前章

 こちらを見下すような、馬鹿にしているような目をしながらアイゼアは綺麗に笑っていた。

「そんな下手な嘘が通用するわけないよね。お前は俺を助けてどうするの? 俺にそんな利用価値があると思えないんだけど」
「利用価値?」
「そうだよ。与えられればその分見返りを求められるなんて常識でしょ。そんなの子供の俺でも知ってるんだけど?」

 余裕ぶった表情に、諦観と挑発の入り混じった声色、鋭く冷え切った瞳。昔は南区の貧民街で一人で生きてきたとアイゼア自身が話していたことを思い出す。精神が退行しているのなら、これはきっとその頃のアイゼアなのだろう。

「嘘……この子本当にアイゼアなの? まるで別人じゃない」
「この様子では仕事には行けそうもないでしょうし、私が明日騎士団本部へ報告しておきます」

 普段と大きく変わってしまったアイゼアの様子に、フィロメナは大きく動揺していた。それに比べてエルヴェは落ち着いている。信じられないと目を見開いて凝視するフィロメナと冷静に為すべきことを整理するエルヴェは対照的な反応だった。

「で、助けたかわりに俺に何させるつもり? もったいつけなくていいから早く教えなよ」

 このアイゼアに手放しにこちらを信じろと言っても無駄だろう。何か納得させ安心させられないものかと思案する。だが特にしてほしいこともなく、対価を支払わせて落ちつかせるというのも難しい。信じられるものは自分だけという世界にいたのだろうが、人の善意を全く信じていない人というのはこんなにも面倒なのか。

 この状態のアイゼアをあの性格に矯正した彼の養父母は何と根気強く偉大なのか。アイゼア自身が尊敬し、目指すべき人物として背中を追っているだけのことはある。見たことすらない自分ですら敬意を払いたくなるくらいだ。

「今から言うことをよく聞いてくださいね。あなたにとってここは十五年後くらいの未来です。未来で私はあなたの友人なんです。だから助けるのは当然で、それだけの話です」
「ちょっとメリー、それ言っちゃっていいわけ?」
「大丈夫ですよ。本当に過去から来たわけでもないし、薬が抜けたら全部なかったことになりますよ、たぶん」
「たぶんってお前、それは適当すぎだろ……」

 フィロメナとスイウは子供のアイゼアに干渉し過ぎることを不安視しているようだが、別にこのアイゼアに何か影響を与えることでアイゼアの過去が変わったりするわけでもないだろう。

「何なんだよお前ら。全員揃って頭おかしいわけ?」
「魔法薬の中に『時戻しの妙薬』というものがあります。大人のあなたはそれを浴びて子供の、今のあなたに戻ってしまったんですよ」
「なら証拠があるんじゃないの? 嘘じゃないなら俺が大人だったって証明してよ」

 アイゼアの疑問はもっともだ。仮に自分が同じことを言われても、証拠を見せてほしいと言うだろう。だが何を見せたら納得してくれるだろうか。
 エルヴェは何かを思いついたのかアイゼアのコートを探り、一冊の手帳を取り出す。そこから小さな紙切れを抜いてアイゼアへ手渡した。

「ご覧になってください。大人の貴方です」

 それは以前アイゼアが見せてくれたカストルとポルッカと共に写っている写真だった。エルヴェの記憶力と機転に感謝しつつアイゼアの様子を伺う。

「髪も目の色も同じだけど、別人でしょ。隣のヤツら知らないし」
「そりゃそうだろ。未来のことなんざお前が知るわけがない」
「その子たちはあんたを引き取った両親の子供よ」
「引き取った? 両親?」
「生みの親ではなく、養父母ですね。名前は確か、ヒューゴさんとラランジャさん……だったような。あなたの元の姓は知りませんが、今はウィンスレット姓を名乗ってますよ」

 ウィンスレット家に長年仕えている執事であるノーゼンが養父母の名前を口にしていた。おそらく間違ってはいないはずだ。
 アイゼアは突然ハッとし、表情を変える。初めて見せた敵意や警戒心ではない類のものだったが、恐怖と困惑を混ぜたような何とも言えないものだった。

「何で、そこまで知ってるわけ?」
「何でも何も、大人のあなたとは友人ですから」

 どうやら養父母の存在は記憶にあるらしい。ということは養父母と出会って以降、性格が矯正される前なのだと推測する。

「だったら、未来の二人に会わせて。そうしたら信じてやるよ」
「それは無理です。亡くなってますので」
「え……」

 アイゼアは明らかに動揺し後退った。小さく震える手でワンピースのような長さになってしまっているインナーを握りしめている。

「馬鹿! あんた、どこまで包み隠さず喋る気よ! 元に戻ったら忘れるとしても、今のアイゼアは子供で……少しは考えてあげなさいよっ」
「でも、そこで濁せば信じてもらえないじゃないですか」

 フィロメナに肩を掴まれ、ガクガクと揺さぶられて視界が上下する。結局会わせられないという時点で証拠にも証明にもならない。ならば何か他にないか思案し、先程も思い浮かべたばかりの人物が頭をよぎった。

「ノーゼンさんは知ってますね?」
「……知ってる」
「彼になら会わせられます」
「わかった。ノーゼンに会えたら信じてやる」

 やっとこちらの話にある程度耳を傾けてくれるようになったようで、メリーは僅かにだが安堵した。

「なら、朝になったらすぐ行きますよ。アイゼアさんはさっさとシャワー浴びて寝てください。ベッドも貸しますから」
「シャワーは借りる……けどベッドはいらない。俺、別にそのへんでも寝れるから」
「遠慮しなくていいんですよっ」

