アイゼア過去編【完結】

 アイゼアがウィンスレット夫妻の養子になって早二年が経過していた。

 自分の生きる道を見出すため、様々なことを学び、貪欲に吸収してきた。今では文字の読み書きも身につき、暇さえあれば知識を得ようと本にかじりついている。

 文字が書けるようになると同時に家庭教師が着いて本格的な勉学を開始し、ヒューゴが休日の日には槍術を学んだ。基礎訓練も勉学の復習も、一日たりとも欠かしたことはない。

 朝早くから夜遅くまで勉学と訓練に明け暮れていたため、最初の頃は二人や従者たちから過度に心配されていたが、それも次第になくなった。今では「よく頑張っている」「頑張りすぎないように」と優しい言葉をかけてくれる。

 ここに来て一年半を過ぎた頃からは、貴族として恥じないよう礼儀作法から言葉遣い、歩き方やダンスなど社交の場で必要になる振る舞いや能力も自ら願い出て学ぶようになった。
 ただでさえ汚点である自分がこれ以上二人の顔に泥を塗らないように、そう思ったからだ。今ではそれなりに形となり、一通り身についてきたように思う。

 アイゼアの学びたいという意欲に二人は嫌な顔一つせず協力し、温かく応援してくれていた。

 罪悪感に苛まれ、現実の苦しさに心が追いついていなかった頃に比べれば、落ち着いて静かに自身を見つめられるようになった。
 まだ生きるべきか死ぬべきかという問いに答えは出ていない。だが生きているからこそできることがあるとアイゼアは信じて今日を生きている。


 身支度を整え、シワのないシャツに袖を通し、ベストとジャケットをかっちりと着こなす。姿見の前に立つ自分の姿からは、薄汚いボロ布を着て盗みを働いていた頃など思い出せないくらいになっていた。

 清潔感のある短く切られた髪、質のいい服や靴、この二年で筋肉がついたことで貧弱に痩せていた頃の面影はない。

 だがアイゼアは、外面はいくらでも取り繕えることを知っている。だからこそ内面もその外面に釣り合うような人物になりたいと思うようになっていた。
 自分をあの地獄から救い出し、温もりと生きる希望を与えてくれた養父や養母のような人に、と。


 自室を出て階段を降りる。リビングの扉に手をかけると少し緊張した。

今日は特別な日だ。
そして、二人に話したいことがある。

 扉を押して中に入ると、ヒューゴとラランジャと従者たちの姿があった。

「誕生日おめでとう、アイゼア!」

 八の月三十番の日、それが自分の誕生日だ。皆が口々に祝いの言葉を口にする。誕生日を祝ってもらうのはこれで人生二度目のことだ。

『八の月三十番の日……! 私が全部失った日よ……あんたさえ生まれてこなければ!!』

 忌々しく吐き捨てる、もう顔がぼんやりとした母親の姿が脳裏に蘇る。あれが、初めて自分の誕生日を知った日だった。

「アイゼア、どうしたの? ぼーっとして」
「あっ……ごめんなさい。嬉しくて、つい……」

 笑みを浮かべ、僅かに陰った心を誤魔化した。今はもう違う。あの母親が自分の傍にいるわけでもない。もう死んだも同然だ。

 それよりも、こんなふうに温かく祝ってくれる人たちが目の前にいる。あんなに悲しかった誕生日でさえ、好きになれそうだとアイゼアは思った。

「今日はみんなでご馳走を作ったから、いっぱい食べてね」
「アイゼア、後でプレゼントも開けると良い。今年は去年より奮発したから、期待していいぞ」

 ラランジャとヒューゴが、自分の誕生日でもないのにわくわくとした落ち着きのない様子でアイゼアを見つめる。優しい眼差しに応えるように、アイゼアはゆっくりと緊張を解すように息を吸う。

「僕の誕生日を祝ってくれて、本当にありがとうございます……父、様……母様……」

 段々と自信がなくなり、視線が下がると共に俯く。余程緊張しているのか、心臓がうるさくけたたましく胸を打ち付けていた。

「ララ……聞いたか? アイゼアが今、父様と……!」
「ええ! 間違いなく呼んでくれたわ!」

 恐る恐る顔を上げると、ヒューゴとラランジャが感極まった様子で手を取り合い、大人気なくはしゃいでいた。

「ノーゼン! きみも聞いてくれたか? アイゼアが……」
「もちろんでございます旦那様。私も大変喜ばしく感じております」

 執事のノーゼンや、メイドたちまで喜び、一人は袖で涙まで拭っている。あまりにも大げさな反応に、当のアイゼアの方が引いていた。
 場の空気に飲まれてしまう前に頭を振り、気持ちを落ち着ける。

