前章
翌日、朝食を少なめに済ませてカエルレウムの街のへと繰り出す。幸い誰も二日酔いになったり体調を崩したりもなかった。今日は街の中で食べ歩きや買い物を楽しむ予定になっている。
カエルレウムからサントルーサは距離があるため、正午にはこの街を離れなくてはならない。アイゼアは明日の朝からまた普通に仕事がある。
自分がいなければのんびりできたのだろうなと、僅かに申し訳なさを感じながら三人と一匹の背中を見守りながら歩く。スイウは今日は猫の姿から戻らず、ずっとエルヴェの肩に乗って運んでもらっていた。
温暖な地域だからなのか、通り沿いの店は扉が開いたままで中の様子や商品がよく見え、まるで露店を彷彿とさせる光景だ。
メリーとフィロメナはフルーツの切り売りをしている店で足を止める。マンゴー、メロン、パイナップル、オレンジ、他にもあまりお目にかかれない果物の盛り合わせが並べられている。その中からカエルレウムで採れる果物が数種類盛り合わせになっているものを二人は選んだ。
「んー、甘くて美味しい〜」
「温暖な地域の野菜や果物は瑞々しくていいですねー」
フィロメナはマンゴーを、メリーはメロンを口にし、その甘さに感動しているようだ。
「スイウ様もお好きな果物ですよ。一つお取りしましょうか?」
「頼む。そこのマンゴーがいい」
「マンゴーですね」
エルヴェが盛り合わせの中からマンゴーを一つ手に取りスイウの口元へ運ぶ。そのままぱくっとマンゴーにかぶりつき、もぐもぐと咀嚼 している。
あの人の姿からでは想像できないほど可愛らしい光景が目の前で繰り広げられている。そう思っているのはアイゼアだけではないらしく、メリーとフィロメナも物珍しそうにそれを眺めていた。
「乾燥してないマンゴーも美味いもんだな。エルヴェ、次はパイナップルを取ってくれ」
「えぇ、わかりました」
スイウはその視線を特に気にすることなくエルヴェへ頼み、エルヴェはそれを快諾し、パイナップルをスイウの口元へ運ぶ。至れり尽くせりである。
「アイゼアさんも食べませんか?」
「うん、貰おうかな」
メリーが手に持っていた盛り合わせの箱を差し出してくる。その中からパイナップルを選び、口に含んだ。
果肉を噛むとじゅわっと果汁が溢れ、強い甘さと爽やかな酸味が口の中いっぱいに広がる。こんなに甘く熟したパイナップルはサントルーサではなかなか食べられない。お土産に果物を買って帰るというのも悪くなさそうだ。
果物を摘みながら店がズラリと並ぶ大通りを歩く。爽やかな暑さと乾いた風が吹き、ヤシの木の葉を揺らしている。
清々しい空気を胸いっぱいに吸い、吐き出す。民芸品やカエルレウム産の独特の模様の焼き物、装飾品や服などを三人は興味深そうに手に取り、会話を弾ませている。
「ねーメリー、こっちの帽子とこっちの帽子、どっちがいいと思う?」
フィロメナは両手に大きな麦わら帽子を持っており、右手のものは麦色で左手のものは白い。
「麦の方がそれらしくて良いんじゃないですか?」
メリーが右手の帽子を指差すと、フィロメナは納得したように麦色の帽子を購入し早速被っている。他にも橙色のゆったりとした丈の長いカエルレウム風のワンピースを買ったようだ。
「メリーとエルヴェは何も買わないのかい?」
「そうですね。何か食べられるものでも買っていこうかなとは思ってますけど、ここで目一杯食べていくのも良いなって思ってます」
「思い出に残るものをと思っていたのですが、昨日戴いたアクアリウム以上のものが見つからないですね。あと、食堂の方々には何を買えばいいのかも悩んでしまって……」
二人はまだこれだと思うものを決めきれていないらしい。
「せっかく来たならいっぱい買ってかなきゃ損じゃないかしら?」
「帰りの交通費は残しとけよ。次の給料日までの生活費とかその辺もな」
何をそんなに迷うの、と首を傾げるフィロメナへ、生活感の溢れる苦言がスイウの口から飛び出す。
「そうだった! 交通費のことだけは忘れかけてたわ……」
「……お前、そんな抜けててよく生活できてるな」
