前章

 食堂へ顔を出すと時間帯のせいかやはり騎士の姿はない。配膳部に近い机に複数人が固まって座っているのが見え、その中に特徴的な浅葱色あさぎいろの髪の少年を見つける。エルヴェは食堂で働いている仲間と会話しながら休憩しているようだった。
 躊躇ためらいもなく食堂へ入っていくアイゼアに続き、メリーもその後ろをついていく。

「アイゼア様、メリー様、どうなされましたか?」
「休憩中にごめん。君に頼みたい事があって来たんだけど、聞いてもらえないかい?」

 アイゼアはエルヴェたちがいる隣のテーブルにドレスなどが入ったかばんを置きながら話しかける。

「頼みたい事ですか? 私にできる事でしたら、何なりとお申し付け下さい」
「実は、このドレスの修繕を頼みたくって」
「拝見させていただいてもよろしいですか?」
「もちろん」

 アイゼアは鞄を開くと、中に入っていたドレスを広いテーブルの上へと広げた。

「あ、所々ほつれと傷がありますね。これを修繕すればよろしいのでしょうか?」

 エルヴェは遠目からでも一瞬でどこが問題なのかを見破ってきた。さすがというより他ない。

「この時期は仕立て屋も立て込んでて絶望的みたいでね。今月の二十四日までに何とかなりそうかな?」
「えぇ、もちろんです。この程度の修繕であれば問題ありません
「この程度……ドレスの修繕って簡単じゃないと思うけど……」
「時間さえいただければ服やドレス自体を一から仕立てることもできます。修繕程度ならすぐですよ」

 エルヴェは、当たり前のようにさらっと『ドレス自体を仕立てる』と言いきった。彼の裁縫の能力は予想よりも遥かに高いらしい。だが本人は至って特別なことでもないといった様子だった。

「エルヴェさん、何気にすごいですね」
「そう……でしょうか?」
「そうよー。食堂の仕事もね、毎日真面目に頑張ってくれててあたしたちも助かってんのよ。でも無理しちゃダメだからね、エルヴェちゃん!」
「心配して下さってありがとうございます。でも、頼りにしていただけて嬉しいくらいなんです」

 食堂で働く仲間の一人が気遣いの言葉をかけ、その返答に癒やされた人たちがほわっと笑む。良好な人間関係と優しい人たちに囲まれていることがわかり、メリーも穏やかな気持ちになっていた。

 エルヴェは目を輝かせてドレスに触れている。早く修繕したいと言わんばかりにうずうずしているようだ。

「これはメリー様が着られるのですよね? 修繕が終わり次第一度試着していただきたいのですが、そのときにご連絡を差し上げてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです。よろしくお願いします」
「僕からもよろしくお願いするよ。もし何か必要なものがあれば僕が買うから、遠慮なく言ってくれていいからね」
「わかりました。お任せ下さい」

 エルヴェは頼りにされているのが嬉しいらしく、張り切りながら強く頷いた。これで何とかドレスは工面できた。

「エルヴェー! そろそろ夕食の仕込みやるよー!」
「はい、すぐに参ります! アイゼア様、メリー様、仕事に戻ります。ドレスはできるだけ早く仕上がるようにしますので」
「くれぐれも無理だけはしないようにね」
「はい」

 エルヴェは軽く会釈えしゃくし、まるで扱い慣れているかのように手早くドレスを畳んで鞄にしまい込むと急いで食堂を出ていった。

「後は靴と宝飾品と鞄だけど、まだ時間はあるかい?」
「大丈夫です。宝飾品は首飾りだけ一緒に見繕ってもらえると助かります。髪飾りは髪型を決めてからでないと選べそうもないので」
「そっか、髪型……細かいところにまで気が回らなくてごめん」

 アイゼアが申し訳なさそうな笑みを浮かべる。以前ブリットルが女心もわからないポンコツだとアイゼアを評していたが、確かにそういったことには少し疎いところが垣間見える。
 だが人のことは言えないだろう。メリー自身も男心や男性の事情など全く知りもしないのだから。

 それにしてもドレスを買うという話のときから感じていたが、どうにもアイゼアは舞踏会へ同伴させることに負い目のようなものを感じているように見える。

 社交の場で陰口や嫌味をぶつけられるなんてのは謝られることでもなく、ごく当たり前の話だ。それをわざわざ丁寧に忠告されるなんて思いもしなかった。そもそも嫌なら依頼を受けたりなどしない。

