前章─復讐の先に掴む未来は(1)

 サンサーナ島へ到着し、船のタラップを降りる。吹き抜ける風の冷たさにメリーはどこか懐かしさを覚えた。

「うー寒いぃ〜。サンサーナ島って常に暖かいはずなのになんでよぉ……」

 フィロメナは船内にあった白いフードマントを羽織り、ぶるぶると体を震わせている。無理もない。島は一面が雪に覆われていたのだ。
 ノルタンダールの冬ほどではないが空気が冷え切っている。一方でノルタンダールでは自生しない温暖な地域特有の葉の大きな樹木が生育しており、何とも不釣り合いな冷たさだと思った。

「フィロメナさん、これを使ってください」

 クランベルカ家から支給される白いフードマントにはマントを留めるブローチがついている。このブローチは属性のない魔晶石がはめこまれているため、属性を付与した魔力を流し込むことで様々な使い方ができるようになっているのだ。手をかざして魔力を付与すると、魔晶石が炎属性を宿す。

「はぁ……よくわかんないけどぽかぽかしてきたわ」

温熱効果が出てきたのかフィロメナの頬が緩んでいく。

「フィロメナ、門の場所は知ってるか?」
「何となくはわかるけど。島に来るのは初めてだから……」
「俺とお前の知識量は同程度か」
「それなら父様の居場所を使い魔に追わせてはどうだ?」

カーラントは使い魔の金糸雀カナリアを呼び出すと、指の先に乗せた。

「ストーベルのところへ行くだけなら確実ではありますね」
「信用できるのか?」

 スイウはじっとりと猜疑心さいぎしんたっぷりの眼差しをカーラントへと向けた。

「おかしいと思えば、あなたたちの記憶を頼りに歩けば良いのでは?」
「それはそうだな」

 カーラントとスイウの何とも淡白なやりとりを聞きつつ、白の世界に鮮やかな黄色が飛び立っていくのを見上げる。アイゼアが騎士に指示を出し終わると、金糸雀カナリアの導く方へと歩き出した。


「やっぱり門の方へ向かってるわね」

 金糸雀カナリアを先頭に、サンサーナ島を知っているスイウとフィロメナが前を歩き、その後ろに続く。雪を踏みしめる音と刺すように吹きつける風の音以外は何も聞こえてこない。緑に生の息吹を感じられず、まるで時が止まっているかのようだ。

「みんな無事かしら……」

 フィロメナはマトゥスで別れた天族の仲間たちを心配しているのか、真上に渦巻く暗雲を見上げる表情は暗い。
 彼らは一度サンサーナ島へ戻ると言っていたことをメリーも覚えている。この島の状況を見て、根拠もなく大丈夫だなどと安易な言葉をかけられるはずもなかった。そんなふうに言ったところで気休めにすらならないと理解していた。

「フィロメナ」

 誰も声を発することなく、沈黙しかけていた空気がアイゼアによって破られる。

「みんな君のことを待ってると思うよ」
「アイゼア?」

アイゼアはメリーを追い越すとフィロメナの隣に並んだ。

「だから早く行こう。きっと今も君の仲間たちは戦ってるはずだからね」
「……えぇ、そうよね。弱気になってる場合じゃなかったわ」

 フィロメナの瞳に凛々しさが戻ってくる。安易な言葉を使わずそれでいて優しい言葉選びに、アイゼアが騎士として長く勤めてきた経験値というものを感じる。
 こうして何度も仲間を鼓舞し、時に励まされて任務をこなしてきたのだろう。フィロメナも気持ちが上向きになったのか、心なしか足取りは強く、歩調も早くなっていた。


 森の中を進んでいるととうとう雪が降りだしてくる。空気はより一層冷たさを増していた。魔物も出現するようになったため少し速度は落ちたが、退けながらも確実に進んでいた。

