前章─復讐の先に掴む未来は(1)
──世界の破滅はこれまでに喰らった魂を捧げ、儀式を行うことによって発動する。
初めに暗雲が立ち込める。
次に破滅の使者が世界を覆う。
やがて終わりなき死の冬がやって来る。──
ティム・パーシング著『終焉の黄昏と世界の再誕』
第五章「破滅の儀と終焉」より抜粋。
スイウたちは今、サンサーナ島へ向けて海上を移動している。というのも、遡 ること数時間前──
「父様を止めるなら急いだ方が良い。儀式に向けて計画が進められているはずだ」
「儀式とは一体……詳細をご存知であれば、説明していただけないでしょうか?」
エルヴェの問いに、カーラントは言い淀むことなく素直に答え始める。その瞳は真剣な強い光を帯びており、先程までの様子とは随分 違う印象だ。
「父様の計画が最終段階に入ったということだ。グリモワールの発動に向けての儀式としか私は聞かされていない」
カーラントの発言に場の空気が凍りついた。世界滅亡へ向けて最後の術式が始まろうとしている。間に合わなければ全てが終わる。
「私の役目は儀式に邪魔が入らないよう、あなたたちを引き付けること。つまり囮 ……いや捨て駒だ。父様は私の疑心を見抜いていたからな」
「場所は? 今からではもう間に合わないってことかい?」
間に合うかどうかはわからない、とカーラントは首を振る。
「場所はサンサーナ島だ。私の船を使うのがいいだろう」
そこからの動きは実に慌ただしいものとなった。アイゼアは騎士団への報告をし緊急会議の末、カーラントの船に乗り切るだけの人員を乗せ、サンサーナ島へと向かうことになった。
残った騎士は本国への報告の後、後続でサンサーナ島を目指す。船の操舵を含め本人の意向で、拘束されたままのカーラントも同行することとなった。
カーラントの船で真っ直ぐにサンサーナ島へ向けて海路を行く。船は一隻しかなかったが規模が大きく、騎士たちも一隻に大半の者を乗せることができた。サンサーナで一体どれほどの規模の敵勢力が待ち受けているのか想像はつかないが、それでもこの戦力では到底足りないことだけは確実だった。
残った騎士に救援要請をするようアイゼアが指示していたが、その救援や後続が間に合うとは限らない。過度の期待は禁物だ。この人数でやり遂げることを考えたほうがいいだろう。もう退路も猶予も残されてはいないのだ。
窓から外を覗き見ると、進行方向に黒く禍々しい暗雲が立ち込めているのが見える。
「エルヴェ、大丈夫かい? 魔力が足りないときはすぐに言うんだよ」
「ありがとうございます」
アイゼアが気遣わしげにエルヴェへ声をかけている。人体でいう、へその辺りから伸びたコードを直接繋ぎ、船のシステムに直接干渉している。今この船自体がエルヴェそのもののようになっているらしい。
ネレスの研究所を掌握した際にも、これと同じ方法をとったのだろう。つまり船の動力である魔力が尽きることはエルヴェ自身にも影響してしまう。
「無理は禁物だからね。絶対に」
アイゼアが強めに念押ししていると、エルヴェは小さく笑い声を漏らす。
「アイゼア様は心配し過ぎです。ここがしわしわになっていますよ」
そう言ってエルヴェは自身の眉間を指でトントンと叩いて見せると、アイゼアがつられて眉間に触れ、ほぐすように摩っていた。
「街と遺跡に仕掛けていた装置からクロノ鉱石を外して持ってきてある。万が一のときはこれを使うといい」
「あ、ありがとうございます」
カーラントは手錠をかけられたまま、クロノ鉱石と呼んだ石をエルヴェへと手渡した。
「それで足りなければあたしとメリーとカーラントで魔力を注げばいいのよ。アイゼアは一人であれこれ心配してないで、もっとどーんと構えてなさい!」
「はは、頼りにしてるよ」