スイウは物を食べたり買ったりする必要がないため、仕事や人らしい生活は送っていない。だが人間だった頃の記憶があるせいか、その辺はフィロメナより余程感覚がしっかりしている。
「まだお金に余裕はあるから大丈夫よ! でも計画的にいかなくちゃよね」
フィロメナは財布の中身を覗き込みながら、ホッと胸を撫で下ろしている。
四人と一匹でそぞろ歩きながら、途中の店にあったクレープを食べ、帰りの移動中に食べるための小さなドーナツや、野菜たっぷりのチリソースのホットサンド、お土産にマンゴーを三つ買った。
日もだいぶ高く上がり、もうすぐ帰らなければならない。
「僕、最後にどうしても寄っていきたいところがあるんだけどいいかな?」
「もちろんです。どこですか?」
「駅の近くだから、他に行きたい所がなければそこに行きたいなって」
時間も丁度いいと賛同を獲られ、アイゼアが提案した店へと向かう。
カエルレウムはカカオの産地の一つであり、非常に質のいいチョコレートやカカオ製品が取り扱われている。カエルレウム産のカカオ製品は評判が良く風味も良いとサヴァランが絶賛していた。買って帰る価値は大いにあるだろう。店先からふわりとチョコレートのような甘い香りが漂う。
「わぁ、チョコレートの香りね!」
「うん。そのチョコレートのお店に行きたいんだよね」
「アイゼアさんってチョコレートが好きなんですか?」
「チョコレートも好きだけど、僕が好きなのはココアかな」
アイゼアはコーヒーも紅茶も嗜 むが、そのどちらよりココアが好きだった。あの甘さと温かさが一番ホッと心が落ち着く気がしている。
「なんか意外ですね」
「そうかな?」
メリーと会話を交わしていると、待ちきれなくなったフィロメナが店へ入っていく。それに倣うようにアイゼアも店へと入ると、カカオ製品が所狭しと並んでいるのが目に飛び込んできた。
「エルヴェ、カエルレウムはカカオの産地ですごく質がいいんだよ。お菓子作りにココアパウダーを買っていくのはどうかな?」
「なるほど、それはとても素敵な提案で……あっ!」
にわかに目を輝かせ始めたエルヴェが、ハッとしたように声を上げる。珍しいなと思いつつエルヴェを眺めていると、こちらを伺うように見上げてきた。
「ココアパウダーで作ったお菓子を、お土産用のココアとあわせて食堂で働く方々にお土産として配ったらどうかと思ったのですが……アイゼア様は今の話どう思われますか?」
「エルヴェのお菓子は絶品だから、きっと喜ばれるよ。カエルレウムに行ったからこそって感じもするし」
名案だね、とエルヴェに返すと、感動したように明るく微笑みうずうずしているようだった。
「私、早速ココアを見て参ります!」
「行ってらっしゃい」
エルヴェとその肩にいるスイウの背中を見送り、アイゼアも自身のココアを見繕 うことにした。
楽しかった旅行も終わり、列車に揺られて海沿いの平原を北上していく。アイゼアは窓の外を眺めながら、夕日に染まる海を眺めていた。
「ふふ、すっかり疲れてしまったんでしょうね」
エルヴェが小さく呟き、正面を見るとメリーとフィロメナが互いに寄りかかるようにして眠っている。二人共大人だというのにどこかあどけなさのある寝顔にアイゼアも小さく笑みが漏れた。
エルヴェの膝の上で丸くなっていたスイウが伸びをし、ぴょんとメリーの膝の上へと飛び乗る。そのままスイウはジッとメリーを見上げ続けていた。不可解な行動に思わずエルヴェと顔を見合わせる。
「スイウ様、起こしてしまっては可哀想です」
エルヴェが声を潜めてスイウに注意するが、スイウは聞いているのかいないのか相変わらずそのまま動こうとしない。スイウは無駄な行動を取るような性格でもなく、無闇に人の睡眠を妨害するような人でもない。何か事情があることは間違いなく、アイゼアは何となく嫌な感じがした。
「スイウ、メリーに何かあった?」
声色を落とし、スイウ自身の行動ではなくメリーに関する質問として投げかける。
「……いや」
それだけ呟くと、スイウは再びエルヴェの膝 の上に戻り丸くなる。だがその視線はメリーへと注がれたままだ。夕日はますます色濃くなり、空を赤く染めていた。炎のように揺らめく夕日の光がチクリと小さく胸を刺す。
