前章─復讐の先に掴む未来は(1)

──最後に大いなる二つの魂を喰らい、終焉の角笛が召喚される。
  その角笛を一吹きせしとき、無の王が降臨する。
  無の王は世界の全てを無へと還す。
  そして全てが終わりを迎えた後、世界は新たな姿へと再生する。
  魔書の管理者と角笛の主を王として。──

  ティム・パーシング著『終焉の黄昏と世界の再誕』
  第五章「破滅の儀と終焉」より抜粋。




 サクを追いかけて辿り着いたのは、大きな祭壇さいだんのある開けた場所だった。その祭壇の中央に、ポツンと一つ小さな人影がある。

 スイウは刀を下段に構え、気配を殺し、鳥が地面スレスレを舐めるようにして飛ぶ如く駆ける。周囲の景色を一瞬にして置き去りにし、サクの灰色の髪が迫る。その首を跳ねるための一閃は触れる直前で空を切った。

「あはは。もう一歩だったね、スイウ」

 サクは踊るように跳躍ちょうやくし、グリモワールをくるくると指で回しながら、あどけない少年のように愛想良く笑っている。

「あれ? もしかして二人だけでボクを追いかけてきたの?」
「二人……?」

 一人で来たはずだと思い振り返ると、フィロメナがこちらへ向かっているのが遠くに見えた。サクはわざとらしく右手を額のあたりにかざし、キョロキョロと周辺を見回している。
 おそらくこちらを挑発してのことだろうが、相手の仕草などどうでもいい。そんなことよりも、魔族の役目を忘れてグリモワールを悪用し、世界を混乱させた異物の排除をしなくてはならない。

「ねぇ、スイウ。考えてくれた?」
「何の話だ」
「ボクはキミが一緒に来てくれると嬉しいって言ったでしょ? 一緒に世界を創ろうよ。キミの思い通りに自由になんだってできるんだ」

 スイウの斬撃をかわし、ほら、と言ってサクはこちらに手を差し出してくる。これまで築かれてきた秩序と人々の営みと歴史、これから先に紡がれていくはずの未来、無残に奪われた命、罪を背負う覚悟をして共に歩んできてくれた仲間。こちらが巻き込んでおきながら、それら全てを切り捨てて手を取れと言うのか。

「くだらんな」
「くだらない……?」
「あぁ、そうだ。お前らの目指す世界が何だかは知らんが、今よりはくだらない世界だろうなって思っただけだ」

 鼻で笑ってやると、サクの表情がスッと冷え込む。悪意を固めたような邪悪さを感じる笑みは、少年の顔には不釣り合いだった。

「くだらないのはこの世界の方だよスイウ。切り捨てていいような不要なものばっかりじゃないか」
「お前の話もくだらんな」

 スイウは刀を握り、サクへと斬りかかる。それを悠々とかわし、鋭い氷柱つららをスイウヘ向けて放つ。

「お前、死ぬ前は水霊族か」

 魔族は生前の記憶や体、能力をそのままに引き継ぐ。魔術を使うということは、サクが霊族であったことを示している。前回戦闘をしたときもサクは魔術を行使してきた。

「そうだよ。霊族だった。とっても優秀な魔術士だったんだけどさ、誰もボクを理解しないんだ。可哀想でしょ?」

 サクは魔術をこちらへ放ちながら朗々と語りだす。

「人間も弱い霊族もこの世には不要なんだよ。この世界にある資源をむさぼって生きてる穀潰ごくつぶしさ。この世に生きる価値があるのは魔力の強い霊族だけだよ」

 サクの考え方とは相容れないと確信した。自分に都合の良い者だけが生きていればいいなど、勝手が良過ぎる。

「だからボクは処刑されちゃった、王様なのにだよ? 今の族長と御三家の先祖のヤツらさ。でもそれが今ではこうさ! ボクを処刑した炎霊族御三家のクランベルカ。アイツの末裔まつえいがボクの考えに賛同して従ってる。すーっごく気分がいいよ!」
「へー、それはよかったな」
「ボクは生まれる時代を間違えただけだったんだってね!」

