前章
日も暮れ、人気のない静まり返った墓地に足を踏み入れる。迷いなく辿り着いた養父母の墓前の前で屈み、アイゼアは二輪の白いカーネーションを供えて祈りを捧げる。
祈りを終え、目を開ける。墓前に供えず、一輪だけ手元に残った黄緑のリシアンサスに抱く思いは複雑だった。
二の月、十四番の日。この日は世界的に感謝祭として祝日に制定されている。細かな文化は国によって違うが、家族や友人、恋人など、親しくしている相手や愛する相手へ感謝と共に贈り物をする日だ。
セントゥーロ王国では一輪のカーネーションを贈るという風習がそれにあたる。昔から広く親しまれて贈られているのが桃色のカーネーションで、色への意味が薄れてきている昨今でも一番選ばれている色だ。
他の色にも細やかな意味はあるのだが、その中でも特殊な位置づけなのが『橙色のカーネーション』だ。感謝祭において橙色のカーネーションは夫婦や恋人、そして片恋の相手に限定され、それを渡して告白する者もいる。それくらい橙色のカーネーションは今でも特別な意味を持っていた。
スピリア連合国でずっと暮らしてきたメリーは、おそらくそのことを知らない。事前にペシェにスピリアでの文化について聞き、セントゥーロとは違うことも確認している。メリーは橙色のカーネーションの意味に気づけない。だからこそやる意味があるのだ。
アイゼアは残業を早めに切り上げ、花屋でカーネーションを買ってメリーの家へと向かった。
東区の大通りを逸れ、メリーの家へと続く細い通りを歩いていると、正面から見覚えのある男性がこちらへ近づいてくる。
鳶色の短髪に夏空のような青い瞳。以前嵐のようにやって来た青年、トラヴィスだ。彼もまた仕事帰りにメリーの家へ寄ったのか、騎士団の制服に身を包んでおり、片手には黄緑色の花を持っている。
トラヴィスもこちらに気づき、視線が一瞬だけアイゼアの手に握られたカーネーションへと向く。
「貴方もメリーさんのところへ行くんですか?」
「そうだけど?」
「白と橙色、どちらのカーネーションをメリーさんへ?」
「橙色に決まってるよ。白は失礼すぎる」
「なら、橙色のカーネーションの意味は当然知っているんですね?」
「だったら何だい?」
好きとは明言せずにはぐらかしたが、トラヴィスはこちらがメリーを好きなのだと認識したらしい。僅かに細められた目には以前よりハッキリと敵意のようなものが見えた。
「メリーさんが好きってことですね。ですが貴方は霊族ではなく人間だと聞きました」
「そうだけど、人間だったら何か問題があるのかい?」
「あります。貴方とメリーさんは生きる時間の流れが全く違う。それは生きてる世界が違うようなものです。貴方では、メリーさんを幸せにすることはできない」
寿命と老化の早さの問題は何も今に始まったことではない。メリーへの恋心を貫く決意はしているが、それが実った先で直面するこの問題にハッキリと答えを出せているわけではなく反論できるだけの言葉を持ってはいなかった。
それでもペシェの言葉にかけている自分がいる。たとえ同じように時間を歩めなくとも、人間であるからこそできることもあるのではないか、と。
「僕も言わせてもらうけど、霊族はメリーの魔力の気配に本能的恐怖を抱くみたいだね。君は本当にメリーを好きなままでいられるのかな?」
「メリーさんの魔力は直に感じました。その上で俺はメリーさんを愛している。魔力の気配を恐れたりしない。メリーさんの全てを理解し、受け入れられるのは霊族である俺だけです。彼女の幸せを願うなら、貴方は身を引くべきではありませんか?」
トラヴィスは語気を強くして言い切る。本気で自身の想いや考えを信じ、全く疑っていないようだった。メリーにとっても、魔力のことも全てを理解して受け入れてくれる人と結ばれるのが幸せなのは間違いない。
