前章

 夕方まで魔術の基礎をみっちりと叩き込まれたあと五人で夕食を食べ、解散となった。

「メリー、家まで送るよ」
「待って。それなら俺がメリーさんを送ります」

 先手を打ったつもりだが、トラヴィスは図々しく名乗りを上げてくる。トラヴィスはメリーに許可をもらい、『メレディスさん』から『メリーさん』へと着々と距離を縮めていた。

 アイゼアとしてはとにかくここで二人きりにしたくないという気持ちが勝る。メリーに好意を抱くこの信用ならない青年など、それこそ送り狼になりかねないなどと自分の恋心を完全に棚に上げて警戒する。

「僕が先に言ったことだし、トラヴィスは先に帰って大丈夫だから」
「いいえ、メリーさんを愛するからこそここは俺が」

 もだもだと言い合いが始まりかけたところで、メリーはみるみるうちに不機嫌になっていく。

「ここは家から近いですし、一人で帰れます。子供じゃないんですから」
「そんな……子供ではなくとも貴女は女性なんですから。夜道を一人でなんて歩かせられないです」
「どうぞご心配なく。私、あなたより強いので」

 メリーは相変わらずの塩対応っぷりを発揮し、さっさと一人で帰ってしまった。その対応に僅かに安心してしまう自分の浅ましさが本当に嫌いだ。メリーに好意を持ち、親しい人が増えることは本来喜ばしいことであるはずなのに。

「あはは! 『私、あなたより強いので』か。これは反論の余地がないわ。諦めな、青年っ」

 ペシェはバシッと力強くトラヴィスの腰のあたりを叩く。トラヴィスはがっくりと肩を落とし未練がましくメリーが去っていった方向を見つめていた。

「あの、メリーさんってどのくらい強いんですか? 俺、メリーさんを守れるくらい強くなりたいです!」
「はー? メリーが教官についたんならあの子の魔力、じかに感じたんじゃないの?」
「いえ、実演はほとんどなくて、簡単な魔術を手本で見せてくれた感じです」

 トラヴィスはなんてことない様子で演習のことを話しているが、ペシェの表情が一瞬にして曇る。それをフィロメナは不思議そうにしながら覗き込んでいた。

「ペシェ、どうしたの? 急にそんな顔するなんて珍しいわね」
「……トラヴィスくん、『黄昏の月』って知ってる? 演習でもメリーの魔力を少し不気味に感じたりはしなかった?」
「えぇ、メリーさんが演習に入る前の講習で詳しく説明してくれました。確かに少しゾクッとするようなものはありました。それが『黄昏の月』の気配なんですよね? むしろスピリアの一流魔術士の気迫って感じでしたけど」

 トラヴィスの反応はペシェには好ましいものではないらしく、ますます表情が険しくなっていく。焦りと怒りのようなものが混じり、いつもあっけらかんとしているペシェからは想像がつかないものだった。

「……メリーはね、スピリアの族長家の霊族に比肩する魔力を持ってる。つまりそれは、世界的に見ても上から指折りの魔術士ってことよ」
「指折りの……そんな凄い方だったんですね。ますます惚れ込んでしまいそうです」
「惚れ込むって……あの子の実力のエグさ、アンタわかってないでしょ。魔術では絶っ対にアンタは勝てないし、半端な武術でも勝てない。何度か手合わせしたことあるけど、非力なわりに杖術そこそこ強いからね」
「あれだけ魔術も使えて、杖術まで……素敵だ! 俺はあの恐ろしくも洗練された魔力も愛します!」
「だーもー! ダメだこりゃ……ったく、魔力ごととかクソ簡単に言ってくれるわねーっ」

 トラヴィスはうっとりと目を細めて意識がメリーへと持っていかれてしまっている。それを見たペシェは深いため息をつき、前髪をわしゃわしゃと掻き毟っていた。恋は盲目というが、まさにその状態と言って間違いない。
 そんな浮かれ気味のトラヴィスを連れ、フィロメナを家に送るために帰路についた。


