前章─復讐の先に掴む未来は(1)
結界の解除が終わり、メリーたちはすぐに門へと近づいた。冥界の門は閉じられているが、天界への門は開きっぱなしになっている。
門は簡単にこじ開けることなどできないらしいが、ハッキリと残る魔力の気配からグリモワールを使用して開けたのだとわかる。
「残留魔力の量としては、この門を突破してから然程 時間は経ってないと思います」
「グリモワールでも門を破るのは難しかったってことね」
「急ぐぞ。手遅れになる」
スイウが皆へ進むように促しながら、先陣を切って天界の門をくぐる。メリーたちもそれに続いた。
門をくぐるとすぐに大きな白い階段が現れ、まっすぐに上へと伸びている。その先にある大きな扉は開いたままになっており、天界の清々しい青空が見えていた。
「扉の先、数がわからんくらい人がいるな……」
スイウの瞳が鋭さを増す。それは天族たちか、それともストーベルたちか。
「天族だった場合を考えると先制で試験管を投げ込むわけにもいきませんね」
「サクにこちらの気配がバレてる可能性がある。一気に上まで駆け抜けるぞ」
スイウとメリーを先頭に一斉に駆け上がっていく。この先にストーベルがいるはずだ。逸 る気持ちを抑え、神経を尖らせながら前進する。
大きくぽっかりと開いた扉の向こうから、白いフードマントを身に着けた構成員たちが顔を覗かせる。向こう側の気配は天族ではなく敵であったようだ。扉の向こうへ鋭く投げつけた試験管が炸裂し、手前の敵が吹き飛ぶ。
後方から飛んでくる魔術も同時に展開した魔術障壁で防ぎ、スイウが敵を斬り捨てる形で階段を突破した。駆け上がった先は広く見渡しの良い平原地帯になっており、門を守護する小さな神殿が建てられている。遠巻きには乳白色の石で築かれた集落も見えた。
その景色の中に数えきれないほどの白いフードマントを身に纏った構成員たちがいる。こちらの数の倍はいるだろうか。基本的に霊族と人間の戦いは霊族側が圧倒的に有利だ。数も能力も劣るこちらの分の悪さはやはり否めない。
「おやおや。随分 と品性の欠片もない登場ではないか、メリー」
構成員たちの後方、神殿の平たい屋根の上に声の主はいた。少し灰色にくすんだ桃色の髪を後ろで三つ編みにし、自身と同じ紺色の瞳は深海のように昏 く、寒気がするような不気味さを宿している。
「ストーベル……」
杖を虚空から呼び出し、臨戦態勢をとる。
「メリー、冷静に」
視線は決してストーベルから逸らさず、アイゼアの声に頷いて応えた。
「お前が来たということはカーラントはしくじったようだな。少しは役に立つかと思ったが、囮 もこなせぬとは無能の極みだ」
あれほど当主候補と重用していたカーラントへの心無い言葉は、付き従うのも馬鹿馬鹿しくなる程の言われようだ。
「あなたの顔を見るのも今日で最後です」
「私もここまで逆らったお前を許すつもりはない。汚らわしい愚かな子よ」
ストーベルの口が三日月のように弧を描く。
「無策に飛び込んできたお前の勇気だけは讃えよう。だが、ここまでだ。ローアン、ジェスタ、ジュニパー、皆殺しにしてやりなさい。一人残らず」
ローアン、ジュニパー、ジェスタ、この中でメリーに聞き覚えがあるのはローアンくらいで、ジュニパーとジェスタは初めて聞く名前だ。
当主候補であるローアンと共に名指しされるということは、おそらく二人も当主候補たちなのだろう。他に知っている当主候補のホワートル、そしてミュールとカーラントはストーベルの前から消されたということだ。
「うふふ、お父様の前で戦えるんだもの、いーとこみせなくっちゃ!」