だが、霊族でありメリーの親友と言っても過言ではないペシェが無理だと言い切ったのだ。そしてトラヴィスが本当にメリーを魔力ごと受け入れられる器なのか、アイゼアはまだ信用していない。言葉ほど簡単に取り繕えてしまうものは他にない。アイゼアはそれをよく知っている。
「どうして?」
「今言ったばかりでしょう。話を聞いていたんですか? メリーさんのことを考えるなら──
「メリーと親しくするのは僕の勝手だし、メリーも嫌がってない。君に指図される筋合いはないと思うけど?」
意味がわからないと肩を竦めてみせると、トラヴィスは眉間のシワを深くし、わかりやすく軽蔑の色を宿しながら目を細めた。
「こんなこと言いたくありませんでしたが、騎士団内で貴方の良くない話を何度も耳にしました。噂に違わない人を惑わすような態度……優しいフリをしてメリーさんを利用し、騙しているのではありませんか?」
聞こえは悪いが『騙している』と指摘されれば、それは違うとも言えるし嘘ではないとも言える。メリーに限った話ではなく、アイゼアは周囲にそれぞれ都合のいい仮面をつけて振る舞っている。作られた自分と隠された自分の境界が曖昧になり、本当の自分が何なのかを見失っていた。
今ではメリーの言葉のおかげで、それらも含めて自分なのだと思うようにしているが、それは違うと言う人も当然いるだろう。それを騙しているというなら否定はしないが、それでも少なくともメリーは騙してはいない。彼女は『良くない話』も『作られた仮面』のことも知っている。
「騙してるなんて心外だね。それにその噂、本当とは限らないと思うけど」
「嘘とも限らないでしょう」
「なら君の中ではそういうことにしておけばいいよ」
のらりくらりと微笑みを貼り付けて会話を続けていると、トラヴィスは余裕がないのかじりじりと苛立ちを募らせていく。
「否定しないということは噂は本当ということですね」
「人は自分に都合の良いものにしか耳を傾けないからね。端から信じる気のない君に何を言っても時間の無駄ってことだよ」
「そんなことはない。俺は悪意を持って貴方に接してるわけじゃないんです」
「そう? 何の噂を聞いたのか知らないけど、八割くらいは嘘だよ。残り二割は否定しないけど」
養父母の死や地位や財産を奪っただの、利用した人たちを売って階級を上げただのという話なら完全な嘘だ。だが南区出身で裏闘技場にいた人殺し、という話なら嘘ではない。紛れもない事実だ。
「嘘ではないことも混じっているんですね。やはり貴方のような人では気高いメリーさんとは釣り合わない」
「ねぇ、さっきから君はものすごく傲慢なことを言ってるって気づかないのかい?」
挑発するように嘲笑を浮かべ、わざとらしく首を傾げてみせると、トラヴィスはわかりやすく不快感を露わにし、こちらを睨む。
「傲慢? それはメリーさんの幸せを奪おうとしている貴方の方でしょう!」
「メリーの幸せ、ねぇ。それが何かわかるなら、僕にも教えてほしいくらいだよ」
アイゼアはアイゼアなりにメリーの幸せが何かを模索している。社会との繋がりを切れさせないようにしていることも、疎遠にならないように気にかけているのもその一環とも言える。それはアイゼアが勝手に思うメリーの幸せであって、メリー自身が心から望んでいるのかはわからない。
「君を選ぶのか、別の誰かを選ぶのか、誰も選ばないのか。そもそも何を持って幸せとするかは君が勝手に決めつけていいことじゃない。メリーが決めることだよね」
「……確かにそうです。ですが、これだけはハッキリと確信を持って言えます。貴方はメリーさんを幸せにはできない。一人で先に死んでいく無責任な貴方では」
トラヴィスは真剣にまっすぐにアイゼアを見据える。こちらへの敵意だけでなく、メリーのことを心配しているということもまた、事実として伝わってくる。
「君って本当に勝手だよね。思い込みで敵視されて僕は迷惑だよ」