 トラヴィスと途中で別れ、フィロメナを家まで送り届ける。ペシェと二人になった帰路で、互いにどちらからともなく視線が合った。

「ねーアンタ、トラヴィスくんのことどう思う? まーさか、身を引こうとか考えてないでしょうねぇ?」
「まさか。悪いけど、今のところそんな気ないかな。トラヴィスについては……油断ならないね。とりあえずメリー自身がまだ警戒してるのが救いかな」

 メリーの猜疑心さいぎしんに満ちた目、塩対応、鋭い言葉。初めて会ったばかりの頃を思い出し、懐かしくなる。あの頃を思えば、メリーと自分は随分と親しくなれたものだと思わず小さく笑いが漏れた。

「暢気ねー、笑ってる場合? にしてもあの浮かれた青年、本当に魔力のことわかってるんかねー」

 ペシェは霊族だからこそ、メリーの魔力が持つ不気味さを感じ取ることができる。だがアイゼアは人間なせいでそれがどういう感覚なのかをどうやっても理解することができない。それが良いことなのか悪いことなのか、それすらも判断がつかなかった。

「魔力も愛す、ってさ……アタシはずっと友達続けたいけど、あの魔力の気配だけは好きになってやれそうもないわ。メリーには悪いし、口が裂けても言えないけど。でも、あの魔力込みでもメリーのことはやっぱり好きなのよねー……」
「それって、トラヴィスの言ってることと同じじゃない?」

 アイゼアの問いかけにペシェは首を横に振って強く否定する。少し咎めるような視線は「まるでわかってない」と言いたげだった。

「アタシはね、魔力への苦手意識があってもメリーが好きだから友達なの。魔力だけ見たら好きじゃない。でもアイツは“魔力も”愛するって言ってたでしょ。それって苦手意識をひっくるめてメリーを愛するってことじゃなくて、魔力自体も好きになるってことよ?」
「説明されると確かに全然違うね」
「でしょ?」

 アイゼアの脳裏に、ふとサヴァランの姿がよぎる。彼は無神経で図々しいが、それ以上に気さくで前向きという良いところもある。サヴァランのそういうところに助けられたことは何度もあった。だがサヴァランがただ無神経なだけだったらそれは嫌なヤツでしかなく、好きにはなれそうにない。それに近い感覚なのかもしれない。

「正直言うと霊族には無理だってアタシは思ってる。霊族は本能的に忌避するし、人間は感知できない。誰もメリーの魔力を理解できないってこと。同じように理解できないなら、最初から何も知らずに愛してあげられる人間の方がいいって思わない?」
「……どうかな。それはメリーの価値観次第だと思うけど」

 魔力のことも感知できず手放しに愛せるのが人間なら、同じ時間を生きて最後まで共に歩めるのが霊族だ。気づかないだけの人間より、気づいてて尚かつそれを乗り越えて愛してくれる霊族の方が愛情の深さをわかりやすく証明できるのかもしれない。様々な可能性の中のどれが最良かなど、簡単に答えの出せるものではなく、その答えもメリーの中にしかない。

「手本で見せたのは簡単な低級魔術だけ、か」
「弱い魔術だと、黄昏の月の気配も薄くしか乗らないってことで合ってる?」
「惜しい。弱い魔術じゃなくて弱い魔力、ね。要復習よ、アイゼアくん。にしても、メリーも怯えさせるってことは理解してるんだろうし、トラヴィスくんや霊族の騎士にあんまり魔術を見せたくなかったんかねー。無意識か意識してかは知んないけど」

 ペシェの言葉に、ふと昼間の勉強会でのメリーの様子を思い出す。

「僕は意識してると思う」
「え、何でわかるの?」
「昼間、トラヴィスの言葉を机を叩いて遮ってたよね。いつものメリーならたぶん杖か火球を脅しに使うはず。だから魔力をトラヴィスの前で使いたくなかったか、そういう使い方をしてるって見せたくなかったのかなってね」
「あー……言われてみれば確かに。アンタよく見てるわねー」
「それはどうも。メリーの判断は賢明だと僕は思うよ」

 メリーは魔力を使うことに躊躇ためらいがないと思っていたが、意外と冷静に判断しているのだとわかる。騎士団の霊族たちを恐怖のどん底に陥れたともなれば噂は一気に広がる。それもただでさえ彼女の名前は世界中に知れ渡っており、その噂の中にはストーベルの血縁であることや人体実験を受けた魔術士という耳触りの良くない話も含まれている。