心配しなくても他に気にかけている仲間たちはいる。一人で何でもこなそうとするのはアイゼアの悪癖だとスイウは思う。
この手のヤツは基本的にあまり他人に期待していない。それが元々の性格に起因するものなのか、経験に基づくものなのかまではさすがに判断はつかないが。
ただアイゼアは、その期待のなさを自身の力で補ってしまえるだけの器用さと高い能力を有してしまっている。それが幸運な点であり、不幸な点でもあった。
一人残されたときの生存率こそ高いが、通常であればその性質には何かと「損」がついて回る。アイゼアを取り巻く人々は一人で何でもこなす姿に『要領の良い』ヤツだと評価するだろうし、実際にそう見える。
だがスイウから言わせてみれば、これほど『要領の悪い』ヤツはいない。本当に『要領の良い』ヤツは、誰に気づかれるでもなく人を使うことに長けている。アイゼアのように良いように使われやすいヤツとは対極の位置にいるのだ。それを『損』や『要領が悪い』と呼ばずに何と呼ぶのだろうか。
「それよりカーラント。仕掛けてた装置って何ですか?」
メリーは目を眇 めながら、訝 しむようにカーラント睨 んでいる。
「気づいてなかったのか。街と遺跡に媒体を仕掛けていたのだよ」
「あぁ、なるほどそれで……」
「なるほど? 何のことかあたしにも教えてくれないかしら?」
「あの遺跡には構成員もいなくてカーラント一人でした。カーラントの魔力は確かに高いですが、一人であんな広範囲に大規模の幻術を展開するのは不可能です。それを可能にしたのが媒体の装置とその鉱石なんですよ」
メリーの説明でも今一つ理解が追いつかないのか、フィロメナはうーんと唸りながら更に首を捻った。
「水を効率良く遠くまで届けようとしたとき、水路を作るだろう。媒体の装置が魔力の水路のような効果を持っていたというわけだ」
メリーが忽然 といなくなった原因や遺跡内で戦った構成員の事が頭をよぎる。媒体を介して幻術を展開されていたというなら、たった一人相手に随分 引っ掻き回されたものだと、スイウは小さくため息をついた。
「エルヴェ、少し進路がズレてる。北向きに修正してくれ」
「承知しました」
エルヴェが船を操舵し、方向が微調整される。特に何かに触れるでもなく動く様は、まるで自動で操縦されているかのようだ。
今、操舵室は人払いされており、スイウたちとカーラントを含めた六人しかいない。緊急時のみ隊長格の騎士だけ入室を許可してある。それは正体を知られることを好ましく思わないエルヴェへの配慮だった。
「サンサーナ島っていうと、どこの国の領土にも属さない神聖な島として知られてるけど、実際のところ何があるんだい?」
「あら、知らないの?」
「あの辺の海域は荒れるし、船が行方不明になることも多くてね。誰も近づこうなんて思わないよ」
アイゼアの言う通りだ。簡単に人の踏み込めるような場所であってはならないだけの理由があの島にはある。
「サンサーナには天界と冥界へ繋がる両方の門がある」
「サンサーナを管理してるのは天族よ。ある場所で術式を使うと迎えがサンサーナから来るんだけど……」
「まぁ、今は期待できんな」
そう言い切るとフィロメナは不安そうに少し俯いた。
「あの、アイゼア様が仰 るほど海は荒れていないのですが?」
「それはあたしとスイウがいるから……って言いたいとこだけど、この感じは島の防衛機能自体が失われてるように見えるわね。聞いてた感じとは少し違うもの」
海の様子がどうなるかについてまでは知らないが、サンサーナ島が人の侵入を拒むのだと冥界で聞いたことはあった。ストーベルも人だけで向かえば海が荒れて阻まれていたはずなのだが。
「ストーベルが渡れたのはサクのせいか。アイツがいるから海が荒れなかったんだろうな」