「ジェスタ、メリーお姉さまを壊さないで。後でワタシの人形にする」
「はぁ? ジュニパーのおもちゃのためになーんであたくしが遠慮してやんなきゃいけないわけ? 嫌よ!」
「ローアン隊、出撃。塵 一つ残すな!」
「ちょぉーっと、ローアン! 抜け駆けなんて狡いじゃない!」
構成員たちを含め、まるで遊びで競い合うかのようにこちらの首を狙っている。ローアンの掛け声を皮切りに大群の構成員が押し寄せてくる。当然後方からは夥 しい量の魔術が放たれ、雨のように降り注ぐ。
これが霊族と人間が戦争をしたときに人間側が勝てない理由の一つだ。人間の魔科学や魔工学は霊族の魔術にはまだ遠く及ばない。
「あれが魔術……? 天災か何かじゃないのか!?」
スピリアの魔術士の総力を目の当たりした騎士たちは動揺する。これまで見てきたセントゥーロの魔術士の魔術とは比べ物にならない力を持っているように見えるのだろう。
「恐れるな! 一つに固まって前進しろ!!」
アイゼアの声が高らかに響く。指示は間違っていない。捨て駒として扱っていなければ、前衛の構成員の近くにはまず魔術が降ることはない。作戦通り一つに固まり、メリーとフィロメナは広範囲に魔術障壁を展開し、魔術の第一波を防ぎきった。
「メリー、やるぞ」
「はい」
スイウの合図に頷き、同時に前へと出る。助かった……と小さく呟く騎士を置き去りに、メリーは穢れを纏 う魔力をありったけ放出しながら一直線にある場所へと目指した。
スイウは本来の魔族の姿に戻ると、強烈な殺気と共に穢れた死の気配を色濃く纏 い、正面から敵の前衛へ流星のように駆けて接近する。
瞬く間に周囲の構成員の首を跳ね飛ばし、赤い道が拓かれていった。恐怖と混乱に満ちた悲鳴を背にし、メリーが狙うはただ一つ。ストーベルの首だ。
メリーの放つ殺気と魔力のもつ死の気配に当てられ、構成員の間で動揺が広がる。頭であるストーベルを潰せば混乱し、クランベルカ家の者たちは機能できなくなる。一人を信奉しそれに従っている集団の脆 い部分でもある。
右手に杖を持ち、左手に魔術試験管とカーラントから受け取った媒体 を握りしめた。ストーベルは避ける素振りもなく悠然と構え、隣のサクも動じる様子はない。高く跳躍すると共に、試験管をストーベルへと向けて鋭く投げつけた。
「ざーんねーん!」
瞬間、試験管はジェスタの手によってストーベルへと届く前に叩き斬られた。同時に水術が炸裂する。
「ちょっと、何これっ!!」
雷撃を拡散した水術へ向けて放つと、水術を伝い、中にいるジェスタを包むようにして襲いかかる。どうやらメリーの魔力に応えてくれる精霊も僅かには存在しているようだ。
体が痺 れて地に落ちるジェスタには目もくれず、メリーは素早く触媒を取り出し口元を隠しながら小さく素早く詠唱を唱える。媒体から魔力を引き出し、構築した術を放つ。得られた魔力で精霊から力を借り、魔術を使うことに成功した。
紅炎は轟音を伴い、神殿の上にいるストーベルと傍らにいるサクへ向けて凄まじい勢いで叩きつけられた。衝撃と熱を帯びた爆風に後方へと押し返される。それらはメリーだけでなく、敵味方を問わず吹き飛ばした。
「熱風だけで焼き殺されるかと思ったよ」
「大げさですね……」
近くに立つアイゼアが苦笑混じり呟いた声が聞こえた。跡形もなく神殿は消し飛び、大きく地面が抉られている。ストーベルとサクには避けられたらしく、抉れた地面の手前に表情一つ崩さずに立っていた。
構成員はその魔術によってできた爪跡に更に動揺した。間髪入れずメリーは死の気配を放ちながら、媒体に魔術を構築していく。
