ出て、今、彼女は本当に言いたいことを必死に語ろうとしているのだろう。しかし、身体がそれに耐えられない。
「焦らなくて大丈夫だから。今はしっかり休んでください。」
握りしめられた手の力が徐々に緩み、くたりと力の抜けた身体がこちらへと寄りかかってくる。伊作は微笑みを浮かべ、彼女の手を離さずにしっかりと握り続けた。少しずつ澪の呼吸が整い、表情が柔らかくなる。
優しい静寂が二人を包み込む。雨音が静かに屋根を叩き、燭台の燈がゆらゆらと一定のリズムを刻むように揺れ動く。雨音に混じって澪の呼吸が微かに響く。伊作は彼女の隣に静かに寄り添いながら、これからの言葉が交わされる未来を思い描いた。心の中にじんわりと温かさが広がり、彼女との距離が少しだけ縮まってたことを確かに感じた。その瞬間、ただ穏やかな時間が流れ、静けさの中に二人の存在があることに小さな安堵を覚えた。
__________
「…でもやっぱり水分はとって欲しいかも…!だ、誰かぁぁ!」
なんてハッとして、澪の眠りを妨げないように小声で叫んだのは、また別のお話。