「ねぇ、僕さ……気のせいかもしれないけど、メリーが消えそうだって思うことがあるんだけど……」
スイウはピクリの耳を動かし、こちらへと視線を向けた。その鋭い目が月が満ちるように僅かに丸くなり、続きを促す。
「初めて感じたときは少しの間メリーを認識できなくなった。メリーはずっと近くにいたって言うんだけどね。だからその時は気のせいかもって流したんだけど」
「昨日、やっぱり変だと思ったんだろ?」
アイゼアはスイウへ肯定の意を込めて頷 く。エルヴェは事態が飲み込めないのか、静かに聞きに徹していた。
「人間のくせによく気づいたな。消えそうって感覚もお前の勘の良さだな。あの時メリーは人としての気配がだいぶ薄くなってた。だから消えそうだと感じたんだろ」
人としての気配が薄くなるというのはどういうことなのだろうか。気配を抑えることはあっても、知らないうちに薄くなるというのはさすがに聞いたことがない。
「俺を呼び戻した弊害の一つが出たってことだ」
「それ、どういう意味?」
スイウの言葉に何か薄ら寒いものを感じた。嫌な予感のようなものが、胸の内で膨 れ上がる。
「悪いが細かい理由は冥王との約束で話せん。それはメリーやフィロメナも同じだ」
「そっか……」
スイウを引き戻すのは決して簡単なことではなかったはずだ。もしかしたら冥王と何か取引をしたのかもしれない。
とにかく冥界で何かがあって、メリーは今こうなっている。漠然と理由も知らず不安に駆られるより、この違和感にハッキリと答えが出ただけまだ良いのかもしれないが。
「メリーとフィロメナには言ったが、死人を引き戻そうなんてのは阿呆のすることだ。これは禁忌に近いものを犯した罰……その代償だ」
スイウの重々しい言葉に、何が何でもメリーをあの時止めるべきだったのかという迷いのようなものが今更生まれる。
いや、その可能性はすでにメリーには提示した。冥界には生者は足を踏み入れてはならない、帰ってこられるかわからない、そうクロミツも話していた。
それでもメリーは帰ってくると断言し、行くと言って聞かなかった。命を引き換えにする覚悟の決まった者に代償の話をしたところで止まるはずもない。
「つっても、過ぎたことは仕方ない。お前らが喚いてもこの阿呆は止まらんだろうし。何せ、冥王にまで食って掛かってったらしいからな」
冥界で何があったのかはわからないが、メリーは冥王に対してもかなり強気で立ち向かったようだ。スイウなりの励ましを素直に聞き入れ、これから先どうすべきなのかをアイゼアは考える。
「元々黄昏の月は死の気配を纏 ってる分、人としても曖昧な存在だ。人としての気配が薄まったとき、メリーは人ではないものに傾く。冥界の気配が濃くなって、死の側に飲まれかけてるってことだろうな」
「メリー様がそれに飲まれたらどうなるのか、スイウ様はご存知なのですか?」
それに対しスイウは首を横に振る。
「冥界に引き込まれて死ぬのか、完全に人ではない何かになり果てるのか、それとも漠然と死にたくなって自殺するのか、俺らのように魂そのものが消滅して消え失せるのか……まぁ考えられる範囲ではそのどれかってとこだろうな」
飲まれればどの道、死は確定ということで間違いないようだ。
「どうしたらメリーを助けられるか、スイウは知ってるかい?」
それに対してもスイウは首を横に振り、「これは推測だが」と口を開く。
「メリーは死ぬ理由はいくらでもあるが、生きる理由に乏しい。たぶんそれが一番まずい……気がしてる」
「どういう意味?」
「簡単な話だ。死の側に傾 くのは生に執着がないからだ。メリーは守るためなら簡単に自分の命を投げ出すが、これのために死ぬわけにはいかないってものがない」
スイウの言う通り、メリーは仲間や大切な人のためならその命を簡単に捨ててしまう。それは今まで共に過ごしてきた者なら嫌というほど理解していることだ。
守るためならいつでも死ねる。
ならばメリーは何のために生きる?