当主候補を凌 ぐメリーの魔力量と魔術の技術。魔力が膨大であれば、強力な魔術を扱えるかと言われればそれは違う。魔力は魔術を扱う素養でしかない。制御する力も構築する技術もなく、ただ溢れるままに魔力を振るってもそれはただ強大なだけの散漫とした力でしかない。
強大な力を制御し、強力な魔術へと変換するにはそれだけの努力と鍛錬と知識が必要になる。同程度の魔力保持者が同じ術を使っても、制御を身に着けているかどうかで雲泥の差が出る。
制御を身に着けることは簡単ではなく、それは持つ魔力量に比例するようにして難易度が上がる。そのため魔力に恵まれても制御が苦手であれば能力を発揮しきれない。それを理解しているからこそ、これだけの魔術を構築できることに恐れ慄 くのだ。だがそれは通常の感性を持った相手に対してのみ有効だ。
ストーベルが後ろにいる構成員たちに怖いものなどない。だが今の構成員たちは恐慌状態だった。
その理由がアイゼアの単純な作戦、メリーとスイウの纏 う冥界の死の気配を利用することだった。霊族が黄昏の月を忌み嫌うのは、敏感に死の気配を察知して恐れるからであり、それは本能なのではないかと考えたのだ。
本能的な恐怖は精神や考え方でどうにかなるものではない。そこへメリーの魔術の威力、スイウの圧倒的な剣術を合わせれば戦場を恐慌状態に陥れることができるかもしれない。この作戦が使えるのも、気配を察知できない人間でこちらの陣営の大半が構成されているからだ。
事実、落ち着きを払って戦闘を継続しているこちらに対し、構成員の中には恐怖や混乱で戦意を喪失しかけている者も見受けられた。
そして次の瞬間、大半の構成員が悲鳴を上げ狂ったように同士討ちを始める。中には目を見開いて死体のように倒れ伏す者もおり、戦場は更に混乱を極めた。
どうやら作戦は一通り上手くいったらしい。
「何が起こっている……いや、まさかこれは幻術か……!」
ローアンの驚愕に満ちた目が見開かれ、忌々しげに歪んだ。
「害虫の駆除は得意分野なのでね」
お揃いの白いフードマントを靡 かせ、悠々とした態度でカーラントが進み出る。
「カーラント、貴様っ!! 父上を裏切ったのか!!」
「ご冗談を、ローアン兄様。先に裏切ってジューンを殺したのは父様の方だ。それに弱い者は淘汰されて当然、あなたはいつもそう言っていたではないか」
激昂 するローアンに対し、カーラントは薄い笑みを絶やさず落ち着いている。
「弱者は不要なのだろう? ならばむしろ、掃除してくれた私に感謝すべきではないかね?」
カーラントが右手を横へ薙 いだ瞬間、数えきれないほどの騎士の幻影が現れる。その中には騎士の服を着たジューンの幻影もあった。
「人数の水増しも私の得意分野なのでね」
「幻影まで……この一族の恥晒しが!!」
カーラントが静かに前に手を差し出すと同時に、幻影の騎士たちが一斉に襲いかかっていく。
「カーラント、貴様はここで殺すっ。己の愚行を後悔するがいい!!」
「申し訳ございませんが、あなたのお相手は私が務めさせていただきます」
ローアンの行く手をエルヴェの素早い斬撃が阻んだ。
「手こずりおって……サク、お前は儀式を完成に専念せよ」
「はいはーい。じゃあ後はよろしく、ストーベル」
ストーベルの命を受け、サクはグリモワールを片手に戦場を離れていく。それも尋常ではない速度で、まるで飛んでいくようにその背中が小さくなっていった。このままでは儀式を完成させられて世界の破滅が始まってしまう。
「まずい……メリー、俺はサクを追う!」
スイウはサクを追いかけようとそちらへ向かおうとするが、残っている構成員たちが立ちはだかる。
