ある日突然時を遡ってしまった女の子が室町時代を必死に生き抜くお話
春の湊
お名前をどうぞ
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
しとしと
ぱたぱた____
雨音が地面や屋根を叩く音が聞こえてふいに目が覚めた。いつもよりも温かくて柔らかな布団が心地よくて再び夢の中に舞い戻ってしまいそうだけれど、頭のあたりに何かずっしりと重さを感じて薄く目を開く。はじめに目に飛び込んできたのは自分のとは違う艶やかな髪の毛で、少し頭を動かして上の方を見てようやく意識が覚醒した。
そうだった…
昨晩のことを思い出してちょっぴり恥ずかしくなる。澪はまだ目覚めていないようで、起こさないように彼女の腕の中から抜け出そうとそうっと頭にかかる腕を掴む。
「ん?」
起きたときから思っていたが、温かいというよりも、熱いという言葉が当てはまるようなそんな気がして眉を顰めた。くっついて寝ていたからだろうか?と気怠さが抜けきらない頭で考えながら息を潜めてするする抜け出し身体を起こす。布団の上に座り込みながら澪の額にぴとりと手を当てた。やっぱり額から伝わってくる体温がひどく高い。
「きり丸、おはよぉ…」
しょぼしょぼの目をこする乱太郎がのそりと身体を起こしながらそう呟いたので「おはよう」と返す。
「澪さん、まだ寝てるんだね」
「うん。けどなんか熱っぽい気がするんだ」
「え、熱?ちょっと待って」
澪を挟んで話していると、布団がもぞりと動いた。視線を落とすと暫くして澪のまつ毛が僅かに震えてゆっくりとその瞼が開かれる。薄く開かれた瞳はまだ夢見心地なのかぼんやりとしていた。
「おはよう、澪さん」
「あさ…?」と呟く澪の声は掠れている。
熱っぽいという言葉を聞いて目が冴えたのか、乱太郎が真剣な目つきで澪の額に手を当てて体温を測る。さすが保健委員だなあなんて感心していると「大変、先生を呼んでこなくちゃ」と乱太郎が部屋を飛び出して行った。部屋に取り残されたきり丸は開け放たれた障子から澪に視線を戻す。よく見たら首筋に汗が滲んでいてペタリと髪の毛が張り付いていた。枕元に畳まれた頭巾を手に取りその汗を拭う。「澪さん、大丈夫?」と問いかけると何故か小さな笑い声を上げるので首を傾げる。
「あのね。怖くも、悲しくもないの」
「こんな朝、はじめて」
澪はふふふ、と口元を抑えて笑っている。雨の音に微かに混じる彼女の笑い声がしんみりと耳の奥に響く。手の中の頭巾をギュッと握りしめて小さく口を開いた。
澪さんはいつだって一日の始まりが、怖かったんだ。悲しかったんだ。
俺は多分、それを知ってる。不安や恐怖に押しつぶされそうなその気持ちを、誰よりも知ってる。
喉がきゅうと締まるような感じがして、耐えるように唇を噛み締める。けれどすぐに鼻から息を出し切って強引に口角を上げた。
「きっと、これからは毎朝、毎日そうなるよ。」
「いつだって楽しくて面白くて、笑っちゃうような。
そんな日々を一緒に過ごそうよ。」
目を瞑って噛み締めるように笑った澪の目尻はほんのりと湿っていて、吐息みたいな声で「素敵だね」と囁いた。
***
絹糸のような雨が降り続ける昼下がり、医務室には一人の静かな寝息とゴリゴリと薬研で生薬を碾く音が響いていた。
「失礼します。伊作先輩、水桶、新しいものを持ってきました。」
「あぁ数馬、わざわざありがとう。」
廊下から声が掛かり、医務室の障子が静かに開かれた。伊作は手を止めて顔を上げる。入ってきたのは保健委員の数馬で、彼の視線の向かう先が分かりやすくて思わず頬が緩んだ。
「澪さん、朝からずっと眠り続けているよ。大丈夫、しっかり休養を取れば元気になるさ。」
数馬の不安そうな面持ちが少しほぐれる。安堵のため息を漏らしながら澪の側に腰を下ろし、額に乗せた手拭いをとって軽く額に触れる。
「…まだ高いですね、熱。」
「疲労からくる熱だろうね。ここ最近働き詰めで、夜もあまり眠れていなかったんだろうって土井先生が仰ってたんだ。」
「土井先生がいらっしゃったんですか?」
「朝に少しね。昨晩は一年は組の忍たま達に連れられて夜更かししてたんだって。」
土井先生からそれを聞いたときは心底驚いた。えらく一年は組には心を許しているんだなと少し寂しく感じて口を噤んだのは記憶に新しい。