アイゼアはその疑問に答えることができない。スイウが言いたいのはきっとそういうことだ。
「生きる理由がなければ人は簡単に些細 なことで死に魅入られる。あちらへの傾きが強いヤツは更に簡単に引き込まれる。当然の道理だろ。だからこっちに繋ぎ続けられるかはどれだけ未練が作れるか、メリー自身が生きていたいと思えるかにかかってるかもなっていう推測だ」
「未練と生きる理由、ですか。少々難しく感じますね。そもそも私もそういったものが乏しい側ですので」
それはそうだろう、とスイウは同意する。
「エルヴェには悪いが、執着を持つには、お前の生と死は曖昧すぎる」
「確かに……壊れても治せば普通にまた動き始めますし、放置すれば死んだようなものです。私の死はどこからなのか、死とはどの状態にあたるのか明言できませんね。ですが、あまり死にたいとは思っていません。今一緒にいる方々とまた明日も過ごしたいという思いはあります」
エルヴェの生きる理由は小さくささやかな弱いものではある。それでも明日への希望を持って毎日を過ごしているというのは、以前の彼の在り方を思えばかなり良い変化だとアイゼアは思った。
「アイゼア、お前は死にたいか?」
「いやいや、死にたいわけないでしょ」
「どうして死にたくない? 死ねない理由は何だ?」
スイウに問われ考える。単純に死への恐怖心もあるが、幼いカストルやポルッカを遺しては逝けない、悲しませたくないという思いが胸の内にある。
先に亡くなってしまった養父母のためにも二人が大人になるまで、できればその先の人生も見守っていきたい。自身も穏やかで小さな幸せを積み重ねるような人生を歩んでみたい。先の未来をこの目で見たいからまだ死にたくない。そんな複数の思いがアイゼアの中にはある。
「僕は悲しませたくない人の存在とか、未来への期待が自分にそう思わせてる……気がする。死んだら未来は見れないからね」
「メリーにも同じことを思わせればいい。死にたくない理由ができるのが一番手っ取り早いからな」
「メリー様の未来への希望と期待ですか……うーん……」
スイウは簡単に言うが、他人の生きる理由を作るというのは簡単なことではないだろう。今もなお眠り続けるメリーを複雑な心境でアイゼアは見つめる。
スイウを救ったために、いつ飲まれて死ぬかもわからないギリギリの境界にメリーは立っている。立たせたのは紛れもなく自分の責任でもあった。
そう本人に言えばきっと「関係ありません。自分で選んだことですから」と平然と言って退けるのだろう。彼女の鋭く尖った強さも、それ故の危うさも、アイゼアはよく知っている。
「ついでに一つ助言をやる。黄昏時……それも日没の時間帯が一番冥界の気配が濃くなる」
「意外だな。夜中とかじゃなくて?」
「昼は生、夜は死。冥界は生と死の狭間にある世界だ。だから黄昏時。それも生から死へ移ろう夕暮れ時が一番危ない。それはメリーに限った話ではないがな。大した話じゃないが、知らんよりは知ってる方がいい話だろ」
「なるほど、確かにね」
だから消えそうだと不安になったのはどちらも夕暮れ時だったのかと妙に納得した。夜が死を司るという話も、妖魔や魔物が活性化するのが夜だということを知ると理に沿った話だ。
「でも、今のメリーは消えそうな感じないよね……」
まだ日は沈んでおらず、しっかりと『黄昏時』だが、昨日のような消えてしまうかもという不安感は全くない。
「それが俺も気になってたとこだ。眠って意識がないから、か……? それとも毎日というわけではないのか。もしくは時間帯だけが条件じゃなく、何かきっかけみたいなもんがあるのかもしれん」
「そのきっかけが判明すれば対処もしやすいのでしょうが……」
何がそうさせているのか、というきっかけにはなかなか思い至らない。頭を悩ませ続けるアイゼアとエルヴェをよそにスイウは鼻で笑った。
「そうまで悩んでやる義理もないだろ、お人好し共が。別に今まで通りでいい。お前らにできるのは、精々縁の繋がりを途切れされないってことだけだ。余程大丈夫だろうし、深刻に捉えすぎるな」
