前章

「メレディス教官! 初めて貴女にお会いしたとき、一目惚れしてしまいました。どうか俺と付き合ってくださいっ!」

その青年はまるで嵐のようにやって来た。

 さかのぼること約二週間ほど前、メリーの元に、騎士団から単独での依頼が舞い込んだ。

『一週間の間、騎士団の魔術士隊で臨時教官として魔術の指導をしてほしい』

 というものだった。メリーは最初断固拒否し、カーラントに必死で押しつけようとしていたらしい。だがなぜか王子からも推挙され、報酬が釣り上がったこともあり、渋々承諾したのだと言っていた。

 アイゼアはメリーの指導を直接見たわけではないが、その話は騎士団内でもちょっとした噂になり、最初の頃は顰蹙ひんしゅくを買っていたが終わる頃にはまだ続けてほしいという声が上がるほどになっていた。




 アイゼアはフィロメナとペシェと共にメリーの家を訪れていた。それは自身が以前、メリーに魔術に関して教えてほしいと頼んでいたからだ。メリーは快く受けてくれ、ペシェを補助として呼び、興味を持ったフィロメナも一緒に参加している。

 前に少しだけ読ませてもらった入門書とにらめっこし、基礎を二人に教えてもらっていたところにやって来たのがこの嵐のような青年だった。
 とび色の髪に夏の晴天のような濃い青色の瞳の青年はハキハキと爽やかにメリーへと告白しやがった。ペシェは目と口を開いたまま呆けているし、フィロメナは手を頬に添えて目を輝かせている。
 自分はといえば、完全に先を越された瞬間を目の当たりにし、愕然としつつも平静を装って紅茶を一口飲んだ。味はしない。

 ペシェと視線が合うと、なぜか安堵あんどしたように静かに息を吐く。そのまま顔を何度か指差してから手のひらをひらひらと振って否定の意を示し、小さく親指を立てた。おそらくその調子で我慢してろよ、ということだろう。

 内心穏やかではなく、本当は頭を抱えて床をのたうち回りたいくらいの焦燥と苛立ちに焼かれている。突如現れた敵を、アイゼアは取り乱さないよう自身に何度も言い聞かせながら静観することに決めた。

「あの、メレディス教官? お返事は……」

 メリーがあの青年へ何と答えるのか、アイゼアは背中に冷や汗をかきながら見守る。頼むから断ってくれ、と切に願いながら。

「……誰?」

 メリーから発せられた一言は、青年にはあまりにも残酷な一言だった。だが青年は全くめげることなく、まっすぐにメリーへとぶつかっていく。

「俺はセントゥーロ王国騎士団術士部隊魔術士隊所属、トラヴィス・チェンバレンと申します。先日までメレディス教官の指導を受けていた騎士の一人です」
「そうですか。人が多いから顔も名前も覚える気なかったんですよね。すみません。ついでに言わせてもらいますが、教官はやめてください。所詮臨時ですし」

 メリーは「すみません」と言いつつも、全く申し訳なさを感じさせない淡々とした声色でトラヴィスをバッサリと切り捨てる。それでもトラヴィスは想定内なのか全く意に介していない。

「貴女の強さ、聡明さ、凛々しさ、可憐さ……そして噂に違わぬ気高さに恋してしまったんです。どうか俺と──
「よく知りもしない人とは付き合えません。とっととお帰りください」

 背中をこちらへ向けたメリーの表情はわからない。言葉や声の雰囲気はとことん冷たいが、ほんの僅かに困惑しているような響きが混じっている気もした。

「知ったら良いんですね? なら、友人からで構いません。俺を知ってください!」
「は、はぁ……うーん、友人ならまぁ……いいですけど」
「ありがとうございます! あ、お客さんが来てたんですね。俺邪魔しちゃってすみません」
「いえ、友人に魔術を教えていただけですから。それでは」

 メリーが締めかけた玄関の扉をトラヴィスは手で押さえる。パッとメリーを見つめる目は爛々と光って見えた。

「俺にも教えてください。まだまだ貴女から教わりたいことがたくさんあるんです」
「初歩の初歩ですから、トラヴィスさんが今更勉強することではないです」
「め、メレディスさん……もう一度言ってください」
「え? だから初歩の初歩──
「違います。俺の名前、もう一度呼んでくれませんか」

 トラヴィスの唐突かつ図々しい願いに、メリーは相変わらずの塩対応だ。だがトラヴィスはそれで引き下がるどころか、ますます食い下がっていく。その凄まじい執念はどこから来るのか。自分が言えたことではないが。

「はぁ……トラヴィスさん。これでいいですか? 私暇じゃないんで本当にそろそろ帰って──
「──っ!!」

 余程名前を呼んでもらえたことが嬉しかったのか、トラヴィスは拳を握りしめて悶えている。

「アイツ想像の上を行くヤバさだわ。控えめに言って気持ち悪いっつーか、怖ぇー……」

 という至極真っ当なエグい呟きがペシェから漏れる。正直同意しかないが、わからないでもないと思ってしまう自分もわりとヤバい。

気味悪がられないようこれからも隠しきろう……できるだけ。

「そうかしら? あたしは何かかわいくていいと思うわ。メリーが好きで、すごく一生懸命って感じよね!」
「いやいや、常時アレは怖いって。フィロメナちゃんもあの手のヤツにつきまとわれればわかるわ」

 まるで自分はつきまとわれたことがあるような言い方だ。ペシェの女装は女性にしか見えないこともあり、男性につきまとわれる経験があっても不思議ではない……かもしれない。
 ついでに言うと、男性だろうが女性だろうがつきまとうようなヤツにろくなのはいない。ここは経験者としてきちんと断言しておきたい。