授業が終わる毎、そして昼休みと、彼らは代わる代わるお見舞いに尋ねてはさっきの授業は居眠りをして怒られただとか、お昼は好物の天ぷらが出てくるだとか、雨の日でも盛り上がる室内遊びだとか、そんなことを澪の耳元で楽しそうに話していた。その様子が気になって乱太郎に聞いてみると、昨日の出来事を教えてくれた。そして漸く彼らと自分との違いがわかったと同時に、己の考えの甘さを突きつけられたような気がした。
歩み寄ってほしい、もっと頼ってほしいとばかり思っていた。そのくせ、傷つけてしまうんじゃないかと自分から踏み入ることは躊躇して中途半端に手を差し伸ばしたままで。
そうじゃないだろう。それじゃあ、駄目じゃないか。
だって僕は初めて彼女と言葉を交わしたあの日の、彼女の表情 を知ってる。触れた手の冷たさとか強張りを知ってる。
声を、かけなくちゃいけないと思った。大丈夫だと、怖いことなんて何もないと、伝えなくちゃいけないと思った。そうしないと目の前のこの人は消えてしまうような気がして、だから繋ぎ止めたのに。
「早く、良くなるといいですね。」
「そうだね。」
澪の方を向き直して、彼女の手の甲にそっと触れる。彼女の熱が移りじわじわと熱くなっていく自分の手のひらを伏し目がちに見つめた。
「僕、澪さんがどうしてあんなに必死なのか分からなくて。だから、知りたくて、ずっと見てたんです。」
「…でも、やっぱり分からないや。見ているだけじゃ、全然分からない。」
ぽつぽつと呟く数馬の声に耳を傾ける。手拭いを水桶に浸しながら数馬が参ったなと眉を下げて笑った。きつく絞ったそれを額に乗せれば澪の表情が僅かに和らいだ。
「僕たちはきっと、言葉を紡いで初めて、通じ合えるんだよ。」
自分にも言い聞かせるようにそう呟く。僕と彼女の間にあった一線は、彼女が引いたものだけじゃなかった。
今、こうして彼女に触れるのは簡単だ。でもその先の、彼女の気持ちに触れるためには、自分もまた言葉を見つけなければならない。
「これからはさ、ちゃんと、伝えよう。」
僕も数馬も。思っていること全部。
伊作の声は、雨音に溶け込むように静かだった。だが、その言葉には確かな決意が宿っていた。
彼女が目を覚ましたとき、自分はちゃんとそこにいる。そして、その時こそ、言葉を交わそうと心に決めた。
ぱたぱた____
雨音が地面や屋根を叩く音が聞こえてふいに目が覚めた。いつもよりも温かくて柔らかな布団が心地よくて再び夢の中に舞い戻ってしまいそうだけれど、頭のあたりに何かずっしりと重さを感じて薄く目を開く。はじめに目に飛び込んできたのは自分のとは違う艶やかな髪の毛で、少し頭を動かして上の方を見てようやく意識が覚醒した。
そうだった…
昨晩のことを思い出してちょっぴり恥ずかしくなる。澪はまだ目覚めていないようで、起こさないように彼女の腕の中から抜け出そうとそうっと頭にかかる腕を掴む。
「ん?」
起きたときから思っていたが、温かいというよりも、熱いという言葉が当てはまるようなそんな気がして眉を顰めた。くっついて寝ていたからだろうか?と気怠さが抜けきらない頭で考えながら息を潜めてするする抜け出し身体を起こす。布団の上に座り込みながら澪の額にぴとりと手を当てた。やっぱり額から伝わってくる体温がひどく高い。
「きり丸、おはよぉ…」
しょぼしょぼの目をこする乱太郎がのそりと身体を起こしながらそう呟いたので「おはよう」と返す。
「澪さん、まだ寝てるんだね」
「うん。けどなんか熱っぽい気がするんだ」
「え、熱?ちょっと待って」
澪を挟んで話していると、布団がもぞりと動いた。視線を落とすと暫くして澪のまつ毛が僅かに震えてゆっくりとその瞼が開かれる。薄く開かれた瞳はまだ夢見心地なのかぼんやりとしていた。
「おはよう、澪さん」
「あさ…?」と呟く澪の声は掠れている。
熱っぽいという言葉を聞いて目が冴えたのか、乱太郎が真剣な目つきで澪の額に手を当てて体温を測る。さすが保健委員だなあなんて感心していると「大変、先生を呼んでこなくちゃ」と乱太郎が部屋を飛び出して行った。部屋に取り残されたきり丸は開け放たれた障子から澪に視線を戻す。よく見たら首筋に汗が滲んでいてペタリと髪の毛が張り付いていた。枕元に畳まれた頭巾を手に取りその汗を拭う。「澪さん、大丈夫?」と問いかけると何故か小さな笑い声を上げるので首を傾げる。
