ある日突然時を遡ってしまった女の子が室町時代を必死に生き抜くお話
春の湊
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「澪さん、今日はよろしくね。」
「はっはい。こち、こちらこそ、よろしくお願いいたします…!」
「あはは!そんなに緊張しなくたって別に取って食いやしないですよ〜」
本日、忍術学園は休日。澪は門の前で勘右衛門ほか、学級委員長委員会の面々と顔を合わせていた。勘右衛門にとって今日が初めての澪との対面なのだが、噂通りの彼女を見て思わず笑みが溢れる。そわそわと両手の指を握り摩る澪は緊張した面持ちで足元を眺めていた。
「悪い、遅くなった。」
「鉢屋先輩、ずっと待っていたんですよ」
「すまんすまん。学園長先生の話が長引いてしまったんだ。」
軽く手を振りながら走って来た三郎を見て庄左ヱ門は小さく息を吐く。三郎は庄左ヱ門から澪に視線を移すとニヤリと笑いながら腰に手を当てた。
「学園長先生より直々に、貴女をしっかり護衛するようにと仰せつかりました。どうぞよろしくお願いしますね。澪サン」
目を白黒させて「…護衛?」と首を傾げる澪にズイッと顔を寄せる。
「知らないのか?金楽寺までの道中には山賊や悪い輩がそれはそれはうじゃうじゃといるんだぞ。ああそれに熊や猪といった獣だって…」
澪は三郎の言葉を聞いて真っ青な顔になる。彼女の肩がすくむ様を見て勘右衛門は呆れながら三郎の頭を小突いた。
「コラ三郎、必要以上に怖がらせない。
澪さん、そんなに沢山はいませんから安心してください。早々出くわすこともまあ、ないですよ多分!」
励ますつもりで言ったものの、“沢山はいないがいないわけではない”という事実を悟ってしまったのか引き攣った表情のまま澪は小さく頷いた。
一行が向かう先は金楽寺。澪は先日学園長と話をして、あの草原には今行くことは厳しいだろうと告げられたのだった。理由はあの近辺でいくつかの城の忍が静かに拮抗しており、いつ戦になるか分からないからだと言う。澪はその話を聞かされたとき眩暈を覚えた。自分の身近でそんな非現実的なことが起こりかけているだなんて想像もつかなかった。帰り方を見つける唯一の手がかりとなる場所に向かえないと分かり目の前が真っ暗になったが、学園長は金楽寺の和尚に話を聞いてもらってはどうかと提案してきたのだ。
そんな訳で澪は忍術学園に来て以来、初めての外出をすることになったのだが付き添いに選ばれたのは学級委員長委員会。ちょうど学園長から和尚宛てに文を届けるよう使いを言い渡されていた彼らに同行することに。
しかし、三郎の言葉が頭から消えない澪は物音が鳴る度にビクビクと身体を竦ませていた。隣を歩く庄左ヱ門や彦四郎が話しかけてくれるものの木陰や茂みから聞こえる音から木の葉が重なり合う音まで全部が気になって散漫な返事をしてしまう。心臓は激しい音を立てていて握りしめた両手は手汗が滲んでいる。舗装されていない山道を履き慣れない草鞋と着慣れない小袖で歩くことも初めてで、そこに心労まで重なれば疲労も溜まりやすいもので。茂みの奥でパキリと枝を踏む音に反射的に振り返ったとき、地面の起伏に足を取られてつんのめった。
わ、こける___
迫ってくる地面がスローモーションで見えてギュッと目を瞑った瞬間、突然お腹が圧迫されたかと思えば何かに包まれる感覚に襲われる。
「澪さん大丈夫ですか?」
