前章

 昨日から天気も良く、澄んだ冬の青空がメリーの頭上に広がっている。
 コツコツと靴音を軽快に鳴らし、それぞれの目的で様々な方向へ向かう人を避けながら、メリーもまた目的地へ向かって歩いていた。

 中央区、中央広場の噴水前。そこがアイゼアとの待ち合わせ場所だ。今日は舞踏会用のドレスを一緒に探しに行く約束をしている。

 土地勘があまりないため、遅刻してしまわないようにかなり早く家を出た。懐中時計を開くと待ち合わせの時間の十五分前を指している。目的地の噴水が雑踏の向こう側に見え、無事に辿り着けたことに安堵あんどした。
 これならアイゼアを待たせることもないだろうと思ったとき、噴水の近くに見慣れた銀髪の青年の姿を見つける。

「うわ、早……」

 という至極普通な感想が口から漏れ、なぜ先にいるのかという疑問が真っ先に湧き上がった。この中央広場からアイゼアが寝泊まりしている騎士団宿舎はかなり近いところにある。そもそも数分で到着できる距離だとアイゼア自身が言っていた。

 いくらなんでも来るのが早すぎる。決して悪いことではないのだが、自分がアイゼアなら精々早くても五分前くらいを狙って来るだろう。
 アイゼアの方へ近づくとこちらに気づいたのか、軽く手を振って歩いてくる。

「アイゼアさん、もっとゆっくり来たら良かったんじゃないですか? 十五分も前だからさすがに私が先だと思ったんですけど」
「騎士は時間厳守だからその癖かな? でも、メリーを待たせなくて済んで良かったよ」

 アイゼアは特別なことでもないといった感じでふわりと微笑みかけてくる。待たせないようにという意識はわかるが、十五分よりも前から待っていたというのはさすがに真面目すぎだ。

「私は道に迷って遅刻しないように早く出ただけですから。次はもっとゆっくりで良いですよ」
「わかった。次はもう少し遅めに来るよ」

 より一層笑みを深くしたアイゼアの様子から、今日はかなり機嫌が良いのがわかる。元々感情も機嫌も一定に保っている彼が見てわかる程度に顔に出ているのは珍しい気もした。

「何か良いことでもありました?」

 何の気もなしに気になったので尋ねてみたが、アイゼアからは休日だからじゃないかな、と適当な言葉ではぐらかされた……ような気がする。

「北区の店はどこも確実に破産できる価格だろうから、中央区と西区に探しに行く予定だけどそれでいいかい?」
「構いません。宮廷舞踏会に着ていくのにギリギリ合格って感じのドレスでいいですからね」
「僕に財力があればもう少し良いものを買ってあげられたんだろうけど……」

 宮廷舞踏会ともなると、それなりに格式高いドレスが必要になってくる。それに見合うようなギリギリ合格のドレスですら相当値が張るだろう。自分の持ち合わせが足りると良いのだが。

 不甲斐ないと呟きながら苦笑するアイゼアに、メリーはそんなことはないと首を横に振って否定した。元々貴族が購入するものなのだ。あまり財力のない貴族にとって厳しい出費だということは、何もアイゼアに限った話ではない。

 それがわからないのは貴族というものから遠く、きらびやかな世界で贅沢をしているのだと勘違いしている平民くらいのものだ。そんな暮らしをしている貴族は上澄みにすぎないというのに。

「アイゼアさんばかりに任せきりにしませんよ。そのために私がいるんです」

 正直金銭面ではあまり自信がないのだが、少しでもアイゼアに安心してもらえるように虚勢を張った。

「メリーのそういうとこ、すごく頼もしいよ」

 アイゼアがいつも通りの表情に戻ったところで、早速ドレス探しに最初のお店へと向かった。




 中央区と西区の店を一通り見て回る頃にはすっかり昼を過ぎていた。二人でカフェに入り、少し遅い昼食を食べている。

「ドレスってどれもあんなに高いんですねー。びっくりしました」
「本当にね。困ったな……」

 気にしてないように取り繕ってはいるが、正直食事の味もわからないほどメリーは内心困り果てていた。

 どの店へ行っても安いもので年収の半分が軽く飛んでいく値段だった。本来であれば互いに折半すれば払えない金額ではないのだが、家を買ったばかりのメリーにそこまでの貯金は残っていなかった。

