前章─復讐の先に掴む未来は(1)
レーニスを出発して丸一日。早朝、移動用の荷馬車に揺られアウラへと足を踏み入れた。
海沿いの荒涼とした平原を抜けた先にあるこの街は、こぢんまりとした素朴な街だ。時折吹き抜けていく乾いた風がスイウの襟巻きを揺らす。人気のない街は物寂しく、打ち捨てられているようにさえ見えた。
派遣された小隊は到着して早々に街の中の調査を開始する。街の中の調査や拠点のための天幕の準備などで慌ただしく動き回っている。
騎士ではないスイウには与えられた仕事もなく、ただ調査報告を待つだけというのも暇 で仕方がなかった。気まぐれに何か手がかりになりそうなものはないかと、近くにある民家の一つを尋ねる。扉を押すと鍵がかかっていないのか、するりと簡単に開いてしまった。
「ちょっと!」
そのまま中に入ろうとしたところで羽織を強く引かれて立ち止まる。
「勝手に入ったらまずいんじゃないかしら」
「中も見ないと情報は掴めんだろ」
「それはそうかもしれないけど……」
罪悪感があるのかフィロメナはもごもごと口籠りながらも、そっと中を覗き込んでいる。
「ごめんくださーい! 誰かいないかしらー?」
フィロメナの声が虚しく室内に消える。
「無駄なことを。気配がないなら人がいるわけないだろ」
「じゃあ何で中に入ろうとするのよ」
「いなくなった原因がわかるかもしれないだろ。殺されたなら血痕とか肉片とか──
「やめてちょうだい。縁起でもない」
「なら外にいろ」
顔を青褪 めさせるフィロメナを残し、スイウは遠慮なく中へと入ることにした。部屋の中は特別荒らされた形跡もなく、血痕などの汚れや臭い、争ったような跡もない。本当にぽっかりと人がいなくなってしまっただけ、といった感じだ。
「手がかりになりそうなものはないわね」
「なんだ。結局来たのか」
「そ、そうよ。悪いかしら?」
「悪いと思ってんなら俺は入らんがな」
いくつか部屋を覗くが、どこにも不自然な場所はない。これでは街の住人が行方不明になった理由など特定できそうもなかった。フィロメナと共に民家を出ると、入り口近くにメリーたちが立っているのが見える。
「街を調べるより、どこか潜伏できそうなとこを調べた方が良いと思うんですけど?」
「地図では確か、この辺り一帯は遺跡群になっているそうですよ。そこを探してみるというのはいかがでしょう?」
メリーの意見にエルヴェが提案をする。だがアイゼアは賛同できないのか僅かに眉を顰 めた。
「遺跡も広いし、余程のことがないなら騎士団と協力した方が安全だよ」
やはり遺跡への調査に対してアイゼアは否定的なようだ。時間はかかるが堅実な道を選ぶべきだというのは理解できる。そもそも騎士団の任務に付随する形で同行しているのだから、基本的にはその方針に沿うのは仕方ない面もある。
「とりあえずはこの街の調査に集中しろってことか」
「そういうことだね。ここで手がかりが見つからなければ、遅かれ早かれ遺跡へ行くことになるとは思うし」
この様子ではおそらくすぐに遺跡へ行くことになるだろう。そう確信できる程度、この街は綺麗なままで無人になっていた。
それ以外で変わったものといえば、崩れた天幕だ。おそらく行方不明になっている先遣隊が使用していたはずのものなのだろう。それも崩されたというよりは、人がいなくなり強風で勝手に倒れたといった感じだ。裂かれたり無理矢理折られたりといった襲撃を思わせるような目立った異常はないようだった。
目ぼしい手がかりもなく日は暮れ、街の広場から街の周辺にかけて張られた天幕で一晩を明かす。軍議から戻ってきたアイゼアから明日の方針を聞き、予想通り明朝から遺跡へ捜索に向かうことになった。