「はい…すみません…」
澪が地面に顔面ダイブするのを防いだのは最後尾を歩いていた勘右衛門だった。学園を出発してからずっと澪の様子を眺めていた彼は支えたときに伝わってきた鼓動の速さに眉を下げて笑う。
「オイ、何もないところで躓く奴があるか。全くどれだけ鈍臭いんだアンタは…」
「三郎があんなこと言うからじゃないか。澪さんすっかり縮み上がっちゃって可哀想だよ」
「私のせいだと?私は世間知らずなコイツに親切にも教えてやったんだ。むしろ感謝してほしいくらいだね」
先頭を歩いていた三郎は顔を顰めながらジトっとした視線を澪に送る。ひたすら申し訳なくて、囁くようにすみませんと謝る。三郎は大きなため息をついて澪の足元を垣間見た。
「…この峠を越えた先に茶屋がある。そこでひと休憩して行こう。」
彦四郎が嬉しそうに「やった!」と声を上げる。きゅ、と唇を喰んで俯いていた澪の手を庄左ヱ門が握った。
「澪さん、心配することないですよ。何かあっても鉢屋先輩と尾浜先輩が絶対に何とかしてくれますから。」
「おっ庄左ヱ門言うね〜。褒めたって何も出ないぞ?」
「別に褒めてはいません。さ、行きましょう澪さん」
頭の後ろで腕を組んでニシシと笑う勘右衛門を軽く遇らった庄左ヱ門は澪の手を引きスタスタと歩き出す。
手汗、ひどくないかな…なんて考えながら小さな手を緩く握り返すと徐に庄左ヱ門が顔を見上げて口を開いた。
「乱太郎が言ってたんです。澪さんは手を握ってあげると安心するんだって。」
「えっ?!」
「だからは組の皆、澪さんの手を握れる機会を必死に伺っているんですよ。誰が一番安心させられるのかって」
三郎は「一年生に餓鬼扱いされてるのか…」と呆れたようにツッコんだ。
澪もまさか一回りも小さい子供にそんなふうに思われていたとは露知らずカッと耳が熱くなる。思い返してみると一年は組の子達は何かと手を握りたがっていたような気がする。あまりに何も出来ないし知らなさ過ぎるから、こんなに小さな子達にも頼りないと思われているのだろう。
恥ずかしすぎて顔から火が出そう…
「ちなみに今のところ一位を張っているのはきり丸です。自称ですけど」
「そ、そうなんだ…」
火照る頬を抑えて口籠もる。三郎からの視線が居た堪れないのと精神的なダメージがすごい勢いで蓄積されていくので早々にこの話題を切り替えて欲しいところだがホクホクした表情で握る手を小さく揺らす庄左ヱ門には何も言えずへたっぴな笑顔を浮かべて耐え忍んだ。
…ちゃんと、頼れる大人になりたいな。子供にまでこんな風に気を遣われているなんて情けなすぎて泣きそう。というかここにいる誰よりも私年上なんだよね…?
チラリと彼らの顔を見渡せば、脳内で彼らの頭上に10歳、14歳と年齢が表示されて喉がキュウと締め付けられるような感覚に陥る。
どうしよう、年齢を知ってしまった今自分の不甲斐なさが浮き彫りになって心が痛い。でも上級生の子達は中学生や高校生とは思えない。精神的にすごく大人だし、多分私が20歳で結婚していないことを驚かれたということは成人年齢が20より幾らか下なのだろう。元服…と言うんだっけ?もう上級生は大人みたいなものなのかな。
改めて自分が生きてきた時代とは全く別ものだと思い知らされてズンと胸が重くなった。
「茶屋が見えてきましたよ!」
