前章─復讐の先に掴む未来は(1)

「カーラント、アイゼアさんを!」

 アイゼアをカーラントに任せ、背後から迫っていたストーベルの魔術を媒体ばいたいから放つ魔術で相殺そうさいする。
 突然狙いの矛先をアイゼアに向けさせたことにメリーはいきどおりを感じていた。目敏めざとく弱みを見せた者を狩り取ろうとするその狡猾こうかつさややり口を嫌というほど理解している。

 媒体に魔力を込め、触媒を取り出す。素早く詠唱し、魔術を象るための名を与える。媒体から杖へ完成した術式を付与し、杖で接近戦を挑む。

「あの人間にそこまでしてやる価値があるのか? 人間など魔力を持たぬ無能……この世に不要な存在だというのに」

 人を見下し、おごり高ぶるストーベルの顔に憎しみが募る。

「あなたほどではありませんね」
「この私が不要? 愚かなお前には理解できぬか、我が理想の崇高さが」

 白い杖は圧縮された炎の力をまとい、鋭い輝きを放っている。寄るもの全てを焼き切らんとするその杖の一撃一撃を、魔力をまとうストーベルの杖が弾き返していた。

「この世は能力のある者だけが生き、強き者が支配すれば良いのだ。なぜ我ら霊族が、数ばかりえた人間共に追いやられねばならん!」

 素早く詠唱を済ませたストーベルの術式が地表に大きな法陣を描き、炎の大蛇が召喚され、メリーへと襲いかかってくる。
 魔術障壁を展開したが障壁ごと炎の大蛇に飲み込まれ、凄まじい熱と圧迫感でメリーを焼き切ろうとする。杖に溜め込んでいた術を開放し、炎の大蛇を相殺した。

「霊族がその気になれば人間共など根絶やしにできるというのにだ! 私は腑抜ふぬけた引きこもりの霊族連中をひざまずかせ、理想郷を実現する!!」

 何と浅はかでくだらない野心だろうか、とメリーは目眩めまいを覚える。こんなことだろうと思った、という呆れを抱えながら。こんなもののためにミュールとフランは殺されたのだ。

「そのくだらない野望は、この手で焼き払う!」

 次から次へと襲いかかる炎術をかわし、こちらからも攻撃を放って打ち消す。もうずっとこんな魔術の応酬おうしゅうが続いている。

 呼吸は乱れ息苦しい。魔力はスイウに割かれた分まで急速に減っていく。火傷の疼くような痛みが焦燥をあおった。熱風にやられ、喀血かっけつして咳き込む。じりじりと追い詰められているのはわかっていた。

「まだ立ち上がるか。相変わらずしぶとさだけは一人前だな」

 地面に何度叩きつけられようとすぐに体勢を立て直し、立ち上がることはやめなかった。この心は決して折れない。折らせない。

「ミュール兄さんとフランを殺したあなただけは……絶対に生きて帰さない……!」

 メリーが膝を折れば、二人は安らかに眠れない。二人の命を無意味なものにしたくはなかった。二人がいたから未来をひらこうと思えた。二人がいたから、メリーは皆と共にここまで来られた。
 ここで屈すれば、二人の命はくだらない野望のためのいしずえとなってしまう。それでは二人の願いも命も尊厳も何もかもが踏みにじられたままだ。

 命も願いもこの手は救うことができなかった。ならばせめて最後に残る二人の尊厳だけは守り抜かなければ。

 この手が世界を救うというのなら、この手がストーベルの野望を終わらせるというのなら、それはメリーだけではなく二人の力でもある。
 この手はメリーの手であり、ミュールの手であり、フランの手でもあるのだ。二人の命はこんな野望のためでなく、未来のために、人々のためにあったのだと証明したかった。

「ミュールか……アレは元々体も弱いわ、人の情を捨てきれぬわで、弱者の極みのような男だったな。魔力や魔術の才覚はあっただけに惜しい存在ではあったが。そういえば、ノルタンダールでの暮らしは楽しかったか、メリー?」

ストーベルの見下しきった目がメリーを見据える。

「アレが命を絶たないよう保つのは苦労した。お前の性格は扱い難かったが、共に住まわせてからは献身的に介護していたと聞いている。おかげでアレは使命を全うすることもできた。メリー、お前をめてやろう」

