ある日突然時を遡ってしまった女の子が室町時代を必死に生き抜くお話
春の湊
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澪の控えめに撫でる手つきがくすぐったいのかしんべヱと喜三太は目を細めてムズムズと口元を緩めている。二人は嬉しそうに首元に腕を回してぎゅうっと抱きつく。澪は僅かに身体を揺らして小さな頭を撫でていた手をぴたりと止め、ゆっくり握り締めてその拳を下した。しんべヱと喜三太の腕に顔を埋めるようにほんの少し俯く。
半助は背中越しに澪の微かに震える息遣いを感じた。ハッと息をのむ音が聞こえたそのとき、彼女の背中がひと際大きく跳ねた。
「澪さん?」
喜三太が徐に抱き着く腕を緩めて澪の様子を窺い、驚いたように声を上げた。喜三太の声に振り向いたは組の生徒達も澪を見て目を丸くする。
「澪さんどうしたんですか?もしかしてどこか痛いんですか?」
「しんべヱと喜三太が飛びついたりするから!ほら、二人ともいつまでもくっついてないで!」
「あっ、ちょ、お前たち…!」
乱太郎ときり丸が焦ったように駆け寄ってくるのを皮切りに心配そうな表情を浮かべる生徒たちが押しかけてくる。また押しつぶされやしないかと咄嗟に澪に抱き着く喜三太としんべヱごと腕の中に引き寄せて、漸くは組の良い子達が焦る理由が分かった。
彼女の瞳から涙が零れ落ちていた。
弾かれたように目を腕で覆い着物の袖で乱雑にそれを拭う。しゃくりあげながら掠れた声で「ごめんなさい」と何度も呟く澪を見て半助は彼女の震える背中をゆっくりと優しく摩った。
「澪さん」
「大丈夫ですよ。大丈夫ですから。」
堰を切ってあふれ出したそれは雨のようにぽたぽたと落ちていく。大丈夫、大丈夫と言い聞かせるように囁けば、喉を震わせながら息を吸ってぎこちなく頷く。
心配そうな表情を浮かべる乱太郎たちが澪の様子をそわそわとうかがっていた。乱太郎の隣で口を噤んで眉を下げるきり丸に視線を移して目配せをする。
私たちの前で、泣いたよ。泣いてくれたね。
何か話すでもなく半助はきり丸とじっと目を合わせた。あの日感じたやるせなさやもやもやがなくなるような、そんな胸がすくような思いがした。
きり丸はすり足気味に近寄ってきて澪の前でしゃがむと彼女の膝あたりの着物をちょんとつまんで小さく口を開いた。
「…澪さん、どこか痛いの?」
きり丸の問いかけに澪は首を横に振る。
悲しいの?何か嫌なことをしちゃった?とたずねても首を横に振るばかりで、ついにきり丸は視線を彷徨わせて閉口した。彼女のすすり泣く声だけが響く。いつもは騒がしい良い子達も息をひそめて見守っている中、いつもより緊張した声音のきり丸がぽつぽつと呟く。
「俺、澪さんが泣く理由が知りたいよ」
「それでさ、どうにかしてそれを解決するからさ。
…そうしたら澪さん、笑える?」
心の底から、笑ってくれる?
きり丸は澪を離さないようにぎゅっと着物を握り締めた。
半助はきり丸の緊張が手に取るように分かった。きり丸は彼女を気にする割にどこか消極的なところがあって、歩み寄るのを躊躇うことがある。なんとなくその気持ちが分かるような、でもきっと自分とは少し、違うんだろうなと思いながら目を伏せた。
澪が鼻を啜って息を吐き、きり丸の小さな手にそろりと左手を重ねる。そして右手で目元を拭いながらほんの少しだけ頭を上げた。彼女のまつ毛はしっとりと濡れていて、瞳を覆う涙が艶やかにきらめいている。赤くなった頬や鼻先を穏やかに見つめながら半助は静かに息をのんだ。
「…きり丸くんは、優しいね」
澪は咳をするように息を吐きながら笑って見せた。
涙を流しながらもへにゃりと笑う澪にきり丸はポカンと口をあけたまま僅かに目を輝かせた。そして徐に立ち上がって涙で濡れる澪の頬をぺたりと両手で挟む。あのときのように頬をこねくり回すと澪はくすぐったそうに眼を瞑って小さな小さな笑い声を上げた。閉じた瞼が涙を押しのけて目尻から零れ落ちる。
「俺、どうしたらいい?澪さんのために何ができる?」
きり丸が身を乗り出しほんの少し上擦った声でそう尋ねる。
「十分だよ。その気持ちだけで十分なの。そう言ってもらえたのなら、私きっとこれからも頑張れる。」
