前章─復讐の先に掴む未来は(1)
アイゼアから話を聞き、メリーはようやく自分が幻術から抜け出したのだと認識できた。目の前にいるカーラントが遺跡で対峙したときより憔悴 して見えるのは、ジューンを失ったからだろうか。
あの誕生日の夢を見て改めて感じた。憎しみや痛みを忘れてはならないのだと。理不尽に奪われたことを決して許してはならない。
ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めたカーラントを、メリーは冷ややかな思いで見つめていた。
「『黄昏の月』は血も涙もないバケモノだ。死を纏 う魔力は災いと不幸を呼び、人々を陥 れて破滅させる」
カーラントが口にしたのは、スピリアに住む霊族なら誰もが知っている『黄昏の月』に関する常識だ。今更言われたところで特別驚きもなく、メリーにとってはすっかり聞き飽きた伝承のようなものだった。
「霊族の間であなたは忌み嫌われ、私自身もそう思っていた。だが本当に不幸を呼んだのは誰だったのだろうね」
カーラントは顔を僅かに俯かせ、乾いた笑いを漏らす。言葉を続けようとする唇は小さく震えていた。
「フランが言っていたな。あなたは誤解されやすいと。あの光景を見て初めて、誤解していたのかもしれないと気づいた」
「……一体何の話をしてるんですか?」
唐突な内容の話にメリーの理解は追いつかなかった。メリーの知る限り、カーラントとフランは面識がないはずだ。
あの光景とは?
誤解かもしれないなどと思った理由は?
そもそもなぜフランから直接話を聞いたかのようなことを言うのだろうか。意味が理解できず眉を顰 めると、カーラントもまた意味がわからないといった様子で首を傾げる。
「記憶でも飛んだのかね? あなたが見せた幻の話ではないか。あなたのショボい技術で幻術返しを受けるとは思いもしなかった」
「私がカーラントに見せた? 幻術返し?」
幻術返しという言葉がなぜここで出てくるのか、メリーにはやはり理解できなかった。
そもそもカーラントほどの幻術使いが簡単に幻術にかかったり返されたりするはずがないのだ。幻術が得意な者は幻術と現実を判別する力にも優れている。
基本的に格下相手からの幻術は余程精神を崩されなければかかることはまずない。かかったとしても精神が安定するか、幻術だと見破られれば簡単に解除されてしまう。メリーの幻術の技量では、カーラントへ幻術を返すことなど到底できるはずがなかった。
「そんな無駄だとわかる抵抗なんて試みもしませんよ」
「……ならあの幻は何と説明をつける。あなたが誕生日を祝われている幻など、他に誰が見せられるというのだ?」
メリーはカーラントの言葉に絶句した。誕生日の幻、それはメリー自身が先程まで見ていた夢だ。
「誕生日の幻、見たんですか?」
思わず前のめり気味にカーラントへと詰め寄る。あの夢は自分だけが見たものなのだと思っていた。会いたい思いの強さが見せたささやかな夢だったのだと。
「間違いなく見た。紅茶はフランでも飲めるりんごと木苺とバニラのブレンド。贈り物はその魔術触媒の髪飾りで、それに込められた願いは──
「もう十分です」
知らないはずの細かな情報を流暢 に語られ、言葉を遮 った。触れてほしくないような、土足で踏み荒らされていくような心地がしたからだ。
「その幻は私も見ました。私が偶然見た夢だと今の今まで思ってましたけど。だから私が使った術ではないです」
「そうか。あなたが私に罪悪感を植え付けるために見せたものだと思っていたのだが……ならばこれは……」
幻術を得意とするカーラントがあれを幻術だったと言うのであれば間違いなく幻術だったのだろう。夢ならば、同じものを二人して見るというのはあまりにも不自然すぎた。