彦四郎の明るい声に釣られて顔を上げると林の陰にポツンと茅葺きの小屋が佇んでいるのが見えた。多分、時間にして2時間ちょっとは歩き続けたと思う。縁台に腰掛けると自然に息が漏れた。カラッとした天気で午前中にしてはまま気温が高かったが木陰を歩いていたためそこまで暑さは感じなかった。ただ立ち止まるとじんわり汗が滲み出してくる。髪の毛が首筋にペとりと張り付く感触が居心地悪くて片側に流せばうなじが涼やかな風に晒され目を細めた。
「澪さんもお団子で大丈夫ですか?」
「えっと、私は…お金持っていないので…」
「ああ大丈夫ですよ。学園長先生からお使いのお駄賃貰っているんで!」
「ほらほら、ここは遠慮なく〜」と勘右衛門が懐から小さな包みを取り出して軽く投げる。チャリチャリと鳴るそれを見せつけられても視線を彷徨わせて「えぇと、」と口篭っていたら彦四郎が五人前のお団子をさっさと注文してしまった。とりあえず後で学園長にお礼を言うとして、この場で支払ってくれる勘右衛門にぺこりと頭を下げれば「澪さんてばホント硬いな〜」と苦笑いされる。
そうして団子を待っている間に何気なく太ももを摩る。足をちょっと伸ばして指先をグーパーするとジクジクした痛みが強まって一瞬眉間に皺を寄せた。
「オイ、草鞋を脱げ」
「っ!?」
向かいの縁台に座っていた三郎がいつの間にか立ち上がり、目の前で腕を組んで仁王立ちしていたため澪はビクッと肩を揺らした。小さく返事をして言われた通りに草鞋を脱ごうとするが、足首に括り付けられた紐がうまく解けずモタモタしてしまう。三郎は舌打ちをしてしゃがみ込み澪の足首を掴んだ。
「遅い」
「すっ、すみません」
「もう三郎言い方キツいって」
勘右衛門が嗜めるように口を挟むも三郎はお構いなしに紐と返しを解く。草鞋を脱がせた澪の足の甲は紐が擦れて血が滲んでおり、足首も足裏も皮が剥けて赤く染まっていた。
「…ハァ、なぜこうなるまで黙っているんだ」
「うわ、痛そ」
「すみません…」
きめの細かい真っ白な肌に指を滑らせる。
柔らかく皮膚の薄い、苦労を知らぬ軟弱な足だ。
血のにじむ指の付け根にグリ、と爪を食い込ませたら彼女の顔が歪んだ。
「金楽寺までまだ歩かないといけないのにこんな調子じゃ先が思いやられるな」
肩にかけていた風呂敷から手拭いと包帯を取り出して店主に声をかけ水の張った桶をもらう。手拭いを水に浸して絞り、澪の足に手をかけると彼女の指先が控えめに触れた。
「あ、の…本当に、すみません。鉢屋さん汚れちゃうので、自分で」
「いい。アンタは手際が悪いから見ていられない」
手拭いで足を押さえると鮮やかな赤にじわじわと染まっていく。指が肌を掠める度きゅっと指先を丸めるので「オイ…」と言いかけ見上げたら澪の頬は紅潮しており、丸く見開かれた瞳が微かに潤んでいた。縁台のへりにかけた手はキツく握りしめられていて時折身体が震えている。
…なんだその顔は
すーっと視線を戻して手早く包帯を巻きつけた。何故か結び目がちょっと歪になってしまったがこれで終わりだと膝を叩き立ち上がる。
「これで少しはマシになるだろ。」
「ありがとう、ございます」
「ていうか三郎やけに準備よかったね。こうなること見越してたのか?」
「…善法寺先輩が持っていくようにと仰ったから、それだけだ」
へえと感心する勘右衛門は彦四郎の隣に再び腰を下ろした三郎をじっと見つめる。真一文字に口を結び目を閉じた彼は無意識なのか組んだ腕をトントンと指で叩いている。
こりゃ絆されたか?