つまりサンサーナへ上陸したストーベルたちは、島の機能を失わせる程度には制圧を進めているということになる。サンサーナにいるはずの天族がどうなっているのかこの場にいる全員が考えただろうが、誰一人として口にはしなかった。ただフィロメナは少しだけ青褪 めた顔をし、胸元で手を固く握っていた。
「冥界の門と天界の門、か。でもどうしてわざわざストーベルはサンサーナ島を選んだんだろう?」
「わざわざ選んだんじゃない。破滅の儀式はサンサーナに行かないとできない」
「終焉の角笛の召喚ね。角笛が吹かれたとき無の王が降臨し、世界を終わらせるって言われてるのよ」
「なら、角笛を吹かれる前に止めないとダメってことですね」
全員が顔を見合わせて強く頷いた。
何にせよサンサーナへ到着しないことには何もできない。ただ船に乗っていることしかできない現状にスイウは嘆息する。結局最悪の事態になろうとしているのだ。
気を紛らわせるように壁に背を預けると、同じようにして壁にもたれかかっているアイゼアが隠すように小さくあくびをしている。
「眠いのか?」
「あ、見られちゃった?」
短くアイゼアに声をかけると、少し気まずそうに苦笑した。
「アイゼアさん。一度休んだ方が良いんじゃないですか?」
「いつ敵襲があるかわからないし、僕は大丈夫だから」
そうは言うが、声にも目にもいつもの覇気はなく疲労を滲ませている。あのアイゼアが隠しきれず顔に出てしまっているのだから相当だろう。
「だからこそ今休みませんか? これから先は本当に休む間もないかもしれないですから」
メリーもいつもよりくたびれた様子のアイゼアを心配しているらしく、いつの間に持ってきたのか薄手の毛布をアイゼアとフィロメナに手渡している。
「カーラントも」
「え、あぁ……すまないな」
メリーは最後にカーラントへと毛布を押し付け、自分用の毛布にぐるりと包まった。魔力感知ができるメリーがカーラントの監視を引き受け、常に近くに待機している。
「アイゼア様、ここは私たちに任せて体を休めて下さい。何かあればすぐに起こします。騎士の方々には非常ベルか艦内放送で報せますので。スイウ様もそれで構いませんか?」
「あぁ」
スイウは同意を示すために一つ頷く。むしろこちらとしてもとっとと寝てもらわないと困るくらいだ。寝不足の役立たずを背負うなんざ御免被 る。
「本音を言うとすごく疲れてたんだ。少しだけ眠らせてもらうよ」
「少しだけどころか着くまで寝てろ」
アイゼアはホッとしたような表情を浮かべると毛布を羽織る。眠気に負けたのか壁伝いにずるずると座り込むと膝を抱えるようにして眠り始めた。普段からは想像できないほど隙だらけな様子に、エルヴェが物珍しそうに目をぱちくりと瞬 かせながらじっと観察している。
「フィロメナも休んどけ」
「えっ?」
「何だ?」
その視線を鬱陶 しく感じ「何かあるならさっさと言え」と目で訴える。
「あんたってさ……やっぱいいわ。やめとく」
「は?」
「サンサーナまでの案内は頼んで良いのかしら?」
「問題ない。万が一わからなくなったら、いつも通りに叩き起こしてやるよ」
わざとほくそ笑んで見せるとフィロメナは毛布を強く抱きしめて身震いする。
「ちょっと、あんたの魔力を向けるのはやめてって言ってんじゃない」
「だったら自力で起きるしかないな」
「うーん、それができないから困ってるのよね」
フィロメナはかなり長時間睡眠する体質なうえ、一度寝たらなかなか起きない。魔力をチラつかせれば、すぐに起床し、意識もしっかりしている。こちらとしては都合が良いことばかりなのだ。
ただ、天界にいた頃はどうやって過ごしていたのか甚 だ疑問ではあるが。
「それじゃ、あたしも休ませてもらうわ。少しでも長く寝ないとね」
そう言うなりフィロメナも毛布に包まって横になった。一気に操舵室は静まり返り、船の駆動音と僅かな波の音だけが聞こえてくる。