 少しずつ森が開け、見慣れない乳白色の石柱が現れ始める。完全に森を抜けると石柱と同じ石材で造られた建物で形成された街のような場所へと到着した。

「何も音が聞こえません。誰もいらっしゃらないのでしょうか?」

 エルヴェの言う通り、気配というものが何も感じられない。景色だけは街のはずだが、人影もなく森の静けさと大差がなかった。

「街に用はない。門へ行くぞ」

 スイウに促され、雪の積もる街の中へと歩を進めた。新雪が踏み荒らされた様子はない。だが街の中には異様な光景が広がっていた。

「何よ、これ……!」

悲鳴に近いフィロメナの声がし、同時に街の奥へと翼で飛んでいってしまう。

「待ってください、フィロメナさん!」

 奥には敵が待ち構えているかもしれない。単独で進むのは危険だと判断し、フィロメナの背をメリーも追いかける。飛んでいるせいかフィロメナの方が速く、背中がどんどん小さくなっていく。

 追いかけている最中、天族を模した氷像がいくつも視界に入る。それがただの氷像ではないことはすぐに察しがついた。
 苦悶に満ちた表情のもの。驚いたように目を見開いているもの。誰かを庇おうとしたのか、手を伸ばしたままのもの。武器を振るおうと構えているもの。

「誰かっ、誰かいないの?」

 遠くから聞こえるフィロメナの悲痛な声に悔しさが湧き上がり、強く奥歯を噛みしめる。これもグリモワールの力の一部だというのだろうか。
 しばらくしてようやくフィロメナは一つの氷像の前で止まった。近づくと嗚咽おえつが聞こえ、震えている背からも泣いているのがわかる。乱れた呼吸を整えながらフィロメナへと歩み寄る。

「フィロメナさん、一人で先行するのは危険す……」

 フィロメナの前にある氷像を見て思わず言葉が詰まる。それはメリーにも見覚えのある姿をしていた。
 確か「ヒース」と呼ばれていた男性の天族だ。険しい表情で、右手には剣を左手は顔を庇うように突き出した形で固まっている。

「間に合わなかった……あたしのこと助けてくれたのに、あたしはっ……!」

 ここにヒースがいるということは、あの氷像たちの中にもフィロメナと親しかった者がいたのかもしれない。とめどなく溢れては落ちていく涙を止める術はなく、震えている背中をゆっくりと摩ることしかできない。

 背後から気配がし振り向くと、四人と何人かの騎士が心配して追ってきてくれたようだった。

「おい、めそめそ泣いてる場合か?」
「スイウ、さすがに……」

たしなめるアイゼアに構うことなく、スイウはフィロメナの隣へと立つ。

「顔を上げろ」

 スイウに言われるままにフィロメナは前を向く。目の前のヒースが視界に入ったからか、表情がくしゃりと崩れた。フィロメナは必死に涙を止めようと何度も乱暴に目元を拭う。拭っても拭っても止まらない涙に目元は擦れて赤くなっていく。

「今は立ち止まるな。俺らの存在は──
「世界の秩序のためよ……うん、わかってる。大丈夫、ここで戦ったみんなの使命はあたしが果たしてみせるわ」

 目は擦り過ぎて赤くなり、声も震えていたがそれでも強く言い切るフィロメナの横顔は凛々しく見える。どんな逆境の中でも燦然さんぜんと輝く彼女は太陽のように眩しかった。

 カーラントの使い魔の金糸雀カナリアが、鮮やかな黄色の羽を広げてゆったりと飛んでいく。その先にストーベルがいるはずだ。


 少しして落ち窪んだ地形になっている場所に広場が見えてくる。半球状に展開された結界の中に、赤い変わった形のオブジェと乳白色の石材に白い花が絡みついたアーチのようなものがあるのが見えた。

「赤い鳥居が冥界、白い石でできた門が天界と繋がってる」
「鳥居って何ですか?」
「深い意味は知らん。ただ俺たちはあの門をそう呼んでる。それより、ストーベルは天界だ。天界の門だけ開きっぱなしになってる」

 聞き慣れない単語ではあるが、名前の意味も知らず何となくそう呼んでいるものはこの世にも多くある。それよりも問題は天界への侵入を許してしまっていることと、門へ近づけないように張られたこの結界だ。