一言だってメリーを好きだと明かしていないというのに、決めつけられて貶された。気持ちはわからんでもないが、思い込みが激しく冷静さに欠けるとしか言いようがない。
「俺が、メリーさんを貴方から守ってみせます」
去り際にそう言い残し、横をすり抜けていく。アイゼアはその背中を一瞥することなく、メリーの元へと向かった。
メリーの家に着き呼び鈴を鳴らすと、すぐに玄関の扉が開く。薄紅色の髪がふわりと揺れ、こちらと目が合うと同時にぱっと笑顔が華やいだ。
「こんばんは、アイゼアさん。良ければ上がっていってください」
「ごめん。今日はまだこれから寄るところがあるんだよね」
もう日も暮れてしまっており、今からお邪魔するのも忍びない。手に持っていた二輪の白いカーネーションをメリーに見せ、アイゼアは口を開いた。
「セントゥーロで白いカーネーションは亡くなった人への愛情を意味してるんだよ」
「感謝祭の花ですね。それはご両親へですか?」
「そう。メリーにはこっち、日頃の感謝を込めて。どうしても今日渡したくて来たんだよ」
「私にまでありがとうございます」
橙色のカーネーションを差し出すと、特別驚いた様子もなく嬉しそうに受け取る。やはり花の持つ意味を知らないのだろう。トラヴィスが花の色が持つ意味をメリーへ話していないのは少し意外だったが。
アイゼアは橙色のカーネーションを利用し『思わせぶりな行動』として感じられるようにあくまで感謝の気持ちとして渡した。
意味を知ったときに意識させることが狙いで、意味と態度の差異で困惑させることができるという算段だ。もちろん意味を知られないままでもそれはそれで構わない。時間差で自ら教えるか、ペシェに頼むことで明かすこともできる。
意味を知られたらさすがにわかってしまうと思うのが普通だが、メリーには半端な『思わせぶり』では本当に通用しなかった。これまで何度かメリーの元を訪ねた際にも、情報収集を兼ねてそれとなく恋愛の話を振って意識させようと試みたり、いつもより少し距離を詰めてみたりもしたが全くダメだった。もっとわかりやすく露骨にやらなければ動揺は誘えない、一か八か賭けて開き直ることにしたのだ。
メリーは中へ引っ込むと、一輪の黄緑色の花をアイゼアへ差し出す。
「セントゥーロではカーネーションみたいですが、スピリアではリシアンサスを贈り合うんですよ」
「そうだったんだ。これは僕がもらっていいのかい?」
「アイゼアさんのために用意したものですから」
『アイゼアさんのために』という耳触りの良い言葉に勘違いしそうになるが、これはあくまでも友人としての親愛の情にすぎない。
スピリアではリシアンサスを贈り合う文化だということはペシェからすでに聞き及んでいる。黄緑は友人や家族へ、白は夫婦や恋人へ、そして青のリシアンサスを片恋の相手へ贈るらしい。
抱く想いの違いにほんのりと切なさを噛みしめながら、アイゼアは黄緑色のリシアンサスを受け取った。
友人としての親愛の証である黄緑のリシアンサスはある意味目に見える形で一線引かれたようでもあった。
「僕が先に一人で死ぬ、か。改めて言葉でハッキリ言われると結構キツいなぁ」
人間と霊族。寿命、老化速度、魔力の有無、見た目だけは何の差もないというのに中身はこんなにも大きく違う。霊族にしかわからないことがあるように、人間にしかわからないこともある。それを真の意味で理解することはお互いに不可能だということもわかっている。
セントゥーロでは異種族間での婚姻は決して忌避されたり、差別を受けるようなことはない。よくあることではないが、珍しいことでもなかった。
それは自身の養父母にも当てはまる。人間の養父に対し、養母は炎霊族だった。生まれた二人も双子にも関わらず、カストルは人間、ポルッカは炎霊族だ。
養父は先に老いて死ぬことをどう思っていたのだろうか。養母は置いていかれることをどう思っていたのだろうか。多くの違いを越えてでも結ばれた決定打は何だったのか。