「あの、それで……今日はお願いしたいこともあって」
「お願い? 何でも言うと良い。今度は剣術も学びたいとかか?」
「い、いえ。僕、騎士の養成学校に入りたくて。高等部から」

 朗らかに笑うヒューゴに背を押されて、思い切って全てを一息で言い切った。
 騎士養成学校の存在は自分で調べた。その試験が学術と実技の両方が高い水準で求められることも。アイゼアは今年で十三歳になった。入学試験は来年の冬ということになる。

「入学試験までの一年半、どんな努力も惜しまないつもりだから……どうか力を貸してください!」

 アイゼアは頭を下げ、じっと返事を待つ。少しの間沈黙が流れた後、ヒューゴが静かな声色で優しく穏やかにアイゼアへ話しかける。

「どうして騎士になろうと思ったのか、聞いてもいいのか?」

 ヒューゴやラランジャたちを信頼できる人たちだと認識できるようになってからも、アイゼアはあまり心の内を見せてはこなかった。だからなのか、二人も不用意にこちらの心の内を詮索してくるようなことはなかった。
 何から言葉にすれば伝わるのか、まずは何を伝えるべきか、真剣に言葉を選ぶ。

「……僕は知っての通り罪人だけど、自分に何ができるかずっと考えてきたんだ。勉強と訓練を重ねて、力は使い方によって善にも悪にもなるってわかった。だから僕は、父様や母様のような高潔な騎士を目指したい……この力を虐げられている者たちのために振るいたい」
「アイゼアの気持ちはわかった。なら、先輩として一つ覚悟を問うとするか。騎士って仕事は綺麗事ばかりじゃない。人も殺すし、助けられず死なせてしまうこともある。仲間だって死ぬし、自分だって死ぬかもしれない。誰かの平穏のために、自ら泥を被るような仕事だ。それでもアイゼアは騎士になりたいか?」

 ヒューゴはこちらを否定することなく、諭すような、それでいて背を押すような声にも聞こえた。

 騎士が高潔なだけの仕事だとは思っていない。そんな子供のような希望や夢を抱いているわけではない。ヒューゴは騎士でありながら、自分のしていることは人殺しと変わらないと言っていたことを覚えている。

「だから僕がなる。僕は汚れることを今更躊躇わないから。僕は……僕にできるのは、あの時の僕みたいな人を一人でも多く救うことだと思う。汚いものも人の残忍さも……反対に人の温かさや優しさも、僕は両方知ることができた。だからこそ、僕にできることがあるって信じたい。生き残った僕にできること……これが一つの答えだって僕は信じたいから」

 この場にいる全員が静かにアイゼアの言葉に耳を傾けてくれていた。再び訪れた沈黙に、自分の考えは間違っているのだろうかと不安が込み上げ、爪先をひたすら見つめる。

「そうか、そうか……俺の背中を見て騎士になりたいと……!」

 突然がしっと両肩を捕まれ、驚いて顔を上げる。ヒューゴが慈しみのこもった笑みでこちらを見下ろしていた。

「今だから言うが、初めて会ったとき、きみは寂しそうな顔をしてた。罪悪感に苛まれて潰れてしまうんじゃないかと不安に思ってたが、本当に立派になったな。まだ十三だというのに一人前なこと言って……まだまだ俺たちに甘えてろっ」
「う、ゎ……やめて、髪がぐしゃぐしゃにっ」

 ヒューゴの大きな両手に撫でくり回され、手が離れる頃には髪がすっかりぼさぼさに乱れてしまっていた。

「改めて言うね。私たちの息子になってくれて本当にありがとう、アイゼア」
「アイゼアは俺とララの誇りだ」

 二人の偽りのない笑みと言葉に気恥ずかしさと擽ったさと言いようのない喜びを感じた。照れた表情を上手く隠せそうになく、乱れた髪を手櫛で整えながら誤魔化した。


 この日からアイゼアはより一層努力を重ね、一年半後の入学試験にトップの成績で合格した。その時のヒューゴとラランジャの喜びようは尋常ではなく、この日以上に褒め殺されたことはないというほどに褒め千切られ、盛大にお祝いをしてくれた。