 サクは満足げに笑いながら、自信に満ち溢れた顔をしている。くるくると読み辛い動きでこちらを翻弄ほんろうしながら、魔術でしかけてくる。
 刀で弾き、突き上げるように生える氷のトゲを慎重に避けながら刀を振るう。サクの持つ大鎌と打ち合い、剣戟けんげきの音が何度も響く。

「誰にも理解されず歴史の闇に葬られた悲劇の王、グルナード・エレメーテル。それがボクの本当の名前さ」

その名前には聞き覚えがあった。

「メリーが言ってたな。どうでも良過ぎてそれ以外忘れたが」

 サクの幻影が消える前に残していった言葉を元に、メリーがスピリアの歴史の話をしてくれていた気もするが、詳しくは覚えていない。

「ただ、何となく俺が聞いた話と違う気はするな、虐殺王さん?」
「虐殺王なんて失礼だよね。不要なゴミを処理しただけなのにさ」

 良心をどこで失ったのかは知らないが、サクは霊族として生きていた頃からかなり過激な思想の持ち主だったようだ。

「キミはボクとは同じ考えじゃないんだね。無駄とか嫌いそうなんだけどなぁ〜」

 拘束するように地面から生えてきたつたを刀で一閃し、前へと跳ぶ。中段から素早く繰り出した刀を寸前のところでサクの大鎌に阻まれる。

「キミ、結構ヤバいよね。本当に元人間? 魔族になると身体能力が上がるけどさ、ここまでの動きは元人間には無理でしょ。普通じゃないね」
「生前のことに興味はない」
「そんなこと言わないでさー。欠けた魂と生前の記憶、取り戻したくない? ボクは方法を知ってる。だからスイウ、ボクと一緒に──
「断る」
「もー、つれないなぁ」

 刀と大鎌が何度もぶつかり合い、一進一退の攻防が続く。相手は魔族だ。人相手のように体力切れを狙うことはできない。フィロメナの気配がすぐそこまで来ている。サクと近づき過ぎれば歴然とした実力差で瞬殺されかねない。

「フィロメナ、来るな!」
「スイウ?」
「お前を守って戦う余裕はない、空に避難しとけ!」

フィロメナの気配が停滞する。

「お前はお前のやるべきことがあるだろ」
「じゃああんたが一人で戦うって言うの!?」
「そうだ、俺一人で抑える。お前は実力をわきまえろ」
「何よ、それ……そんなことならあたしはっ」

 フィロメナの気配が空高くへ遠退とおのく。話を聞き入れてくれたことに安堵あんどしつつ、サクからの水術を刀の冷気を使って凍らせた。

「役立たずのゴミを抱えて大変だね。だから不要なものはみんな処分すればいいのにさ。あの子のこと邪魔だなーって思ったでしょ? ボクの世界がやっぱり正しいんだよ」

 確かにフィロメナは戦闘に関して言えば活躍は見込めない。性格も単純で常にお花畑思考で、そのくせ正義感だけは強く、慎重さの欠片もない。本当に世話の焼ける天族のひよこだ。

 一度稽古けいこをつけたものの剣術も攻撃術も、実用できるかどうかギリギリくらいのお粗末なものだった。きっと戦場に放り出したら、力もないのに誰かを庇ってすぐに死ぬ類だろう。だが戦闘で使い物にならなければ役立たずなのか。

 そんなわけがない。フィロメナには唯一無二の治癒術や浄化の力がある。これまでの旅でも強さや強みは全員バラバラで、そのバラバラの個性と性質のおかげでここまできた。
 単純な強さだけなら自分を五人揃える方が戦闘力は安定する。だが仮に自分を五人揃えられたとしても、絶対にここまでは辿り着けなかったと確信していた。

 うるさくて、面倒で、鬱陶うっとうしくて、様々な厄介事にも振り回されて散々な旅だった。だがその全てを役に立たないからといって切り捨てるというのなら──

「そんな世界、御免被ごめんこうむるな」
「なんでさ。キミの実力ならあの子だけじゃない……みんな足手まといでしょ。他人の事情に振り回されて馬鹿みたい」
「確かにそうかもな。俺は面倒事は好かん。だが退屈も嫌いだ」
「あー、わかった!」