「死にたくないなら退け!」
構成員たちが術を放つより早く、目にも止まらぬ速さで刀を振るって斬り伏せる。
「フィロメナさん、スイウさんと一緒に行ってください」
「何言ってんのよ! 治療は? 障壁で守ってあげなくちゃみんな死んじゃうわ!」
「儀式が完成すれば、どうせみんな死にます。行ってください。スイウさんには必ず天族の……フィロメナさんの力が必要になります」
メリーは戸惑い迷うフィロメナの背中を力一杯突き飛ばした。
「これは私の復讐。あなたはあなたの使命を果たしてくださいっ、フィロメナさん!!」
「メリー……わかったわ!」
フィロメナは表情を引き締めて一つ頷く。
「ここは頼むわよ。絶対死なないでよね」
そう言い残し、濡れ羽色に輝く翼を広げてスイウを追っていく。その背中を守るように簡易結界を張り、フィロメナを追おうとする構成員を火球で薙ぎ払っていく。
「ジュニパー、作戦を第二段階へ。カーラントを無力化しろ」
「はい、お父さま……」
ジュニパーは大きな魔晶石を片手にふらりふらりと躍り出る。
「ジェスタはいつも軽率ね。自分の頭の悪さで死ぬなんて哀れな子」
焼け焦げて半壊したジェスタの死体を片手で持ち上げる。死体を触媒にし、魔晶石へと吸収させた。
「メリーお姉さま、聞きしに勝る魔力ね。でもワタシは穢れた魔力なんて怖くない。それとカーラントお兄さま、たくさん生贄を用意してくれてありがとう」
ぼーっとしたようなジュニパーがほんの少しだけ口角を上げる。手のひらをナイフで切りつけて血を魔晶石へと吸わせると、空中へと放り投げた。
突如魔晶石から液状の黒い泥のようなものが、ぐちゃぐちゃに混ざりあった魔力と共に噴出する。幻覚をかけられ互いに殺し合った構成員の死体や精神が崩壊した生きたままの構成員の体がどろどろと溶けだし、その魔晶石を形作るようにして取り込まれていく。
「合成魔晶石による生体兵器の錬成。死霊術 を元に研究した死体人形 よ」
やがてその泥は一つの塊となり、人に近い形を成す。足は短く、腕は長い、人よりも数十倍以上は大きいであろう巨躯 の中央部に魔晶石が飲み込まれていった。
「あぁ……そうか」
カーラントがぽつりと静かに呟いた。
「ジューン、皆もそこにいるのだな。よく知った魔力がいくつも混じり合っている」
「よくわかったなカーラント。お前の愛するジューンと大切な部下たちだ」
ストーベルは愉悦に浸りながら、狂気じみた笑みを浮かべる。
「本当に芸のない……ジューンが死んだと知ったときから、こうなるだろうことは予測していた」
カーラントは顔色一つ変えず、薄ら笑いを崩さない。それが決して虚勢ではないことを、今も消滅せずに戦い続けている幻影が証明している。バケモノに変えられたミュールと対峙したときのメリーとは雲泥の差だった。
「予測さえできれば冷静さは保てる。私をそう作ったのは他でもないあなたでしょうに」
「あぁそうだ、カーラント。お前は本当に愛おしい。従順で純粋で優秀な私のかわいい息子だ。お前が次期当主として最も相応しかった」
「私を当主に据え、傀儡 にするつもりだった……実質の当主はあなたのままでは?」
「言いがかりだな。自分の意思で私に従っていたはずだろう」
笑みを崩さないカーラントの氷色の瞳に、鋭い殺意が宿る。
「ジューンを殺したあなたとは、最早言葉を交わす価値もない」
「我々は今も理想郷のために戦っている。お前ならば理解できると思っていたが……精々足掻くが良い。ジューン、殺れ」
ストーベルがジューンと呼ぶそのバケモノは、のそりと鈍重な動きで進み出る。