だが仮に幻術だとして、一体誰が見せた幻なのだろうか。カーラントはしばらく黙り込んだあと、長いため息をついた。
潤んだ氷色の瞳が思いの行き場を求めるようにメリーへと向けられる。幻にあの誕生日の記憶が選ばれたことにどんな意味があるのだろうか。
あの幻がカーラントに罪悪感を植え付けるために見せたものだとしたら、見るのはカーラントだけでいいはずだ。自分にまで見せた理由は何だったのだろうか。
「話を戻そう。私はあの幻を見て、奪ったものの重さを思い知らされた。私は私の信じるもののために、理不尽に踏みにじったものがあるのだと」
カーラントは自身の罪を認めて悔いている。だが今更後悔したところで、メリーにとっては関係のない話だ。
あの幻を思い出すだけで、胸の内側から掻き毟られるようなもどかしさと虚しさとやるせなさが込み上げるのだ。もう手の届かないものへの渇望 が、悔しさと憎しみを強い殺意へと変えていく。
「後悔したって全部、全部遅すぎるんです。ミュール兄さんも、フランも、もう帰ってこない……」
「……当然わかっている」
「今更善人を気取って、許されるとでも思ってるんですか?」
行き場をなくした感情に、堪 らず奥歯を強く噛み締めた。カーラントはいつでも殺せる距離だ。隙はいくらでもある。メリーは自然と脈拍と呼吸が逸 るのを感じていた。血が沸き立ち、目頭が徐々に熱を帯びていく。
「すまなかった、メリー」
誰一人として声を発さぬまま静まり返った空間に、低く響く謝罪の声。
「あなたには私を殺す権利がある」
カーラントはまるで処刑を待つ罪人のように頭を垂れる。
「私はこの命をもって、背負った罪を償おう」
その覚悟の決まりきった態度がメリーの神経を逆撫でした。
「薄っぺらい言葉なんて、うんざりなんですよね」
まだ少しふらつく体に力を入れ、衝動に突き動かされるように虚空から杖を具現化する。
死にたいのなら、望み通り殺してやる。殺されたところで罪の償いになどなるものか。愚か者は、ただただ無意味な死として虚しく消えてしまえばいい。
意識の全てがカーラントの首へと集中する。周囲の音が膜を通したかのようにどこか遠くに聞こえた。ただこの目に映るのは、自身の髪色と同じ鮮やかな薄紅色だけ。その他全ては色褪せ、何もかも全ての感覚が遠く、杖の固い感触だけが妙に強くその存在を主張していた。
杖の切っ先を、隙だらけのカーラントの首へ向けて振り上げる。誰かの「やめて」という叫びが聞こえた気がした。これでカーラントは終わりだ。ミュールとフランの殺害に関与した者を一人、この世から消せる。邪魔な鎖を一つ、この手で断ち切るのだ。
「私はあなたを許さない!!」
言いようのない高揚と共に振り下ろした杖の切っ先は、カーラントの首に刺さることはなかった。杖を握る手を掴まれ、押しても引いてもびくともしない。
その手の正体を感情のままに睨 みつけた。裏切られたという強い虚無感と同時に、悔しさと憎しみが胸を締め付ける。なぜ、どうして、あと少しで殺せたのに、と。
「どういうつもりですか。カーラントを庇うなんて」
抑えの利かなくなった復讐心とは裏腹に、驚くほど空虚で落ち着いた声だった。だがよく考えなくとも、止める理由はすぐに思い浮かんだ。
「弟を守りたかったカーラントを自分と重ねて同情でもしたんですか、アイゼアさん?」
軽蔑の視線を送るも、アイゼアは黙したまま返事もせず、静かに首を横に振った。
「では、騎士の勤めだとでも?」
やはり返事は返ってこない。
振り払おうと力を入れても、ふらつく体では到底動くはずもなかった。どうあってもカーラントを殺させないつもりなのだろう。
「手を離して下さい。邪魔です」
頑 ななアイゼアの対応に心が黒く塗り潰されていく。同情してほしいわけではないが、兄妹を守りたかったのはメリーも同じだった。