 サクは攻撃の手を止め、ふわりと後方へ跳んで距離をとる。

「キミって結構他人のことが好きなんでしょ!」
「勝手に言ってろ」
「ふーん? でもこれでハッキリしたね。キミはボクとはわかり合えないって」
「初めからそう言ってるだろ。理解力が壊滅的だな」
「なら遠慮なく──

 その瞬間周囲に光球が炸裂し、天界の気を宿した光が肌を刺す。咄嗟とっさに飛び退すさり光から逃れた。この光球を放ったのが誰かなど考える余地もなく一人しかいない。あまりの狙いの不正確さに危うく殺されるところだった。

「下っ手くそが……やるならちゃんと狙えっ!! 俺までる気か!!」
「うっさいわね! 離れてるんだからちょっとは仕方ないでしょー!」

 ちょっとどころではないと反論したい気持ちを抑え、サクの出方を伺う。フィロメナは光球をひたすらサクの方へと畳み掛けるように飛ばしている。下手な鉄砲数撃ちゃ当たるをまさに体現しているかのような、魔族にとってはこの上ない地獄の光景が目の前にあった。

「あの雑魚天族め……ボクの邪魔をっ!」

 サクは光球から逃れるように駆け、グリモワールを開く。発動を阻止するため、スイウは刀を構えサクの正面を避け、光球が当たらないよう斜めから距離を詰めていく。

「これで終わりにしてあげるよ!」

サクの口がニタリと三日月のような弧を描き、グリモワールをこちらへと開いてみせる。

 そこから身を切るような冷たさと雪を伴う暴風がスイウを襲い、フィロメナの光球すらもかき消していく。風の音に交じるようにどこからともなく悲鳴や嘆きの声が混じって聞こえてくるような気がした。

 顔を庇うために突き出した右腕が急速に冷え、凍りつき始める。足下には一気に雪が積もり、サンサーナで氷像にされていた天族が何をされたのかを悟った。
 刀の力を使って氷の壁を作り出して風除けにする。強烈な吹雪は視界を奪い、サクの様子はわからない。それでも吹きつける風に徐々に体の感覚がなくなっていく。

「あんたスイウに何すんのよ!!」

 光球が届かないとわかったフィロメナが上空から全身に光をまとわせ真っ直ぐに突っ込んでいくのが見える。

「おい、マジか。あれほど軽率な行動は慎めっつったろ……!」
「邪魔だなぁ、キミから氷像に変えてあげるよ」

 サクが狙いをフィロメナへ変えたことで僅かに風の勢いが弱まる。フィロメナの悲鳴が上から降ってくるが、気に留めている余裕はない。体を張って作り出したこの好機を逃すわけにはいかない。

 サクの位置は先程と変わっていなければおおよそ検討はつく。視界が悪いことを逆手に取り、気配を頼りに攻撃をしかけることにした。氷の壁を蹴り、サクの元へ一瞬で間合いを詰める。

「うわっとー……」

 サクが咄嗟とっさに体を捻ったことで斬撃をかわされたが、返す刀の一閃がサクを捕える。肌を切り裂く感触は浅い。サクの体にできた切り傷は斬られたそばから修復していく。
 スイウ自身の体がそうであるように、サクもまた魔族なのだ。更に踏み込んだ斬撃を紙一重でかわされ、サクはグリモワールを閉じて距離を取る。

 その表情は変わらず余裕を浮かべていた。一面真っ白な雪景色になった視界の端に、紫苑しおん色のロングスカートと濡れ羽色の翼が映る。ぐったりと横たわったフィロメナはピクリとも動かない。

「フィロメナ、フィロメナ!」

 まだここに姿を留めているということは息はある。天族や魔族が死ぬときは消滅するため、死体は残らない。

「スイウ……体が重い、わ。それに、寒い……」
「……」

 あの吹雪はグリモワールから放たれたものだ。穢れを真正面から受けたフィロメナが動けなくなっても不思議ではない。フィロメナをここで失えばグリモワールへの対抗手段を失うことになる。
 スイウは空いている右腕でフィロメナを抱えた。抱えておかなければ、サクの魔術は真っ先にフィロメナを狙い撃ちにするだろう。

「連れて逃げる? それともまさかそのゴミを担いで戦うとか?」

 サクはケラケラと腹を抱えてひとしきり笑い飛ばした。役立たずのゴミなどとののしっているが、サクが本当に恐れているのはスイウではなくフィロメナの方だろう。グリモワールに対し、フィロメナが切り札になり得る存在だということは理解しているはずだ。