遺跡郡と呼ばれてはいるがそれぞれが繋がっているため、複数の遺跡が合わさってかなり大規模な一つの迷宮のようになっているらしい。その大半は地下にあり、アウラという街は遺跡の研究者や外部からの探索者によって形成された街だという。
「明日から遺跡の探索ですね。どんなところなのでしょうか」
隣に立つエルヴェがこちらを見上げて尋ねてくる。眠る必要のないスイウとエルヴェは天幕の外で寝ずの番を担当し、三人には一晩休んでもらうことにした。夜もすっかり更け、夜明けまであと数時間といったところだろうか。
「さすがに行ってみないことにはわからんな。わざわざ部隊を分けたってことは、ぞろぞろ大人数で動くのには不向きなとこなんだろ」
明日は部隊を複数に分け、少数編成で複数箇所からの探索計画になっている。
「なるほど。地下遺跡ですし、遺跡が広範囲というだけで空間自体はあまり広くないのかもしれないですね」
「戦闘で好き勝手やると巻き込むだろうな。考えて動く必要がある」
狭い空間での戦闘は正直あまり好まない。自身の持ち味である機動力も活かせず、身を潜ませる場所もない。刀の力を使うにしても周りや周囲の壁や地形に気を使う。それはエルヴェも同じなのか、口元に手を当て何か考え込んでいるようだった。
「狭いところでの戦闘が有利なのはメリー様くらいでしょうか?」
「ん? あぁ、そうだな。まぁ周りに人がいたら好きに魔術は使えんだろうが」
「でしたら、隊列を少し組み替えてスイウ様とメリー様に先頭を歩いてもらった方が良さそうですね」
確かにエルヴェの言う通りだろう。先頭で前に味方がいなければメリーは前方へ好きなように魔術を使用できる。
「そうだな。遺跡に向かう途中ででも話せばいい」
「はい。そうさせていただき──わっ」
砂を含んだ乾いた風が強めに吹き、濃藍色の羽織がパタパタと音を立ててはためく。少し前から強めに風が吹くようになっていたが、更に強まったようだ。暴れる襟巻きを片手で抑えながら空を見上げると、砂が舞っているのか月が霞んで見えた。
「風が強くなってきたな」
「えぇ、嫌ですね。砂が内部に入らないように気をつけないと……」
エルヴェは少し困ったように眉根を寄せ、手を袖の中へと引っ込めてフードを被った。痛覚もなく修復もできる体は人のものよりも便利に見えるが、本人にしてみれば煩わしいことも多いのかもしれない。
風は次第に強まり、時折音を立てながら吹き抜ける。天幕が吹き飛ばされるような激しさではないが、砂塵が舞い更に視界は悪くなっていた。
「風の強い地域だとアイゼア様が仰っていましたね。もう少し弱まってもらえると助かるのですが」
今の季節はここから南東方向にある山から乾いた強い風が吹くのだと話していたことをぼんやりと思い出す。
「あれ、僕の話覚えててくれたんだ。きっと先遣隊の天幕が崩れてたのもこの風のせいだと思うよ」
背後にある天幕の入り口が開き、アイゼアが顔を覗かせる。
「……アイゼア? 寝なくていいのか」
「それなんだけど、メリーってまだ戻らないのかい?」
アイゼアの問いに思わずエルヴェと顔を見合わせる。
「何を言ってる。メリーは天幕から出てないが」
「ん? それはどういうことかな……?」
今度はアイゼアが固まる番だった。天幕の入り口を大きく開け、指を指す。本来メリーが寝ている場所に姿はない。
「最初に目を覚ましたときにはもういなくて。二人はずっとここにいたんだよね?」
「もちろんです。外すような理由もありません」
「俺たちに気付かれずどうやって出ていったんだ?」
徐々にただ事ではないことを理解し始め、アイゼアとエルヴェの表情が見る見るうちに曇る。
「……とりあえずフィロメナを叩き起こすか」
「私、メリー様がいないか探して参りますね」
「頼んだよ、エルヴェ」
メリーを探しに走っていくエルヴェの背中を一瞥 し、気持ち良さそうに眠り込んでいるフィロメナの傍らに座る。フィロメナは揺さぶったり声をかけたところで簡単に起きないのはいつものことだ。気を集中させ、フィロメナの額あたりにかざしてやる。