「ジューン、私を慕ってくれていた皆……私の愚かさを恨むといい」
バケモノの泥の体から凄まじい速度で触手のようなものが伸びて地面を抉る。素早く攻撃を躱 したカーラントを追いかけるようにして何本もの泥の触手が襲いかかり、何度も地面が抉られていく。
歩行速度こそ遅いが、攻撃速度まで同じではないようだ。伸縮自在な攻撃範囲も動きの遅さを補って余りある。
「メリー、ジューンの攻撃は全て私が引き受ける。早く父様を殺せ」
そう言われるよりも早く、メリーはストーベルへ向かって駆け出していた。
「ダメ、メリーお姉さま。ワタシとお話してよ!」
ジュニパーが小さな火球を放つ。その炎はメリーへ届くより早く断ち切られた。
「メリー、行って。ここは僕が」
「お願いします!」
アイゼアの脇をすり抜けて、一直線でストーベルへと向かう。媒体を通さない魔術は精霊からあまり力を借りれず威力が減衰するが、至近距離で行使する分には問題ない。杖に直接炎を纏 わせ、障害を薙ぎ払いながら進む。全てをここで断ち切るのだという強い決意と共に、ストーベルへと迫った。
第66話 拓かれた道を征け 終
門は簡単にこじ開けることなどできないらしいが、ハッキリと残る魔力の気配からグリモワールを使用して開けたのだとわかる。
「残留魔力の量としては、この門を突破してから
「グリモワールでも門を破るのは難しかったってことね」
「急ぐぞ。手遅れになる」
スイウが皆へ進むように促しながら、先陣を切って天界の門をくぐる。メリーたちもそれに続いた。
門をくぐるとすぐに大きな白い階段が現れ、まっすぐに上へと伸びている。その先にある大きな扉は開いたままになっており、天界の清々しい青空が見えていた。
「扉の先、数がわからんくらい人がいるな……」
スイウの瞳が鋭さを増す。それは天族たちか、それともストーベルたちか。
「天族だった場合を考えると先制で試験管を投げ込むわけにもいきませんね」
「サクにこちらの気配がバレてる可能性がある。一気に上まで駆け抜けるぞ」
スイウとメリーを先頭に一斉に駆け上がっていく。この先にストーベルがいるはずだ。
大きくぽっかりと開いた扉の向こうから、白いフードマントを身に着けた構成員たちが顔を覗かせる。向こう側の気配は天族ではなく敵であったようだ。扉の向こうへ鋭く投げつけた試験管が炸裂し、手前の敵が吹き飛ぶ。
後方から飛んでくる魔術も同時に展開した魔術障壁で防ぎ、スイウが敵を斬り捨てる形で階段を突破した。駆け上がった先は広く見渡しの良い平原地帯になっており、門を守護する小さな神殿が建てられている。遠巻きには乳白色の石で築かれた集落も見えた。
その景色の中に数えきれないほどの白いフードマントを身に纏った構成員たちがいる。こちらの数の倍はいるだろうか。基本的に霊族と人間の戦いは霊族側が圧倒的に有利だ。数も能力も劣るこちらの分の悪さはやはり否めない。
「おやおや。
構成員たちの後方、神殿の平たい屋根の上に声の主はいた。少し灰色にくすんだ桃色の髪を後ろで三つ編みにし、自身と同じ紺色の瞳は深海のように
「ストーベル……」
杖を虚空から呼び出し、臨戦態勢をとる。
「メリー、冷静に」
視線は決してストーベルから逸らさず、アイゼアの声に頷いて応えた。
「お前が来たということはカーラントはしくじったようだな。少しは役に立つかと思ったが、
あれほど当主候補と重用していたカーラントへの心無い言葉は、付き従うのも馬鹿馬鹿しくなる程の言われようだ。
「あなたの顔を見るのも今日で最後です」