少し前から波間や空に魔物の姿が見えるが、こちらを襲ってくる様子はない。カーラントの船に乗っているおかげなのか、それともこちらのことは眼中にないのか。
この魔物たちは人を滅ぼすため、サンサーナから世界中へと広がっている。事態は着実にそして急速に破滅へ向けて転がり始めていた。
第63話 暗雲 終
初めに暗雲が立ち込める。
次に破滅の使者が世界を覆う。
やがて終わりなき死の冬がやって来る。──
ティム・パーシング著『終焉の黄昏と世界の再誕』
第五章「破滅の儀と終焉」より抜粋。
スイウたちは今、サンサーナ島へ向けて海上を移動している。というのも、
「父様を止めるなら急いだ方が良い。儀式に向けて計画が進められているはずだ」
「儀式とは一体……詳細をご存知であれば、説明していただけないでしょうか?」
エルヴェの問いに、カーラントは言い淀むことなく素直に答え始める。その瞳は真剣な強い光を帯びており、先程までの様子とは
「父様の計画が最終段階に入ったということだ。グリモワールの発動に向けての儀式としか私は聞かされていない」
カーラントの発言に場の空気が凍りついた。世界滅亡へ向けて最後の術式が始まろうとしている。間に合わなければ全てが終わる。
「私の役目は儀式に邪魔が入らないよう、あなたたちを引き付けること。つまり
「場所は? 今からではもう間に合わないってことかい?」
間に合うかどうかはわからない、とカーラントは首を振る。
「場所はサンサーナ島だ。私の船を使うのがいいだろう」
そこからの動きは実に慌ただしいものとなった。アイゼアは騎士団への報告をし緊急会議の末、カーラントの船に乗り切るだけの人員を乗せ、サンサーナ島へと向かうことになった。
残った騎士は本国への報告の後、後続でサンサーナ島を目指す。船の操舵を含め本人の意向で、拘束されたままのカーラントも同行することとなった。
カーラントの船で真っ直ぐにサンサーナ島へ向けて海路を行く。船は一隻しかなかったが規模が大きく、騎士たちも一隻に大半の者を乗せることができた。サンサーナで一体どれほどの規模の敵勢力が待ち受けているのか想像はつかないが、それでもこの戦力では到底足りないことだけは確実だった。
残った騎士に救援要請をするようアイゼアが指示していたが、その救援や後続が間に合うとは限らない。過度の期待は禁物だ。この人数でやり遂げることを考えたほうがいいだろう。もう退路も猶予も残されてはいないのだ。
窓から外を覗き見ると、進行方向に黒く禍々しい暗雲が立ち込めているのが見える。
「エルヴェ、大丈夫かい? 魔力が足りないときはすぐに言うんだよ」
「ありがとうございます」
アイゼアが気遣わしげにエルヴェへ声をかけている。人体でいう、へその辺りから伸びたコードを直接繋ぎ、船のシステムに直接干渉している。今この船自体がエルヴェそのもののようになっているらしい。
ネレスの研究所を掌握した際にも、これと同じ方法をとったのだろう。つまり船の動力である魔力が尽きることはエルヴェ自身にも影響してしまう。
「無理は禁物だからね。絶対に」
アイゼアが強めに念押ししていると、エルヴェは小さく笑い声を漏らす。
「アイゼア様は心配し過ぎです。ここがしわしわになっていますよ」
そう言ってエルヴェは自身の眉間を指でトントンと叩いて見せると、アイゼアがつられて眉間に触れ、ほぐすように摩っていた。
「街と遺跡に仕掛けていた装置からクロノ鉱石を外して持ってきてある。万が一のときはこれを使うといい」
「あ、ありがとうございます」
カーラントは手錠をかけられたまま、クロノ鉱石と呼んだ石をエルヴェへと手渡した。
「それで足りなければあたしとメリーとカーラントで魔力を注げばいいのよ。アイゼアは一人であれこれ心配してないで、もっとどーんと構えてなさい!」