 あのときにほぼゼロまで貯金がなくなり、今は生活費などを出しながら貯めた貯金が少しあるだけだ。ペシェにしつこくせっつかれ、通常よりは魔法薬制作の仕事を頑張ってきたおかげで貯金はもうすぐ月収二ヶ月分くらいに届きそうになっている。家を買ってから約二ヶ月、一人暮らしをしながらなのだから上々だと自分を褒めたいくらいなのだが、ドレスを買うのには全然足りてないというのが現実だった。

「せめてあと数カ月猶予があればドレス代くらい工面するんですけど……戦力にならなくて本当にすみません」
「メリーが謝ることじゃないよ」

 こうなるとわかっていれば、のんびり好きなように仕事すれば良いなどという考えは捨てていた。全力で稼げば手が届いたかもしれないのに、という無駄な後悔が頭を占めている。

「やっぱり僕が君にお願いしたことなんだし、ドレス代は僕が全額支払う。いや、支払わせてくれないかな?」

 貯金をはたいて自分が買うとアイゼアはずっと言い続けてくれているのだが、メリーは断固として拒否していた。一人に負担をかけさせたくないというのもあるが、もう一つ理由がある。

「ダメです。アイゼアさんは家督をカストルさんとポルッカさんに譲るつもりなんですよね?」
「そのつもりだよ。まだ二人を社交の場に連れて行ったことはないんだけどね」

 成人より前に親に同伴し、社交界というものを学ぶ子供はそれなりにいる。カストルとポルッカはその経験がなく、アイゼアがなぜ連れて行かないのかは何となく察しがついた。

「なら尚更その貯金は、二人が社交界に進出するときに使われるべきです。少なくとも成人のときには二人に一式ずつあなたが買い与える必要が出てくるんですよ。さっき見てたものより、もっと良い物を二人へ買ってあげたいと思わないんですか」

 二人のためにより良いものを、そんなことアイゼアの方が強く思っていることだとわかりきっている。
 それでもアイゼアの責任感は二人にだけ向いているものではない。メリーにもまた、自分で何とかしなければと思っているのだろう。だからこそ優先すべき相手が誰なのか語気を強めてハッキリと伝えたのだ。

 アイゼアはいつもとほとんど変わらない様子だが、瞳が少しだけ切なげに揺らいだような気がした。それは少し言い過ぎたかもしれないという意識から来る勝手な思い込みかもしれないが。

「あの、責めてるわけじゃなくて……二人の成人までの一時凌ぎだってことは忘れちゃダメだと思ったんです」
「大丈夫、メリーの言いたいことはわかるよ。二人の未来まで案じてくれてありがとう」

 とは言ったものの打開策がなければただの戯言ざれごとでしかない。何か大金をかけずともドレスを調達する手段はないものかと思考を全力で巡らせる。

「誰か貴族の友人がいれば借りれたかもなんですけどね」
「頼めそうなのはサヴァランくらいだけど、彼の家は男ばかり三人兄弟なんだよね。特殊任務隊は叩き上げが多いから平民ばかりだし」
「私も貴族の友人なんてそれこそアイゼアさんくらいで──

 メリーの中に一人だけ貴族だったはずの女性の影がチラつく。会ったことも話したこともない人だが、もしかしたらという可能性にかけ、アイゼアをまっすぐに捉えた。

「アイゼアさん、少し図々しい話をしても良いですか?」
「図々しい……? 構わないけど」
「あなたのお母様は、ドレスの一着くらいは持っていたのでは?」
「……あ」

 アイゼアはハッと息を飲む。思った通り心当たりがあるようだ。

「叔母様はドレスは体型が合わないって置いていったから、もしかしたら実家に残ってるかもしれない」

 以前梔子くちなしの木を移植する際に会ったアイゼアの叔母を思い出す。恰幅かっぷくが良かったことを考えると養母は普通くらいか痩身だったのだろう。

「お母様と私の体型が近いと良いんですけどね」
「体型はあまり変わらないと思うけど、身長はもう少し高かったかも。でも……母様のお下がりってことになるけど、メリーはそれでいいの?」
「嫌なら絶対提案しませんよ」