「アイゼアさん、もっと私を信頼して任せてください。何でも自分がやらなきゃって思うのは危険です。私、必ず上手くやりますから、二人で舞踏会を乗り切りましょう!」
「メリー……ありがとう」
「早くお店へ見に行きませんか? ぐずぐずしてると日が落ちてしまいます」

 食堂の出口へ向かいながらアイゼアを急かすと、すぐに隣に並んで歩き出した。


 西区にある宝飾品を扱う店をいくつか巡り、ドレスに合う舞踏会用の白い靴と同じ色の小さな鞄を選んだ。靴はドレスのスカートに隠れてしまうのでできるだけ安く抑え、鞄も会場に入ってしまえばその場で預けるため、凝ったものでなくても構わない。そこで抑えた分見えるところにつける首飾りはそれなりに見栄えのするものを買うつもりだ。

 首飾りが陳列されたショーケースをゆっくりと巡りながら品定めしていく。宝石のものからガラス製品のものまで幅広く取り揃えられており、石の大きさや数、種類なども様々で値段も高価なものから比較的安価なものまで取り揃えられている。

「首飾りも種類が多くて悩むね……」

 夜の舞踏会であれば宝石の首飾りが定番だが、一粒の小さなものでは舞踏会という場には控えめ過ぎる。かといって豪奢ごうしゃなものはかなり値が張るため手が出ない。

 ガラス素材でも決して悪いわけではないのだろうが、王家主催の舞踏会ということを考えれば避けた方が無難だ。であれば、真珠しんじゅで作られた物が一番良い。
 鞄や靴、借りていた手袋の白に合わせることで、統一感も出るはずだ。

「安価なものできらびやかさを無理に出すよりは真珠が無難ですね。真珠は昼夜問わず使用できますし」
「君が作法にも詳しくて助かったよ」
「私も簡単なものしか把握してないので、もしかしたら細かいところでつつかれるかもしれませんけどね」

 アイゼアと二人、真珠の首飾りが飾られたショーケースの前で立ち止まる。真珠も粒の大きさや輝き、同じ白でも若干色味が違っていたりする。耳飾りをしない分、やはり単調なものよりは少し華やかなものの方がいい。
 同じ大きさの真珠が連なっているものから、様々な大きさが使われているもの、一粒のもの、白金や金と一緒になったものや二連三連のもの、中心にかけて華やかな意匠を凝らしたものなど、型は多岐に渡る。

 格式高い店ということもあり、どれも上品かつ繊細で美しい。お堅くいくなら同じ大きさの粒が連なった一連のものだろう。華やかさを重視するなら凝った意匠のものも捨てがたい。

「華やかさはほしいけど粒が大きいのはちょっと主張が激しい感じもするね」
「そうですね。それと、短いものの方が正式な場には相応しいから、長すぎるものは避けた方が無難です」

 少しずつ条件をつけていくと自ずと種類が限定されてくる。一つずつ眺め、良さそうなものを値段を確認しながら候補として記憶していく。そうしているうちに、ふと一つの首飾りに目が留まった。

 二連の首飾りで、上は小さな粒が連なり、下は小さな粒と普通の大きさの粒が規則正しい配置で編まれている。中央に小さな白金で作られた花があしらわれ、その下に少し大きめの丸い真珠が雫のように取り付けられている。
 華やかで可愛らしさがありながら、主張しすぎない控えめな意匠だ。真珠の照りや形の良さも申し分なく、品質の高いものだとわかる。値段はそこそこ高いが、それでも宝石が散りばめられたような首飾りよりはずっと安く買える。

「メリー、僕はこれが──
「アイゼアさん、私これが──

 一目で気に入ったその首飾りを提案しようとすると、アイゼアと偶然声が重なる。同時に指差した先にあるのは同じ首飾りだった。
 互いに顔を見合わせると、何だか少し擽ったいような気持ちになり、どちらからともなく微笑み合う。

「気が合うね。メリーもこれが気に入ったんだ?」
「はい。すごく好みですし、舞踏会に身に着けていく物としても相応しいと思います」

 アイゼアは店員に声をかけ、試着させてもらえるように頼んでくれた。間もなく店員がショーケースから取り出し、選んだ首飾りを着けてくれる。

「お客様、とてもよくお似合いですよ」

 店員から借りた鏡で首飾りを確認する。長さも丁度良く、着けた雰囲気もかなり良い。眩さがありながら、どこか柔らかな光で照り返す真珠がとても美しい品だ。

「華もあるし、品もある。メリーの気品と美しさが引き立ってて素敵だね。僕もよく似合ってると思うし、これにしようよ」

 歯の浮くような言葉と褒められ慣れていないこともあり、思わず顔が引きつりそうになる。この品のある首飾りと自分が釣り合いなど取れているはずもないということは自分でもよくわかっているだけに。
 爽やかな笑みで事もなげに褒めてくるアイゼアに末恐ろしさを感じていた。

