前章─復讐の先に掴む未来は(1)

 メリーをストーベルの元へ向かわせ、アイゼアはジュニパーと対峙する。目の前の少女ジュニパーは喋り方や雰囲気こそ物静かで幼い子供っぽさがあるが、見た目だけなら十代後半に見えた。ぼーっとしたような表情からはあまり感情が出ないようだが、今は少し不機嫌そうにこちらをにらんでいる。

「メリーお姉さまはワタシの本当のお姉さま。お母さまが一緒……でもワタシを生んでお母さまは死んだ。メリーお姉さまはそのせいでワタシのことを怒ってる……」
「え?」

突然何を話しだしたのか、状況が飲み込めずアイゼアは困惑した。

 二人を母親まで一致した姉妹だと判断する術はない。アイゼアから見れば片親しか繋がっていないであろうカーラントですら普通に両親血の繋がった兄妹に見える。見てわかりやすい髪や瞳の部分に関して言えば、メリーはそのどちらもが父親譲りだ。

 対するジュニパーは、髪の色こそ父親の遺伝であろう濃い桃色だが、瞳は光のない濁った黒い色をしていた。メリーの瞳のような青みもない、奈落の底へ続く穴がぽっかりと二つ開いているような、不気味な印象を受ける。

「だからメリーお姉さまを人形にする。そうしたらワタシとずっと一緒。あとはお父さまがお母さまを冥界から連れ戻してくれたら、家族みんなで一緒に暮らせるの。お父さまが約束してくれた」

 表情のない顔に悪意のない小さな笑みが浮かんだ。この疑いを知らぬ一方的な一途さをメリーは心底嫌がりそうだ、とアイゼアは思う。

「だからお兄さん、ワタシの邪魔しないで。お兄さんにも家族はいるんでしょ」
「あ、うん。まぁ……」

 ダメよ、とまるで幼い子供を軽く叱るような口調で咎められ面食らった。ジュニパーはこちらに敵意を向けているものの、なぜか襲いかかってくる様子がない。

 先程はメリーへ魔術を放っていただけに、今何もしてこない意図が読めず警戒を強める。こちらを油断させる作戦なのかもしれないと思いつつも、話の通じる相手ならやりようはあるかもしれないとも思う。

 もし言葉で諭し、うまく導くことができれば、カーラントのように説得ができるかもしれない。
 だがどうすればこちらの言葉に耳を傾けてもらえるだろうか。すでに亡くなっている母親や、父親であるストーベルと家族として過ごさせてあげることはできない。かといって心の未熟な子に現実をつきつけたところで、現実を拒絶し、暴走するのが関の山だろう。

 何を話すべきか思考を総動員させる。どうすればストーベルや亡くなった母親への執着を逸らせるのか。ゆっくりと諭すように優しい声色を意識し、穏やかな微笑みでジュニパーに語りかける。

「僕の家族はね、僕と血が繋がってないんだ」

 その一言だけ切り出すと、ジュニパーはよくわからないといったふうに首を傾げる。

「血が繋がってないのに家族? それ変だよ」
「そうだね。確かに普通の家族の在り方とは少し違うのかもしれない」

 確かに真っ先に思い浮かぶような一般的な家族の定義からは少し外れているのかもしれない。ジュニパーの感性や考えを頭ごなしに否定しないよう受け入れながら、自分の考えを口にする。

「僕は小さい頃一人ぼっちだったんだよ。父親も母親も兄弟もいなかった」
「どうして?」
「血の繋がった両親に捨てられたからだよ。父親は顔も名前も知らないし、母親は僕に暴力を振るうこともあった」
「……そうなんだ。かわいそうなお兄さん」

 ジュニパーは僅かに気の毒そうに眉尻を下げる。同情や共感の類の感情はまだジュニパーの中に残っているようで僅かに安堵あんどする。

「でも僕を拾って育ててくれた両親がいて、弟と妹ができた。僕を捨てた血の繋がった両親よりずっと優しかった。だから血が繋がってなくても僕にとっては大切な家族なんだ」
「そっか……」
「ジュニパー。君はずっと寂しそうな顔をしてるね」

 ジュニパーはうつむきがちに目を逸らしながら、白いコートの裾をきゅっと小さく握りしめる。この子はずっと寂しい思いを抱えて生きてきたのだということがその表情や仕草から感じられた。

「君のお父さんは優しくしてくれるかい?」

 アイゼアの問いかけにジュニパーはこくりと小さくうなずいた。

「実験でたくさん頑張ったときたくさん褒めてくれる。魔術はちょっと苦手だったけど、お父さまがワタシにだけくれた特別な力があるの。お兄さんも見てて、きっと驚くから」

 まるで初めてできるようになったことを親に見せたがる子供のような振る舞いだ。ジュニパーはすでに事切れた騎士の遺体に近づくと、自身の血を数滴垂らす。その血が赤い霧状になり、遺体を包み込んで吸い込まれていく。
 何が起きているのかわからず呆然とその光景を見ていると、突然死んだはずの騎士が立ち上がった。