スイウはそう言うが、目の前で認識できなくなった経験があるせいか、本当にこちらに繋ぎきれるのかという不安感は残る。だがそれでも縁を繋ぎ続けるというのは、些細 なことのようでいてとても重要な気がした。
「それと、メリーには言うなよ。変に意識させるより知らん方がいい。フィロメナには俺から言っておく。天族なら少なからず勘付いてる……はずなんだが……コイツ鈍感だからなぁ……」
イマイチその辺りに信用がないのか、スイウは呆れるような視線を眠っているフィロメナへ向けた。
「スイウ、君ってやっぱり優しいよね」
「は?」
スイウは本気で意味がわからないとため息をつく。
それでもアイゼアは思う。人とは違い、常に一線引いた態度を取ってはいるが、彼なりに寄り添おうとしてくれるのではないかと。
メリーだけではない。アイゼアやエルヴェに対しても、言葉は冷たいようでありながら、的確に方針を示し、何ができるのかを提示してくれる。それだけで漠然とした不安感の一部は取り除かれていた。
スイウの存在が頼もしくてありがたい。自分一人では対処しきれないことも、皆がいれば解決していけるという強い気持ちが生まれていた。
この旅行は単に楽しかっただけでなく、皆との絆を再確認する旅にもなったのではないか。そんなことを思いながら、アイゼアは再び夕闇の迫る海へ視線を向けた。
第11話 絆を結んで 終
カエルレウムからサントルーサは距離があるため、正午にはこの街を離れなくてはならない。アイゼアは明日の朝からまた普通に仕事がある。
自分がいなければのんびりできたのだろうなと、僅かに申し訳なさを感じながら三人と一匹の背中を見守りながら歩く。スイウは今日は猫の姿から戻らず、ずっとエルヴェの肩に乗って運んでもらっていた。
温暖な地域だからなのか、通り沿いの店は扉が開いたままで中の様子や商品がよく見え、まるで露店を彷彿とさせる光景だ。
メリーとフィロメナはフルーツの切り売りをしている店で足を止める。マンゴー、メロン、パイナップル、オレンジ、他にもあまりお目にかかれない果物の盛り合わせが並べられている。その中からカエルレウムで採れる果物が数種類盛り合わせになっているものを二人は選んだ。
「んー、甘くて美味しい〜」
「温暖な地域の野菜や果物は瑞々しくていいですねー」
フィロメナはマンゴーを、メリーはメロンを口にし、その甘さに感動しているようだ。
「スイウ様もお好きな果物ですよ。一つお取りしましょうか?」
「頼む。そこのマンゴーがいい」
「マンゴーですね」
エルヴェが盛り合わせの中からマンゴーを一つ手に取りスイウの口元へ運ぶ。そのままぱくっとマンゴーにかぶりつき、もぐもぐと
あの人の姿からでは想像できないほど可愛らしい光景が目の前で繰り広げられている。そう思っているのはアイゼアだけではないらしく、メリーとフィロメナも物珍しそうにそれを眺めていた。
「乾燥してないマンゴーも美味いもんだな。エルヴェ、次はパイナップルを取ってくれ」
「えぇ、わかりました」
スイウはその視線を特に気にすることなくエルヴェへ頼み、エルヴェはそれを快諾し、パイナップルをスイウの口元へ運ぶ。至れり尽くせりである。
「アイゼアさんも食べませんか?」
「うん、貰おうかな」
メリーが手に持っていた盛り合わせの箱を差し出してくる。その中からパイナップルを選び、口に含んだ。
果肉を噛むとじゅわっと果汁が溢れ、強い甘さと爽やかな酸味が口の中いっぱいに広がる。こんなに甘く熟したパイナップルはサントルーサではなかなか食べられない。お土産に果物を買って帰るというのも悪くなさそうだ。
果物を摘みながら店がズラリと並ぶ大通りを歩く。爽やかな暑さと乾いた風が吹き、ヤシの木の葉を揺らしている。
清々しい空気を胸いっぱいに吸い、吐き出す。民芸品やカエルレウム産の独特の模様の焼き物、装飾品や服などを三人は興味深そうに手に取り、会話を弾ませている。
「ねーメリー、こっちの帽子とこっちの帽子、どっちがいいと思う?」
フィロメナは両手に大きな麦わら帽子を持っており、右手のものは麦色で左手のものは白い。
「麦の方がそれらしくて良いんじゃないですか?」
メリーが右手の帽子を指差すと、フィロメナは納得したように麦色の帽子を購入し早速被っている。他にも橙色のゆったりとした丈の長いカエルレウム風のワンピースを買ったようだ。