「ドレスの試着のときも思いましたけど、よく平然とそういうこと言えますよね……」
「僕は思ったまま言っただけだし、何でも着こなしちゃう君のせいなんじゃないかな?」
「うわー……これはちょっと」

 泣かせた女の数知れず、そう口にしていたブリットルを再び思い出す。この顔と笑みでおだてるような世辞をサラッとぶつけられれば、世の女性の多くは胸を打たれ、勘違いを盛大に爆走させることだろう。

 そうやって無自覚に落としては告白を断って、という不毛な行為を繰り返していたに違いない。きっとそうだ。この天然タラシめ、とつくづく罪作りな性質に呆れに近い感情が込み上げた。

「誰に対してもそんなふうに褒めるから余計な苦労を背負い込むんですよ」

 女性関係で苦労しているアイゼアへ少しでも何か変わればと忠告をしたが、彼は黙したまま少しだけ困ったように笑うだけだった。

 とりあえずアイゼアのお墨付きをもらったことで首飾りも決まり、必要なものは髪飾り以外全て揃った。結局ドレス代が丸々浮いたことで靴も鞄も首飾りも全てアイゼアが支払ってくれていた。その代わりにはならないだろうが、髪飾りだけでも自分が支払うとアイゼアに申し出、説得の末納得してもらった。


 店を出ると日が暮れてすっかり暗くなっており、街灯の明かりが煌々と通りを行き交う人々を照らしている。

「アイゼアさん、私この後用事があるので今日はここで」
「そっか、わかったよ。今日は付き合ってくれてありがとう」
「それ変ですよ。私の買い物にアイゼアさんを付き合わせたんですから、むしろこちらがお礼を言わないと。一緒に来てくれて本当に助かりました。ドレスも何もかも全部用意してもらってしまって……でもこれでようやくちゃんと隣に並べるかも、ですね」

 ここまでお膳立てしてもらってアイゼアに恥はかかせられない。メリーは今日一日でますます当日への気合を高めていた。

「メリーの隣を歩けるなんて光栄だね。君は僕には勿体無もったいないくらいだから」

 またそういうことを言う、と呆れてしまう。依頼を受けてくれてありがたいという意思は痛いほど伝わってくるのだが、世辞でご機嫌取りをしなくとも舞踏会くらい快く行ってやるというものだ。

「何言ってるんですか……当日、ちゃんと堂々とエスコートしてくださいよ?」
「それはもちろん。精一杯頑張らせてもらうよ」
「ならいいんですけど。では、私はこれで」
「うん、気をつけて帰ってね」
「アイゼアさんも」

 アイゼアと別れ、西区の大通りを更に西へ進む。少しだけ別れるのが名残惜しく感じて振り返ると、見送ってくれていたのかアイゼアと視線が合う。

「舞踏会、楽しみにしてますから」

 届くように声を張り、少しでもアイゼアの負い目が薄れるようにと願って手を振ってみる。

「僕も楽しみしてるよ」

 気が重そうだっただけに、その言葉が聞けて良かった。
 あまりアイゼアを突っ立たせていても申し訳ないと思い、きびすを返す。今日中にどうしても行かなければならない場所がある。メリーは少しだけ歩調を早めて歩き出した。


 西区の大通り沿いにその目的の店はある。
 『ペルシィ魔法雑貨店』と看板が掲げられた店は、まだ開店の札が扉の前にかかっていた。メリーが扉を開けると、カランと鐘の鳴る音がする。
 目の前のカウンターにこちらに背を向けたペシェと、隣にフィロメナが立っていた。

「いらっしゃいませー」
「いらっしゃいませ! あれ、メリーじゃない。どうしたのかしら?」
「こんばんは、フィロメナさん。ペシェに頼み事があって来たんですけど……閉店まで待った方が良さそうですね」

 店内にはまだ数名客が残っているようだ。接客や商売の邪魔をするわけにはいかない。

「大丈夫、会計のときは外すかもだけど」
「もうお客さんがいっぱいってことはないから、あたしだけでも平気よ」
「ありがと、フィロメナちゃん。メリー、頼み事って何?」

