前章

 朝を迎え、朝食を簡単に済ませた後、エルヴェの私服に袖を通したアイゼアと共に北区にある彼の実家を目指す。

「ホントに知ってるんだ」

 アイゼアは独り言のように呟く。実家までの道順が間違っていないことを理解しているのだろう。北区の坂を登り続けると、ゆっくりと屋敷が見えてきた。


 鉄格子の門の前に取り付けられた呼び鈴を鳴らすと、少ししてノーゼンが玄関から姿を現す。

「あ……」

 アイゼアは遠目からでもノーゼンだとわかったらしい。こちらへ来たノーゼンは子供に戻ってしまったアイゼアを見るなり、驚いたように目をしばたたかせ、門を開けて中へと招き入れてくれた。

「メリー様、お久しぶりでございます。あの……不躾で大変申し訳ございませんが、そちらの方は……」
「アイゼアさんです」
「あぁ! やはりアイゼア様なのですね。なぜこのようなお姿に……」

 ノーゼンが困惑するのも無理はない。事情をかい摘んで話し、なぜここへ来たのかを説明した。

「アイゼア様、私に何かできることがございましたら何なりとお申し付けくださいませ」
「なら答えて。ヒューゴさんとラランジャさんが死んだってのは本当?」

 思いがけない質問だったのか、ノーゼンは体を強張らせると気まずそうに目を伏せた。少しの沈黙の後、言いにくそうにしながら小さく口を開く。

「……えぇ、本当です。今から七年ほど前になりますが」
「何で死んだの?」
「お二人は騎士でしたからね。逆恨みされ襲撃を受けたと聞いております」

 アイゼアは無言のままほんの少しだけ俯く。養父母に対してはそれなりに心を開いていたのか、それとも助けられた恩から何か思うところがあるのかはわからないが、心を痛めていることだけは伝わってきた。

「あー! やっぱりメリーさんだ!」

 遠くからメリーの名前を呼ぶ子供の声がする。紛れもなくカストルとポルッカで、人懐っこい笑顔でパタパタとこちらへ駆け寄ってくる。

「メリーさん今日はどうしたの? ねぇ、その子誰? 兄様にそっくり!」
「コイツら写真の……」

 カストルとポルッカは興味深そうにアイゼアを眺めながらぐいぐいと近づき、それに気圧けおされたアイゼアが数歩後退あとずさる。

「本当……髪も目もお兄様と同じ色をしてるわ!」
「俺に近寄るなっ」
「あっ」

 髪に触れようとしたポルッカの手をアイゼアは鋭く払いのける。本来のアイゼアなら絶対にありえない行動に、ポルッカは申し訳なさそうに手を引っ込めた。

「ご、ごめんなさい。初対面の方に、わたくしとても失礼なことを……」
「兄様そっくりなのに性格は全然似てないね」

 他人に他人を重ね見るのはあまり良いことではないが、ここまで似ているとつい重ねてしまってもおかしくない。ましてや同一人物なのだから他人と他人というわけでもない。だがこのアイゼアといつものアイゼアはまるで別人と言っていいくらいに差異がある。カストルの感想は当然のものだった。

「ねぇ、あなたの名前は? 僕はカストル・ウィンスレット」
「わたくしはポルッカ・ウィンスレットだよ」
「ウィンスレット……」

 アイゼアはより一層険しい表情になり、二人を拒絶するように更に後退る。メリーがその背を支えると、ビクリと体を跳ねさせこちらを見た。

「もういいよ、十分。俺……ここにいたくない」
「アイゼアさん?」
「メリーさん、この子アイゼアって名前なの? お兄様と同じ名前だよ?」
「同じ名前も何もアイゼアさん本人ですよ。仕事中に魔法薬を浴びて全てが子供の頃に戻ってしまって。だから二人のことも覚えてないんですよ」
「えぇっ!? それ、兄様大丈夫なの? 怪我とかしてないよね?」

 心配したカストルはアイゼアに怪我がないか見ようと一気に詰め寄る。

「だから寄るなって……!」

 アイゼアは突然声を荒げ、カストルを思いきり突き飛ばす。蹌踉よろめいて転けそうになるカストルをノーゼンが慌てて支えた。

「さっきから何なんだよ、兄様兄様って……俺には弟も妹もいない! 俺の名前はアイゼア・ガーデニア。お前らとは姓も違う、赤の他人だっ!」

 言葉を言い切るや否やアイゼアは門から飛び出し、来た道を戻っていってしまう。メリーは使い魔を二匹呼び出し、その片方にアイゼアを追わせた。

「ガーデニアですか……」

 ガーデニアは梔子くちなしの別名でもある。養母が梔子を大切にしていたのはそのせいなのかたまたまなのかはわからないが、アイゼアが梔子そのものに特別思い入れを感じているのは納得できた。