「はは、頼りにしてるよ」
心配しなくても他に気にかけている仲間たちはいる。一人で何でもこなそうとするのはアイゼアの悪癖だとスイウは思う。
この手のヤツは基本的にあまり他人に期待していない。それが元々の性格に起因するものなのか、経験に基づくものなのかまではさすがに判断はつかないが。
ただアイゼアは、その期待のなさを自身の力で補ってしまえるだけの器用さと高い能力を有してしまっている。それが幸運な点であり、不幸な点でもあった。
一人残されたときの生存率こそ高いが、通常であればその性質には何かと「損」がついて回る。アイゼアを取り巻く人々は一人で何でもこなす姿に『要領の良い』ヤツだと評価するだろうし、実際にそう見える。
だがスイウから言わせてみれば、これほど『要領の悪い』ヤツはいない。本当に『要領の良い』ヤツは、誰に気づかれるでもなく人を使うことに長けている。アイゼアのように良いように使われやすいヤツとは対極の位置にいるのだ。それを『損』や『要領が悪い』と呼ばずに何と呼ぶのだろうか。
「それよりカーラント。仕掛けてた装置って何ですか?」
メリーは目を
「気づいてなかったのか。街と遺跡に媒体を仕掛けていたのだよ」
「あぁ、なるほどそれで……」
「なるほど? 何のことかあたしにも教えてくれないかしら?」
「あの遺跡には構成員もいなくてカーラント一人でした。カーラントの魔力は確かに高いですが、一人であんな広範囲に大規模の幻術を展開するのは不可能です。それを可能にしたのが媒体の装置とその鉱石なんですよ」
メリーの説明でも今一つ理解が追いつかないのか、フィロメナはうーんと唸りながら更に首を捻った。
「水を効率良く遠くまで届けようとしたとき、水路を作るだろう。媒体の装置が魔力の水路のような効果を持っていたというわけだ」
メリーが
「エルヴェ、少し進路がズレてる。北向きに修正してくれ」
「承知しました」
エルヴェが船を操舵し、方向が微調整される。特に何かに触れるでもなく動く様は、まるで自動で操縦されているかのようだ。
今、操舵室は人払いされており、スイウたちとカーラントを含めた六人しかいない。緊急時のみ隊長格の騎士だけ入室を許可してある。それは正体を知られることを好ましく思わないエルヴェへの配慮だった。
「サンサーナ島っていうと、どこの国の領土にも属さない神聖な島として知られてるけど、実際のところ何があるんだい?」
「あら、知らないの?」
「あの辺の海域は荒れるし、船が行方不明になることも多くてね。誰も近づこうなんて思わないよ」
アイゼアの言う通りだ。簡単に人の踏み込めるような場所であってはならないだけの理由があの島にはある。
「サンサーナには天界と冥界へ繋がる両方の門がある」
「サンサーナを管理してるのは天族よ。ある場所で術式を使うと迎えがサンサーナから来るんだけど……」
「まぁ、今は期待できんな」
そう言い切るとフィロメナは不安そうに少し俯いた。
「あの、アイゼア様が
「それはあたしとスイウがいるから……って言いたいとこだけど、この感じは島の防衛機能自体が失われてるように見えるわね。聞いてた感じとは少し違うもの」
海の様子がどうなるかについてまでは知らないが、サンサーナ島が人の侵入を拒むのだと冥界で聞いたことはあった。ストーベルも人だけで向かえば海が荒れて阻まれていたはずなのだが。
「ストーベルが渡れたのはサクのせいか。アイツがいるから海が荒れなかったんだろうな」
つまりサンサーナへ上陸したストーベルたちは、島の機能を失わせる程度には制圧を進めているということになる。サンサーナにいるはずの天族がどうなっているのかこの場にいる全員が考えただろうが、誰一人として口にはしなかった。ただフィロメナは少しだけ