 まるで物のような扱いで語るストーベルに激しい怒りと殺意が沸き立つ。冷静さを欠いた方が負ける、そう口にしていたミュールの言葉を思い浮かべ、悔しさを噛み殺した。

「ミュールもお前を手放し難かっただろう。アレは賢い……お前が私に利用され、傍に置かれていることに気づいていたはずだ。だが解放して逃さなかった。なぜかわかるか? それは『弱い』からだ。アレは自分の幸福を維持するために、お前ともう一人のゴミを共に犠牲にすることを選んだ。虚無感と絶望に一人取り残されるのが怖かったのだろうなぁ。全てが私の想定通りだった……」

 何もかも上手く事が運んだとばかりにストーベルは自己陶酔とうすいに浸り、体を打ち震わせてわらう。

 だがメリーは知っている。仮にミュールにそういった弱くもろい気持ちがあったのだとしても、真に強い人だったということを。
 ミュールは一度、メリーにフランを連れて逃げるように言ったことがあった。もし自身の幸福を手放すことが怖かったというのなら、ミュールはその恐怖を押し殺し、メリーとフランの幸せと未来を優先したということだ。

 ミュールは今でも尊敬と憧れに値する兄だ。それをストーベルは知らない。勝手な妄想を意気揚々とぶちまけているに過ぎない。その滑稽こっけいさがあまりにも可笑おかしくて笑いが抑えられなくなり吹き出す。

「どうした? 尊敬していたミュールにすら利用されていたと知って壊れたか?」
「いいえ、嬉しくてたまらないんですよ。私が最期までミュール兄さんの希望になれたのなら、それは本望ですから」

 たとえストーベルの目論見もくろみ通りに進み、仕組まれて共に暮らした関係だったとしても、そこにあった小さな幸せと互いを思う気持ちに嘘や偽りはなかった。その証拠が、今もメリーの髪と共に揺れている。自分は決して一人ではない。

「そんな薄っぺらい言葉で私たちの思い出をくつがえせるわけもない」

 同時に気づく。魔術の形も一つではない。強い者には強い術式でなければ敵わないというのは常識だが固定観念でもある。
 強力な術式も、圧縮した魔力をまとわせた接近戦も、ストーベルには一切通用しなかった。魔力も技術もこちらが上のはずなのに、だ。術や動きを簡単に見破られ、的確に防いでくるのは経験の差なのかもしれない。

 メリーはこれまでの旅のことを思い返していた。一人で足りないときは皆の力を合わせて乗り越えてきた。魔術も人が寄り集まれば強化できるように、きっと同じなのだ。

 媒体に魔力を流し、術を展開する。目の前に現れた法陣から狼の形をした炎の塊が群れを成し、縦横無尽じゅうおうむじんにストーベルへと飛びかかっていく。

「この程度の中級魔術で私に敵うとでも思ったか。さては魔力切れか。魔力量の調節と配分もできぬとは、まだまだ青いな、メリー!」

 メリーにとってはほぼまばたきの速さで展開できる、難しくない難度の術式だ。ストーベルは火球と杖で炎の狼たちを蹴散らしていくが、次から次へと来る狼の数に追いつけず魔術障壁を展開する。
 ストーベルの顔に、僅かに焦燥が滲んだ瞬間だった。徐々に障壁は崩され、食い破った一匹がストーベルの肩に思いきり喰らいついた。

「……ぐぁっ! メリー……お前ごときが、この私に! 調子に乗るな!」

 ストーベルの術式がこちらへ放たれる。溶岩の波が身長より数倍の高さでこちらを飲み込もうと押し寄せてくる。強烈な魔力をはらんだ、強力な術式だ。
 きっと魔術の知識がなければ、見た目の恐ろしさに惑わされていただろう。知識を授けてくれたミュールと自身の魔術の才能に感謝した。