生まれてきた二人は今でこそ年齢通りの見た目だが、やがてポルッカの成長が緩やかになり、少しずつ差が開いていくだろう。平均寿命通りなら、カストルはポルッカより五十年も早く亡くなることになる。自身の子らがそんな切ない宿命を背負うことも二人は覚悟していたのだろうか。
更に言ってしまえば、カストルは養母より先に寿命を迎える。養母は自身の息子の死までもを見送らねばならなかったはずだ。ということはもし二人の間に人間の子供しか生まれなければ、養母は伴侶にも子にも置いていかれる。それを不幸と呼ぶのなら、トラヴィスの言う不幸は一度で終わるものではなく、根深くて残酷だ。
自分とメリーが逆であれば良かった。置いていかれても構わないから傍にいてほしいと言えたのに。その逆はあまりにも理不尽で身勝手で、トラヴィスの怒りも理解はできる。
「生きててくれたら、聞きたいこといろいろあったんだけどね……」
別に異種族間での恋愛に関したことだけではない。もっといろんな話をして、聞きたいことも教えてほしいこともたくさんあった。今も生きていたら、二人に悩みを打ち明けて相談したかもしれない。
頼られると毎回大げさに感激して喜んでいたことを思えば、きっと快く話を聞いてくれただろうことは想像に難くなかった。今の年齢ならお酒を酌み交わしながら、なんてこともあったかもしれない。
そんな想像をすると、幾重にも折り重なった現実の無情さに泣きたい気分になるだけなのでやめた。元より自分には頼れる相手などいなかったのだ。甘ったれるな、と弱気な心に鞭を打つ。
「父様、母様。僕なりに考えて、答えを出してみせるよ」
できないことばかりを数えて嘆いても何の意味もない。自分の立場で何ができるのか、自分の力でどうやったらメリーを幸せにできるのか、それを見出さなくては。
メリーに想いを告げるということは、きっとそれだけの覚悟を持たなければならないということだろう。
第31話 僕が君にできること 終
祈りを終え、目を開ける。墓前に供えず、一輪だけ手元に残った黄緑のリシアンサスに抱く思いは複雑だった。
二の月、十四番の日。この日は世界的に感謝祭として祝日に制定されている。細かな文化は国によって違うが、家族や友人、恋人など、親しくしている相手や愛する相手へ感謝と共に贈り物をする日だ。
セントゥーロ王国では一輪のカーネーションを贈るという風習がそれにあたる。昔から広く親しまれて贈られているのが桃色のカーネーションで、色への意味が薄れてきている昨今でも一番選ばれている色だ。
他の色にも細やかな意味はあるのだが、その中でも特殊な位置づけなのが『橙色のカーネーション』だ。感謝祭において橙色のカーネーションは夫婦や恋人、そして片恋の相手に限定され、それを渡して告白する者もいる。それくらい橙色のカーネーションは今でも特別な意味を持っていた。
スピリア連合国でずっと暮らしてきたメリーは、おそらくそのことを知らない。事前にペシェにスピリアでの文化について聞き、セントゥーロとは違うことも確認している。メリーは橙色のカーネーションの意味に気づけない。だからこそやる意味があるのだ。
アイゼアは残業を早めに切り上げ、花屋でカーネーションを買ってメリーの家へと向かった。
東区の大通りを逸れ、メリーの家へと続く細い通りを歩いていると、正面から見覚えのある男性がこちらへ近づいてくる。
鳶色の短髪に夏空のような青い瞳。以前嵐のようにやって来た青年、トラヴィスだ。彼もまた仕事帰りにメリーの家へ寄ったのか、騎士団の制服に身を包んでおり、片手には黄緑色の花を持っている。
トラヴィスもこちらに気づき、視線が一瞬だけアイゼアの手に握られたカーネーションへと向く。
「貴方もメリーさんのところへ行くんですか?」
「そうだけど?」
「白と橙色、どちらのカーネーションをメリーさんへ?」