「メリーとエルヴェは何も買わないのかい?」
「そうですね。何か食べられるものでも買っていこうかなとは思ってますけど、ここで目一杯食べていくのも良いなって思ってます」
「思い出に残るものをと思っていたのですが、昨日戴いたアクアリウム以上のものが見つからないですね。あと、食堂の方々には何を買えばいいのかも悩んでしまって……」
二人はまだこれだと思うものを決めきれていないらしい。
「せっかく来たならいっぱい買ってかなきゃ損じゃないかしら?」
「帰りの交通費は残しとけよ。次の給料日までの生活費とかその辺もな」
何をそんなに迷うの、と首を傾げるフィロメナへ、生活感の溢れる苦言がスイウの口から飛び出す。
「そうだった! 交通費のことだけは忘れかけてたわ……」
「……お前、そんな抜けててよく生活できてるな」
スイウは物を食べたり買ったりする必要がないため、仕事や人らしい生活は送っていない。だが人間だった頃の記憶があるせいか、その辺はフィロメナより余程感覚がしっかりしている。
「まだお金に余裕はあるから大丈夫よ! でも計画的にいかなくちゃよね」
フィロメナは財布の中身を覗き込みながら、ホッと胸を撫で下ろしている。
四人と一匹でそぞろ歩きながら、途中の店にあったクレープを食べ、帰りの移動中に食べるための小さなドーナツや、野菜たっぷりのチリソースのホットサンド、お土産にマンゴーを三つ買った。
日もだいぶ高く上がり、もうすぐ帰らなければならない。
「僕、最後にどうしても寄っていきたいところがあるんだけどいいかな?」
「もちろんです。どこですか?」
「駅の近くだから、他に行きたい所がなければそこに行きたいなって」
時間も丁度いいと賛同を獲られ、アイゼアが提案した店へと向かう。
カエルレウムはカカオの産地の一つであり、非常に質のいいチョコレートやカカオ製品が取り扱われている。カエルレウム産のカカオ製品は評判が良く風味も良いとサヴァランが絶賛していた。買って帰る価値は大いにあるだろう。店先からふわりとチョコレートのような甘い香りが漂う。
「わぁ、チョコレートの香りね!」
「うん。そのチョコレートのお店に行きたいんだよね」
「アイゼアさんってチョコレートが好きなんですか?」
「チョコレートも好きだけど、僕が好きなのはココアかな」
アイゼアはコーヒーも紅茶も
「なんか意外ですね」
「そうかな?」
メリーと会話を交わしていると、待ちきれなくなったフィロメナが店へ入っていく。それに倣うようにアイゼアも店へと入ると、カカオ製品が所狭しと並んでいるのが目に飛び込んできた。
「エルヴェ、カエルレウムはカカオの産地ですごく質がいいんだよ。お菓子作りにココアパウダーを買っていくのはどうかな?」
「なるほど、それはとても素敵な提案で……あっ!」
にわかに目を輝かせ始めたエルヴェが、ハッとしたように声を上げる。珍しいなと思いつつエルヴェを眺めていると、こちらを伺うように見上げてきた。
「ココアパウダーで作ったお菓子を、お土産用のココアとあわせて食堂で働く方々にお土産として配ったらどうかと思ったのですが……アイゼア様は今の話どう思われますか?」
「エルヴェのお菓子は絶品だから、きっと喜ばれるよ。カエルレウムに行ったからこそって感じもするし」
名案だね、とエルヴェに返すと、感動したように明るく微笑みうずうずしているようだった。
「私、早速ココアを見て参ります!」
「行ってらっしゃい」
エルヴェとその肩にいるスイウの背中を見送り、アイゼアも自身のココアを
楽しかった旅行も終わり、列車に揺られて海沿いの平原を北上していく。アイゼアは窓の外を眺めながら、夕日に染まる海を眺めていた。
「ふふ、すっかり疲れてしまったんでしょうね」
エルヴェが小さく呟き、正面を見るとメリーとフィロメナが互いに寄りかかるようにして眠っている。二人共大人だというのにどこかあどけなさのある寝顔にアイゼアも小さく笑みが漏れた。
エルヴェの膝の上で丸くなっていたスイウが伸びをし、ぴょんとメリーの膝の上へと飛び乗る。そのままスイウはジッとメリーを見上げ続けていた。不可解な行動に思わずエルヴェと顔を見合わせる。