にやけそうになる口元を手で覆い隠しながら頬杖をつく。あまりに露骨だったのか“何だその目は”と少し刺々しい矢羽音が飛んできて笑いを堪えながら“別に何でもないさ”と返した。
「ところで、ずっと思っていたんですけど鉢屋先輩は澪さんに対して随分馴れ馴れしいですよね。」
しばらくして団子と茶が運ばれてきて各々食していたのだが、庄左ヱ門が茶を啜りながらそう呟いた。
「澪さんは鉢屋先輩よりも年上なんですよ」
「知ってるさ。二十歳、独身、子無しなんだろう」
あっけらかんと答えた三郎のどストレートな表現にむせる。年齢を伝えたのは作法委員会の生徒だけだったのにいつの間にその情報を得たのか。忍者だから情報が伝わるのが異様にはやいのか。ケホケホ咳をしていると勘右衛門が背中を摩ってくれたが追い打ちをかけるように三郎が言葉を放つ。
「年上といっても、こうも尊敬するところがなくてはなあ。
払う敬意もあったもんじゃないぞコイツは」
ドスッと突き刺さった言葉に思わず胸を抑えて項垂れる。ごもっとも過ぎて心が痛いです…と心の中で呟く。ムッとして言い返そうとする庄左ヱ門を慌てて嗜めた。
「そ、そんな…失礼だとか感じないので、全然構いませんよ」
「そういうものですか?」
うんうんと大きく頷くと何か言いたげな表情を浮かべたが庄左ヱ門は押し黙った。
そうして茶屋で一服した彼らは金楽寺に向けて再び歩を進める。自然に澪と手を繋ぎ直した庄左ヱ門は柔らかくほっそりとした彼女の手の感触を確かめるように力を込める。
僕はきり丸や乱太郎よりも澪さんのことを知らない。こんなに長い時間一緒にいるのは初めて会った日以来で、それまでは学園内で見かけたら挨拶をする程度だった。団蔵やきり丸が手を繋いだとか、乱太郎やしんべヱが頭を撫でられただとかふやけた顔で話すのも別にそこまで羨ましく思うことなくそうなんだね、と返していたけれど、何となく彼らの気持ちが分かったような気がする。触れる手が柔く、優しいのだ。母のような、でもそれとはやっぱりどこか違うぎこちなさがある。でも壊れ物をそっと大切に扱うような優しい手つき。心をくすぐられるみたいにムズムズするけれど決して嫌な感じじゃなく、むしろ心地良い。
帰ったら乱太郎たちに話そう。手を繋いで、一緒にお団子を食べたこと。
きっと皆羨ましがって次は自分と一緒にお出かけするんだと言い争うんだろうな。
へへ、と溢れる笑みを押し殺すように頬の内を噛んでぴょんと小さく飛び跳ねた。
「澪さん、あとちょっとですよ!」
少し上擦った声になってしまったけれど気にせず澪の手を握りしめ引っ張った。
金楽寺まで、あと少し。
「はっはい。こち、こちらこそ、よろしくお願いいたします…!」
「あはは!そんなに緊張しなくたって別に取って食いやしないですよ〜」
本日、忍術学園は休日。澪は門の前で勘右衛門ほか、学級委員長委員会の面々と顔を合わせていた。勘右衛門にとって今日が初めての澪との対面なのだが、噂通りの彼女を見て思わず笑みが溢れる。そわそわと両手の指を握り摩る澪は緊張した面持ちで足元を眺めていた。
「悪い、遅くなった。」
「鉢屋先輩、ずっと待っていたんですよ」
「すまんすまん。学園長先生の話が長引いてしまったんだ。」
軽く手を振りながら走って来た三郎を見て庄左ヱ門は小さく息を吐く。三郎は庄左ヱ門から澪に視線を移すとニヤリと笑いながら腰に手を当てた。
「学園長先生より直々に、貴女をしっかり護衛するようにと仰せつかりました。どうぞよろしくお願いしますね。澪サン」
目を白黒させて「…護衛?」と首を傾げる澪にズイッと顔を寄せる。
「知らないのか?金楽寺までの道中には山賊や悪い輩がそれはそれはうじゃうじゃといるんだぞ。ああそれに熊や猪といった獣だって…」
澪は三郎の言葉を聞いて真っ青な顔になる。彼女の肩がすくむ様を見て勘右衛門は呆れながら三郎の頭を小突いた。
「コラ三郎、必要以上に怖がらせない。
澪さん、そんなに沢山はいませんから安心してください。早々出くわすこともまあ、ないですよ多分!」
励ますつもりで言ったものの、“沢山はいないがいないわけではない”という事実を悟ってしまったのか引き攣った表情のまま澪は小さく頷いた。