「私もここまで逆らったお前を許すつもりはない。汚らわしい愚かな子よ」
ストーベルの口が三日月のように弧を描く。
「無策に飛び込んできたお前の勇気だけは讃えよう。だが、ここまでだ。ローアン、ジェスタ、ジュニパー、皆殺しにしてやりなさい。一人残らず」
ローアン、ジュニパー、ジェスタ、この中でメリーに聞き覚えがあるのはローアンくらいで、ジュニパーとジェスタは初めて聞く名前だ。
当主候補であるローアンと共に名指しされるということは、おそらく二人も当主候補たちなのだろう。他に知っている当主候補のホワートル、そしてミュールとカーラントはストーベルの前から消されたということだ。
「うふふ、お父様の前で戦えるんだもの、いーとこみせなくっちゃ!」
「ジェスタ、メリーお姉さまを壊さないで。後でワタシの人形にする」
「はぁ? ジュニパーのおもちゃのためになーんであたくしが遠慮してやんなきゃいけないわけ? 嫌よ!」
「ローアン隊、出撃。
「ちょぉーっと、ローアン! 抜け駆けなんて狡いじゃない!」
構成員たちを含め、まるで遊びで競い合うかのようにこちらの首を狙っている。ローアンの掛け声を皮切りに大群の構成員が押し寄せてくる。当然後方からは
これが霊族と人間が戦争をしたときに人間側が勝てない理由の一つだ。人間の魔科学や魔工学は霊族の魔術にはまだ遠く及ばない。
「あれが魔術……? 天災か何かじゃないのか!?」
スピリアの魔術士の総力を目の当たりした騎士たちは動揺する。これまで見てきたセントゥーロの魔術士の魔術とは比べ物にならない力を持っているように見えるのだろう。
「恐れるな! 一つに固まって前進しろ!!」
アイゼアの声が高らかに響く。指示は間違っていない。捨て駒として扱っていなければ、前衛の構成員の近くにはまず魔術が降ることはない。作戦通り一つに固まり、メリーとフィロメナは広範囲に魔術障壁を展開し、魔術の第一波を防ぎきった。
「メリー、やるぞ」
「はい」
スイウの合図に頷き、同時に前へと出る。助かった……と小さく呟く騎士を置き去りに、メリーは穢れを
スイウは本来の魔族の姿に戻ると、強烈な殺気と共に穢れた死の気配を色濃く
瞬く間に周囲の構成員の首を跳ね飛ばし、赤い道が拓かれていった。恐怖と混乱に満ちた悲鳴を背にし、メリーが狙うはただ一つ。ストーベルの首だ。
メリーの放つ殺気と魔力のもつ死の気配に当てられ、構成員の間で動揺が広がる。頭であるストーベルを潰せば混乱し、クランベルカ家の者たちは機能できなくなる。一人を信奉しそれに従っている集団の
右手に杖を持ち、左手に魔術試験管とカーラントから受け取った
「ざーんねーん!」
瞬間、試験管はジェスタの手によってストーベルへと届く前に叩き斬られた。同時に水術が炸裂する。
「ちょっと、何これっ!!」
雷撃を拡散した水術へ向けて放つと、水術を伝い、中にいるジェスタを包むようにして襲いかかる。どうやらメリーの魔力に応えてくれる精霊も僅かには存在しているようだ。
体が
紅炎は轟音を伴い、神殿の上にいるストーベルと傍らにいるサクへ向けて凄まじい勢いで叩きつけられた。衝撃と熱を帯びた爆風に後方へと押し返される。それらはメリーだけでなく、敵味方を問わず吹き飛ばした。
「熱風だけで焼き殺されるかと思ったよ」
「大げさですね……」
近くに立つアイゼアが苦笑混じり呟いた声が聞こえた。跡形もなく神殿は消し飛び、大きく地面が抉られている。ストーベルとサクには避けられたらしく、抉れた地面の手前に表情一つ崩さずに立っていた。
構成員はその魔術によってできた爪跡に更に動揺した。間髪入れずメリーは死の気配を放ちながら、媒体に魔術を構築していく。
