前章

『メレディス・クランベルカ殿、私と一曲踊っていただけませんか?』

 それはにわかには信じられない誘いだった。メリーは正直自分が指名されることになるなどと欠片も考えてはいなかった。
 結局自分は余所者よそものの移民で、この国においてはただの平民でしかない。この場にいることすら奇跡に近い自分は、当然普通なら選ばれるはずがないのだ。あり得ないことが起きている。

沈んだ記憶の底から、忌々しい声が聞こえてくる──

──相手に取り入り、時に出し抜き、常に政治的意図を考え、空気、表情、言葉の裏を読め。社交場は戦場、敵に寸分の隙も見せてはならぬ。良いかお前たち……クランベルカ家繁栄のためにその全てを捧げ、権力のみをむさぼる愚かな他家の者共を是正せねばならんのだ──

 耳にこびりついた低く唸るような声、野心を抱き爛々らんらんとした瞳を思い出し、メリーの思考を急速に冷やしていく。
 社交の場で起こり得ない事態が起きたとき、それには大抵何か意味がある。たとえ祝いの場であっても武力を交わさない戦場だという本質は、無粋と言われようが変わらない。

たまにはあのバケモノの言葉も役に立つ。

 おかげで気づくことができた。王子がメリーを相手に選んだ真意に。

動揺は悟られていないだろうか。

 周囲に見抜かれてしまわないよう胸を張り、堂々とした振る舞いを心がけた。隙は一切見せてはならない。
 それでも、無理とはわかっていながらどうにかして避けられないか考えずにはいられなかった。無事にやり過ごせるか不安でたまらなかった。衆人環視の中失敗すれば、アイゼアからの依頼には応えられない。

大丈夫、信じて見守ってくれているはずだ。
やるしかない。

 不安な顔をアイゼアへ向けるのは、信頼して頼ってくれたことへの裏切りに等しい。不安に負け、助けを求めそうになる自身を奮い立たせる。慌てふためいて醜態しゅうたいを晒せば、舞踏会へ招いたアイゼアや自身を選んだ王子の顔にも泥を塗ることになる。
 それにここで立派に勤めを果たせばアイゼアに箔がつき、追い風となるかもしれない。彼のためにも腹をくくって完璧に乗り切ってやろうではないか。


 王子の手を取り、音楽と共に一歩を踏み出す。大丈夫、きっと最後まで踊りきれる。アイゼアにも上手になったと褒めてもらったのだ。自信を持って堂々と完璧を目指そう。

「私と踊るのは……本当は嫌でしたか?」

 突然王子に話しかけられ、取り繕っていた表情が崩れかける。

「そんなことはありません。殿下にご指名いただき、こうして踊れること、恐悦至極にございます」
「そんなに畏まらず、もっと肩の力を抜いてくれて良いんですよ」
「……ありがとうございます」

 メリーよりも年下であろう王子は、少しだけあどけない笑みでこちらの緊張を解そうとしてくれている。先程のことといい、年齢のわりに落ち着いていて聡明だ。王の器として申し分ないかと聞かれればそこまではわからないが、良き王になる資質は持っていそうな気がした。

「メレディス殿。先程は私の意図を汲み、それを皆の前で言葉にしてくれたこと、感謝します」
「いえ。このような機会を我々霊族たち……そしてクランベルカの血縁たる私に与えて下さったこと、大変感謝しております」

 王子から直接『人間と霊族の友好のため』と口にはできない。問題を起こしたのは霊族であるスピリア連合国、クランベルカ家の者たちだ。これは王子の方からではなく、霊族であるメリーの方から『友好を築いてほしい、取り戻したい』と願い出なければならない。
 でなければ、人間の側である王子がこちらより立場が下になってしまう。そうなればいくら友好のためとはいえ不満に思う者は多くなる。

 だからといってメリーから王子へダンスの申し込みはできない。だからこそ王子は婉曲えんきょくな表現を用いつつメリーを指名したのだ。ある意味こちらの出方に賭けていたのだ。

 王子が手を差し伸べ、加害者の血縁であるメリーが下の立場から友好を乞う。それを承諾して手を取るという構図にすることで、憎むべきは実行犯たちであって霊族自体ではないと許し、手を取り合えることを示そうとしているのだ。