「橙色に決まってるよ。白は失礼すぎる」
「なら、橙色のカーネーションの意味は当然知っているんですね?」
「だったら何だい?」
好きとは明言せずにはぐらかしたが、トラヴィスはこちらがメリーを好きなのだと認識したらしい。僅かに細められた目には以前よりハッキリと敵意のようなものが見えた。
「メリーさんが好きってことですね。ですが貴方は霊族ではなく人間だと聞きました」
「そうだけど、人間だったら何か問題があるのかい?」
「あります。貴方とメリーさんは生きる時間の流れが全く違う。それは生きてる世界が違うようなものです。貴方では、メリーさんを幸せにすることはできない」
寿命と老化の早さの問題は何も今に始まったことではない。メリーへの恋心を貫く決意はしているが、それが実った先で直面するこの問題にハッキリと答えを出せているわけではなく反論できるだけの言葉を持ってはいなかった。
それでもペシェの言葉にかけている自分がいる。たとえ同じように時間を歩めなくとも、人間であるからこそできることもあるのではないか、と。
「僕も言わせてもらうけど、霊族はメリーの魔力の気配に本能的恐怖を抱くみたいだね。君は本当にメリーを好きなままでいられるのかな?」
「メリーさんの魔力は直に感じました。その上で俺はメリーさんを愛している。魔力の気配を恐れたりしない。メリーさんの全てを理解し、受け入れられるのは霊族である俺だけです。彼女の幸せを願うなら、貴方は身を引くべきではありませんか?」
トラヴィスは語気を強くして言い切る。本気で自身の想いや考えを信じ、全く疑っていないようだった。メリーにとっても、魔力のことも全てを理解して受け入れてくれる人と結ばれるのが幸せなのは間違いない。
だが、霊族でありメリーの親友と言っても過言ではないペシェが無理だと言い切ったのだ。そしてトラヴィスが本当にメリーを魔力ごと受け入れられる器なのか、アイゼアはまだ信用していない。言葉ほど簡単に取り繕えてしまうものは他にない。アイゼアはそれをよく知っている。
「どうして?」
「今言ったばかりでしょう。話を聞いていたんですか? メリーさんのことを考えるなら──
「メリーと親しくするのは僕の勝手だし、メリーも嫌がってない。君に指図される筋合いはないと思うけど?」
意味がわからないと肩を竦めてみせると、トラヴィスは眉間のシワを深くし、わかりやすく軽蔑の色を宿しながら目を細めた。
「こんなこと言いたくありませんでしたが、騎士団内で貴方の良くない話を何度も耳にしました。噂に違わない人を惑わすような態度……優しいフリをしてメリーさんを利用し、騙しているのではありませんか?」
聞こえは悪いが『騙している』と指摘されれば、それは違うとも言えるし嘘ではないとも言える。メリーに限った話ではなく、アイゼアは周囲にそれぞれ都合のいい仮面をつけて振る舞っている。作られた自分と隠された自分の境界が曖昧になり、本当の自分が何なのかを見失っていた。
今ではメリーの言葉のおかげで、それらも含めて自分なのだと思うようにしているが、それは違うと言う人も当然いるだろう。それを騙しているというなら否定はしないが、それでも少なくともメリーは騙してはいない。彼女は『良くない話』も『作られた仮面』のことも知っている。
「騙してるなんて心外だね。それにその噂、本当とは限らないと思うけど」
「嘘とも限らないでしょう」
「なら君の中ではそういうことにしておけばいいよ」
のらりくらりと微笑みを貼り付けて会話を続けていると、トラヴィスは余裕がないのかじりじりと苛立ちを募らせていく。
「否定しないということは噂は本当ということですね」
「人は自分に都合の良いものにしか耳を傾けないからね。端から信じる気のない君に何を言っても時間の無駄ってことだよ」
「そんなことはない。俺は悪意を持って貴方に接してるわけじゃないんです」