一行が向かう先は金楽寺。澪は先日学園長と話をして、あの草原には今行くことは厳しいだろうと告げられたのだった。理由はあの近辺でいくつかの城の忍が静かに拮抗しており、いつ戦になるか分からないからだと言う。澪はその話を聞かされたとき眩暈を覚えた。自分の身近でそんな非現実的なことが起こりかけているだなんて想像もつかなかった。帰り方を見つける唯一の手がかりとなる場所に向かえないと分かり目の前が真っ暗になったが、学園長は金楽寺の和尚に話を聞いてもらってはどうかと提案してきたのだ。
そんな訳で澪は忍術学園に来て以来、初めての外出をすることになったのだが付き添いに選ばれたのは学級委員長委員会。ちょうど学園長から和尚宛てに文を届けるよう使いを言い渡されていた彼らに同行することに。
しかし、三郎の言葉が頭から消えない澪は物音が鳴る度にビクビクと身体を竦ませていた。隣を歩く庄左ヱ門や彦四郎が話しかけてくれるものの木陰や茂みから聞こえる音から木の葉が重なり合う音まで全部が気になって散漫な返事をしてしまう。心臓は激しい音を立てていて握りしめた両手は手汗が滲んでいる。舗装されていない山道を履き慣れない草鞋と着慣れない小袖で歩くことも初めてで、そこに心労まで重なれば疲労も溜まりやすいもので。茂みの奥でパキリと枝を踏む音に反射的に振り返ったとき、地面の起伏に足を取られてつんのめった。
わ、こける___
迫ってくる地面がスローモーションで見えてギュッと目を瞑った瞬間、突然お腹が圧迫されたかと思えば何かに包まれる感覚に襲われる。
「澪さん大丈夫ですか?」
「はい…すみません…」
澪が地面に顔面ダイブするのを防いだのは最後尾を歩いていた勘右衛門だった。学園を出発してからずっと澪の様子を眺めていた彼は支えたときに伝わってきた鼓動の速さに眉を下げて笑う。
「オイ、何もないところで躓く奴があるか。全くどれだけ鈍臭いんだアンタは…」
「三郎があんなこと言うからじゃないか。澪さんすっかり縮み上がっちゃって可哀想だよ」
「私のせいだと?私は世間知らずなコイツに親切にも教えてやったんだ。むしろ感謝してほしいくらいだね」
先頭を歩いていた三郎は顔を顰めながらジトっとした視線を澪に送る。ひたすら申し訳なくて、囁くようにすみませんと謝る。三郎は大きなため息をついて澪の足元を垣間見た。
「…この峠を越えた先に茶屋がある。そこでひと休憩して行こう。」
彦四郎が嬉しそうに「やった!」と声を上げる。きゅ、と唇を喰んで俯いていた澪の手を庄左ヱ門が握った。
「澪さん、心配することないですよ。何かあっても鉢屋先輩と尾浜先輩が絶対に何とかしてくれますから。」
「おっ庄左ヱ門言うね〜。褒めたって何も出ないぞ?」
「別に褒めてはいません。さ、行きましょう澪さん」
頭の後ろで腕を組んでニシシと笑う勘右衛門を軽く遇らった庄左ヱ門は澪の手を引きスタスタと歩き出す。
手汗、ひどくないかな…なんて考えながら小さな手を緩く握り返すと徐に庄左ヱ門が顔を見上げて口を開いた。
「乱太郎が言ってたんです。澪さんは手を握ってあげると安心するんだって。」
「えっ?!」
「だからは組の皆、澪さんの手を握れる機会を必死に伺っているんですよ。誰が一番安心させられるのかって」
三郎は「一年生に餓鬼扱いされてるのか…」と呆れたようにツッコんだ。
澪もまさか一回りも小さい子供にそんなふうに思われていたとは露知らずカッと耳が熱くなる。思い返してみると一年は組の子達は何かと手を握りたがっていたような気がする。あまりに何も出来ないし知らなさ過ぎるから、こんなに小さな子達にも頼りないと思われているのだろう。
恥ずかしすぎて顔から火が出そう…
「ちなみに今のところ一位を張っているのはきり丸です。自称ですけど」
「そ、そうなんだ…」
火照る頬を抑えて口籠もる。三郎からの視線が居た堪れないのと精神的なダメージがすごい勢いで蓄積されていくので早々にこの話題を切り替えて欲しいところだがホクホクした表情で握る手を小さく揺らす庄左ヱ門には何も言えずへたっぴな笑顔を浮かべて耐え忍んだ。
…ちゃんと、頼れる大人になりたいな。子供にまでこんな風に気を遣われているなんて情けなすぎて泣きそう。というかここにいる誰よりも私年上なんだよね…?