 そしてこの頃既に、ラランジャは子を身ごもっていた。それも双子だという。二人は子供ができずに養子を貰うことを考え、アイゼアを引き取った。
 二人の念願が叶ったことが素直に嬉しかった。両親の愛情は二人へ全て注がれてほしい。もう自分は来年で十五歳になるのだ。入学と同時にここを離れ、寮へ入るつもりでいる。

 血の繋がらない自分がいるのは邪魔だろうなどとは思わない。ヒューゴとラランジャはそんな低俗な人ではないからだ。
 それでもこれが最良の形だとアイゼアは思う。だが、寮に入ると言えばきっと二人に引き止められる。この話は入学ギリギリまで黙っておくつもりだ。


 そして梔子くちなしの花が咲き誇る頃、二人は生まれてきた。一人は人間の男の子で名前はカストル。もう一人は霊族の女の子で名前はポルッカ。その小さな命の輝きに、ヒューゴとラランジャは幸せいっぱいに微笑んでいた。

 見放されれば死んでしまう命、自分の母親は生まなければ良かったと言いながらアイゼアを五歳になるまで育てた。四人の姿に、それはなぜだったのかという疑問が湧く。

 だが自身の母親に母親らしい一面は欠片も無かった。二人を慈しみ優しく見守るヒューゴとラランジャに、あれが本来、『父親』『母親』と定義されるものなのだろうと静かに理解した。

「アイゼアもいらっしゃい」
「あ、はい……」

 部屋の隅で突っ立っているアイゼアをラランジャが呼び寄せる。近くで見ると、より二人の小ささを実感した。

 アイゼアも抱いてごらんと勧められたが、死なせてしまいそうで怖いのでさすがに断った。その代わり指先を小さな手のひらに添えてみる。小さいわりにぎゅっと力強く握りしめられた。
 アイゼアお兄様だぞーとヒューゴがいたずらっぽく笑いながら二人の顔を覗く。自分に弟と妹ができる日が来るなんて思いもしなかった。

 ヒューゴとラランジャは気の早いことに、二人が大きくなったときの話をしている。
 いつか、ヒューゴがアイゼアに言っていた言葉を思い出す。どんなふうに笑うのか、父様と呼んでくれる日がくるかも、そう言って笑っていた。

 二人の思い描く家族の未来にはアイゼアの姿もあった。二人が大きくなったらアイゼアもたくさん遊んであげてほしい。勉強もできるから、アイゼアは二人の先生にもなれる。なかなか行けなかったから、家族旅行にも行きたい。毎年誕生日をお祝いして、沢山の時間をみんなで過ごしたい。

 そして寮に入り家を出てしまっているアイゼアに、いつでも帰ってきたいときに帰ってきなさいと二人は言ってくれた。

 この幸せが末永く続くよう、アイゼアは願う。愛情を知らず、人の残酷さや狡猾さに心を削がれ尖らせていた。足りなかったものを惜しみなく与えてくれたこの家族を命に代えても守りたい、大切にしたい。
 二人への恩も、いつか必ず返さなければ。アイゼアは誰に言うでもなく、自身の心にそう誓った。


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 アイゼアは話し終えると、墓碑からこちらへと視線を向ける。

「兄様、一つ教えて。どうして父様と母様は死んじゃったの?」

 アイゼアの話が本当なら自分たちは両親にとても大切にされていた。生きていればきっと当たり前のように両親に甘えて暮らしていたはずだ。

 だからこそ知りたい。自分たちの幸せを奪ったものが何なのかを。アイゼアはしばらく黙り込んだ後、無表情でカストルたちを見た。

「僕が殺したんだ」

 その瞬間ギュッと心臓が縮こまる。恐ろしいほど感情を宿さない冷たい視線に背筋が凍りついた。
 ポルッカがカストルのジャケットの裾を強く掴む。アイゼアは生きるために盗みも人殺しもしたと言っていた。そして今も騎士として、人を殺すこともあると。