兄妹を失い、人生を狂わされ、全てを踏みにじられていく痛みを少しは理解してくれていると思っていた。信じてもいいと思える人がいると思った自分の愚かさを呪いたくなる。
それでもふと旅の記憶が勝手に蘇ってきた。殺意が鈍る前に排除しなくては。
「残念です。あなたも殺すしかないんですね」
放った声は、必要以上の冷たさを纏 っていた。ようやくアイゼアはゆっくりと口を開く。いつになく真剣な赤紫色の瞳が憂いを帯びて揺らめいている。
「メリー、君は復讐心に飲まれて僕も殺すのか……?」
その瞳が一切引くつもりはないのだと物語っていた。
第60話 幻に託すは誰 がためか 終
あの誕生日の夢を見て改めて感じた。憎しみや痛みを忘れてはならないのだと。理不尽に奪われたことを決して許してはならない。
ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めたカーラントを、メリーは冷ややかな思いで見つめていた。
「『黄昏の月』は血も涙もないバケモノだ。死を
カーラントが口にしたのは、スピリアに住む霊族なら誰もが知っている『黄昏の月』に関する常識だ。今更言われたところで特別驚きもなく、メリーにとってはすっかり聞き飽きた伝承のようなものだった。
「霊族の間であなたは忌み嫌われ、私自身もそう思っていた。だが本当に不幸を呼んだのは誰だったのだろうね」
カーラントは顔を僅かに俯かせ、乾いた笑いを漏らす。言葉を続けようとする唇は小さく震えていた。
「フランが言っていたな。あなたは誤解されやすいと。あの光景を見て初めて、誤解していたのかもしれないと気づいた」
「……一体何の話をしてるんですか?」
唐突な内容の話にメリーの理解は追いつかなかった。メリーの知る限り、カーラントとフランは面識がないはずだ。
あの光景とは?
誤解かもしれないなどと思った理由は?
そもそもなぜフランから直接話を聞いたかのようなことを言うのだろうか。意味が理解できず眉を
「記憶でも飛んだのかね? あなたが見せた幻の話ではないか。あなたのショボい技術で幻術返しを受けるとは思いもしなかった」
「私がカーラントに見せた? 幻術返し?」
幻術返しという言葉がなぜここで出てくるのか、メリーにはやはり理解できなかった。
そもそもカーラントほどの幻術使いが簡単に幻術にかかったり返されたりするはずがないのだ。幻術が得意な者は幻術と現実を判別する力にも優れている。
基本的に格下相手からの幻術は余程精神を崩されなければかかることはまずない。かかったとしても精神が安定するか、幻術だと見破られれば簡単に解除されてしまう。メリーの幻術の技量では、カーラントへ幻術を返すことなど到底できるはずがなかった。
「そんな無駄だとわかる抵抗なんて試みもしませんよ」
「……ならあの幻は何と説明をつける。あなたが誕生日を祝われている幻など、他に誰が見せられるというのだ?」
メリーはカーラントの言葉に絶句した。誕生日の幻、それはメリー自身が先程まで見ていた夢だ。
「誕生日の幻、見たんですか?」
思わず前のめり気味にカーラントへと詰め寄る。あの夢は自分だけが見たものなのだと思っていた。会いたい思いの強さが見せたささやかな夢だったのだと。
「間違いなく見た。紅茶はフランでも飲めるりんごと木苺とバニラのブレンド。贈り物はその魔術触媒の髪飾りで、それに込められた願いは──
「もう十分です」
知らないはずの細かな情報を
「その幻は私も見ました。私が偶然見た夢だと今の今まで思ってましたけど。だから私が使った術ではないです」
「そうか。あなたが私に罪悪感を植え付けるために見せたものだと思っていたのだが……ならばこれは……」
幻術を得意とするカーラントがあれを幻術だったと言うのであれば間違いなく幻術だったのだろう。夢ならば、同じものを二人して見るというのはあまりにも不自然すぎた。