はらはらと涙を流しながら「ありがとう」と笑って見せる澪の様子にきり丸はたまらず唇を噛みしめて澪の首元に抱き着いた。押し退けられた喜三太としんべヱが声を上げているけど、勢いよく抱き着いたから澪の身体が大きく揺れたけど、それでも構わずに細い首筋に顔を埋めてぐりぐりと額を擦り付けた。
「違うよ、そうじゃない。そうじゃなくて…」
きり丸は絞り出すようにそう呟くが、その先の言葉が見つからないのか押し黙ってしまう。
「…きり丸、危ないだろうが」
半助はきり丸を支え切れずに傾いた澪をしっかりと抱きとめている。苦笑いを浮かべながらきり丸に目をやり、まったく…と小さくため息を吐いた。澪の手はきり丸の背に触れる寸前で心許なく彷徨っている。ピクリと揺れる彼女の指先はあと一歩を踏み出せない気持ちが表れているようで、つくづくこのひとは不器用なんだと感じさせる。
「澪さん。きり丸は…は組の良い子達はいつも明るく元気にはしゃぎまわって、それはもううるさいくらいに騒がしいんです。なのに今はこんなに大人しくなっちゃって。」
思い出し笑いをしながらそう呟くと澪の伏せられていた目がゆっくりと開いて子供たちの顔を見渡す。そしてきり丸の背にそっと手をかけたが、きつく抱き着いたまま一向に離れようとせず顔を見ることができない。それでも澪は無理に引きはがしたりはせず、何も言わずにただ優しくトントンと背を摩った。
「皆、好きなひとには笑っていてほしいんですよ。」
躊躇いがちに向けられた澪の目と目が合い、半助は柔らかな表情を浮かべたままゆっくりと頷いた。
そう。ここにいる良い子達は皆、澪さんのことが好きなんだ。話せることが、一緒にいられることが嬉しくてたまらなくて。ひとたび澪さんの話題が上がれば僕は私はとこぞって自慢していることを貴女は知らない。
「私も、わらっていてほしいなぁ…」
「きり丸くん達には、ずうっと笑っていてほしいよ」
吐息のようなか細い囁きにグッと胸が締め付けられた。風の音に攫われてしまいそうなほど小さな小さな声なのに、どうしてかはっきりと耳に入ってくる。
きっと、本心なのだと思う。嘘偽りのない心の底から願うような、優しい響きだった。
きり丸は腕の力を緩めて顔を上げた。澪がきり丸の頬に両手を添えてうやうやしく撫でる。忽ちきり丸の強張った表情がほぐれていく。
彼女は言葉だけでなくそのほっそりとした手のひらにも安らぎを与える柔らかな温もりを宿しているのだと思った。
「…じゃあさ、笑ってて。
澪さんが笑ってたら、俺も笑っていられるから。」
きり丸はちょっぴり肩をすくめてくしゃりと笑った。
「私達も!澪さんと楽しいことたくさんしたいです!」
きり丸に続いて乱太郎が声を上げる。すると良い子達は口々に一緒に遊びたい、お出かけしたい、美味しいものをいっぱい食べたいと言い始めて段々と騒がしくなっていく。半助は伝蔵と顔を合わせて呆れたように笑った。そして目をパチパチと瞬かせる澪に向かって声をかける。
「澪さん、先ずはは組の良い子達の前でだけでもいい。
少しでも息を抜いてみませんか?」
誰もそれを咎めたりはしないし、させやしないから。
だから、貴女の居場所をここにつくろう。
そう強く思いながら澪の肩にかけたままの手に力をこめた。
「そうだよ。大人だからって、我慢したりしないで。だって、俺そんなの分かんないもん。大人とか子供とか、関係ない。澪さんは澪さんでしょ。」
澪は困ったように笑っていて、そうして返事を濁しているときり丸が彼女の肩を鷲掴んで鼻先が触れそうなほどにズイと顔を寄せた。
「約束して。
これからは我慢しないって、隠さないって、ちゃんと約束して。」
きり丸の押しの強さに半助は思わず笑ってしまいそうになる。
でもきっと、これくらいがいいんだ。変に遠慮なんかしないで、多少無理にでも歩み寄るくらいが丁度いい。きり丸と、澪さんの関係だからこそ許される距離感。
「…うん。約束、するね。」
澪ときり丸は右手の小指を絡め合った。
頬を伝った涙がぽたりと落ちて膝元の着物に染みをつくる。からりと吹き抜ける風と惜しみもなく照り付ける太陽があっという間にそれを乾かしてしまった。
不意に食堂のおばちゃんの言葉が頭の中をよぎる。
彼女が心安らかに息をできる場所が、忍術学園 にあるのか__