「そう? 何の噂を聞いたのか知らないけど、八割くらいは嘘だよ。残り二割は否定しないけど」
養父母の死や地位や財産を奪っただの、利用した人たちを売って階級を上げただのという話なら完全な嘘だ。だが南区出身で裏闘技場にいた人殺し、という話なら嘘ではない。紛れもない事実だ。
「嘘ではないことも混じっているんですね。やはり貴方のような人では気高いメリーさんとは釣り合わない」
「ねぇ、さっきから君はものすごく傲慢なことを言ってるって気づかないのかい?」
挑発するように嘲笑を浮かべ、わざとらしく首を傾げてみせると、トラヴィスはわかりやすく不快感を露わにし、こちらを睨む。
「傲慢? それはメリーさんの幸せを奪おうとしている貴方の方でしょう!」
「メリーの幸せ、ねぇ。それが何かわかるなら、僕にも教えてほしいくらいだよ」
アイゼアはアイゼアなりにメリーの幸せが何かを模索している。社会との繋がりを切れさせないようにしていることも、疎遠にならないように気にかけているのもその一環とも言える。それはアイゼアが勝手に思うメリーの幸せであって、メリー自身が心から望んでいるのかはわからない。
「君を選ぶのか、別の誰かを選ぶのか、誰も選ばないのか。そもそも何を持って幸せとするかは君が勝手に決めつけていいことじゃない。メリーが決めることだよね」
「……確かにそうです。ですが、これだけはハッキリと確信を持って言えます。貴方はメリーさんを幸せにはできない。一人で先に死んでいく無責任な貴方では」
トラヴィスは真剣にまっすぐにアイゼアを見据える。こちらへの敵意だけでなく、メリーのことを心配しているということもまた、事実として伝わってくる。
「君って本当に勝手だよね。思い込みで敵視されて僕は迷惑だよ」
一言だってメリーを好きだと明かしていないというのに、決めつけられて貶された。気持ちはわからんでもないが、思い込みが激しく冷静さに欠けるとしか言いようがない。
「俺が、メリーさんを貴方から守ってみせます」
去り際にそう言い残し、横をすり抜けていく。アイゼアはその背中を一瞥することなく、メリーの元へと向かった。
メリーの家に着き呼び鈴を鳴らすと、すぐに玄関の扉が開く。薄紅色の髪がふわりと揺れ、こちらと目が合うと同時にぱっと笑顔が華やいだ。
「こんばんは、アイゼアさん。良ければ上がっていってください」
「ごめん。今日はまだこれから寄るところがあるんだよね」
もう日も暮れてしまっており、今からお邪魔するのも忍びない。手に持っていた二輪の白いカーネーションをメリーに見せ、アイゼアは口を開いた。
「セントゥーロで白いカーネーションは亡くなった人への愛情を意味してるんだよ」
「感謝祭の花ですね。それはご両親へですか?」
「そう。メリーにはこっち、日頃の感謝を込めて。どうしても今日渡したくて来たんだよ」
「私にまでありがとうございます」
橙色のカーネーションを差し出すと、特別驚いた様子もなく嬉しそうに受け取る。やはり花の持つ意味を知らないのだろう。トラヴィスが花の色が持つ意味をメリーへ話していないのは少し意外だったが。
アイゼアは橙色のカーネーションを利用し『思わせぶりな行動』として感じられるようにあくまで感謝の気持ちとして渡した。
意味を知ったときに意識させることが狙いで、意味と態度の差異で困惑させることができるという算段だ。もちろん意味を知られないままでもそれはそれで構わない。時間差で自ら教えるか、ペシェに頼むことで明かすこともできる。
意味を知られたらさすがにわかってしまうと思うのが普通だが、メリーには半端な『思わせぶり』では本当に通用しなかった。これまで何度かメリーの元を訪ねた際にも、情報収集を兼ねてそれとなく恋愛の話を振って意識させようと試みたり、いつもより少し距離を詰めてみたりもしたが全くダメだった。もっとわかりやすく露骨にやらなければ動揺は誘えない、一か八か賭けて開き直ることにしたのだ。