 もう『父さんの呪い』にメリーはかかってはいない。父さんは絶対。父さんには敵わない。父さんは恐ろしい。父さんは素晴らしい。精神に刷り込まれた呪縛はもう解けたのだ。

「弱いですよ……ストーベル」
「安い挑発か。それとも虚勢か?」

 媒体に魔力を込め、圧縮していく。押し寄せる溶岩の波のもろい部分を冷静に見極めるため意識を集中させた。迫る熱がじりじりと肌を焼く。
 寸前で見抜いたその一点へ鋭く火球を放つ。溶岩の波は火球と共に一瞬にして弾け飛んだ。

「火球ごときに、私の魔術が破られた……?」

 大技ほど魔力の制御は難しく、広がりやすい。ストーベルの魔力であれば大抵の魔術士にはそれでも勝てるだろう。だがそれは誰にでも通用するわけではない。

「あなたは自分が優れた霊族だと思ってるみたいですけど、それは妄想です」

 ストーベルに勝てなかったのは精神的に支配され、思い込まされていたことが大きい。そしてもう一つ大きな要因がある。

「一人だとこんなにも弱い。あなただけで私に敵うとでも思いましたか?」

 魔術士の一対一の戦いは、個々の精神状態にも左右されるが、基本的には個人の能力と技量がそのまま勝敗に直結する。だからこそ格上相手には必ず複数人で挑むのだ。

「お前は私より格下だ……魔力量だけが魔術ではない。お前には魔力以外のものが足りていない!」
「知ってますよ。でもそれはミュール兄さんが教えてくれました。見誤りましたね」

 グリモワールを手に入れ、あたかも自分が世界を支配できるだけの力を得たと勘違いした。その結果、不要とばかりに周囲の者たちを切り捨てた。
 ミュール、フラン、グースとハックル、ミルテイユ、ジューン、カーラント、ジェスタ、ジュニパー、ホワートル、そしてメリー。他にも知らないだけで、切り捨てられた者たちが大勢いるだろう。

 精神を掌握しょうあくし、従えさせ、数の力で権威を振るっていたストーベルが、その強みを捨てて捨てて捨て続けてここまで来た。誰も味方してくれない一人ぼっちのメリーが、一人、二人と仲間を増やして、たくさんの人に支えられてここまで来た。

 そうしてストーベルは追い込まれている。グリモワールさえあれば全てが叶うという驕りが足元を掬ったのだ。ストーベルが鋭く放った炎の槍を火球で相殺する。再度火球に魔術を消されたことに余程驚いたのか、ストーベルは目を見開いた。

「誰も助けに来てくれませんね」

 交戦を始めたときよりも戦いが劣勢に傾き、精神面を崩しつつあるストーベルの魔力は少しずつ精彩せいさいを欠いてきている。カーラントと策を話し合ったときに少しだけ教えてくれた知識が役に立っていた。

 精神を崩しても幻術使いとは違い無力化することはできない。だが少しずつ崩して優位に立ち、弱気にさせることで、魔術の完成度に影響を及ぼすことができると。

「格下はそっちですよ、ストーベル。あなたは一人では何もできない」

 メリーは媒体に魔力を注ぎ、火球を大量に滞留たいりゅうさせる。

「何を言う……お前自身が一人ではないか。私には大勢の部下がいる」
「その部下、切り捨て過ぎてもう誰も残ってませんけど?」

 ストーベルへ向けて畳み掛けるように火球を放っていく。一つ一つは小さくとも、圧縮する魔力量によっては見た目以上の威力が出る。そして数が重なればそれは個々の持つ威力以上のものを発揮する。
 もちろんこの程度の魔術ではストーベルを殺す決定打には到底なり得ない。それでもストーベルを焦らせ、余裕を奪い、劣勢へと追い込むには十分だ。

 ストーベルと火球の打ち合いとなり、持ち前の威力と瞬発力で徐々にメリーが押していく。ストーベルは障壁を展開したが、それすらも火球の物量で叩き割った。

「何だこの物量は……この……バケモノがっ!!」

 技術や知識を授けてくれたミュール、カーラント。力を合わせることを教えてくれた仲間たち。それらがメリーの中で糧となり、ストーベルを打ち破ろうとしていた。

「あなたはグリモワールの力に溺れ、自分を実力以上に過信し過ぎました」

 爆発を伴う火球がいくつも直撃し、ストーベルを吹き飛ばした。一人では敵わなかった相手だった。この旅で出会った仲間たちが、自分をここまで強くしてくれたのだ。

 ストーベルの放つなけなしの魔術を杖で薙ぎ払う。火球をかろうじてかわしてはいるが、そればかりに気を取られているようだ。
 投擲とうてき用のナイフを後ろ手に持ち、火球に紛れさせて投げる。避ける方向を誘導し、ナイフがストーベルの右足に命中した。