「ワタシの力には死者を生き返らせる力があるの。お兄さんが優しくしてくれたから友達を助けてあげた。特別だよ」
「ア……ゼアさ……」

 目の前のおぞましい光景にアイゼアは言葉を失った。その騎士の姿は、とても生き返らせたなどという状態ではなかった。

 本来曲がらない方向へと歪んだ足で蹌踉よろめきながら立ち上がり、にごりきった目は焦点が合っておらず、視線が合うこともない。記憶を留めているのか、潰れかけた喉は掠れた音でアイゼアの名前を紡ごうとしていた。死者を冒涜ぼうとくするような行いに思わず顔をしかめる。

「どうしてそんな顔するの? 嬉しくないの?」
「これは生き返ったってのとは違うよ」
「違うの? ちゃんと動いてお話しもできるのに?」

 ジュニパーにはこれが生き返った正常な状態に見えるというのだろうか。動きもぎこちなく、言葉も片言で、本人の意思があるかすらわからない。アイゼアは槍で騎士をぎ払い、心の中で謝罪する。騎士は無抵抗に地面を転がり、動かなくなった。

「どうしてそんな酷いことするの! お兄さんの友達なんでしょ!」

それまでぽそぽそと喋っていたジュニパーが声を荒げる。

「彼を静かに眠らせてやってくれ……」
「眠らせて? あ、わかった。急に起こされたら嫌だよね。ごめんね」

 ジュニパーは騎士の頭を子供を寝かしつけるように撫でる。アイゼアは背筋が凍りつくような思いでそれを見ていた。なぜジュニパーの認識はここまで歪んでいるのか。それともストーベルがジュニパーを歪ませたのか。理解は到底追いつきそうにない。

 ジュニパーに何と言えば理解してもらえるだろうか。それとも自分がジュニパーを理解できないように、ジュニパーもまたアイゼアの言葉を理解できる日は来ないのかもしれない。言葉を探して、探して、必死に頭を巡らせるアイゼアの左腕が強く引かれる。

「何をしてるんですか! 死ぬ気ですか!!」

 怒りに満ちたメリーの瞳がアイゼアを叱りつける。メリーが触手の追撃を雷術で弾き返す。自分が元いた場所は、あの泥のバケモノの触手が突き刺さっていた。

「……外したか。ジューン、ジュニパーを喰らえ」

アイゼアはストーベルの告げた残酷な言葉に耳を疑った。

「お父さま?」
「安心するのだジュニパー。世界を創り変えたら、皆で暮らせる。ほら、ジューンや皆がお前と家族になりたがっている。彼らを仲間外れにするのはかわいそうだろう?」

 良き父親然とした穏やかな、どこか白々しくも聞こえるストーベルの声がジュニパーをそそのかす。

「はい、お父さま。ずっと一緒に頑張ってきたんだから、みんなは大切な家族!」

 信奉する父親の言葉に、あの濁っていた黒い瞳がキラキラと輝き出す。

「聞くなジュニパー! ストーベルは君を騙そうとしてるだけなんだ!」

 このままでは殺されてしまう。アイゼアは考えるより早く叫んでいた。狂っているとはいえ、彼女にはまだ優しさや思いやりといった人として大切な感情も残っている。

「どうして? お兄さんも言ってた。血が繋がってなくても家族だって。全部の血は繋がってないけど、みんなワタシの家族でしょ?」

 あれだけ表情のなかったジュニパーが満面の笑みをアイゼアへと向けていた。そしてゆっくりと泥のバケモノを見上げる。まるでバケモノを抱きしめようとするかのように、両手を上へ向けて広げる。

「違う……僕はそんなことが言いたかったわけじゃないっ」

必死に手を伸ばし、ジュニパーへ駆け寄ろうとした。

「アイゼアさん、行ってはダメです!」

 メリーの切実な声と共に、前へ進むことをはばまれる。正面からアイゼアの腰元に手を回し、必死に踏ん張ってアイゼアを止めようとするメリーの姿が目の前にあった。所々火傷を負って傷ついており、ストーベルとの戦いの熾烈しれつさが伝わってくる。

「みんな一緒。みんなでお父さまの夢を必ず叶え──

 腕を広げたジュニパーにバケモノが大口を開けて迫る。その瞬間、破裂音と共にジュニパーの体が爆ぜ散った。一瞬の事で何が起きたのか理解が追いつかない。肉片までもがあかく燃えて火の粉となり、風に溶けるようにして消えた。


第67話 いびつな愛といびつな者たち(1)  終
94/100ページ
スキ