 とはいえ式典に政治的思惑を持ち込むのは批判されても仕方のない行いではある。王子がそれを許して歓迎した態度を取ることで、批判を無言で潰しているような状態だった。

「貴女を信じて良かった」

 よく大罪人の娘を信じようなどと思ったな、と思わずにはいられない。それに加え、やろうと思えば相手を一瞬で灰にできることをこの場にいる者たちのどれくらいが認識しているのだろうか。霊族のことにも詳しいあの王であればわかっている気はするが。

 王子がダンスに誘った際、王も王妃も側近も止めなかった。ということは彼の考えや行動方針は一応彼らに通してあるということでもある。
 感情や正義感、平和を望む純粋さだけで動いているわけではない。まだ若いと舐めてかかれば手痛い仕打ちを受けそうだと思わされる。

 この国は次代もわりと安泰かもしれない。王妃選びさえしくじらなければ、だが。歴史を漁れば色事にかまけてダメになった施政者はいくらでもいる。

「私は貴女のことをほとんど噂でしか知らなかった。厳格で圧倒的な魔力を持つ孤高の魔術士……そもそも男性だと思っていました」
「……よく言われております」
「ですがこうして会話を交わしてみて思うのは、芯のある優しい女性だということですね」
「失礼を承知で申し上げますが、殿下は変わった感性をお持ちなのですね」
「そんなことはない。単に他の者に見る目がないというだけでしょう」

 最初に指名してきたときよりも明らかに砕けた笑顔は少なからずこちらに心を開いているように見えた。一つ思惑を汲んでやったくらいで、あまりにも単純すぎやしないかとも思う。
 もちろんこれまでの言動を顧みれば、油断させるための演技という可能性もあるが。

「私は貴女ともっと話がしてみたい。非公式に城へ招待してもよろしいでしょうか?」

 思わず「は?」と言いそうになるのを寸前でこらえる。ただの平民を非公式とはいえ王子直々に招くというのはハッキリ言って正気を疑う。一体今度は何の意図があるのか。

 スピリアの情報が欲しいのか、霊族や魔術に関する知識が欲しいのか。それともクランベルカ家やカーラントの件か、国防のための兵器になれとでも命じる気なのか。

 実際今のカーラントは人らしい普通の生活をしているとはいえ、贖罪の代わりに命じられている役目はそれに近い。戦果も上々で僅かにではあるが汚名を返上しつつある。
 兵器みたいに使われていることも、民を守るという行為そのものに価値を見出しているカーラント的には望むところらしく納得しているようではあるが。

 それでも彼を見ていると、クランベルカの血を持つ者は戦うことでしか存在価値を証明できないのだと改めて痛感させられる。支援型のカーラントですらそうなのだから、攻撃面ばかりに秀でた自分はその最たるものだろう。

「そんなに身構えないでください。実はカーラント殿とは何度か話をさせてもらったのですが、そのときに貴女の名前が挙がるので以前から気になっていたのですよ」
「先程噂しか知らないと……私が女性だったことにも驚いていらっしゃったような気がするのですが?」
「えぇ。臣下も魔術士と呼んでいましたし、カーラント殿も女性とは言っていなかったもので……先入観から誤解していました。申し訳ありません」
「殿下、それは構いません。謝罪だけはおやめください……」

 圧倒的に上の立場の者に謝らせてしまった。話を聞かれていたら側近あたりに締め上げられそうだ。
 とにかく王子が妙にこちらに興味を抱いているのはカーラントのせいだということもわかった。本当にどこまでいってもろくなことをしない目障りなヤツだと内心毒づく。

 カーラントはストーベルの元にいたからこそ大罪人ではあるが、元々の理想や考え方は決して悪ではない。民のために、力あるものとして領主の責務を果たすべきという考えは、上に立つ者としては立派な志であると捉える者もいるだろう。

「どのような話を義兄がしたのかは存じ上げませんが、噂のような厳格な魔術士としての私を期待しているのなら、殿下とは話が合わないと断言させていただきます」
「聞いていた通り、貴女は物怖じせずにハッキリと考えを述べますね」
「申し訳ございません。ですが殿下の貴重なお時間を奪うわけにも参りませんので」

 もし厳格で正義感の強い人物だと見込んでのことであればそれは誤解だ。カーラントのように国や民のために魔術を振るうなど御免被ごめんこうむる。
 道を誤った父を正すため正義のために抗った魔術士だなどと、本当に馬鹿馬鹿しい。何も知らない外野が結果論で持ち上げているだけだ。