「……こんなナイフで足止めのつもりか?」
「そうですよ」

 その瞬間、ストーベルは右足から崩れ片膝をつく。

「……毒を盛ったか。魔術士の風上にも置けんヤツめ」
「魔法薬って便利だと思いませんか?」
「魔法薬学……フン、姑息こそく脆弱ぜいじゃくな者共の学問だ」
「この麻痺まひ薬、ミュール兄さんの体の痛みを緩和するために開発した失敗作なんですよ。皮肉なものですねぇ」

 ナイフに塗っておいた麻痺薬が効いてきたらしく、ストーベルの顔にわかりやすく焦燥が滲む。
 ミュールのために鎮痛剤の研究に没頭していたせいで、この手の薬品は得意だった。ストーベルは足を引きずりながら、こちらと距離を取ろうとしている。

「逃げないでくださいよ」

 残っていた左足を太腿ふとももの付け根から火球で溶断する。今度こそ進む力を失ったストーベルはそのまま地面へと転がった。
 往生際が悪くて困るなと内心思いつつ、諦めの悪さなら自分もあまり人のことは言えたものではないだろうと苦笑する。やはり自分はこの下劣なバケモノの血を色濃く引いているのだと再認識した。

 ストーベルとの距離は一気に縮まり、杖の切っ先を眉間みけんにつきつける。穢れた魔力とののしられた力が二人の周りを包み込み、ストーベルは杖の切っ先を見つめながら本能的恐怖にガタガタと震え出した。

「待て、メリー。願いを聞こう。望むならミュールとフランを生き返らせよう。その研究をしよう。何でもいい、望みを言うが良い。私が必ず叶えてやる」

 この期に及んで命乞いが通ると思っているのだろうか。だがそれに対して怒りも呆れも湧いてはこなかった。

「私はあなたに死んでほしいなんて、もう望みません」
「め、メリー。わかってくれたのか……!」
「いえ、わかりません。別にあなたに望まなくても、自分で奪えばいい話ですので」

 ストーベルの顔が絶望に凍りつく。メリーは全てを終わらせるため、杖に直接魔力で炎をまとわせた。

「望む未来は、この手で切り拓く」

 振り上げられた杖の切っ先に、ストーベルの目が見開かれる。

「やめろ……メ──

 炎をまとった杖の切っ先を眉間に突き刺すと、ストーベルはのどが焼き切れそうなほどの断末魔の叫びを上げた。耳障りなはずの声がどこか遠くに聞こえた。

 ストーベルは頭を押さえながら後ろへと倒れ込む。杖を更に奥へ押し込むとミシミシと嫌な音を立て、同時に肉の焦げる臭いが鼻につく。骨の焼け崩れていく感触と共にゆっくりと顔面が押し潰されていった。

 やがて強張こわばって海老反えびぞりになっていたストーベルの体から力が抜け、ぐったりと動かなくなる。突き刺さっている杖を引き抜いてもストーベルは動き出すこともなく、気付いたら声も上げなくなっていた。

「……何だ、こんなもんですか」

 率直な感想が口から漏れた。ストーベルをやっと殺せたという高揚感はなかった。
 憎しみも、怒りも、悲しみも、喜びも、達成感も、爽快感さえもない。ただただ殺すべき男を殺した、果たすべき自身の役目を果たした、という事実と認識だけがそこに横たわっている。

 今メリーの頭の中を占めているのは、ミュールとフランはもう戻ってこないのだという寂寥感せきりょうかんだけだった。それでも少しだけ呼吸が楽になったような気はする。
 焼け焦げた戦場の空気をゆっくりと吸い込み、静かに吐き出して天をあおぐ。

「これでようやく前に進めます。そうですよね、ミュール兄さん、フラン……」

 そう呟いたメリーの瞳はもう、ストーベルのひしゃげた顔を映しはしない。


第69話 その瞳は常に前へ  終
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