チラリと彼らの顔を見渡せば、脳内で彼らの頭上に10歳、14歳と年齢が表示されて喉がキュウと締め付けられるような感覚に陥る。
どうしよう、年齢を知ってしまった今自分の不甲斐なさが浮き彫りになって心が痛い。でも上級生の子達は中学生や高校生とは思えない。精神的にすごく大人だし、多分私が20歳で結婚していないことを驚かれたということは成人年齢が20より幾らか下なのだろう。元服…と言うんだっけ?もう上級生は大人みたいなものなのかな。
改めて自分が生きてきた時代とは全く別ものだと思い知らされてズンと胸が重くなった。
「茶屋が見えてきましたよ!」
彦四郎の明るい声に釣られて顔を上げると林の陰にポツンと茅葺きの小屋が佇んでいるのが見えた。多分、時間にして2時間ちょっとは歩き続けたと思う。縁台に腰掛けると自然に息が漏れた。カラッとした天気で午前中にしてはまま気温が高かったが木陰を歩いていたためそこまで暑さは感じなかった。ただ立ち止まるとじんわり汗が滲み出してくる。髪の毛が首筋にペとりと張り付く感触が居心地悪くて片側に流せばうなじが涼やかな風に晒され目を細めた。
「澪さんもお団子で大丈夫ですか?」
「えっと、私は…お金持っていないので…」
「ああ大丈夫ですよ。学園長先生からお使いのお駄賃貰っているんで!」
「ほらほら、ここは遠慮なく〜」と勘右衛門が懐から小さな包みを取り出して軽く投げる。チャリチャリと鳴るそれを見せつけられても視線を彷徨わせて「えぇと、」と口篭っていたら彦四郎が五人前のお団子をさっさと注文してしまった。とりあえず後で学園長にお礼を言うとして、この場で支払ってくれる勘右衛門にぺこりと頭を下げれば「澪さんてばホント硬いな〜」と苦笑いされる。
そうして団子を待っている間に何気なく太ももを摩る。足をちょっと伸ばして指先をグーパーするとジクジクした痛みが強まって一瞬眉間に皺を寄せた。
「オイ、草鞋を脱げ」
「っ!?」
向かいの縁台に座っていた三郎がいつの間にか立ち上がり、目の前で腕を組んで仁王立ちしていたため澪はビクッと肩を揺らした。小さく返事をして言われた通りに草鞋を脱ごうとするが、足首に括り付けられた紐がうまく解けずモタモタしてしまう。三郎は舌打ちをしてしゃがみ込み澪の足首を掴んだ。
「遅い」
「すっ、すみません」
「もう三郎言い方キツいって」
勘右衛門が嗜めるように口を挟むも三郎はお構いなしに紐と返しを解く。草鞋を脱がせた澪の足の甲は紐が擦れて血が滲んでおり、足首も足裏も皮が剥けて赤く染まっていた。
「…ハァ、なぜこうなるまで黙っているんだ」
「うわ、痛そ」
「すみません…」
きめの細かい真っ白な肌に指を滑らせる。
柔らかく皮膚の薄い、苦労を知らぬ軟弱な足だ。
血のにじむ指の付け根にグリ、と爪を食い込ませたら彼女の顔が歪んだ。
「金楽寺までまだ歩かないといけないのにこんな調子じゃ先が思いやられるな」
肩にかけていた風呂敷から手拭いと包帯を取り出して店主に声をかけ水の張った桶をもらう。手拭いを水に浸して絞り、澪の足に手をかけると彼女の指先が控えめに触れた。
「あ、の…本当に、すみません。鉢屋さん汚れちゃうので、自分で」
「いい。アンタは手際が悪いから見ていられない」
手拭いで足を押さえると鮮やかな赤にじわじわと染まっていく。指が肌を掠める度きゅっと指先を丸めるので「オイ…」と言いかけ見上げたら澪の頬は紅潮しており、丸く見開かれた瞳が微かに潤んでいた。縁台のへりにかけた手はキツく握りしめられていて時折身体が震えている。
…なんだその顔は
すーっと視線を戻して手早く包帯を巻きつけた。何故か結び目がちょっと歪になってしまったがこれで終わりだと膝を叩き立ち上がる。
「これで少しはマシになるだろ。」
「ありがとう、ございます」
「ていうか三郎やけに準備よかったね。こうなること見越してたのか?」
「…善法寺先輩が持っていくようにと仰ったから、それだけだ」
へえと感心する勘右衛門は彦四郎の隣に再び腰を下ろした三郎をじっと見つめる。真一文字に口を結び目を閉じた彼は無意識なのか組んだ腕をトントンと指で叩いている。
こりゃ絆されたか?