 兄と妹を奪われたことで芽生えた復讐心、自分の欲しい未来に父は不要だった。利己的な理想を掲げ、平然と弱者を踏みにじる姿が心底目障りで仕方なかった。

だから殺した。

 自身の意志が芽生えてから今までの人生、一度たりとも誰かのために魔術を行使したことなどない。誰かを守り、誰かを救ったというなら、それはただの副産物だ。

 全て自分の意思で、自分の思いや願いを実現するためだけに振るい続けてきた。この力が奪ったものの責任は全て自分にある。力を行使する理由も責任も『誰かのため』なんて耳触りの良い言葉で言い訳するつもりはない。

 たとえストーベルの生き様と紙一重だと理解していても、その考えだけはこれからも変わることはないと思っている。
 自分のためだけに魔術を使うところ、執念深く諦めの悪いところ、命を奪うという行為に葛藤も抱けないところ、攻撃術が得意なこと……どこまでいっても自分はあのバケモノによく似ていた。

 唯一明確に違う点は信念の違いだった。もし自分の成したいことがストーベルと同じ『世界を手中に収めること』だとしたら、自分はきっとストーベルに生き写しだったことだろう。

 自分の在り方や生き方に関して特別何も感じるところはないが、ストーベルに酷似しているという一点だけが嫌で仕方なかった。かといって噂でどんな人格者に仕立てあげられようと、その印象通りに生きてやるつもりも更々ない。

「期待に沿った話など不要です。むしろ貴女とどう話が合わないのかの方が興味あります。考えや価値観に囚われず、多くの声に耳を傾けることが肝要かんようだと父上もおっしゃっておりました」

 真面目か天然か、それともわかってて言っているのか。かなり婉曲えんきょくな表現で『話すことなどない』と言ったつもりだったのだが。

「私はただ貴女と世間話をしてみたいだけなのです」
「世間話……ですか」

 世間話といっても住む世界が全く違うせいで共通する話題もない。それなのにこうも食い下がるのは、漠然とではあるが理由を掴めてきたような気がする。おそらくこちらの人となりを知り、危険な思想を持った人物でないか見極めようとしているのだろう。

 この国ではスピリアと違い、強烈な魔力を持つ魔術士は単体で人々の生活を脅かす脅威となり得る。平和を脅かす存在なのか、有用な人材となり得るのか、カーラントと話をしたというのもきっとそういうことだろう。

「もっと気を楽にして受けてもらえると嬉しいのですが、やはり無理でしたか?」

 毒気を抜かれるほど朗らかな笑みに、今結論づけたばかりの思惑などないのではと思わされてしまう。
 それにしても近くで見れば見るほど圧倒的に『王子様』という感じだ。丁寧に手入れされた色素の薄い金の髪に、生命力に溢れる大樹の葉のような深緑の瞳。若々しく溌剌とした雰囲気は後光が差しそうなほどに眩い。

 王子という地位と人当たりの良さそうな性格に紳士的な態度、そして紛うことなき美形。周囲の令嬢たちが色めき立ち、ダンスの相手が決まった瞬間に浴びせられた非難と嫉妬と怨念は仕方ないのだろう。

「わかりました。謹んでお受けさせていただきます」

 そうです嫌なので無理ですと言えるはずもなく、ここまで食い下がられてしまっては断れるはずもない。やましいことはないのだから好きなだけ探りを入れたら良い、と開き直ることにした。

 引きつりかけた限界ギリギリの愛想笑いを浮かべるメリーとは対照的に、王子は屈託なくあどけなさのある笑顔で嬉しそうにしていた。
 間もなく音楽が終わると同時にダンスを終え、互いに一礼する。

見ろ、観衆共。殿下のこの満足そうな笑顔を。
私は完璧に成し遂げてみせたっ!

 これでアイゼアの地位向上に一役買ってくれれば頑張ったかいもあるというものだが、実際のところはどうかわからない。後はアイゼアが労ってくれたらもう何も要らない。きっと全て報われる。

 一つ成し遂げた達成感と疲労感が、安堵あんどと共に押し寄せていた。ここで気を緩めていてはいけない。まだまだ舞踏会は続くのだ。メリーは自身の心を戒めるように、心に[#ruby=鞭_むち]を打った。


第21話 戦友ともよ胸を張れ、私がついている  終
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