「あのね。怖くも、悲しくもないの」
「こんな朝、はじめて」
澪はふふふ、と口元を抑えて笑っている。雨の音に微かに混じる彼女の笑い声がしんみりと耳の奥に響く。手の中の頭巾をギュッと握りしめて小さく口を開いた。
澪さんはいつだって一日の始まりが、怖かったんだ。悲しかったんだ。
俺は多分、それを知ってる。不安や恐怖に押しつぶされそうなその気持ちを、誰よりも知ってる。
喉がきゅうと締まるような感じがして、耐えるように唇を噛み締める。けれどすぐに鼻から息を出し切って強引に口角を上げた。
「きっと、これからは毎朝、毎日そうなるよ。」
「いつだって楽しくて面白くて、笑っちゃうような。
そんな日々を一緒に過ごそうよ。」
目を瞑って噛み締めるように笑った澪の目尻はほんのりと湿っていて、吐息みたいな声で「素敵だね」と囁いた。
***
絹糸のような雨が降り続ける昼下がり、医務室には一人の静かな寝息とゴリゴリと薬研で生薬を碾く音が響いていた。
「失礼します。伊作先輩、水桶、新しいものを持ってきました。」
「あぁ数馬、わざわざありがとう。」
廊下から声が掛かり、医務室の障子が静かに開かれた。伊作は手を止めて顔を上げる。入ってきたのは保健委員の数馬で、彼の視線の向かう先が分かりやすくて思わず頬が緩んだ。
「澪さん、朝からずっと眠り続けているよ。大丈夫、しっかり休養を取れば元気になるさ。」
数馬の不安そうな面持ちが少しほぐれる。安堵のため息を漏らしながら澪の側に腰を下ろし、額に乗せた手拭いをとって軽く額に触れる。
「…まだ高いですね、熱。」
「疲労からくる熱だろうね。ここ最近働き詰めで、夜もあまり眠れていなかったんだろうって土井先生が仰ってたんだ。」
「土井先生がいらっしゃったんですか?」
「朝に少しね。昨晩は一年は組の忍たま達に連れられて夜更かししてたんだって。」
土井先生からそれを聞いたときは心底驚いた。えらく一年は組には心を許しているんだなと少し寂しく感じて口を噤んだのは記憶に新しい。
授業が終わる毎、そして昼休みと、彼らは代わる代わるお見舞いに尋ねてはさっきの授業は居眠りをして怒られただとか、お昼は好物の天ぷらが出てくるだとか、雨の日でも盛り上がる室内遊びだとか、そんなことを澪の耳元で楽しそうに話していた。その様子が気になって乱太郎に聞いてみると、昨日の出来事を教えてくれた。そして漸く彼らと自分との違いがわかったと同時に、己の考えの甘さを突きつけられたような気がした。
歩み寄ってほしい、もっと頼ってほしいとばかり思っていた。そのくせ、傷つけてしまうんじゃないかと自分から踏み入ることは躊躇して中途半端に手を差し伸ばしたままで。
そうじゃないだろう。それじゃあ、駄目じゃないか。
だって僕は初めて彼女と言葉を交わしたあの日の、彼女の
声を、かけなくちゃいけないと思った。大丈夫だと、怖いことなんて何もないと、伝えなくちゃいけないと思った。そうしないと目の前のこの人は消えてしまうような気がして、だから繋ぎ止めたのに。
「早く、良くなるといいですね。」
「そうだね。」
澪の方を向き直して、彼女の手の甲にそっと触れる。彼女の熱が移りじわじわと熱くなっていく自分の手のひらを伏し目がちに見つめた。
「僕、澪さんがどうしてあんなに必死なのか分からなくて。だから、知りたくて、ずっと見てたんです。」
「…でも、やっぱり分からないや。見ているだけじゃ、全然分からない。」
ぽつぽつと呟く数馬の声に耳を傾ける。手拭いを水桶に浸しながら数馬が参ったなと眉を下げて笑った。きつく絞ったそれを額に乗せれば澪の表情が僅かに和らいだ。
「僕たちはきっと、言葉を紡いで初めて、通じ合えるんだよ。」
自分にも言い聞かせるようにそう呟く。僕と彼女の間にあった一線は、彼女が引いたものだけじゃなかった。
今、こうして彼女に触れるのは簡単だ。でもその先の、彼女の気持ちに触れるためには、自分もまた言葉を見つけなければならない。
「これからはさ、ちゃんと、伝えよう。」
僕も数馬も。思っていること全部。
伊作の声は、雨音に溶け込むように静かだった。だが、その言葉には確かな決意が宿っていた。
彼女が目を覚ましたとき、自分はちゃんとそこにいる。そして、その時こそ、言葉を交わそうと心に決めた。