「スイウ様、起こしてしまっては可哀想です」
エルヴェが声を潜めてスイウに注意するが、スイウは聞いているのかいないのか相変わらずそのまま動こうとしない。スイウは無駄な行動を取るような性格でもなく、無闇に人の睡眠を妨害するような人でもない。何か事情があることは間違いなく、アイゼアは何となく嫌な感じがした。
「スイウ、メリーに何かあった?」
声色を落とし、スイウ自身の行動ではなくメリーに関する質問として投げかける。
「……いや」
それだけ呟くと、スイウは再びエルヴェの
「ねぇ、僕さ……気のせいかもしれないけど、メリーが消えそうだって思うことがあるんだけど……」
スイウはピクリの耳を動かし、こちらへと視線を向けた。その鋭い目が月が満ちるように僅かに丸くなり、続きを促す。
「初めて感じたときは少しの間メリーを認識できなくなった。メリーはずっと近くにいたって言うんだけどね。だからその時は気のせいかもって流したんだけど」
「昨日、やっぱり変だと思ったんだろ?」
アイゼアはスイウへ肯定の意を込めて
「人間のくせによく気づいたな。消えそうって感覚もお前の勘の良さだな。あの時メリーは人としての気配がだいぶ薄くなってた。だから消えそうだと感じたんだろ」
人としての気配が薄くなるというのはどういうことなのだろうか。気配を抑えることはあっても、知らないうちに薄くなるというのはさすがに聞いたことがない。
「俺を呼び戻した弊害の一つが出たってことだ」
「それ、どういう意味?」
スイウの言葉に何か薄ら寒いものを感じた。嫌な予感のようなものが、胸の内で
「悪いが細かい理由は冥王との約束で話せん。それはメリーやフィロメナも同じだ」
「そっか……」
スイウを引き戻すのは決して簡単なことではなかったはずだ。もしかしたら冥王と何か取引をしたのかもしれない。
とにかく冥界で何かがあって、メリーは今こうなっている。漠然と理由も知らず不安に駆られるより、この違和感にハッキリと答えが出ただけまだ良いのかもしれないが。
「メリーとフィロメナには言ったが、死人を引き戻そうなんてのは阿呆のすることだ。これは禁忌に近いものを犯した罰……その代償だ」
スイウの重々しい言葉に、何が何でもメリーをあの時止めるべきだったのかという迷いのようなものが今更生まれる。
いや、その可能性はすでにメリーには提示した。冥界には生者は足を踏み入れてはならない、帰ってこられるかわからない、そうクロミツも話していた。
それでもメリーは帰ってくると断言し、行くと言って聞かなかった。命を引き換えにする覚悟の決まった者に代償の話をしたところで止まるはずもない。
「つっても、過ぎたことは仕方ない。お前らが喚いてもこの阿呆は止まらんだろうし。何せ、冥王にまで食って掛かってったらしいからな」
冥界で何があったのかはわからないが、メリーは冥王に対してもかなり強気で立ち向かったようだ。スイウなりの励ましを素直に聞き入れ、これから先どうすべきなのかをアイゼアは考える。
「元々黄昏の月は死の気配を
「メリー様がそれに飲まれたらどうなるのか、スイウ様はご存知なのですか?」
それに対しスイウは首を横に振る。
「冥界に引き込まれて死ぬのか、完全に人ではない何かになり果てるのか、それとも漠然と死にたくなって自殺するのか、俺らのように魂そのものが消滅して消え失せるのか……まぁ考えられる範囲ではそのどれかってとこだろうな」
飲まれればどの道、死は確定ということで間違いないようだ。
「どうしたらメリーを助けられるか、スイウは知ってるかい?」
それに対してもスイウは首を横に振り、「これは推測だが」と口を開く。
「メリーは死ぬ理由はいくらでもあるが、生きる理由に乏しい。たぶんそれが一番まずい……気がしてる」
「どういう意味?」
「簡単な話だ。死の側に
スイウの言う通り、メリーは仲間や大切な人のためならその命を簡単に捨ててしまう。それは今まで共に過ごしてきた者なら嫌というほど理解していることだ。
守るためならいつでも死ねる。
ならばメリーは何のために生きる?