「この膜のようなものを取り払わなければ、門には近づけそうもありませんね」

 エルヴェが結界に触れると、バチッと音を立てて手が弾かれる。アイゼアも槍で突破できないかと試みているが、結界はびくともしない。

「さすがに物理攻撃で破壊するのは無理みたいだね」

 お手上げといった感じで肩を竦めるアイゼアの隣にメリーは立った。この結界は魔術で作られるものの中で最も強固な類ものだということは、スピリアの魔術士であれば見ただけで理解できる。

「あぁ、これはまた面倒なものを張ってくれたようだな」

 カーラントもすぐにこの結界の厄介さを理解し、ため息混じりに呟いた。メリーは改めて結界と向き合い、触れてみる。結界をすり抜けることはできなかったが弾かれることもない。

「え、メリーは触れても平気なのかい?」
「血の結界なので、術者が私と血縁関係なんだと思います」

 術者の血縁者は結界に比較的干渉しやすい性質上、触れても弾かれることはないのだ。だが結界の中でも血を触媒に張られたものは解除が通常のものより遥かに困難となる。この結界を解除するには術者の血があれば手っ取り早い。

 血縁者の血でも代用はできるが僅かに楽になる程度で、術者の血を鍵とするなら、血縁者の血は鍵開けの道具といったところだろうか。

 もちろん血などなくても解除はできるが、かなり時間を要することになる。結界の術者が弱ければ力技で破壊することもできるのだが。とにかく、普通の結界の方が良かった、というのが現状だ。

「メリー、魔力で崩せないか試してみてはどうだ?」
「無駄だと思いますけどねー」

 カーラントと同時に魔力を流し込み、力技で破壊できないか試みるものの、結界に流れる魔力に乱れる様子はない。力技で解除できないということは、やはりそれなりに魔力の高い者が張った結界であるということだ。

「さすがにダメですね。張ったのはストーベルか当主候補の誰かだと思います」
「解除作業に取り掛かるしかないな」
「早速役に立ちますね。期待してますよ」

 一人での作業より二人の方が格段に速く、カーラントなら能力的にも解除速度が期待できる。
 投擲とうてき用のナイフを一本手渡し、自身もナイフを握る。手袋を外し、ナイフの刃を握りしめて勢いよく引いた。鋭い痛みが手のひらに走り、赤い鮮血が滴り落ちては雪の上に赤い斑点模様を描く。

「ちょ、あんたたち手を切る必要あるわけ!?」
「結界の解除に血が触媒として必要なんです」

 血塗ちまみれの手を結界に押し当てながら血を触媒として練り、魔力を浸透させていくと、結界の表面に赤い紋様が現れる。紋様は結界の説明書のようなもので、読み解けばそれがどんな性質を持ったものなのかがわかる。

「……ご丁寧に二重結界ですか」

 二重結界は外側と内側の両方に張られた結界を指す。結界は魔術障壁と同様に、内側からの攻撃に脆い性質を持つが、内側にも逆結界を張ることでどちら側からの攻撃にも耐えられるようにできている。

 更に、外側が解除されると内側の結界が外側の結界の魔力を取り込み、結界を強化し複雑化させる特性を持つ。二重結界は外側を解除せず、内側の結界から解除するのが最も手っ取り早い。

「はは、用心深い父様らしいな」
「笑い事じゃないんですよ、まったく」
「心に余裕がないと持たないと思うがね」

 結界の解除は何重にもかけられた鍵を一つずつ解錠していく感覚に似ている。結界に流し込んだ魔力が一つめの鍵を捉えた感覚が指の先から腕へと伝わってきた。

「「我が血に応えよ」」

 カチリと音がし、紋様が一つ動く。これでやっと鍵穴に道具が入った状態だ。早速結界の解除に取り掛かかる。ここで足止めを食らっている場合ではないのだ。


第65話 黄昏は太陽を追いかけて(1)  終
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