 それでもずっとアイゼアと過ごしてきたからこそカストルにはわかる。高潔な志があって、何でも知ってて、いつも優しかった。
 その姿も偽りではないとカストルは信じている。アイゼアは生まれたカストルたちを見て、家族みんなを守りたいと思ったと話してくれたのだ。

 その言葉を信じたい。だからこそアイゼアに尋ねる。

「どうして、殺したの?」
「……ねぇ、カストル」

 アイゼアは質問に答えず、感情を込めずに名を呼ぶ。アイゼアは感情を隠すのが上手で、隠していることを見抜けても何を隠しているのかまではわからない。

「僕が怖くないのかい? 本当は二人を殺すつもりでここに連れてきたのかもしれないよ?」

 射抜かれるような瞳に恐怖心がないわけではなかった。それでもアイゼアが意味もなく人を殺すような人でないとカストルは知っている。

「怖くない! 質問に答えて! どうして父様と母様を殺したの?」

 強く訴えると、アイゼアは視線を逸らしどこか遠くをにらむ。

兄様は今、視線の先に何を見ているのだろう?

 その先を追いかけても、カストルの目には墓地の風景しか見えなかった。

「僕を助けたとき裏闘技場関係のヤツらの恨みを買ってたらしくて……殺された。僕のせいみたいなもんだよ。親孝行のつもりで言ったんだ、久しぶりに二人で旅行にでも行ってきたらって。勧めなければ旅先で死ぬこともなかったのかな……」

 眉尻を下げ、悔しそうに顔を歪めるアイゼアは今にも泣き出しそうだと思った。弱々しいアイゼアを見るのは、カストルたちが魔物にされたとき以来二度目になる。

「それはお兄様のせいって言わないよ……」
「僕の言葉を信じるの? 貴族の中には僕が権力を得るために両親を謀殺したって言う人もいる。二人も散々言われたよね、お前たちは騙されてる。そいつは人殺しだって」
「知ってるよ。でも兄様はそんなことしない」

 アイゼアはカストルたちのために、弱い所をずっと隠してきたのだろう。辛いことも苦しいことも全部我慢して、こちらのわがままを一生懸命聞いてくれていた。

「話を聞いても、兄様はやっぱり兄様だっただけ。それよりも、父様と母様を殺した人たちはどうなったの?」
「ほぼ壊滅させた。その功績で新任騎士にも関わらず僕は昇進したんだ。両親を殺して権力をむさぼるだけでは飽き足らず、裏で繋がってたそいつらまで始末し騎士としても成り上がったのか、と言われたよ。でもそれが真実なのかそうでないのか、それは僕にしかわからない」

 何を考えているのか、思っているのか、相変わらずその瞳からは何も読み取れなかった。

「二人はどうして僕を信用できるんだい? 二人に見せていた姿は全部騙すための演技かもしれないのに」

 確かにアイゼアは感情を隠すことも取り繕うのも上手く、本当なのか嘘なのか見抜けないくらい鮮やかだ。でもアイゼアはこちらを見縊みくびっている。

「なら早く叔父様と叔母様も殺さなきゃ。兄様には邪魔なはずでしょ」

 本当に権力や財産が欲しいなら、その大半を奪っていった叔母たちは目障りなはずだ。それでもアイゼアは殺そうとしない。そんなに上手く謀殺ができるなら、叔母たちも足がつかないように殺せるはずではないか。

「今までのことがもし全部演技なら、どうしてわたくしたちが魔物になったとき命懸けで助けようとしてくれたの? お兄様の今の言葉の方が嘘まみれだよ。どうして嫌われそうなことばっかり言うの……」

 ポルッカは悲しそうに俯き、両手を組むように固く握りしめている。

「兄様にしては下手くそな嘘だね。僕たちはアイゼア・ウィンスレットの弟と妹なんだからさ──

そう、僕たちは嘘が上手な義兄を持つ弟と妹なんだ。

 簡単な嘘や揺さぶりなんかで動じたりしない。

 悪戯いたずらをした後や怒られそうなときに誤魔化したり嘘をついたりしても、アイゼアは必ずその嘘を見破ってくる。
 そしてこってりと絞られて反省を促された後、悪戯いたずらっぽく笑って必ずいつもこう言うのだ。