おばちゃんには何も言うことができなくてただ口を噤んでしまった。けれど、今なら言える。
多分、きっと。
いや、必ずできる。澪さんが心から笑って過ごせる場所がここにできるはずだ。私たちが、私たちと彼女とで、作っていけるはずだ。
何か根拠があるわけでもないのに、どうしてかそう強く思えた。
半助は背中越しに澪の微かに震える息遣いを感じた。ハッと息をのむ音が聞こえたそのとき、彼女の背中がひと際大きく跳ねた。
「澪さん?」
喜三太が徐に抱き着く腕を緩めて澪の様子を窺い、驚いたように声を上げた。喜三太の声に振り向いたは組の生徒達も澪を見て目を丸くする。
「澪さんどうしたんですか?もしかしてどこか痛いんですか?」
「しんべヱと喜三太が飛びついたりするから!ほら、二人ともいつまでもくっついてないで!」
「あっ、ちょ、お前たち…!」
乱太郎ときり丸が焦ったように駆け寄ってくるのを皮切りに心配そうな表情を浮かべる生徒たちが押しかけてくる。また押しつぶされやしないかと咄嗟に澪に抱き着く喜三太としんべヱごと腕の中に引き寄せて、漸くは組の良い子達が焦る理由が分かった。
彼女の瞳から涙が零れ落ちていた。
弾かれたように目を腕で覆い着物の袖で乱雑にそれを拭う。しゃくりあげながら掠れた声で「ごめんなさい」と何度も呟く澪を見て半助は彼女の震える背中をゆっくりと優しく摩った。
「澪さん」
「大丈夫ですよ。大丈夫ですから。」
堰を切ってあふれ出したそれは雨のようにぽたぽたと落ちていく。大丈夫、大丈夫と言い聞かせるように囁けば、喉を震わせながら息を吸ってぎこちなく頷く。
心配そうな表情を浮かべる乱太郎たちが澪の様子をそわそわとうかがっていた。乱太郎の隣で口を噤んで眉を下げるきり丸に視線を移して目配せをする。
私たちの前で、泣いたよ。泣いてくれたね。
何か話すでもなく半助はきり丸とじっと目を合わせた。あの日感じたやるせなさやもやもやがなくなるような、そんな胸がすくような思いがした。
きり丸はすり足気味に近寄ってきて澪の前でしゃがむと彼女の膝あたりの着物をちょんとつまんで小さく口を開いた。
「…澪さん、どこか痛いの?」
きり丸の問いかけに澪は首を横に振る。
悲しいの?何か嫌なことをしちゃった?とたずねても首を横に振るばかりで、ついにきり丸は視線を彷徨わせて閉口した。彼女のすすり泣く声だけが響く。いつもは騒がしい良い子達も息をひそめて見守っている中、いつもより緊張した声音のきり丸がぽつぽつと呟く。
「俺、澪さんが泣く理由が知りたいよ」
「それでさ、どうにかしてそれを解決するからさ。
…そうしたら澪さん、笑える?」
心の底から、笑ってくれる?
きり丸は澪を離さないようにぎゅっと着物を握り締めた。
半助はきり丸の緊張が手に取るように分かった。きり丸は彼女を気にする割にどこか消極的なところがあって、歩み寄るのを躊躇うことがある。なんとなくその気持ちが分かるような、でもきっと自分とは少し、違うんだろうなと思いながら目を伏せた。
澪が鼻を啜って息を吐き、きり丸の小さな手にそろりと左手を重ねる。そして右手で目元を拭いながらほんの少しだけ頭を上げた。彼女のまつ毛はしっとりと濡れていて、瞳を覆う涙が艶やかにきらめいている。赤くなった頬や鼻先を穏やかに見つめながら半助は静かに息をのんだ。
「…きり丸くんは、優しいね」
澪は咳をするように息を吐きながら笑って見せた。
涙を流しながらもへにゃりと笑う澪にきり丸はポカンと口をあけたまま僅かに目を輝かせた。そして徐に立ち上がって涙で濡れる澪の頬をぺたりと両手で挟む。あのときのように頬をこねくり回すと澪はくすぐったそうに眼を瞑って小さな小さな笑い声を上げた。閉じた瞼が涙を押しのけて目尻から零れ落ちる。
「俺、どうしたらいい?澪さんのために何ができる?」
きり丸が身を乗り出しほんの少し上擦った声でそう尋ねる。
「十分だよ。その気持ちだけで十分なの。そう言ってもらえたのなら、私きっとこれからも頑張れる。」
はらはらと涙を流しながら「ありがとう」と笑って見せる澪の様子にきり丸はたまらず唇を噛みしめて澪の首元に抱き着いた。押し退けられた喜三太としんべヱが声を上げているけど、勢いよく抱き着いたから澪の身体が大きく揺れたけど、それでも構わずに細い首筋に顔を埋めてぐりぐりと額を擦り付けた。