「あの、魔術の基礎を教えているというなら俺も力添えさせてください。メレディスさんとご友人の力になりたいんです」

 アイゼア的には丁重にお断りしたい。即座に引き取り願う。敵に教えを乞わずともメリーとペシェが十分教えてくれる、と今すぐに叩き返してやりたい気持ちだ。

「そうですか。そういうことならまぁ、どうぞ。時間の無駄だったと後で文句は言わないでくださいね」
「とんでもない。貴女と一緒に過ごせる時間が無駄なわけないですから」

 サラッとコイツは何を言っているんだ。君はメリーの何なんだと叫びたい気持ちを抑え、メリーが戻る前にいつも通りの自分を、いつも以上に慎重に顔に貼り付ける。

 根負けしたメリーがトラヴィスを家の中へと招き入れ、空いているソファへと案内した。折角近くに来たのだ、追い払えないなら追い払えないでしっかりと敵情視察させてもらおうではないか。

「初めまして、俺はセントゥーロ王国騎士団──
「はいはい、トラヴィス・チェンバレンだっけー? 肩書きからちゃーんと全部聞こえてたから」
「あぁ、全て聞かれてたんですね……お恥ずかしい」

 トラヴィスは小さく照れ笑いし、気まずそうに視線をそらして後頭部を掻いていた。表面上の性格は真面目で純朴、直情的で熱い……といったところだろうか。

「アタシはペシェ・ペルシィ。これでもスピリアの魔術士よ」
「あたしはフィロメナ。よろしくね、トラヴィス」
「はい。よろしくお願いします」

 トラヴィスは好青年然とした人の良い笑みで微笑んだ。清潔感と溌剌はつらつとした雰囲気、精悍な顔立ち、そこそこ女性にモテてもおかしくないのでは、と思ってしまう。メリーはあまり相手の美醜にはこだわらないので、彼の顔の良さに落ちるということはないだろう。その点は安心できる。

 だが彼の純朴さ、何より直線的な情熱にメリーの心が揺らぐ可能性は大いにある。そしてそれをアイゼアは持ち合わせてはいない。純朴さを演じることはできても真に内に持った性質ではないうえ、今更そんなものをメリーに演じたところで気色悪いだけだ。どうか純朴な青年が彼女の理想の男性像ではありませんようにとひたすら祈るしかない。

 そもそもメリーは好意を向けられることに慣れていない。好きだと刷り込むように連呼されれば、心理的に彼を特別視するようになるのは時間の問題かもしれない。好意を向ける相手を意識し、気になり始めるということは往々にしてある。籠絡ろうらくされる前に何とかしなくては。

 だからといって内に秘めた情熱も、彼のようにまっすぐにメリーにぶつけられない。この関係を壊したくないという臆病さが完全に足を引っ張っていた。もちろん明かすのには時期尚早というのもある。それでも横からかっ攫われてしまったら何も意味がない。

「僕はセントゥーロ王国騎士団遊撃部隊特殊任務隊所属、アイゼア・ウィンスレットです。よろしく、トラヴィス」

 アイゼアはいつも通りの微笑みでトラヴィスを真似ながら自己紹介し、握手を求めて手を差し出す。

所属部隊で優位に立とうって牽制する自分の器の小ささにはうんざりするなぁ。

「特務騎士とは……貴方はとても優秀な方なんですね。こちらこそよろしくお願いします」

 笑みをたたえたトラヴィスの目に僅かな敵意が宿る。直情的で純朴な性格だと思っていたがどうやら敵対心も本心を隠すという思考もあるらしい。だが隠しきれずにこちらに悟られているようでは甘い。

 握手を交わした手は不自然なほど力が弱く、友好な関係は結べないという意思がだだ漏れだ。そんなお粗末さで、訓練されたこちらの目をあざむけると思っているのなら随分と舐められたものだ。それともメリーにさえバレないよう取り繕えれば後はどうでもいいということなのか。後者なら確実に性格は悪い。

「ねぇ、トラヴィス! メリーのこと好きなのよね? どんなとこに恋したの? 恋したときの気持ちってどんな感じだったのかしら?」

 フィロメナが目を輝かせて早速食いついている。以前も恋の話がしたいと言っていたことがあり、興味津々なのだろう。

「俺は一目惚れでした。後ろ姿は花のように凛として美しく、こちらを向いたときの可憐さも素敵で。魔術の知識量も技術力も素晴ら──

 饒舌じょうぜつに語りだしたトラヴィスの言葉を遮るように、メリーがテーブルに思いきり拳を叩きつけた。茶器がけたたましく鳴り、同時に部屋が一気に静まり返る。魔力や杖を突きつけて脅すことは今までに何度もあったが、拳でというのはかなり珍しく、その僅かな不自然さが何となく気になった。

「トラヴィスさん、そんな人はこの世にいません。あなたの幻想です。それとも『俺の理想になれ』とでも? ぶち殺しますよ」
「そ、そんなつもりじゃなくて、俺はただ見たまま──
「それと、邪魔するならお引き取りください。フィロメナさんも」
「ご、ごめんメリー。ちゃんと勉強に戻るわ!」

 トラヴィスは大げさな冗談だと思っているのかもしれないが、あのメリーの目はわりと本気だ。先程の褒め言葉に照れることもなく、むしろ嫌悪感全開だった。

「あーあー、もう。メリーを怒らせると怖いんだからさー」
「知ってます。厳しく、的確に導いてくださる厳格さと気高さは講習でも──
「だーから、そういうのやめなっつってんの。メリー嫌がってんじゃない」
「称賛のつもりだったのですが……失礼しました」

 トラヴィスは素直に謝罪し、ぐだぐだとした雰囲気のまま魔術勉強会は再開された。


第29話 君が嵐の海へ沈む前に  終
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