当主候補を
強大な力を制御し、強力な魔術へと変換するにはそれだけの努力と鍛錬と知識が必要になる。同程度の魔力保持者が同じ術を使っても、制御を身に着けているかどうかで雲泥の差が出る。
制御を身に着けることは簡単ではなく、それは持つ魔力量に比例するようにして難易度が上がる。そのため魔力に恵まれても制御が苦手であれば能力を発揮しきれない。それを理解しているからこそ、これだけの魔術を構築できることに恐れ
ストーベルが後ろにいる構成員たちに怖いものなどない。だが今の構成員たちは恐慌状態だった。
その理由がアイゼアの単純な作戦、メリーとスイウの
本能的な恐怖は精神や考え方でどうにかなるものではない。そこへメリーの魔術の威力、スイウの圧倒的な剣術を合わせれば戦場を恐慌状態に陥れることができるかもしれない。この作戦が使えるのも、気配を察知できない人間でこちらの陣営の大半が構成されているからだ。
事実、落ち着きを払って戦闘を継続しているこちらに対し、構成員の中には恐怖や混乱で戦意を喪失しかけている者も見受けられた。
そして次の瞬間、大半の構成員が悲鳴を上げ狂ったように同士討ちを始める。中には目を見開いて死体のように倒れ伏す者もおり、戦場は更に混乱を極めた。
どうやら作戦は一通り上手くいったらしい。
「何が起こっている……いや、まさかこれは幻術か……!」
ローアンの驚愕に満ちた目が見開かれ、忌々しげに歪んだ。
「害虫の駆除は得意分野なのでね」
お揃いの白いフードマントを
「カーラント、貴様っ!! 父上を裏切ったのか!!」
「ご冗談を、ローアン兄様。先に裏切ってジューンを殺したのは父様の方だ。それに弱い者は淘汰されて当然、あなたはいつもそう言っていたではないか」
「弱者は不要なのだろう? ならばむしろ、掃除してくれた私に感謝すべきではないかね?」
カーラントが右手を横へ
「人数の水増しも私の得意分野なのでね」
「幻影まで……この一族の恥晒しが!!」
カーラントが静かに前に手を差し出すと同時に、幻影の騎士たちが一斉に襲いかかっていく。
「カーラント、貴様はここで殺すっ。己の愚行を後悔するがいい!!」
「申し訳ございませんが、あなたのお相手は私が務めさせていただきます」
ローアンの行く手をエルヴェの素早い斬撃が阻んだ。
「手こずりおって……サク、お前は儀式を完成に専念せよ」
「はいはーい。じゃあ後はよろしく、ストーベル」
ストーベルの命を受け、サクはグリモワールを片手に戦場を離れていく。それも尋常ではない速度で、まるで飛んでいくようにその背中が小さくなっていった。このままでは儀式を完成させられて世界の破滅が始まってしまう。
「まずい……メリー、俺はサクを追う!」
スイウはサクを追いかけようとそちらへ向かおうとするが、残っている構成員たちが立ちはだかる。
「死にたくないなら退け!」
構成員たちが術を放つより早く、目にも止まらぬ速さで刀を振るって斬り伏せる。
「フィロメナさん、スイウさんと一緒に行ってください」
「何言ってんのよ! 治療は? 障壁で守ってあげなくちゃみんな死んじゃうわ!」
「儀式が完成すれば、どうせみんな死にます。行ってください。スイウさんには必ず天族の……フィロメナさんの力が必要になります」
メリーは戸惑い迷うフィロメナの背中を力一杯突き飛ばした。
「これは私の復讐。あなたはあなたの使命を果たしてくださいっ、フィロメナさん!!」
「メリー……わかったわ!」
フィロメナは表情を引き締めて一つ頷く。
「ここは頼むわよ。絶対死なないでよね」