にやけそうになる口元を手で覆い隠しながら頬杖をつく。あまりに露骨だったのか“何だその目は”と少し刺々しい矢羽音が飛んできて笑いを堪えながら“別に何でもないさ”と返した。
「ところで、ずっと思っていたんですけど鉢屋先輩は澪さんに対して随分馴れ馴れしいですよね。」
しばらくして団子と茶が運ばれてきて各々食していたのだが、庄左ヱ門が茶を啜りながらそう呟いた。
「澪さんは鉢屋先輩よりも年上なんですよ」
「知ってるさ。二十歳、独身、子無しなんだろう」
あっけらかんと答えた三郎のどストレートな表現にむせる。年齢を伝えたのは作法委員会の生徒だけだったのにいつの間にその情報を得たのか。忍者だから情報が伝わるのが異様にはやいのか。ケホケホ咳をしていると勘右衛門が背中を摩ってくれたが追い打ちをかけるように三郎が言葉を放つ。
「年上といっても、こうも尊敬するところがなくてはなあ。
払う敬意もあったもんじゃないぞコイツは」
ドスッと突き刺さった言葉に思わず胸を抑えて項垂れる。ごもっとも過ぎて心が痛いです…と心の中で呟く。ムッとして言い返そうとする庄左ヱ門を慌てて嗜めた。
「そ、そんな…失礼だとか感じないので、全然構いませんよ」
「そういうものですか?」
うんうんと大きく頷くと何か言いたげな表情を浮かべたが庄左ヱ門は押し黙った。
そうして茶屋で一服した彼らは金楽寺に向けて再び歩を進める。自然に澪と手を繋ぎ直した庄左ヱ門は柔らかくほっそりとした彼女の手の感触を確かめるように力を込める。
僕はきり丸や乱太郎よりも澪さんのことを知らない。こんなに長い時間一緒にいるのは初めて会った日以来で、それまでは学園内で見かけたら挨拶をする程度だった。団蔵やきり丸が手を繋いだとか、乱太郎やしんべヱが頭を撫でられただとかふやけた顔で話すのも別にそこまで羨ましく思うことなくそうなんだね、と返していたけれど、何となく彼らの気持ちが分かったような気がする。触れる手が柔く、優しいのだ。母のような、でもそれとはやっぱりどこか違うぎこちなさがある。でも壊れ物をそっと大切に扱うような優しい手つき。心をくすぐられるみたいにムズムズするけれど決して嫌な感じじゃなく、むしろ心地良い。
帰ったら乱太郎たちに話そう。手を繋いで、一緒にお団子を食べたこと。
きっと皆羨ましがって次は自分と一緒にお出かけするんだと言い争うんだろうな。
へへ、と溢れる笑みを押し殺すように頬の内を噛んでぴょんと小さく飛び跳ねた。
「澪さん、あとちょっとですよ!」
少し上擦った声になってしまったけれど気にせず澪の手を握りしめ引っ張った。
金楽寺まで、あと少し。