付かず、離れず
猪野くんの同級生のお名前は?
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店を出て、駅までの道を並んで歩く。
「七海さん」
ちはるの声に顔を向けると、彼女は財布を手に七海を見上げていた。
「お構いなく。今回は私が」
「ダメです。払います」
食い気味に言うちはるに、思わず七海は頬を緩めた。
「誘ったのは私の方です。時間を割いて来て頂いた貴女へのお礼だと思って下さい」
「でも、」
「お気持ちだけ頂いておきますよ」
そこまで言われて、ちはるは引き下がる他無かった。食い下がればそれこそ七海に失礼だろう。ちはるは渋々といった体で財布をバッグへ押し込み、歩き出していた七海の後を追う。
「…ありがとうございます。ご馳走様でした」
「いえ。こちらこそありがとうございます」
2人はもう駅前に着いていた。金曜の21時はまだ早い時間なのだろう、人混みは少しも変わらない様だった。
「…まだ少し話をしたいところではありますが、明日、任務に出る予定なので」
「…そうですか…、あの、七海さん」
立ち止まって話をする2人を気に掛ける者は居らず、人波は2人を避けるように流れて行く。
「…、どうして誘ってくれたんですか?」
ずっと聞いてみたかった事。酒の勢いも借りて、ちはるは率直に尋ねてみる。
「…猪野くんとは度々食事に行っているのですが、その度に彼は貴女の話ばかりしているんです」
「…え⁉︎」
「彼の話を聞いて、私も一度、ゆっくり貴女と話をしてみたいと思いまして」
一気に酔いが覚める気分だった。猪野から何を聞かされているのだろう、七海は自身に対してどんな好奇心を抱いているのだろうとちはるは不安になった。それも素行があまり良くない自覚があるという事に尽きる。
「猪野くんは貴女の事を大事に思っているようですね。大切な同期で、良き理解者であると」
七海の表情がほんの少しだけ曇った様に見えたのは気のせいだろうか。瞬きの間にその影は消え去っていた。ちはるが何か言葉を発するよりも早く七海が口を開く。
「あぁ、それと」
何か指摘されるような事があっただろうかと、ちはるは思わず身構えていた。七海はそんな彼女に、また僅かに頬を緩めた。
「…今伝える事ではないと承知してはいますが…、今日の服装、とてもよくお似合いですよ」
「え、あ…、ありがとう、ございます、」
ちはるが言葉に詰まっている間に、七海はタクシーを1台捕まえていた。開いた後部座席のドアから半身を押し込んで運転手に声をかけた七海は外へ出ると、ちはるに乗るよう促した。
「今日は本当にありがとうございました。ゆっくりお休みください」
「…明日任務の七海さんが先に、」
「タクシーはすぐ捕まりますよ。見送りくらいさせてください。…それではまた」
やや強引にちはるをタクシーに押し込み、七海はドアを閉めさせた。動き出したタクシーを見送ると、七海は再びタクシーを捕まえた。自宅近くの駅までと伝えると、タクシーは滑らかに動き出す。窓の外をぼんやり眺めながら、今日は楽しい食事が出来たと七海は思った。
猪野がいる時といない時では、やはりちはるの見せる顔は別のもので、七海にとってはまた新しい発見だった。今日の彼女は決して取り繕ったものではなく紛れもなくちはる自身であり、猪野が良く褒めるのがわかるくらいに聡明で、彼が頼りにしているのも頷けた。
「お客さん、この辺りでいかがですか?」
「えぇ、ここで結構です。ありがとうございます」
支払いを済ませてタクシーを降りる。実際のところ、自宅からは少々離れているが、酔い覚ましにはちょうど良いと七海は歩き出した。
と、不意に七海のポケットのスマホが着信を伝えて騒ぎ立てている事に気付く。
「…はい、七海です」
『水野です。…七海さんタクシー代…!』
「それくらい当然です、お気になさらないでください」
タクシーを捕まえて運転手に声をかけた際、七海は運転手に代金だとして幾らか渡しておいたー電話の向こうのちはるは戸惑いを含みながらもしっかりとした口調で何某か言っている。
「今回は私が持つとお伝えしました。タクシー代も含んでいたと思ってください」
『…。じゃあ、今度お会いした時にはお釣りと、お礼をさせてくださいね。拒否権ナシですからね』
ちはるが頬を膨らませている様子が思い浮かび、七海は忍び笑いをした。
「…そうムキにならなくても、」
『変に誤解されたくないので』
「それは私も同じです」
『……』
七海の言葉に電話の向こうでちはるは口を噤んだ。お互い間違った事は言っていないし、そう思う事は間違いではない。何とも言えない空気感のまま通話を終える。
スマホをポケットに押し込み、七海は歩くペースを上げた。普段よりも人が多い通りをすり抜けて行く。すれ違う人、追い越す人それぞれが話している言葉が混ざり合って不明瞭になり、まるで知らない国に迷い込んだ様な不思議な感覚に陥る。耳障りに思える雑踏の中、七海は自分が独りであるという事を痛感したー誰かと並んで歩き話したのはいつだったろうか。この手は誰かを探しているのだろうか。誰とも繋げない手をポケットに押し込み、七海は足早に自宅へと向かった。
