前章

 時刻は正午。少しでも時間を捻出するため、アイゼアは作業の如く昼食を腹に捩じ込む。今日はすぐに食べ終わりそうなトマトソースのパスタを選んだ。正直麺類は飲み物だと思っている。

「おいおい、そんな慌てて食べると喉に詰まらせちゃうぞー」

 苦笑しながらアイゼアの前に座ったのは友人のサヴァランだ。この忙しい日に厄介なヤツに捕まってしまったと心の中で呟く。

「なぁなぁ、アイゼア。もう今年の相手見つかったんだろー?」

 唐突に話を振られて何の事だかわからず、高速でパスタを咀嚼そしゃくしながら目線だけで訴える。

「えー、この時期なら決まってんじゃん。建国記念祝賀舞踏会の相手っしょ」

建国記念祝賀舞踏会。

 その単語を聞いた瞬間、毛糸玉のように巻き付けて口に入れたパスタを全く噛まずに丸呑みしてしまい喉に詰まらせた。

「ちょ、アイゼアっ……水!」

 喉が押し広げられるように痛み、サヴァランから受け取った水を飲んで流し込む。思いきり咽せながら、涙のにじむ目でサヴァランを見た。

「すっかり忘れてた……いろんな意味でヤバいって今物凄く思ったね」

 相手を探していないという意味でも、喉に詰まらせて死にかけたという意味でも、だ。

「忘れてた!? いっつも相手探しめっちゃ苦労してたじゃん。ホントどうする気なんだよー」
「本当にどうしようね。受けてくれそうな人は思い当たらないし……」

 相手など思い当たるわけがない。アイゼアは今でこそウィンスレットの名を背負う貴族という扱いだが、元は貧民区の出身であり、裏闘技場の生き残りでもあった。

 貴族などというきらびやかな生まれの者たちから見れば卑しい身分の生まれで、子供の頃から人を殺めた経験を持つ犯罪者という見方をする者が大半だ。

 更に、自身の養父母であるウィンスレット夫妻は殺害されて死去している。尊敬していた養父母を失ったあの時、財産を叔母に奪われ、まだ三歳だった幼い弟と妹を抱え、路頭に迷ったような気分だった。

 心身共に憔悴しょうすいしながらも仲間に助けられて危機を脱し、養父母を殺した集団は協力してくれた仲間たちと共にほぼ壊滅まで追い込んだ。そうして何とか騎士の使命を全うした。だがそんなアイゼアを待っていたのは、容赦のない偏見に満ちた暴言だった。

「貴族位を手にするために養父母を殺し、その協力者をも売って騎士としても名を上げたのか」
下賤げせんな生まれの人間はどこまで卑しく狡猾で残忍なんだ! あぁ……恐ろしい!」

 どんなに違うと訴えても大半の貴族たちはアイゼアの言葉になど耳を貸そうともしない。理解してくれるのは養父母と親しくしていた騎士や、アイゼアと共に任務をこなし、人柄を知ってくれている者たちだけだった。

 そんなわけで、舞踏会に共に出向いてくれる者が毎年いない。いないので探すしかないのだが、基本的には断られる。いつもはサヴァランの力を借り、ラウィーニア公爵家の令息に恩が売れるということで付き合ってくれる女性を探す。何とも情けない話だが。

 だがそれも年々厳しくなってきている。それは舞踏会という場でひそひそと心無い暴言が飛んでくるからだ。その暴言はアイゼアだけでなく同伴している女性にも無遠慮に向けられる。

 一曲は何とか約束通り持ちこたえてくれるのだが、結局耐えきれず途中で帰ってしまうため、アイゼアは舞踏会に最後までいられたことがなかった。年を追うごとにそれは知れ渡っていき、次第に探すのが難しくなっているというのが現状だ。

 この舞踏会は国王陛下もとても大切にしている行事の一つであり、カストルかポルッカに家督を譲るまではきちんと出席しておきたい。養父母やウィンスレットの家名のため、貴族位を維持していかなければという使命感もある。
 今でこそ権力を奪ったなどと言われるが、二人に譲って自分は社交界から退けばそれも少しずつ収束してくれるだろう。

「ったくー……今年何も言ってこないのは、てっきりあの子と行く約束してるからだってブリットルと話てたってのに」
「……あの子?」

 サヴァランの口ぶりでは、アイゼアの相手として誰かを明確に思い描いているようだった。「一人しかいなくない?」とサヴァランは呆れ混じりの困惑した表情で一つため息をつく。

「メリーでしょ。家庭事情は複雑だけど、一応スピリアの御三家令嬢じゃないの? 肝も座ってるし、適任じゃんって思ってたからさぁー」

 確かにメリーであればきっと、飛んでくる暴言に怯むことはないだろう。

「はは〜ん……その顔、悪くないなーって思ってるな?」
「え、そんな顔してたかな」
「してるしてる。オレくらいの付き合いになれば、アイゼアのそういう顔はわかるんだよー」
「誘っていいものなのかな……あんまり傷つけたくはないんだけど」

 メリーは出自こそ複雑なものの、礼儀作法に関しては申し分ない。以前の叔母への対応は、その辺の貴族や自分なんかよりも余程気品のある洗練されたものだった。

 スピリアでも指折りの名家の生まれであった彼女であればとは思うものの、社交の場や舞踏会を嫌がる可能性はあるし、暴言を物ともしなくともやはり内心傷つくのではと心配になる。

「いつもその顔とオレの権力で騙しては、女の子に嫌な思いさせてたんだし、今更じゃん。ま、そのせいで年々誘うのにも苦戦しててめっちゃウケるけど」
「騙したつもりはないんだけどね」
「どーだかなー?」