「まぁどっちでもいいけど。それよりさ、キミにも聞こえるでしょ? この悲鳴と嘆きの声が」

 吹雪に乗って聞こえていた声は気のせいではなく、今ではハッキリと聞き取れるほどに大きくなっていた。良くないことが起ころうとしている予感に胸がざわつく。
 術式が構築され、地面から氷の棘が突き上げるのを前進して避けながら、放たれる氷柱もかわしてサクへと接近する。

「世界中に溢れた魔物たちが役立たず共を駆除してるんだ。その恐怖がグリモワールに力を与える」

サクが術を使っていない方の手でグリモワールを開く。

「恐怖と嘆き。天王と冥王の二つの魂も揃ってる。機は熟した……僕がこの世界に引導を渡す時が来たのさ!」

 グリモワールから角笛が現れ始める。あれは間違いなく終焉の角笛だ。角笛が吹かれたとき、無の王と呼ばれる何かが召喚され、世界を滅ぼす。スイウは刀を地面へ突き刺し、冷気をまとう衝撃波を放つ。

「だから邪魔しないで大人しく見ててってば」

 サクは更に氷柱をいくつも生成し、スイウへ向けて放った。
 時間がない。氷柱を氷刃で相殺させながら一直線に突っ込む。払いきれない氷柱からフィロメナを庇い、何本もスイウの体に刺さった。
 それでも後退はできない。この体が朽ちても、何としてもここで阻止しなければならない。サクの作り出した氷の壁に阻まれ、それを刀で切り崩す。

 グリモワールから召喚された角笛をサクは握り、口にあてた。刀の届く範囲に入り、スイウはサクを両断すべく刀を振るう。サクが勝ち誇ったように目を細め、人差し指をスイウへ向ける。サクを斬るはずだった刀が分厚い氷の障壁に阻まれ、威力を減衰させた。障壁を砕いた刀はサクの腹部を斬りつけることしかできなかった。

 サクが角笛に息を吹き込み、角笛が不気味な音を響かせる。頭が割れそうになるような、身の毛もよだつような不快な音色だった。本能が警鐘けいしょうを鳴らし、全身から脂汗が吹き出す。

 サクの近くは危険と判断し、飛び退りながら十分な距離を取る。笛の先から黒雲が立ち込め、やがて黒く巨大な竜へと変化した。
 これが無の王なのだろう。その不気味な咆哮ほうこうにスイウは恐怖というものを感じずにはいられなかった。

「俺が怖がってるって? ったく、冗談だろ?」

 先行しておきながら結局阻止することができなかった己の失態に奥歯を噛み締める。刀を構えたまま攻めあぐねていると、担いでいたフィロメナが身動みじろいだ。

「動けるのか?」
「治癒術と浄化で何とか……穢れを受けすぎて消滅するとこだったわ」

 フィロメナが動けるようになってくれたのは不幸中の幸いか。地上に下ろし、右手を刀に添える。

「あたしたち、しくじったのね……」

 フィロメナは今にも泣きそうな表情で無の王を見上げている。

「もう諦めるのか?」
「だって、無の王が召喚されたら世界はもう破滅するしかないのよ……?」
「ならお前は逃げればいい」
「スイウ……」

 失敗したのは全て自分の責任だ。ずっと追い詰め損ない、ここまで来てあと一歩及ばなかった自身の無力さのせいでしかない。

「俺は諦めるつもりはない。召喚されたってんなら、破壊し尽くされる前に殺すまでだ」

 たとえこの魂が砕けることになっても。焦燥に熱くなりかけていた思考を冷やし、刀を構え直す。

「あんなの倒せるのかしら……ううん、倒せるかじゃない、倒すのよね」

 フィロメナは不安げにそれでも強い光を宿した瞳で無の王をにらみつけた。

「あれを封じるのにはお前の力しかない。頼むぞ」

 フィロメナは静かに一つ、強く頷いた。耳障りなサクの高笑いが響いている。スイウとフィロメナはこの絶望を跳ね返すため、同時に跳んだ。


第68話 終焉  終
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