 アイゼアが無駄な出費をしなくて済むなら何だって構わなかった。とはいえ、アイゼアの母の形見を借りるわけで、彼にそれはできないと言われてしまえばお終いだが。

「とりあえず実家に行って探してみようか」

 アイゼアが提案に乗ってくれたおかげで、一筋の光明が差した。互いが納得できる案が出たことでメリーは少しだけ安堵する。思い立ったが吉日、急いで昼食を押し込み、アイゼアと共に彼の実家へと向かった。




「アイゼアです。戻りました」

 アイゼアの一歩後ろについて、屋敷の中へと入る。奥から執事のノーゼンが顔を出し、笑いジワを目尻に作りながら穏やかに顔を綻ばせた。アイゼアの帰りを歓迎しているのがそれだけでもわかる。

「おかえりなさいませ、アイゼア様」
「来て早々にすまないが、母様の遺品に舞踏会に使えそうなドレスがなかったか覚えてるかな?」
「ラランジャ様のドレスですね。二階の遺品が置かれた部屋のクローゼットに何着かあったと記憶しておりますが……」
「ありがとう、ノーゼン。メリー、少しここで待ってて」

 アイゼアは二階ではなく、一階の廊下の方へと歩いていく。

 何をしに行ったのか疑問に思っていると、ノーゼンはその背中を慈しむように目を細めて見つめながら口を開いた。

「アイゼア様は急ぎでない限り、帰ってきたとき必ず奥様たちにご挨拶なされるのです。礼儀は通すのだと仰られておりました。ご立派に成長なされたお姿を養父母であられたヒューゴ様とラランジャ様にもお見せしたかったくらいです」

 以前会ったときの叔母家族の様子を思い出す。きっと挨拶しても良い顔はされないだろうが、礼儀を通しているだけであれば文句を言われることもないだろう。むしろあの手の人は、礼儀を欠けば喜々として攻撃材料にしてくる。

「お伺いしても良いものかわかりかねますが、ドレスを取りに来られたということは、今年の舞踏会はメリー様がアイゼア様と参加なされるのですか?」
「はい。ドレスも何も持ってなくて困らせてしまってますけどね」

 本来ならそういう面も含めて手の掛からない相手が見つかった方が良かったのだろうが、メリーにも紹介できそうな知人はいない。
 ノーゼンは穏やかに笑みを浮かべたまま、メリーの言葉を否定するようにゆっくりと首を横に振る。

「そんなことはございません。ヒューゴ様とラランジャ様に代わり、私から感謝申し上げます」

 大げさだと感じつつも、アイゼアの両親が生きていた頃から仕えていたということは、アイゼアが引き取られてから今までを見守ってきた人物でもある。ノーゼンにとっても、アイゼアは息子のような存在なのかもしれない。

「アイゼア様は今でこそ穏やかに笑っておられますが、幼い頃からつらく寂しい思いをされてきた方なのです。やっと笑うようになられたかと思えば、結局苦しい立場に身を置いておられる」

 やっと笑うようになった、ということは、アイゼアにはほとんど笑わない時期があったのだろう。それがいつのことなのか、どれくらいの期間だったのかメリーにはわからないが、今の彼からは全く想像もつかないことだと思った。

「舞踏会という場はアイゼア様にとっては戦場のようなものなのです。どうかあの方をよろしくお願いいたします」

 それはメリーも承知している。アイゼアに限った話ではない。元々社交の場は武力を伴わない戦場だ。正直に言えばあまり得意ではない。

「最善は尽くすつもりです」

 憂いを抱えるノーゼンを安心させるように、余裕のある笑みを作ってみせた。
 コツコツという足音共に近づく気配に、メリーとノーゼンは顔を向ける。

「メリー、待たせてごめん。行こうか」

 メリーはノーゼンと会釈を交わし、アイゼアと物置になっている部屋へと向かった。


第16話 あなたと私で征く戦場  終
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