前章

 二階に上がり物置になっている部屋の扉を開く。あまり広くない部屋の中には、たくさんの箱や物が無造作に積み上げられていた。ほこりが積もり手入れの行き届いていないこの部屋は、従者たちですら普段立ち入らない場所だ。

「凄い埃……メリーは外で待ってて。クローゼットからドレスを取ってくるよ」

 メリーを埃まみれにするわけにもいかず部屋の外に避難させ、アイゼアは積み上がった箱を退けながらクローゼットまでの道を作っていく。ようやく辿り着くと、クローゼットの扉を開いて中を探る。

 中には様々な色のドレスが何着かハンガーにかかっていた。長い年月放置されていたせいか、生地が傷んでいたり、破れやほつれのあるものも見受けられる。

 アイゼアはクローゼットから比較的綺麗そうに見える二着のドレスを取り出してカーテンレールにかけ、メリーを中へ招き入れた。
 左に華やかな山吹色のドレス、右に大人っぽさのあるややくすんだ薄黄緑色のドレスが並ぶ。どちらも舞踏会用のボールガウン型のドレスだ。

 山吹色のドレスは華やかで人目を引く色ではあるが袖があり、かなり露出が抑えられた清楚な作りになっている。
 それに対し薄黄緑色のドレスは色味こそ落ち着いた雰囲気ではあるが、肩や背中が大きく開いた大人の女性のドレスといった形だ。
 近くで見ていたメリーはドレスから距離を取り、両方が視界に入る位置まで下がっていく。

「どっちにする?」

 アイゼアは尋ねながら、隣に来たメリーの顔を少しだけ覗き込む。

「どちらも素敵だと思いますが、着るなら山吹色の方ですね」

 何となく山吹色のドレスを選ぶだろうなという予想はしていた。海へ行ったとき、水着を着て気まずそうに拗ねていたメリーの横顔を思い出す。

「やっぱり露出は苦手?」

 思わず小さく笑いながら指摘すると、途端にメリーのじっとりとした恨めしそうな視線が飛んできた。

「それもありますけど、肩の出たものはショールを羽織る必要があるので余計な出費も嵩みます。会場に着けば脱ぐものにお金を出すなんて馬鹿馬鹿しいだけですから」

 そのとき、扉の向こうから控えめなノックの音が聞こえた。アイゼアが返事を返すと、メイドのタグリアとアナが二人して部屋へと入ってくる。

「ノーゼンさんの指示で、ドレスの試着を手伝いに参りました」

 思ってもみなかったメイドたちの提案にアイゼアの期待値は上がる。二人の申し出に乗っかれば、メリーのドレス姿が二着分も見られそうだ。

「え? 試着ですか?」

 戸惑いを隠さないメリーの表情はやや渋い。おそらく試着するつもりはなかったのだろう。

「ノーゼンは気が利くね。折角だし両方とも試着してみたら? 着てみないと本当にドレスとして使えるかわからないし、大きさとか丈とかも確認した方が良いんじゃない?」

 メリーが断るより先に、アイゼアは先手を打つ。着られるか確かめるべきだと言えば退路を断ったも同然だろう。少なくとも一着は着ない理由がない。

「なら、山吹色の方だけ……」
「お手伝いしますし、折角ですから両方ご試着なされてはいかがですか? 片付け等は私共にお任せ下さいませ!」
「黄緑の方は試着する意味がないんですけど」
「では黄緑の方から先に試着してしまいましょう」
「何でそうなるんですか。アイゼアさん、説明してあげてくださいよ」

 メイドたちもなぜかやる気に満ち溢れている。こちらに助けを求めてくるメリーを援護してあげたい気持ちはあるのだが、両方試着した姿を見たい気持ちが圧倒的に勝っている。メリーには申し訳ないが、ここは敢えて知らぬ存ぜぬを通すことにした。

「じゃ、僕は外で待ってるから。着替えたら声かけてねー」
「何言ってるんですか、アイゼアさん!?」

 信じられないと言いたげなメリーの目が零れんばかりに見開かれる。

「では着替えましょうか。私がビスチェとボールガウン用のペチコートを探して参ります。アナ、メリー様にドレスの準備を」
「任せて下さい、タグリアさん。さぁさぁメリー様、どうぞこちらへ」
「えぇ!? 何で無視するんですか、アイゼアさん! 酷くないですか? アイゼアさん! アイゼアさんっ!!」

 メリーの全力の嘆きを背中に、アイゼアは廊下に出て部屋の扉を閉めた。しんと静かな廊下で壁に背を預ける。

 ドキドキと胸を打つ鼓動は胸の高鳴りか、はたまたこの後来るかもしれない惨劇への予感か。
 不機嫌になることはわかっていながら素直に自身の願望に従って試着する流れにしてしまった。メリーのドレス姿に期待し、楽しみに胸を高鳴らせるほど、あの嘆きを聞かなかったことにした罪悪感も募る。