そう言い残し、濡れ羽色に輝く翼を広げてスイウを追っていく。その背中を守るように簡易結界を張り、フィロメナを追おうとする構成員を火球で薙ぎ払っていく。
「ジュニパー、作戦を第二段階へ。カーラントを無力化しろ」
「はい、お父さま……」
ジュニパーは大きな魔晶石を片手にふらりふらりと躍り出る。
「ジェスタはいつも軽率ね。自分の頭の悪さで死ぬなんて哀れな子」
焼け焦げて半壊したジェスタの死体を片手で持ち上げる。死体を触媒にし、魔晶石へと吸収させた。
「メリーお姉さま、聞きしに勝る魔力ね。でもワタシは穢れた魔力なんて怖くない。それとカーラントお兄さま、たくさん生贄を用意してくれてありがとう」
ぼーっとしたようなジュニパーがほんの少しだけ口角を上げる。手のひらをナイフで切りつけて血を魔晶石へと吸わせると、空中へと放り投げた。
突如魔晶石から液状の黒い泥のようなものが、ぐちゃぐちゃに混ざりあった魔力と共に噴出する。幻覚をかけられ互いに殺し合った構成員の死体や精神が崩壊した生きたままの構成員の体がどろどろと溶けだし、その魔晶石を形作るようにして取り込まれていく。
「合成魔晶石による生体兵器の錬成。
やがてその泥は一つの塊となり、人に近い形を成す。足は短く、腕は長い、人よりも数十倍以上は大きいであろう
「あぁ……そうか」
カーラントがぽつりと静かに呟いた。
「ジューン、皆もそこにいるのだな。よく知った魔力がいくつも混じり合っている」
「よくわかったなカーラント。お前の愛するジューンと大切な部下たちだ」
ストーベルは愉悦に浸りながら、狂気じみた笑みを浮かべる。
「本当に芸のない……ジューンが死んだと知ったときから、こうなるだろうことは予測していた」
カーラントは顔色一つ変えず、薄ら笑いを崩さない。それが決して虚勢ではないことを、今も消滅せずに戦い続けている幻影が証明している。バケモノに変えられたミュールと対峙したときのメリーとは雲泥の差だった。
「予測さえできれば冷静さは保てる。私をそう作ったのは他でもないあなたでしょうに」
「あぁそうだ、カーラント。お前は本当に愛おしい。従順で純粋で優秀な私のかわいい息子だ。お前が次期当主として最も相応しかった」
「私を当主に据え、
「言いがかりだな。自分の意思で私に従っていたはずだろう」
笑みを崩さないカーラントの氷色の瞳に、鋭い殺意が宿る。
「ジューンを殺したあなたとは、最早言葉を交わす価値もない」
「我々は今も理想郷のために戦っている。お前ならば理解できると思っていたが……精々足掻くが良い。ジューン、殺れ」
ストーベルがジューンと呼ぶそのバケモノは、のそりと鈍重な動きで進み出る。
「ジューン、私を慕ってくれていた皆……私の愚かさを恨むといい」
バケモノの泥の体から凄まじい速度で触手のようなものが伸びて地面を抉る。素早く攻撃を
歩行速度こそ遅いが、攻撃速度まで同じではないようだ。伸縮自在な攻撃範囲も動きの遅さを補って余りある。
「メリー、ジューンの攻撃は全て私が引き受ける。早く父様を殺せ」
そう言われるよりも早く、メリーはストーベルへ向かって駆け出していた。
「ダメ、メリーお姉さま。ワタシとお話してよ!」
ジュニパーが小さな火球を放つ。その炎はメリーへ届くより早く断ち切られた。
「メリー、行って。ここは僕が」
「お願いします!」
アイゼアの脇をすり抜けて、一直線でストーベルへと向かう。媒体を通さない魔術は精霊からあまり力を借りれず威力が減衰するが、至近距離で行使する分には問題ない。杖に直接炎を
第66話 拓かれた道を征け 終