 使い魔を使わずわざわざ出向いたことが珍しいのか、ペシェは少し驚いたような表情をしていた。直接出向いたことにもきちんと理由はある。

「私に化粧を教えてほしいんです。あと髪型と髪飾りも一緒に考えてもらおうと思って。私をどこへ行っても恥ずかしくない一人前の淑女ってやつにしてくれませんか?」
「……は? アンタ頭打った?」

 ペシェは余程驚いたのかカウンターから身を乗り出し、こちらの額に触れてくる。ヒヤリとした冷たい手だ。

「熱はなさそうだけど……」
「打ってませんし、熱もありません。舞踏会に出るんです。月末くらいにある王家主催の」
「メリー舞踏会に出るの? いいなー!」
「あー、なーるほどねー。建国記念の宮廷舞踏会がどーたらってお客さん言ってたっけ」

 ペシェは途端に満面の笑みになる。この手の話なら快く引き受けてくれるはずという見込みは外れなかったようだ。

「で、化粧と髪型だっけ。教えるのは良いけど、さすがに当日はアタシがやったげるわ、髪も化粧もね。一人じゃ大変でしょ」
「ありがとう! さすがペシェですね」

 教えてもらってもきちんと再現できるかわからない分、当日引き受けてくれるという提案は本当にありがたい。

「別にどうってことないわ。えーっと……それで、ドレスはどんなん着てくの? 宝飾品は?」
「ドレスは山吹色のボールガウンドレスで、宝飾品は首飾りだけですね」

 買ってきたばかりの首飾りの箱を開き、ペシェへと見せる。

「首飾りだけってなると、髪は上げるより下ろして耳飾りがないのを誤魔化していかないとダメね」

 ペシェの中にはすぐにどんな髪型にするかの案が浮かんでいるようだった。こういうときに本当に頼りになるなと心強さを感じながら、相談して良かったとしみじみ思う。

「ドレスはさすがに見られないわよね?」
「今エルヴェさんに修繕を頼んでて……出来上がったら一度試着しに行く予定ですけど」
「じゃあ、そのときアタシを呼んで。化粧の方向性はそれから決めるわ。髪飾りもそのときに一緒に見に行く。フィロメナちゃん、その日はお店頼める?」
「もちろんよ、任せてちょうだい! あぁーでも、あたしも宝飾品一緒に見てみたかったわ」
「フィロメナちゃんはお店が休みの日にアタシが連れてったげる」
「ホント? 約束よ、あたし楽しみにしてるから!」

 フィロメナとペシェは毎日一緒に働いているせいか、随分と打ち解けたようだ。楽しそうにはしゃぐ二人に、昔ペシェから「アンタたち、なーんか女友達って感じしないのよねー」と言われたことを思い出す。

 ペシェも女の子らしいものに興味津々なフィロメナと過ごすのは、やっと念願の『女友達』ができた感じで嬉しそうだ。

「それにしてもあのメリーが一人前の淑女にならないと、なんてねぇ。誰がアンタを舞踏会になんて誘ったのよ?」
「アイゼアさんですけど」
「あぁー、あの騎士の。またアンタに面倒事押し付けて……ったくホントに……」
「嫌なら断ります。別に面倒事を引き受けたって意識はないですよ」
「……へぇーぇ、そう?」

 ペシェは頬杖をつきながら口の端を上げ、どこか含みのある笑みを浮かべる。意味のわからなさにじっと凝視していると、すぐにいつものカラッとした笑みへと変わった。

「まぁ、いっか。アンタがこういうことにやる気出してくれるのは良いことだし、滅多にない機会だからね。ペシェさん、張り切って頑張っちゃおーっと! 化粧は後で教えたげるから、上あがって待ってて」

 ペシェが突然うきうきし始めたのが手に取るようにわかる。とりあえず承諾も得られ、メリーはペシェに促されるまま、店の二階にある家へとお邪魔させてもらうことになった。

 こういう機会の度に化粧も髪も頼るわけにはいかない。せめて自分で覚え、できるものは自分でできるよう身に着けておきたい。

 舞踏会なんて、響きのままのキラキラした場所ではない。あの地は戦場だ。その戦場を生き抜くための地位や財力という地力はメリーたちにはない。ならば別のもので対抗しなければたちまちやられてしまう。
 美しさや品位、立ち居振る舞いを武器に、化粧とドレスと宝飾品で武装して戦い抜かねばならない。手抜かりが命取りになるのは実際の戦場と何も変わらないのだ。

 陰口や暴言が飛ぶと苦しむアイゼアを少しでも守り、彼に恥をかかせることのないよう、当日までにやれる努力は惜しまない。メリーは改めて気を引き締めた。


第18話 私、やるからには本気ですから  終
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