 メリーはアイゼアの背を押し、浴室へと強制連行した。近くの棚からタオルと、自身の寝間着を引っ張り出す。背丈があまり変わらないため使えなくはないだろう。唯一申し訳ないのはさすがに下着までは準備してやれないことくらいだろうか。


 リビングへ戻り、改めてスイウとフィロメナの二人と顔を突き合わせる。エルヴェは自身と背丈が近いことから、未使用の下着を自宅まで取りに帰ってくれているらしい。気が利き、判断も早いエルヴェらしい行動だった。

「アイゼアのあの態度……やっぱり信じられないわ」
「アレが本性で、いつものが上っ面だけの良い顔だとは思わんのか」
「そ、そんなことないわよ。たぶん」

 メリーの見解としては、あのアイゼアもいつものアイゼアもどちらもアイゼアなのだと思っている。十年以上経てば何かしら変わる部分もあるわけで、いつものアイゼアをまるっきりの仮面だとは思わなかった。

「それにしても、何であそこまであたしたちのこと警戒したのかしら? 怖がらせるようなことした覚えないわよ」

 もっともな疑問であり、その答えをメリーは持っているが答えることはできない。アイゼアは元々自分の過去のことをほとんど話したがらなかった。舞踏会の日、初めて少しだけ踏み込んだ話をしてくれたが、話す気になった理由はわからない。精神的に参っていて弱気だったのか、絡まれて問題が起きたから責任を感じてのことだったのか。
 それでも一つ確かなことがある。弱みを見せるということは、それだけ心を許し、信用してくれているということだ。その信頼を裏切ることはできない。

 誰にでも知られたくないことの一つや二つはあって当然で、その一つであろうこの姿を見られただけでも本人としてはかなりつらいのではないかとメリーは思う。
 そもそも話さなくともフィロメナが持ち合わせている情報だけでも繋ぎ合わせれば十分推測はできるだろうが、彼女にはその想像ができるほど知識もなく、あまりにも世間を知らない。その点スイウの方はある程度察していそうではあるが。

「とりあえず俺は朝までは付き合う。お前がアイゼアに寝首をかかれたなんてことになれば寝覚めが悪いからな」
「あたしも今日は傍にいさせて、心配だし。何かあれば治癒術が役に立つかもしれないもの」
「二人ともありがとうございます。こう見えて妹の世話で子供には二人より慣れてます。過度の心配は無用ですよ」
「本当かしら……」
「アレを子供で括るのか……」

 突き刺さる二人視線を躱しながら、シャワーを浴びて出てきたアイゼアへと視線を向ける。近づいて警戒されても面倒なため、遠隔で魔術を使って濡れた髪を乾かした。

「下着だけは少し待っててください。エルヴェさんが持ってきてくれるみたいですから」
「……」

 アイゼアは乾いた髪を手で触りながら、無言で俯く。先程までの敵意は鳴りを潜めたが、思い詰めたように暗い。

「ねぇ、一つ教えてほしいんだけど」

 視線が合い、自分に問いかけているのだとわかる。僅かに微笑んで促すと、ふいっと視線が逸らされ眉間にシワが寄った。

「ヒューゴさんとラランジャさんが死んだのはどうして? 殺されたんじゃ、ないよね? 俺が……」

 アイゼアはそれ以上を言葉にする勇気がないのか、固く引き結ばれた唇が震えている。

「私の知る範囲では、殺されたのは合ってます。犯人が誰かは知りませんが、少なくともあなたではないです。断言します」
「……知らないなら、俺じゃないって言い切れないんじゃないの?」
「くくっ、そんなガタガタ震えた手で人殺すってか? 面白い、やってみたらいい。最後まで俺が見ててやる」
「スイウ、子供相手に何言ってんのよ!」

 スイウはケタケタと意地悪く笑い、怒ったフィロメナの拳を悠々と躱す。

「遅い。ナメクジですら見てから余裕で躱せる速度だな」
「うー! また馬鹿にしてーっ!!」
「子供みたいな喧嘩やめてくださいよ。仲裁しませんからね、面倒ですから」

 思わずため息が漏れ、早くエルヴェが帰ってこないかと思ったところで丁度都合良く戻ってきてくれた。全速力で行ってきてくれたのか通常ではありえないほどの早い帰りだ。エルヴェの手には下着ではなく、大きめのかばんが抱えられている。

「おかえりなさい、エルヴェさん」
「お待たせいたしました。アイゼア様、これをお使いください」

 エルヴェはかばんの中から一枚下着を取り出す。中には他にも下着の替えや私服が数着入っているらしい。こんなところまで気が利くのかと感動に震えそうになる。
 エルヴェの混じりけのない純粋な笑顔と手にした下着を交互に見つめた後ひったくるようにして奪い、アイゼアは浴室の方へと引っ込んだ。

「何よ。せっかくエルヴェが持ってきてくれたのに、お礼くらい言っても良いじゃない」
「私は気にしておりませんよ。今のアイゼア様は少し素直ではないだけです」

 唇を尖らせているフィロメナと、感心するほど大人の対応を見せるエルヴェはやはり対照的だった。


 寝室へ案内し、借りないと頑ななアイゼアを無理矢理ベッドへ押し込むと、何かあったときのためにこっそりと使い魔を部屋に設置した。とにかく朝を迎え、アイゼアの信頼をそれなりに築かなければ不便で仕方ない。いつ薬の効果が切れるのかわからないのだ。浴びた量を考慮し、ある程度の長期戦も覚悟する必要がある。
 ベッドはアイゼアへ提供してしまったため、メリーはリビングへと戻り、ソファで横になった。


第33話 あなたが笑みに隠してきたもの  終
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