 アイゼアはいつも通り人聞きの悪い言い方をしてくるサヴァランを無言で睨みつける。

「まぁまぁ睨むなって。妙案を思いついたからさ!」
「え……妙案? 嫌な予感しかないんだけど」

 自分で妙案と言い切るのはどうなのか。そもそもサヴァランの提案で一度痛い思いをした者としてはどうしても警戒してしまう。余程自信があるのかサヴァランは得意げな様子で朗々と言葉を放つ。

「金積めば良いんだよ。世の中大抵それで回る。ほら、依頼って形式で申し込めば割りきって舞踏会に付き合ってくれるかもじゃん?」
「何が妙案だ。ちょっとだけ期待しかけた僕が馬鹿だったよ」

 お金に物を言わせるというのがいかにも貴族様の発想だ。サヴァランは決して平民を見下すような鼻持ちならない貴族ではないが、権力や財力に物を言わせることを躊躇ためらわない。

 貴族社会は権威と札束で殴り合うものだと豪語し、かなり現実的に割り切っている。そのあっけらかんとした価値観と人懐っこさで恨みを買わずに躱すという、ある意味最高に貴族向きな性格をしていた。

 サヴァランのように権力も財力もあれば問題ないのだろうが、アイゼアは一応貴族位はあるが平民と何も変わらない。下手をすればその辺の中流階級の家庭の方がお金を持ってるくらいだろう。

「でも、依頼形式なら確かにある程度割り切って頼みやすくはある……よね」
「ほーら、だよね〜」

 頼み事をするのであれば、やはり新たに知らない人を当たるより、親しい友人であるメリーの方が何かと話しやすい。暴言が飛ぶことなどの細かい話もし、報酬の発生する仕事という形式で割り切って受けてもらえば、そういうものとして心労を和らげられるかもしれない。

 あとはダンスができるかどうかが問題だが、基礎さえなんとかなれば後は自分が支えればいけなくはないだろう。

「メリーにお願いしてみるか……」

 そもそも嫌ならきっと彼女はハッキリ断るだろう。それならそれで構わない。ダメで元々、聞くだけ聞いてみようという気持ちがアイゼアの中で生まれていた。




 後日、非番の日の昼下がりの午後、アイゼアは舞踏会の誘い……もとい依頼をすべくメリーの元を訪ねていた。

「建国記念祝賀舞踏会ですか」
「セントゥーロ王国の建国記念日は十二の月二十五番の日でね。二十四番の日から二十五番の日にかけて行われてるんだよ。貴族には毎年招待状が来るんだけど……」
「そもそも特にダンスが好きというわけでもなく、陰口も叩かれるんですよね? なら無理に出席しなくても不参加で良いんじゃないですか?」

 事情を全て聞いたメリーは、何を悩んでいるのかわからないと首をかしげてから、紅茶を口へと運ぶ。

「家督をカストルかポルッカに譲るまでは、きちんと維持したくてね。だから一応毎年出てるんだよ」
「あ、なるほど。出るのには理由があるんですね。そういうことであれば協力しますよ」
「えっ、本当に!? 本当に……いいのかい?」

 意外な答えに思わずテーブルに手をついてしまい、茶器がけたたましく音を立てた。
 メリーは社交の場、ましてや舞踏会のような催しは嫌うと思っていただけに、想定よりすんなりと承諾してもらえたことに驚きを隠せなかった。

「困ってるみたいですし、私は構いませんよ。それより礼儀作法もダンスもスピリア流ですし、私は移民ですけど、その辺は大丈夫なんですか?」
「招待状を持ってる僕と一緒なら大丈夫。もう本当に来てくれるだけで十分すぎるくらいだよ! ありがとう……ありがとう、メリー!」
「そんなに感極まって感謝されると悪い気はしませんね」

 くすくすと小さく笑うメリーの軽やかな声に、ようやく胸を撫で下ろした。
 ダンスもスピリア流とはいえ身に着けているというのなら話は早い。ようやく不安だった気分も落ち着き、カラカラに乾いてしまった喉を潤すため、紅茶を一口口に含む。

「じゃあ試しに今から一度踊ってみませんか?」
「……!」

 アイゼアは口に含んでいた紅茶を吹き出さないよう飲み下すと、ゴクリと喉が鳴った。積極的な申し出に驚いたが、メリーはいつも通りの変わらない様子でこちらを見ているだけだった。

「練習はしてても誰かと踊る機会……ましてや公式の場でなんて一度もなかったので。依頼として受けたからには、きっちり完璧を目指します。アイゼアさんに恥をかかせるわけにはいきませんから」

 顔には出ていないが、やはり正しく踊れるかどうかが不安なのかもしれない。陰口を叩かれるような環境で、付け入る隙を与えたくないのだろう。

「ぶっつけ本番も怖いし、ついでに国によって違いがないかも確認した方が良いだろうね」

 メリーの申し出を断る理由はない。むしろありがたいぐらいの提案だった。
 だがアイゼアはこのときまで相手を見つけることばかりに必死で、あまり深く考えてはいなかった。舞踏会に出るということは一緒にダンスを踊るということだ。意識した途端僅かに緊張感を覚え、アイゼアは困惑する。

 踊る機会は今までに何度もあり、回数をこなしてきただけあって今更足運びを間違えるなどという心配はしていない。では何に対してそんなに緊張する必要があるというのか。

「室内だと狭いんで裏庭へどうぞ」

 その疑問に答えが出るより先に、メリーに促されるままアイゼアは裏庭へと出た。


第14話 義理と挟持の舞踏会へ君を招待します  終
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