「みなさんすみません、妙なことに巻き込んでしまって。あの、アイゼアさんのことは許してくれませんか。軽率に私が引き合わせたのも問題なので」
「あれが昔のお兄様ってことでしょ? お兄様から話は何となく聞いてたからわかってます。大丈夫です!」
「昔の兄様が見れて良かったかも。今の兄様がどれだけ努力して変わったのか、僕たちの父様と母様が兄様にしたこととか、今ならちゃんと理解できる気がする」

 アイゼアはカストルとポルッカには昔のことを話していたらしく、想像していたよりもすんなりと理解を示してくれていた。やはり両親や兄に頼れず二人で頑張っているだけあって目くじらを立てることもなく、年のわりに大人びている。

「メリー様、アイゼア様をよろしくおねがいします。あの頃のアイゼア様は──
「大丈夫です。きちんと元に戻るまで傍で見てますから。では、これで失礼します」

 メリーも来た道を戻り、すっかり小さくなっているアイゼアの背中を追いかけた。


 アイゼアに追いつき、互いに無言で帰路につく。三人に会ってから気落ちしているのはわかるが、何がそうさせているのかという決定的な理由までは推測できなかった。

「お前、俺に嘘ついてるよね」
「私が何の嘘をつく必要があるんですか?」

 アイゼアはこちらを見もせず、無表情で前を見つめながら呟く。全く心当たりがなく、こちらの言葉のどれを嘘だと受け取ったのかもわからない。

「ヒューゴさんとラランジャさんに雇われてるんだろ。二人は子供がいないから俺を養子にしたって言ってた。でも今はアイツらがいる。ノーゼンまで口裏合わせてさ、俺は用済みだから捨てたんでしょ。子供に戻ったとか馬鹿みたいな嘘はやめて、ホントのこと話せば?」

 アイゼアのこれまでの行動の理由がわかった。信じていた養父母の裏切りへの怒りと失望。居場所を双子に奪われた喪失感。旧姓を名乗ったのは、虚勢と彼なりの決別の意思表明だったのだ。

「こんなことのためにお前らをわざわざ金で雇ってご苦労様ーって感じ。出ていけって一言言えばタダで出てってやったのにさ。ほら、これで仕事も終わりでしょ。早く尻尾振ってご主人様にご褒美もらいに行けば?」
「残念ですが終わらないんですよねー。あなたを守ることが仕事みたいなもんなので」
「それ誰に頼まれたわけ? 何のため?」

 無条件の善意が怖いのかもしれない。ここまで猜疑心を拗らせていれば、善意なんてこの世にないと思いこんでいてもおかしくはなかった。

「私は自分のやりたいように好き勝手生きてるだけです。あなたを守りたいから守る、それだけです」
「俺は頼んでない」
「勝手にやってるってことは、誰にも頼まれてないし、あなたの意見に従うつもりもないってことです。ほら、強がってないで利用したらいいじゃないですか。うちにいれば屋根あり寝床ありの三食昼寝おやつ付きを保障しますよ?」
「……」

 アイゼアは突然ぱったりと反論をやめた。今の言葉の中に心に響くものがあったらしい。彼はかなり大食いなところがある。やはり三食昼寝おやつ付きあたりだろうか。

「さ、家に帰りましょうか」

 アイゼアは何も答えなかったが、メリーの横を大人しくついてきてくれていた。


 フィロメナから聞いた評判のケーキ屋でケーキを二つ買い、昼食もついでに調達してから自宅へと戻った。
 その間必要最低限の会話しかなく、昼食中も特に会話はなかった。アイゼアは相変わらず陰鬱とした表情でソファに座り、ブランケットにくるまって膝を抱えている。

「すみません。さすがにアイゼアさんのこと考えてなさすぎでしたね」

 養父母に捨てられたという勘違い……というより本人はそれが真相だと思っているに違いない。きっと酷く傷ついているはずだ。まさかそんな方向に転がるとは予測しておらず、フィロメナがあの場にいれば眉を釣り上げながら説教してきたことだろう。

「別に。証明してって言ったのは俺の方だし」
「あれ、庇ってくれるんですか?」
「何言ってんの? 事実を言っただけでしょ」

 何だかいつもの自分とアイゼアの立場が入れ替わったようなやり取りだ。それがどこかおかしくて思わず笑いが漏れる。アイゼアは意味がわからないとでも言いたげに、哀れみを込めた目でこちらを見ていた。

「急に笑いだして何? 気味悪……」
「そろそろケーキ食べません?」
「唐突だなぁ」

 メリーは返事を聞かず、勝手に紅茶の準備を始める。子供でも好みそうな癖のない茶葉を選び、沸かしたお湯を入れる。じっくりと葉が開くのを待ち、ティーカップへと注ぐ。柔らかく立ち昇る湯気と共に紅茶の香が部屋に広がった。