 一度恐怖の対象と見なされればメリーが普通の生活を送ることはそれこそ困難になる。国外追放か、国の管理下に置くか、出方次第では平穏を脅かす存在として討伐部隊が組まれることになる。アイゼアはメリーを熟知する者として真っ先に討伐部隊の編成に組み込まれるだろう。もし騎士団を裏切ってメリーにつくと言っても、彼女が信じてくれるかどうかもわからない。
 騎士の道、友人の道、どちらを選んでもその先には最悪の結末しか待っていない気がした。

「あの魔力の怖さが広まればスピリアの二の舞……より最悪なことになるわね。正直、臨時教官の仕事を受けたのはまずかったかもって思うわ」
「でも、閉じこもってても世界は広がらないからね」
「確かにそうなんだけどさー……」

 ふぅ、と白い息を吐きながらペシェは天を仰ぐ。

「ま、そんな小難しいことはいいや。アタシたちが考えても何か変わるわけじゃないし。それより、どうやってメリーの気を引くかよ。今はトラヴィスくんが先手取ってるわけだから」

 ペシェに指摘された通り、今のアイゼアは後手に回っている。メリーはあまり色恋に頓着しない性格だ。親しい友人としか見られていないアイゼアと、親しくないが好意を寄せている男性として見られているトラヴィスとでは、恋愛方面では出遅れているとしか言いようがない。

「脈もないのにいきなり告白するのはさすがになぁ……」
「トラヴィスくんと同じ攻め方してどうすんのよ。信頼は上なんだからもっと別の方向性であるでしょー? アンタその顔で恋愛下手くそか」
「はは、面目ない。追う恋愛は初めてでね」
「自慢か? これだからモテる男は大っ嫌いなんだよ」

 チッという舌打ちが聞こえ、あまりの態度の悪さに笑いが漏れた。
 恋愛下手と言われればきっとそうなのだろう。告白は全て断り、唯一付き合った経験も甘い恋人同士のそれとは程遠く、ほぼ受け身で淡白な関係だった。

「はぁ……まぁいいや。アタシ的にはほんのりと匂わせてさり気なく主張してくのをオススメするわ。好きかもしれないけどハッキリと断言できないって思わせるような曖昧な行動でメリーを揺さぶって気を引くのよ。恋は駆け引きなんだからさ」
「駆け引き、か。なるほど……」

 そう考えれば意外と得意分野なのだろうか。恋愛感情の機微を熟知しているわけではないが、要はメリーを勘違いさせればいいということだろう。

 一気に気づかれれば今日のトラヴィスのように若干引いたような反応をされるかもしれないが、曖昧にしておけば見極めようとするときに意識してこちらを見る。そこで更にどっちとも取れる行動を重ねていけば、メリーはますます混乱し深みに嵌まっていく。
 その頃には『こんなに意識してるなんて、いつの間にか好きになってたのかも』という勘違いを生み出す。そこから踏み込んで好意を示していくことで現実味を持たせていけば、本当の恋心へ変化して……くれれば良いのだが。

 思い描いた通りになれば良いが、そう上手くいかないのが現実で、何より『思わせぶりな行動』の塩梅が難しい。メリーの無頓着ぶりから考えれば多少大胆にいかなければ気づきもされないだろうが、踏み込みすぎて失敗すればそこで終わる。

 トラヴィスは今日一日でほぼ初対面から一気に距離を縮めてきており、純朴そうに見えて意外と口が上手い。悠長に構えている余裕がないことだけは明白だ。
 だからといってトラヴィスの存在に乱され、こちらが動揺していては相手の思うつぼだ。踏み込んだ関係になるためには、いつまでも友人として振る舞っているわけにもいかない。トラヴィスに出し抜かれる前に何とか手を打たないと手遅れになる。
 どうか自分の行動がメリーを傷つけることのないようにと、アイゼアは祈るような思いで空に瞬く星を見上げた。


第30話 彼は君にとって希望となり得るか  終
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