「冥界の門と天界の門、か。でもどうしてわざわざストーベルはサンサーナ島を選んだんだろう?」
「わざわざ選んだんじゃない。破滅の儀式はサンサーナに行かないとできない」
「終焉の角笛の召喚ね。角笛が吹かれたとき無の王が降臨し、世界を終わらせるって言われてるのよ」
「なら、角笛を吹かれる前に止めないとダメってことですね」
全員が顔を見合わせて強く頷いた。
何にせよサンサーナへ到着しないことには何もできない。ただ船に乗っていることしかできない現状にスイウは嘆息する。結局最悪の事態になろうとしているのだ。
気を紛らわせるように壁に背を預けると、同じようにして壁にもたれかかっているアイゼアが隠すように小さくあくびをしている。
「眠いのか?」
「あ、見られちゃった?」
短くアイゼアに声をかけると、少し気まずそうに苦笑した。
「アイゼアさん。一度休んだ方が良いんじゃないですか?」
「いつ敵襲があるかわからないし、僕は大丈夫だから」
そうは言うが、声にも目にもいつもの覇気はなく疲労を滲ませている。あのアイゼアが隠しきれず顔に出てしまっているのだから相当だろう。
「だからこそ今休みませんか? これから先は本当に休む間もないかもしれないですから」
メリーもいつもよりくたびれた様子のアイゼアを心配しているらしく、いつの間に持ってきたのか薄手の毛布をアイゼアとフィロメナに手渡している。
「カーラントも」
「え、あぁ……すまないな」
メリーは最後にカーラントへと毛布を押し付け、自分用の毛布にぐるりと包まった。魔力感知ができるメリーがカーラントの監視を引き受け、常に近くに待機している。
「アイゼア様、ここは私たちに任せて体を休めて下さい。何かあればすぐに起こします。騎士の方々には非常ベルか艦内放送で報せますので。スイウ様もそれで構いませんか?」
「あぁ」
スイウは同意を示すために一つ頷く。むしろこちらとしてもとっとと寝てもらわないと困るくらいだ。寝不足の役立たずを背負うなんざ
「本音を言うとすごく疲れてたんだ。少しだけ眠らせてもらうよ」
「少しだけどころか着くまで寝てろ」
アイゼアはホッとしたような表情を浮かべると毛布を羽織る。眠気に負けたのか壁伝いにずるずると座り込むと膝を抱えるようにして眠り始めた。普段からは想像できないほど隙だらけな様子に、エルヴェが物珍しそうに目をぱちくりと
「フィロメナも休んどけ」
「えっ?」
「何だ?」
その視線を
「あんたってさ……やっぱいいわ。やめとく」
「は?」
「サンサーナまでの案内は頼んで良いのかしら?」
「問題ない。万が一わからなくなったら、いつも通りに叩き起こしてやるよ」
わざとほくそ笑んで見せるとフィロメナは毛布を強く抱きしめて身震いする。
「ちょっと、あんたの魔力を向けるのはやめてって言ってんじゃない」
「だったら自力で起きるしかないな」
「うーん、それができないから困ってるのよね」
フィロメナはかなり長時間睡眠する体質なうえ、一度寝たらなかなか起きない。魔力をチラつかせれば、すぐに起床し、意識もしっかりしている。こちらとしては都合が良いことばかりなのだ。
ただ、天界にいた頃はどうやって過ごしていたのか
「それじゃ、あたしも休ませてもらうわ。少しでも長く寝ないとね」
そう言うなりフィロメナも毛布に包まって横になった。一気に操舵室は静まり返り、船の駆動音と僅かな波の音だけが聞こえてくる。
少し前から波間や空に魔物の姿が見えるが、こちらを襲ってくる様子はない。カーラントの船に乗っているおかげなのか、それともこちらのことは眼中にないのか。
この魔物たちは人を滅ぼすため、サンサーナから世界中へと広がっている。事態は着実にそして急速に破滅へ向けて転がり始めていた。
第63話 暗雲 終