「メリー様、とってもお似合いです! アイゼア様、準備が整いましたよ!」

 しばらくしてから聞こえてきたアナの声に、気を引き締める。あからさまに顔に出してこちらの感情を気取られる訳にはいかない。

 ドアノブに手をかけて部屋の中へ入り、メリーへ視線を向けると自然と目が合った。くすんだ薄黄緑色のドレスと相変わらず抜けるように白い肌が外から差し込む日の光を受け、静謐さを感じる美しさを纏っていた。森の精霊が見えたらこんな感じなのだろうかと思うほど似合っている。
 などと、全て言葉にすればきっと顔をしわしわにして嫌がられるだろう。あの緊張した表情を見れば簡単に察しはついた。

「……すごくよく似合ってるよ。大人っぽさもあるし、ぴったりじゃない? 選ばないのが惜しいくらいだね」

 当たり障りのない言葉を選んだが、改めて口にするとじわじわと頬が緩む。普段の笑みになるように自身の表情に意識を配りながら、考えるような素振りで口元を手で軽く覆う。メリーは段々と眉尻を下げ、呆れたような目をしていた。

「あの、世辞せじは良いので早く部屋を出てください。さっさと次を着ますから……」

 何となく視線が逸らされたままになっているメリーにいつもと違う違和感を感じた。そわそわと落ち着きがなく、忙しなく手の甲をさすっている。

「……もしかして、照れてる?」

 言えば面倒になるとわかっていながら、思ったまま素直に尋ねてみると、メリーは目を細めてあからさまに不快感を示す。

「その銀髪、チリチリの黒髪にされたいんですか」

 少しだけ懐かしさを感じる真冬の北風のような眼差しを受けても不思議と嫌な感じはない。むしろ表情が変わっていくのを見るのがわりと好きなのかもしれない。

 暢気にそんなことを考えている間に、メリーは容赦なく虚空から杖を呼び出しこちらへ向ける。わりと本気だ。何か言おうと口を開くより先に、命知らずのアナがメリーの前へと躍り出る。

「うわぁー、すっごい! 見ました、タグリアさん? 何もないところからキラーンって杖が出たんですよ! めっちゃかぁっこいいー!」
「えぇー……」
「アナ、下がりなさい。無礼ですよ」

 振り返ってタグリアを見るアナの瞳は憧れからかキラキラと輝いている。この一撃で殺る気を削がれたのか、メリーはげんなりとしながらさっさと杖を虚空へと戻した。

「もう一度杖を出して見せてくださいませ、メリー様!」
「いい加減になさい。メリー様、躾が行き届いておらずご迷惑をおかけしてしまい申し訳ございません」
「はぁ……別にそれは良いんですけど。それより、次の試着を済ませたいので手伝ってもらえると助かるのですが」
「もちろんでございます!」

 アナたちのおかげで特に労せず怒りが収まり、頭髪は無事守られた。
 メリーにとっては黄緑色のドレスの試着は無駄な行為なのだろうが、アイゼアとしてはこの姿を見られたこと自体に十分意味がある。今度こそボコボコにされかねないので、死んでも口にする気はないが。

「また出て待ってるから、終わったら呼んでね」
「承知いたしました」

 メイド二人に声をかけて、再び廊下へと戻る。ふと自身のコートが埃で薄く汚れていることに気づいた。おそらく先程ドレスをクローゼットに取りに行ったときだろう。一度コートを脱ぎ、丁寧に埃を払っていく。

「アイゼア様、メリー様の支度が整いました。どうぞお入り下さい」

 タグリアに呼ばれ、慌ててコートを羽織り直して部屋へ入る。
 山吹色のドレスは鮮やかに強く主張しながら、控えめな露出が清楚さを演出している。宝飾品も何もつけていないにも関わらずきらびやかな雰囲気があり、とても映えて見える。

「いいね。こっちも清楚ですごく似合ってる。色が華やかだから、落ち着きすぎてなくて見栄えもするし、まさに舞踏会の場に相応しいって感じだね」

 その華やかで可愛らしい姿に赤い絨毯と眩い照明で彩られた舞踏会の光景が一瞬周りに見えたような気がした。舞踏会へ行く実感と共に顔が綻び、少しだけくすぐったさと照れのようなものを感じる。