メリーは中へ引っ込むと、一輪の黄緑色の花をアイゼアへ差し出す。
「セントゥーロではカーネーションみたいですが、スピリアではリシアンサスを贈り合うんですよ」
「そうだったんだ。これは僕がもらっていいのかい?」
「アイゼアさんのために用意したものですから」
『アイゼアさんのために』という耳触りの良い言葉に勘違いしそうになるが、これはあくまでも友人としての親愛の情にすぎない。
スピリアではリシアンサスを贈り合う文化だということはペシェからすでに聞き及んでいる。黄緑は友人や家族へ、白は夫婦や恋人へ、そして青のリシアンサスを片恋の相手へ贈るらしい。
抱く想いの違いにほんのりと切なさを噛みしめながら、アイゼアは黄緑色のリシアンサスを受け取った。
友人としての親愛の証である黄緑のリシアンサスはある意味目に見える形で一線引かれたようでもあった。
「僕が先に一人で死ぬ、か。改めて言葉でハッキリ言われると結構キツいなぁ」
人間と霊族。寿命、老化速度、魔力の有無、見た目だけは何の差もないというのに中身はこんなにも大きく違う。霊族にしかわからないことがあるように、人間にしかわからないこともある。それを真の意味で理解することはお互いに不可能だということもわかっている。
セントゥーロでは異種族間での婚姻は決して忌避されたり、差別を受けるようなことはない。よくあることではないが、珍しいことでもなかった。
それは自身の養父母にも当てはまる。人間の養父に対し、養母は炎霊族だった。生まれた二人も双子にも関わらず、カストルは人間、ポルッカは炎霊族だ。
養父は先に老いて死ぬことをどう思っていたのだろうか。養母は置いていかれることをどう思っていたのだろうか。多くの違いを越えてでも結ばれた決定打は何だったのか。
生まれてきた二人は今でこそ年齢通りの見た目だが、やがてポルッカの成長が緩やかになり、少しずつ差が開いていくだろう。平均寿命通りなら、カストルはポルッカより五十年も早く亡くなることになる。自身の子らがそんな切ない宿命を背負うことも二人は覚悟していたのだろうか。
更に言ってしまえば、カストルは養母より先に寿命を迎える。養母は自身の息子の死までもを見送らねばならなかったはずだ。ということはもし二人の間に人間の子供しか生まれなければ、養母は伴侶にも子にも置いていかれる。それを不幸と呼ぶのなら、トラヴィスの言う不幸は一度で終わるものではなく、根深くて残酷だ。
自分とメリーが逆であれば良かった。置いていかれても構わないから傍にいてほしいと言えたのに。その逆はあまりにも理不尽で身勝手で、トラヴィスの怒りも理解はできる。
「生きててくれたら、聞きたいこといろいろあったんだけどね……」
別に異種族間での恋愛に関したことだけではない。もっといろんな話をして、聞きたいことも教えてほしいこともたくさんあった。今も生きていたら、二人に悩みを打ち明けて相談したかもしれない。
頼られると毎回大げさに感激して喜んでいたことを思えば、きっと快く話を聞いてくれただろうことは想像に難くなかった。今の年齢ならお酒を酌み交わしながら、なんてこともあったかもしれない。
そんな想像をすると、幾重にも折り重なった現実の無情さに泣きたい気分になるだけなのでやめた。元より自分には頼れる相手などいなかったのだ。甘ったれるな、と弱気な心に鞭を打つ。
「父様、母様。僕なりに考えて、答えを出してみせるよ」
できないことばかりを数えて嘆いても何の意味もない。自分の立場で何ができるのか、自分の力でどうやったらメリーを幸せにできるのか、それを見出さなくては。
メリーに想いを告げるということは、きっとそれだけの覚悟を持たなければならないということだろう。
第31話 僕が君にできること 終