前章─復讐の先に掴む未来は(1)

 持ち慣れた杖がいつもより重く感じ、浅く息を吐く。杖の切っ先をカーラントの眉間めがけて振り下ろした。カーラントは瞬き一つせず切っ先を見つめ続けている。

 眉間に刺さる直前でメリーは杖を止めた。決して殺せなかったというわけではない。抵抗することもせず、死を受け入れるつもりだったからだ。カーラントの言葉を借りるのなら本気で宿命に殉じるつもりなのだと理解した。

「私が憎くはないのか?」
「憎いですよ」

 平静を装ってはいるが、カーラントは動揺しているようだった。罪の意識を復讐者の手にかかることで許されようとしているというアイゼアの主張に、そういう感情がカーラントにあるのかもしれないと知った。

 そしてカーラントにまだ良心が残っていることも遺跡で対峙したときから会話を通して理解している。今の態度からも死にたがっているのは明白だ。この手で死にたいという望みを叶えてやるのも何となくしゃくだった。

 だからといって生きていてほしいとも全く思わないが。今の自分を説明するなら、冷静な頭で消えない激情を俯瞰ふかんして見ているような感覚だった。

「殺しても殺しても殺し足りない。苦しめても苦しめても到底許せない」

 その思いをまるで本を読み上げるように言葉にした。スイウの話の通り、死後の世界で苦しみにさいなまれるのならそれで気が晴れるだろうか。邪魔な存在を一つ潰したことで復讐心に決着がつくだろうか。

 これはそんな簡単に消えてくれるような単純な感情ではない。だからといって、生かして贖罪しょくざいに生きる道へ進んだところで納得できるかといえば当然そんなわけもなかった。結局どの道を選んでもこの感情は何一つとして変わることはない。

「何をしたって気が済まないんです」

 殺さないという選択が正しいのかはわからない。自分勝手な選択だと言われても仕方ないだろう。

 身内の悪行は身内で始末をつけるという意味では、ここで殺すべきなのだという考えも頭の隅にはある。自分は被害者ではあるが、大多数の人々から見れば加害者の関係者だ。
 ならば率先して手を汚すべきは間違いなく自分だろう。カーラントは死という制裁を、自分は殺人の罪を背負って生きることが、クランベルカ家に生まれたメリーに課せられた責務なのかもしれない、と。

 そんな答えの出ない問いを繰り返し、繰り返し……余計な思惑を捨てて『未来の自分』のためだけに選択した。

「死ぬのが最良の選択だと、本気でそう思ってるんですか?」
「ならば生きて償えとでも言うのか? いつの間にそんな綺麗事を好む性格になったのか」

カーラントはどこかおかしそうに諦観の滲んだ笑みを浮かべている。

「勝手に答えを決めつけないでください。償いなんて安い言葉はいらないんですよ。私はどうしても未来を切り拓かなければならないんです。そのためにあなたを利用させてもらいます」
「私を利用……あぁ、つまり情報が欲しいと。始末するのはその後で、ということか。なるほど、やっと合点がいった」

また勝手に決めつけている、とメリーは内心毒づく。

「だが、本当に残念でならない。あなたの未来は拓かれることはない」
「また……勝手に決めつけないでくれま──
「決めつけではない。メリー、少し昔話をしよう。聞けば決めつけではないとわかる」

 カーラントの昔話になど微塵も興味はなかったが、強く断言するだけの根拠の方には少しだけ興味があった。否定できるものなら否定し、カーラントの考えを粉々にしてやろうと思ったからだ。カーラントは何かを思い返すように視線を手のひらに向け、口を開く。

「ジューンのことは知っているね。あの程度の魔力でどうして今まで生かされてきたのか、あなたなら予想できるだろう?」
「剣術の腕くらいですかね。それ以外に利用価値もない、とストーベルなら言いそうですが……」
「その通り。ジューンには剣術以外、秀でたものはなかった」

 ジューンの魔力はクランベルカ家の基準では正直話にならない程度のものだった。剣術に優れていなければ実験用の素材として雑に飼われて投入されていたことだろう。たが実験用の素材とみなされた子供に教育の類はほぼ施されない。その中には当然剣術も含まれる。

「ジューンと私が同母兄弟だということは知っていたか?」
「同母……? へぇ、初耳です。そういうの全然興味ないですから」

とは言ったが、同母兄弟がクランベルカ家においてかなり珍しいということくらいはわかる。

 クランベルカ家の子供は全員がストーベルの血を引いているが、母親は一人ではなかった。魔力が高いことを最低条件に、実験も兼ねて炎霊族以外の者とかけ合わせたり、魔力の強い子供が生まれる条件や傾向を検証したりもしていたはずだ。おそらくカーラントという優秀な個体を産んだ母体に再度試みて生まれたのがジューンなのだろう。

「ただ単に同じ血が流れているだけだというのに、生まれたばかりのジューンに会ったとき、初めて兄弟の情というものを感じた」

 ジューンを思い出しているからか、カーラントの目は悲しく寂しげでありながら僅かに温もりを宿している。それが何となくミュールの姿を想起させ、メリーは思わず目を逸らした。

「私は当主候補として周囲の者たちから大切にされて育ってきただけに、誰からも誕生を祝福されないジューンが哀れでならなかった。誰からも愛情を得られないなら、私がジューンを大切にしようと幼心に思ったのだよ」

 当主候補と素材では、扱いの差は天と地ほどに変わる。当主候補や駒になれる程度の者はまるで貴族の子息令嬢のような教育や暮らしに近いが、素材の生活は檻の中で飼われる愛玩動物かそれ以下と言っていい。