「ケーキはどちらが良いですか? 好きな方選んで良いですよ」

 ケーキ屋へ買いに行ったときにどれが良いか聞いたのだが、アイゼアは何でもいいと言って目を背け、選ばなかった。片方はいちごが乗った定番のショートケーキ、もう片方は生地の上に薄切りのりんごの甘露煮を花のように飾り付けたケーキで、どちらも一人分の大きさで円柱状の形をしている。

「ほら、そっぽ向いてないでこっち見てくださいって」

 声をかけると渋々といった様子でやっとこちらを向いた。ケーキの入った箱を差し出すとそれまでのじっとりとした暗い瞳から一転し、目を満月のように丸くしてキラキラと輝かせ始める。今までに見たことがないくらいわかりやすい反応に思わずこちらの顔が綻んだ。

このアイゼアさんはちょっと可愛いかもしれない。

 彼の養父母が甲斐甲斐しくアイゼアに接した理由が今は少しだけ理解できる気がした。あの強い態度で当たられ続けてからのこれはいくらなんでも反則だろう。母性本能をくすぐられない方が不思議なくらいだ。

「真っ白なケーキ……こっちのも綺麗。片方、俺が食べてもいいの?」
「……両方とも食べます?」

 その瞬間、ぶわわっと我慢しきれなかった笑みと期待感がアイゼアから溢れる。だが、ハッと何かに気づいたのか、ゆらゆらと揺らぐ瞳でこちらを推し量るように覗い始めた。

「言いたいことがあるならどうぞ」
「こ、このケーキの対価は」

 タダで受ける施しはやはり怖いらしい。仕方ないと思いつつ、アイゼアに一つ役目を与えることにした。

「じゃあ、後片付けお願いします。あなたの実家と違ってうちに使用人はいませんから」
「それだけ?」
「片付け面倒なんで十分ですけど」

 メリーは箱からケーキを皿へ移し、アイゼアの目の前に二つ置いた。アイゼアはゴクリと生唾を飲み込むと、フォークといちごのショートケーキを手に取る。

「そういえばこの白いやつ、絵本で見たやつだ……」

 ケーキそのものを珍しく感じているのか朝食や昼食のときのように即刻がっつくこともなく眺め、テーブルへ再度戻す。
 何かを思いついたのか、なぜかメリーの使う予定のないフォークまで手に取った。ショートケーキの真ん中に突き刺して器用に切り分け始め、りんごのケーキの隣に置く。その後りんごのケーキを半分にし、今度はいちごのショートケーキの隣に置いた。
 アイゼアの器用にこなす性質は生来のものらしく、ケーキはフォークだけとは思えないくらい綺麗に切られて形を保っている。そうして片方の皿をメリーへと差し出してきた。

「全部食べて良かったのにいいんですか?」
「絵本では切り分けてたけど、ケーキってこうやって食べるものじゃないの?」

 どうやらアイゼアはホールケーキのことを言っているらしい。円柱の形とはいえ一人分で作られたこのケーキは誰かと切り分けて食べるものではない。絵本では大きさも掴みづらいのか、その判別がついていないようだった。
 だがこういうのは気分の問題だ。もしかしたらケーキを一人占めするより、絵本のように切り分けて誰かと食べることの方に意味を見出している可能性もある。

「じゃあ私もいただきます」

 皿とフォークを受け取り、早速ショートケーキを一口口に運ぶ。アイゼアはまだ食べようとせず、静かにこちらを凝視していた。毒味でもさせているつもりなのだろうか。気にせず食べ続けていると、ようやくアイゼアもケーキを口に運ぶ。

「甘い……おいしい……」

 アイゼアがじんわりと噛みしめるように呟く。瞳は感動と喜びで潤み、口元が優しく弧を描いている。気に入ってもらえたようで何よりだ。
 そこからみるみるケーキがなくなっていく。この頃からアイゼアは食べるのが早い。以前その理由を聞いたとき『騎士はそんなもの』と誤魔化していたが、本当は生い立ちに起因するもので、今もそれが抜けないのを誤魔化したのだろう。

 幼い頃から頼る者もおらず一人で生き抜く、それが並大抵の苦労でないことくらい考えなくてもわかる。ここまで屈折していたアイゼアが今のアイゼアまで変わるには、様々な恐怖や葛藤、自身の心や価値観と向き合って乗り越えてきたのだろう。それは心が強くなければできないことだと、本人はきっと気づいていない。

 養父母の影響で潔癖になったアイゼアが自虐的になるだけの理由が、この子供の頃のアイゼアにはある。彼にとってこの頃のことは汚点になっている。どうかアイゼアが自分自身を許し、救われる日が来るよう、メリーは心の中で密かに願った。


第34話 あなたと私は意外と似ている  終
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