──もっと上手にやらなきゃ僕はあざむけないよ」
「それ、僕の……」

 アイゼアは目を丸くしながら僕をじっと見つめた後、表情を緩めた。

「確かに、お粗末な嘘だったね。でも、時には信頼している人を疑わなきゃならない場面も騎士になれば……いや、大人になればある。僕みたいな人に騙されないよう気をつけるんだよ」
「お兄様の妹なんだから、わたくしは簡単に騙されたりしないよ」
「本当かな?」

 アイゼアは控えめに小さく笑い、その笑みが、ふと憂いを帯びたものへと変わる。

「先輩として一つ覚悟を問わせてもらうよ」

 覚悟を問う、という言葉にカストルは緊張した。何を言われるのか、何を聞かれるのか、静かにアイゼアの言葉を待つ。

「騎士って仕事は綺麗事ばかりじゃない。人も殺すし、助けられず死なせてしまうこともある。仲間だって死ぬし、自分だって死ぬかもしれないしね。誰かの平穏のために、自ら泥を被るような仕事なんだ。それでもカストルとポルッカは騎士になりたいかい?」

 アイゼアの問いに迷いは生じなかった。

僕は、僕たちは、きらきらとした童話の中の騎士に憧れたわけじゃないよ。

 笑みを絶やさず弱い者たちに寄り添い、いつも懸命で高潔で少し……かなり頑張りすぎてしまう、そんな騎士に憧れたのだ。

「僕は兄様みたいな騎士になる。辛いことも大変なことも飲み込んで、それでも優しい兄様みたいな騎士になる。今度は僕が、守れるようになりたいから」
「わたくしも、決意は揺らがないよ。守ることがすごく大変なことも、傷つけることも傷つけられることもあるってちゃんとこの目で見てるから知ってるよ。だからわたくしたちが騎士を目指すことを許して、お兄様」

 ポルッカと二人で真剣にアイゼアに詰め寄る。アイゼアの視線がこちらとポルッカを行ったり来たりし、少しして諦めたようにがっくりと項垂うなだれた。

「……何でそうなるかな。目標にするなら父様や母様を目指してほしいんだけど」
「お父様やお母様がすごいのはわかったけど、でもわたくしたちの憧れた騎士はお兄様だから!」
「……そっか」

 困ったように笑うアイゼアに、ようやくいつものアイゼアが帰ってきたとホッとした。
 父と母のことは正直に言えばほとんど覚えていない。けど、アイゼアを助けてくれたおかげで今のアイゼアがあるなら、息子として二人をとても誇らしく思う。自分たちに兄という存在を作ってくれたことも感謝している。

「兄様、僕たちは父様と母様のことはあまり覚えてないけど、気持ちは同じなんだよ。ね、ポルッカもそうでしょ?」
「うん!」

 ポルッカへと目配せすると、ぱっと表情が明るくなり頷く。双子だからかなのかはわからないが、時々ポルッカが自分と同じことを考えていると感じることがある。

「兄様、僕たちの兄様になってくれてありがとう」
「お兄様はいつでもわたくしたちの誇りだよ」

 アイゼアは僅かに驚いた後、少しだけ泣きそうな顔で笑った。

「お礼を言いたいのは僕の方なのに。父様と母様が僕を自由に育ててくれたように、僕も二人の意思を尊重して応援する。でも絶対無理はしないように、それだけは約束だよ」

 アイゼアはくすぐったそうに笑いながら墓碑へと向き直る。
 父と母へ何かを言いかけて口を噤んだ。何かをこらえ、祈るように固く目を閉じる。しばらくそうしてから、ゆっくりと立ち上がった。
 先程の表情は鳴りを潜め、よく見慣れた穏やかな笑みと温もりのある瞳がこちらを見つめる。

「帰ろうか。今日はどこか食べに行こう」
「いいの!?」
「やったー!」

 思いもしてなかった提案に思わず胸が踊る。久しぶりにアイゼアとご飯を食べに行けるのが嬉しい。
 騎士を目指すことも許してくれた。少しずつ世界が開けていくような気がして、胸の奥がどきどきと高鳴る。
 ほら置いていくよ、と振り返るアイゼアにポルッカと同時に返事をして追いかける。

いつかその背中に追いつく。
きっとアイゼアの隣に立てるような騎士になる。

 そう心に誓い、カストルはアイゼアの背中に飛びついた。


されど夜明けを待ち焦がれている(8)  終
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