「何もしなければジューンは素材にされる。だから死なせないために私が剣術を教えた。ジューンに剣術の才能があったおかげで父様にも認められ、私が正式に当主候補として任命される際に付き人に指名したのだよ」

 当主候補には訓練や職務を補佐する付き人と呼ばれる従者が配属される。付き人になった者は当主候補とまではいかずとも、それなりの好待遇が見込める。死の運命を回避するためにジューンの利用価値を創出し、更に付き人にすることで立場を磐石ばんじゃくなものにしたということだ。

「運命を変えたと思っていた。だが……結局は少し生き長らえさせただけで何も変わらなかったという話だ。メリー、それはあなたも同じだろう。あなたがミュール兄様やフランの運命を変えられなかったように」

 ミュールとフランの最期。それはストーベルにとって想定通りだったのかもしれない。カーラントにとってのジューンの死と同じように。

「あなたはずっと父様の思い描いた筋書きの上にいる。その筋書きを最後だけ変えられると思うかね? どうせ殺されて終わりだ」

 未来を、運命を変えたいと願ってここまできた。何一つ運命を変えてこられなかった現実をつきつけられ、情けないことに返す言葉が見当たらなかった。自分もまたカーラントと同じ道を辿ろうと……辿らされようとしているのかもしれない。
 変えたい、変えてみせる。そんな言葉は虚勢でしかない。そう言い切れるだけの自信も根拠もメリーにはなかった。

「私の、運命は……」
「絶対変わるわ!」

 メリーの震える声を明朗な声がかき消す。庇うように堂々と立ったフィロメナの姿が、いつもよりずっと頼もしく、大きく見えたような気がした。

「変わらない。私もメリーも大切な者を失う運命を変えられなかった。この先も同じだ……クランベルカ家の呪縛から私たちは逃れられない。宿命に殉じるだけだ」
「お待ち下さい! 全てを諦めている貴方をメリー様と同列に扱うのはやめていただきたいのですが」

エルヴェがフィロメナの隣へと並ぶ。

「メリー様は確かにご兄妹を失いました。ですが今も諦めずに戦っているのです。貴方にとって都合の良いように勝手に未来を決めつけないでいただきたい!」
「そうよ! もしメリーに無理でも、そのときはあたしが変えるからいいのよ! とにかくこれ以上侮辱するなら許さないわ。それともここで一度ボッコボコにされたいのかしら!」

 カーラントは目を瞬かせながら、ただただ呆然とした様子でフィロメナとエルヴェを見つめている。それはメリーも同様だった。

 何も変えられなかった。それでも抗い続けている。それを見てくれている人がいる。
 フィロメナもエルヴェもまるで未来を見てきたかのように『変わる』と信じている。短絡的で何の根拠もない、無責任にすら聞こえる発言のはずなのに、自分の未来を無条件に信じてくれていることがなぜか嬉しかった。

「未来なんて、そんなものがメリーにはあるというのか?」
「あるわ。メリーだけじゃない、あんたにだって生きてる限りはあるの。過去ばっかりに囚われて否定してくれちゃって。変えられるのは今と未来だけ。死んだらそこで終わりよ! 終わりなの!」
「変えられるのは、今と未来……」
「メリーがあたしに言ってくれた言葉よ。ジューンのことは気の毒だけど、全部が終わったわけじゃないもの。今からだって遅くないってあたしは信じてる」

 何かを思い出すように俯いて頭を抱えるカーラントへアイゼアが言葉をかける。

「罪のために死ぬべきか生きるべきか、どっちが正解かなんてのは最後までわからないって僕は思うけどね」

 カーラントの目が驚きで見開き、氷色の瞳が揺らぐ。アイゼアの言葉がメリー自身にも沁み入ってきた。彼が止めなければ自分は躊躇ためらうことなくカーラントを殺しただろう。

 今となっては、止めてくれたことを感謝したい。生かすか殺すか、そのどちらが正解かはきっと最後までわからないのだ。
 だからこそ未来のために決めた。いつかきっと、この選択を良かったと思える日が来ると信じて。

「待ってくれ……私が死ねば残された者も──
「あんたね、人を馬鹿にするのもいい加減になさい。あんた一人死んだって、大切な人を失った痛みが癒えるわけがないのよ」

 静かな怒りのこもったフィロメナの声色は初めて聞くものだった。それでいて軽蔑などの負の感情は感じられず、痛みを分かち合おうとし、どこか憐れみや子供に言い聞かせるような雰囲気さえ感じさせる不思議な響きだ。

 フィロメナの言う通り、カーラントを殺したところで、一瞬だけ清々しい気持ちになってお終いだろう。それはおそらく他の被害者たちも同じなのではないか、とメリーは思う。
 全ての元凶であるストーベルがいる限りは何も終わらない。そして失った痛みはストーベルが死んでも消えはしない。

 それでもストーベルだけは必ず殺す。憎しみでも怒りでもなく、ストーベルの生きている未来に、自分の未来はないからだ。

「カーラントは、ストーベルを殺したらジューンを失った悲しみを忘れられますか?」

 その問いかけに返事はなかった。俯き、肩を震わせるカーラントから一粒だけ涙が零れ落ちていく。それが彼の答えだったのかもしれない。

「父様を止めるなら急いだ方が良い」

次にカーラントが顔を上げたとき、その瞳には力強い光が宿っていた。


第62話 未来へ放つ反撃の一矢を  終
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