「違うよ、そうじゃない。そうじゃなくて…」
きり丸は絞り出すようにそう呟くが、その先の言葉が見つからないのか押し黙ってしまう。
「…きり丸、危ないだろうが」
半助はきり丸を支え切れずに傾いた澪をしっかりと抱きとめている。苦笑いを浮かべながらきり丸に目をやり、まったく…と小さくため息を吐いた。澪の手はきり丸の背に触れる寸前で心許なく彷徨っている。ピクリと揺れる彼女の指先はあと一歩を踏み出せない気持ちが表れているようで、つくづくこのひとは不器用なんだと感じさせる。
「澪さん。きり丸は…は組の良い子達はいつも明るく元気にはしゃぎまわって、それはもううるさいくらいに騒がしいんです。なのに今はこんなに大人しくなっちゃって。」
思い出し笑いをしながらそう呟くと澪の伏せられていた目がゆっくりと開いて子供たちの顔を見渡す。そしてきり丸の背にそっと手をかけたが、きつく抱き着いたまま一向に離れようとせず顔を見ることができない。それでも澪は無理に引きはがしたりはせず、何も言わずにただ優しくトントンと背を摩った。
「皆、好きなひとには笑っていてほしいんですよ。」
躊躇いがちに向けられた澪の目と目が合い、半助は柔らかな表情を浮かべたままゆっくりと頷いた。
そう。ここにいる良い子達は皆、澪さんのことが好きなんだ。話せることが、一緒にいられることが嬉しくてたまらなくて。ひとたび澪さんの話題が上がれば僕は私はとこぞって自慢していることを貴女は知らない。
「私も、わらっていてほしいなぁ…」
「きり丸くん達には、ずうっと笑っていてほしいよ」
吐息のようなか細い囁きにグッと胸が締め付けられた。風の音に攫われてしまいそうなほど小さな小さな声なのに、どうしてかはっきりと耳に入ってくる。
きっと、本心なのだと思う。嘘偽りのない心の底から願うような、優しい響きだった。
きり丸は腕の力を緩めて顔を上げた。澪がきり丸の頬に両手を添えてうやうやしく撫でる。忽ちきり丸の強張った表情がほぐれていく。
彼女は言葉だけでなくそのほっそりとした手のひらにも安らぎを与える柔らかな温もりを宿しているのだと思った。
「…じゃあさ、笑ってて。
澪さんが笑ってたら、俺も笑っていられるから。」
きり丸はちょっぴり肩をすくめてくしゃりと笑った。
「私達も!澪さんと楽しいことたくさんしたいです!」
きり丸に続いて乱太郎が声を上げる。すると良い子達は口々に一緒に遊びたい、お出かけしたい、美味しいものをいっぱい食べたいと言い始めて段々と騒がしくなっていく。半助は伝蔵と顔を合わせて呆れたように笑った。そして目をパチパチと瞬かせる澪に向かって声をかける。
「澪さん、先ずはは組の良い子達の前でだけでもいい。
少しでも息を抜いてみませんか?」
誰もそれを咎めたりはしないし、させやしないから。
だから、貴女の居場所をここにつくろう。
そう強く思いながら澪の肩にかけたままの手に力をこめた。
「そうだよ。大人だからって、我慢したりしないで。だって、俺そんなの分かんないもん。大人とか子供とか、関係ない。澪さんは澪さんでしょ。」
澪は困ったように笑っていて、そうして返事を濁しているときり丸が彼女の肩を鷲掴んで鼻先が触れそうなほどにズイと顔を寄せた。
「約束して。
これからは我慢しないって、隠さないって、ちゃんと約束して。」
きり丸の押しの強さに半助は思わず笑ってしまいそうになる。
でもきっと、これくらいがいいんだ。変に遠慮なんかしないで、多少無理にでも歩み寄るくらいが丁度いい。きり丸と、澪さんの関係だからこそ許される距離感。
「…うん。約束、するね。」
澪ときり丸は右手の小指を絡め合った。
頬を伝った涙がぽたりと落ちて膝元の着物に染みをつくる。からりと吹き抜ける風と惜しみもなく照り付ける太陽があっという間にそれを乾かしてしまった。
不意に食堂のおばちゃんの言葉が頭の中をよぎる。
彼女が心安らかに息をできる場所が、
おばちゃんには何も言うことができなくてただ口を噤んでしまった。けれど、今なら言える。
多分、きっと。
いや、必ずできる。澪さんが心から笑って過ごせる場所がここにできるはずだ。私たちが、私たちと彼女とで、作っていけるはずだ。
何か根拠があるわけでもないのに、どうしてかそう強く思えた。