「アイゼア様。ドレスですがどちらもほつれや小さな傷があります。仕立て屋に修繕に出せば着られるとは思うのですが、この時期どこも忙しく請け負ってくれるかはわかりません」
「うーん……ほつれと傷かぁ。残念だけど、メリーにそんなものを着せて連れて行くわけにはいかないよね」

 クローゼットの中でよく見えていなかったのもあるもしれないが、やはり家事仕事に従事しているメイドたちの目は鋭い。ほつれや小さな傷のあるものを着せれば、きっとドレスの事だけでも陰口が飛ぶに違いない。

「ちょっと待ってください。私たちには強力な助っ人がいるじゃないですか」
「助っ人?」
「エルヴェさんですよ。一度話をして依頼できないか聞いてみる価値はあると思います」

 エルヴェは以前、家事全般仕事を問わず得意だと言っていた。その中に裁縫も含まれていたことを覚えている。料理の腕が素晴らしいということはすでに騎士団の食堂でも実証済みだ。裁縫の腕にも大いに期待できるだろう。

「このドレスを持って行きましょう!」
「そうだね。じゃあ廊下で待ってるよ」

 しばらく待っていると、メリーはドレスなどが入っているであろう大きな鞄を両手に抱えて出てきた。小柄な体で必死に掴んでおり、慌てて受け取る。ドレスにかなり布が使われていることもあり、相当な重量だった。これをメリーに運ばせるのは酷だ。

 片方は持つというメリーを言いくるめ、両方の鞄を自分が運ぶように説得した。こういうところでくらい頑張らせてもらわないといよいよ立つ瀬がない。


 玄関から庭へと出ると、日差しを受けた芝の眩しさに反射的に目を細める。
 エルヴェは今日も食堂で働いているはずだ。昼食と夕食の間のこの時間ならあまり忙しくはないだろう。

「アイゼアさん、私の目線あたりまで屈んでもらえませんか?」
「え? いいけど……こう?」

 あまりにも唐突なお願いに、理由を推測する暇はなかった。アイゼアは膝を軽く曲げ、背中を丸めてメリーを少し見上げるくらいの高さに合わせる。

 その瞬間メリーの手が頭上へと伸び、まるで撫でるようにさわさわと髪に優しく触れてくる。予想だにしなかった行動に思わず体が強張り、変な声が出そうになるのをこらえる。指先や手のひらの感覚の何とも言えない温もりとくすぐったさに生殺しにされているような心地だった。

「もう良いですよ」

 メリーの声と共に手が頭から離れていく。少しだけ名残惜しく感じながら、顔を上げる前に慌てて表情を取り繕った。僅かに頬が熱く感じるのだけが不安だ。照れていることがメリーに気づかれなければいいが。

「……えっと、今何してたの?」
「頭、埃が少し被ってましたよ」
「えっ! 服の方はちゃんと払ったんだけど、髪の方は失念してた……」

 先程コートについていた埃を払ったことを思い出す。ドレスを探す際に積もっていた埃が舞い、髪についていても何もおかしくはなかった。隙をつかれたような恥ずかしさまでが一気に込み上げ、途端に顔が熱くなって火照る。

 表情はいくら取り繕えてもさすがに一度赤面してしまえば、自力で戻すことはできない。もう取り返しがつかない程に熱くなった頬をそれでも何とか誤魔化せないかと、顔を背けて歩き出す。
 するとメリーはこちらを追い越し、くるりと振り返って後ろ歩きを始めた。

「ははーぁ……恥ずかしいんですね?」
 悪戯いたずらっぽく笑いながら、メリーは尋ねてくる。メリーにももう伝わってしまっていると自覚すると、ますます恥ずかしさと照れが加速していく。

「頬が赤いですよ。そんな顔もするんですねぇ〜」
「あぁ、もう……君は意地が悪いなぁー」

 そんなふうに言いながらもこのやり取りが楽しくてにやけてしまいそうになる。両手が鞄で塞がれているせいで、赤い頬も情けない表情も晒されたままだ。

「意地が悪い? さっきの仕返しですよ。やられたらやり返さないと気が済まない性質たちなんで」

 あっけらかんと言い放ち、飾り気もなく高らかに笑うメリーは上機嫌だ。楽しそうに、軽やかに歩いていくその後ろ姿に手を伸ばしたくなる。

 だが、追うなと冷静な自分が警告していた。もう何度目かもわからない胸の奥が締め付けられるような感覚に苦しくなる。今のこの瞬間、両手が鞄で塞がっていることにアイゼアは感謝した。

 メリーは赤面してしまった本当の理由を知らない。埃をそのままにしていたという醜態しゅうたいのおかげで何となく誤魔化されているような気もして、もうそれならそれでいいやと開き直ることにした。


第17話 君はまだ何も知らなくていい  終
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