「七海さん」
ちはるの声に顔を向けると、彼女は財布を手に七海を見上げていた。
「お構いなく。今回は私が」
「ダメです。払います」
食い気味に言うちはるに、思わず七海は頬を緩めた。
「誘ったのは私の方です。時間を割いて来て頂いた貴女へのお礼だと思って下さい」
「でも、」
「お気持ちだけ頂いておきますよ」
そこまで言われて、ちはるは引き下がる他無かった。食い下がればそれこそ七海に失礼だろう。ちはるは渋々といった体で財布をバッグへ押し込み、歩き出していた七海の後を追う。
「…ありがとうございます。ご馳走様でした」
「いえ。こちらこそありがとうございます」
2人はもう駅前に着いていた。金曜の21時はまだ早い時間なのだろう、人混みは少しも変わらない様だった。
「…まだ少し話をしたいところではありますが、明日、任務に出る予定なので」
「…そうですか…、あの、七海さん」
立ち止まって話をする2人を気に掛ける者は居らず、人波は2人を避けるように流れて行く。
「…、どうして誘ってくれたんですか?」
ずっと聞いてみたかった事。酒の勢いも借りて、ちはるは率直に尋ねてみる。
「…猪野くんとは度々食事に行っているのですが、その度に彼は貴女の話ばかりしているんです」
「…え⁉︎」
「彼の話を聞いて、私も一度、ゆっくり貴女と話をしてみたいと思いまして」
一気に酔いが覚める気分だった。猪野から何を聞かされているのだろう、七海は自身に対してどんな好奇心を抱いているのだろうとちはるは不安になった。それも素行があまり良くない自覚があるという事に尽きる。
「猪野くんは貴女の事を大事に思っているようですね。大切な同期で、良き理解者であると」
七海の表情がほんの少しだけ曇った様に見えたのは気のせいだろうか。瞬きの間にその影は消え去っていた。ちはるが何か言葉を発するよりも早く七海が口を開く。
「あぁ、それと」
何か指摘されるような事があっただろうかと、ちはるは思わず身構えていた。七海はそんな彼女に、また僅かに頬を緩めた。
「…今伝える事ではないと承知してはいますが…、今日の服装、とてもよくお似合いですよ」
「え、あ…、ありがとう、ございます、」
ちはるが言葉に詰まっている間に、七海はタクシーを1台捕まえていた。開いた後部座席のドアから半身を押し込んで運転手に声をかけた七海は外へ出ると、ちはるに乗るよう促した。
「今日は本当にありがとうございました。ゆっくりお休みください」
「…明日任務の七海さんが先に、」
「タクシーはすぐ捕まりますよ。見送りくらいさせてください。…それではまた」
やや強引にちはるをタクシーに押し込み、七海はドアを閉めさせた。動き出したタクシーを見送ると、七海は再びタクシーを捕まえた。自宅近くの駅までと伝えると、タクシーは滑らかに動き出す。窓の外をぼんやり眺めながら、今日は楽しい食事が出来たと七海は思った。
猪野がいる時といない時では、やはりちはるの見せる顔は別のもので、七海にとってはまた新しい発見だった。今日の彼女は決して取り繕ったものではなく紛れもなくちはる自身であり、猪野が良く褒めるのがわかるくらいに聡明で、彼が頼りにしているのも頷けた。
「お客さん、この辺りでいかがですか?」
「えぇ、ここで結構です。ありがとうございます」
支払いを済ませてタクシーを降りる。実際のところ、自宅からは少々離れているが、酔い覚ましにはちょうど良いと七海は歩き出した。
と、不意に七海のポケットのスマホが着信を伝えて騒ぎ立てている事に気付く。
「…はい、七海です」
『水野です。…七海さんタクシー代…!』
「それくらい当然です、お気になさらないでください」
タクシーを捕まえて運転手に声をかけた際、七海は運転手に代金だとして幾らか渡しておいたー電話の向こうのちはるは戸惑いを含みながらもしっかりとした口調で何某か言っている。
「今回は私が持つとお伝えしました。タクシー代も含んでいたと思ってください」
『…。じゃあ、今度お会いした時にはお釣りと、お礼をさせてくださいね。拒否権ナシですからね』
ちはるが頬を膨らませている様子が思い浮かび、七海は忍び笑いをした。
「…そうムキにならなくても、」
『変に誤解されたくないので』
「それは私も同じです」
『……』
七海の言葉に電話の向こうでちはるは口を噤んだ。お互い間違った事は言っていないし、そう思う事は間違いではない。何とも言えない空気感のまま通話を終える。
スマホをポケットに押し込み、七海は歩くペースを上げた。普段よりも人が多い通りをすり抜けて行く。すれ違う人、追い越す人それぞれが話している言葉が混ざり合って不明瞭になり、まるで知らない国に迷い込んだ様な不思議な感覚に陥る。耳障りに思える雑踏の中、七海は自分が独りであるという事を痛感したー誰かと並んで歩き話したのはいつだったろうか。この手は誰かを探しているのだろうか。誰とも繋げない手をポケットに押し込み、七海は足早に自宅へと向かった。