アイゼアはその疑問に答えることができない。スイウが言いたいのはきっとそういうことだ。
「生きる理由がなければ人は簡単に
「未練と生きる理由、ですか。少々難しく感じますね。そもそも私もそういったものが乏しい側ですので」
それはそうだろう、とスイウは同意する。
「エルヴェには悪いが、執着を持つには、お前の生と死は曖昧すぎる」
「確かに……壊れても治せば普通にまた動き始めますし、放置すれば死んだようなものです。私の死はどこからなのか、死とはどの状態にあたるのか明言できませんね。ですが、あまり死にたいとは思っていません。今一緒にいる方々とまた明日も過ごしたいという思いはあります」
エルヴェの生きる理由は小さくささやかな弱いものではある。それでも明日への希望を持って毎日を過ごしているというのは、以前の彼の在り方を思えばかなり良い変化だとアイゼアは思った。
「アイゼア、お前は死にたいか?」
「いやいや、死にたいわけないでしょ」
「どうして死にたくない? 死ねない理由は何だ?」
スイウに問われ考える。単純に死への恐怖心もあるが、幼いカストルやポルッカを遺しては逝けない、悲しませたくないという思いが胸の内にある。
先に亡くなってしまった養父母のためにも二人が大人になるまで、できればその先の人生も見守っていきたい。自身も穏やかで小さな幸せを積み重ねるような人生を歩んでみたい。先の未来をこの目で見たいからまだ死にたくない。そんな複数の思いがアイゼアの中にはある。
「僕は悲しませたくない人の存在とか、未来への期待が自分にそう思わせてる……気がする。死んだら未来は見れないからね」
「メリーにも同じことを思わせればいい。死にたくない理由ができるのが一番手っ取り早いからな」
「メリー様の未来への希望と期待ですか……うーん……」
スイウは簡単に言うが、他人の生きる理由を作るというのは簡単なことではないだろう。今もなお眠り続けるメリーを複雑な心境でアイゼアは見つめる。
スイウを救ったために、いつ飲まれて死ぬかもわからないギリギリの境界にメリーは立っている。立たせたのは紛れもなく自分の責任でもあった。
そう本人に言えばきっと「関係ありません。自分で選んだことですから」と平然と言って退けるのだろう。彼女の鋭く尖った強さも、それ故の危うさも、アイゼアはよく知っている。
「ついでに一つ助言をやる。黄昏時……それも日没の時間帯が一番冥界の気配が濃くなる」
「意外だな。夜中とかじゃなくて?」
「昼は生、夜は死。冥界は生と死の狭間にある世界だ。だから黄昏時。それも生から死へ移ろう夕暮れ時が一番危ない。それはメリーに限った話ではないがな。大した話じゃないが、知らんよりは知ってる方がいい話だろ」
「なるほど、確かにね」
だから消えそうだと不安になったのはどちらも夕暮れ時だったのかと妙に納得した。夜が死を司るという話も、妖魔や魔物が活性化するのが夜だということを知ると理に沿った話だ。
「でも、今のメリーは消えそうな感じないよね……」
まだ日は沈んでおらず、しっかりと『黄昏時』だが、昨日のような消えてしまうかもという不安感は全くない。
「それが俺も気になってたとこだ。眠って意識がないから、か……? それとも毎日というわけではないのか。もしくは時間帯だけが条件じゃなく、何かきっかけみたいなもんがあるのかもしれん」
「そのきっかけが判明すれば対処もしやすいのでしょうが……」
何がそうさせているのか、というきっかけにはなかなか思い至らない。頭を悩ませ続けるアイゼアとエルヴェをよそにスイウは鼻で笑った。
「そうまで悩んでやる義理もないだろ、お人好し共が。別に今まで通りでいい。お前らにできるのは、精々縁の繋がりを途切れされないってことだけだ。余程大丈夫だろうし、深刻に捉えすぎるな」
スイウはそう言うが、目の前で認識できなくなった経験があるせいか、本当にこちらに繋ぎきれるのかという不安感は残る。だがそれでも縁を繋ぎ続けるというのは、
「それと、メリーには言うなよ。変に意識させるより知らん方がいい。フィロメナには俺から言っておく。天族なら少なからず勘付いてる……はずなんだが……コイツ鈍感だからなぁ……」
イマイチその辺りに信用がないのか、スイウは呆れるような視線を眠っているフィロメナへ向けた。
「スイウ、君ってやっぱり優しいよね」
「は?」
スイウは本気で意味がわからないとため息をつく。
それでもアイゼアは思う。人とは違い、常に一線引いた態度を取ってはいるが、彼なりに寄り添おうとしてくれるのではないかと。
メリーだけではない。アイゼアやエルヴェに対しても、言葉は冷たいようでありながら、的確に方針を示し、何ができるのかを提示してくれる。それだけで漠然とした不安感の一部は取り除かれていた。
スイウの存在が頼もしくてありがたい。自分一人では対処しきれないことも、皆がいれば解決していけるという強い気持ちが生まれていた。
この旅行は単に楽しかっただけでなく、皆との絆を再確認する旅にもなったのではないか。そんなことを思いながら、アイゼアは再び夕闇の迫る海へ視線を向けた。
第11話 絆を結んで 終