だが仮に幻術だとして、一体誰が見せた幻なのだろうか。カーラントはしばらく黙り込んだあと、長いため息をついた。
潤んだ氷色の瞳が思いの行き場を求めるようにメリーへと向けられる。幻にあの誕生日の記憶が選ばれたことにどんな意味があるのだろうか。
あの幻がカーラントに罪悪感を植え付けるために見せたものだとしたら、見るのはカーラントだけでいいはずだ。自分にまで見せた理由は何だったのだろうか。
「話を戻そう。私はあの幻を見て、奪ったものの重さを思い知らされた。私は私の信じるもののために、理不尽に踏みにじったものがあるのだと」
カーラントは自身の罪を認めて悔いている。だが今更後悔したところで、メリーにとっては関係のない話だ。
あの幻を思い出すだけで、胸の内側から掻き毟られるようなもどかしさと虚しさとやるせなさが込み上げるのだ。もう手の届かないものへの
「後悔したって全部、全部遅すぎるんです。ミュール兄さんも、フランも、もう帰ってこない……」
「……当然わかっている」
「今更善人を気取って、許されるとでも思ってるんですか?」
行き場をなくした感情に、
「すまなかった、メリー」
誰一人として声を発さぬまま静まり返った空間に、低く響く謝罪の声。
「あなたには私を殺す権利がある」
カーラントはまるで処刑を待つ罪人のように頭を垂れる。
「私はこの命をもって、背負った罪を償おう」
その覚悟の決まりきった態度がメリーの神経を逆撫でした。
「薄っぺらい言葉なんて、うんざりなんですよね」
まだ少しふらつく体に力を入れ、衝動に突き動かされるように虚空から杖を具現化する。
死にたいのなら、望み通り殺してやる。殺されたところで罪の償いになどなるものか。愚か者は、ただただ無意味な死として虚しく消えてしまえばいい。
意識の全てがカーラントの首へと集中する。周囲の音が膜を通したかのようにどこか遠くに聞こえた。ただこの目に映るのは、自身の髪色と同じ鮮やかな薄紅色だけ。その他全ては色褪せ、何もかも全ての感覚が遠く、杖の固い感触だけが妙に強くその存在を主張していた。
杖の切っ先を、隙だらけのカーラントの首へ向けて振り上げる。誰かの「やめて」という叫びが聞こえた気がした。これでカーラントは終わりだ。ミュールとフランの殺害に関与した者を一人、この世から消せる。邪魔な鎖を一つ、この手で断ち切るのだ。
「私はあなたを許さない!!」
言いようのない高揚と共に振り下ろした杖の切っ先は、カーラントの首に刺さることはなかった。杖を握る手を掴まれ、押しても引いてもびくともしない。
その手の正体を感情のままに
「どういうつもりですか。カーラントを庇うなんて」
抑えの利かなくなった復讐心とは裏腹に、驚くほど空虚で落ち着いた声だった。だがよく考えなくとも、止める理由はすぐに思い浮かんだ。
「弟を守りたかったカーラントを自分と重ねて同情でもしたんですか、アイゼアさん?」
軽蔑の視線を送るも、アイゼアは黙したまま返事もせず、静かに首を横に振った。
「では、騎士の勤めだとでも?」
やはり返事は返ってこない。
振り払おうと力を入れても、ふらつく体では到底動くはずもなかった。どうあってもカーラントを殺させないつもりなのだろう。
「手を離して下さい。邪魔です」
兄妹を失い、人生を狂わされ、全てを踏みにじられていく痛みを少しは理解してくれていると思っていた。信じてもいいと思える人がいると思った自分の愚かさを呪いたくなる。
それでもふと旅の記憶が勝手に蘇ってきた。殺意が鈍る前に排除しなくては。
「残念です。あなたも殺すしかないんですね」
放った声は、必要以上の冷たさを
「メリー、君は復讐心に飲まれて僕も殺すのか……?」
その瞳が一切引くつもりはないのだと物語っていた。
第60話 幻に託すは