「わっ!!!」
フィロメナは半ば反射的に毛布を跳ね飛ばしながら起き上がると、ギッと音がしそうな勢いでこちらをきつく睨 みつけてくる。
「その起こし方はやめてって、いっつも言ってるわよね!」
冥界の気に反応する体質を利用し、起こすときは毎回これが定番になっている。当然やめるつもりもない。
「やめてほしいなら普通に起こされたときに起きろ」
「うぅ……それよりまだ真夜中よ? 朝まで寝てもいいって言ってたじゃない」
「それなんだけど、メリーがいなくなったんだよ。緊急事態だから起きてもらったんだ」
一瞬何が起こってるのか理解できずフィロメナは首を傾げる。
「えー……お手洗いとかじゃなくて?」
「それにしてはちょっと長い気がするけど。いなくなってからもうすぐ一時間になるしね」
アイゼアは懐中時計を片手に、より一層表情を険しくした。
「今エルヴェが街の中を探しに行ってくれてるとこ。万が一見つからなかった場合どうするかだけど……」
「そしたら探しに行くしかないじゃない! いなくなったってわかってて放っておくなんてできるわけないわよね?」
「まぁまぁ、フィロメナ落ち着いて」
立ち上がりかけるフィロメナをアイゼアが宥 め、座り直させる。
「ったく、あてもなくお前はどこいくつもりなんだ……」
思考回路が単純すぎるというのも困りものだ。
「とりあえずわかってる情報を整理しよう。何か見えてくることもあるかもしれないからね」
「そうだな」
アイゼアの視線がこちらを向き、何か情報はないかと促してくるが答えられることは多くはない。
「俺が知ってるのは、メリーが天幕を出たところは見てないってことくらいだな」
「僕が一度目に起きたとき……一時間前にはもうメリーはいなかったよ」
「どうやって気づかれずにいなくなったのかもわからないけど、なんでいなくなったかもわからないわね。メリーは何か言ってたかしら……」
何か失踪に繋がるような発言はなかったか、ここに来てからの一連の言動を思い返すが特別思い当たることもない。
元々思い立ったら行動に移してしまう性格だが、どれもこれも推測の域であり根拠も何もない想像だ。沈黙する天幕内に、慌ただしくエルヴェが駆け込んでくる。
「エルヴェおかえり。どうだった?」
「いいえ、どこにもいらっしゃいませんでした。ですがこれが……」
差し出されたエルヴェの手には空の試験管が握られている。試験管などわざわざ持ち歩いているのはメリーくらいのものだろう。
「これはどこにあったんだい?」
「街の遺跡側の入り口に落ちていました。霊族の兵士の方に伺ってみましたが残留した魔力は感じられなかったそうなので元々空の試験管だったのだと思います」
空の試験管ということは、魔術を試験管から発動させたような戦闘をしたというわけではないだろう。
「そういえば先遣隊や街の人は行方不明なのよね? まさかメリーも同じようにいなくなった……とか。もしそうなら早く助けなくちゃ!」
再び飛び出して行きそうになるフィロメナの腕をスイウは咄嗟 に掴む。
「試験管で思い出したがメリーの魔力は使われた形跡がない。それから俺がここにいるってことは死んでもいない。一定の範囲内にはいるから急くな」
「あっ、そっか。言われてみればそうよね。契約してるから離れればあんたは弱るはずだけど、そんな感じはしないもの」
フィロメナの言うように契約の従者側は契約者と離れるほどに効力が弱まる。普通の精霊であればそれだけの話だなのだが、魔族にとっては致命的だ。
力が弱まるだけでなく、日光からの守りも薄くなり存在の維持に関わる深刻な問題になる。夜のうちはまだ行動できるとはいえ、それでもやや息苦しさは残る。日が昇れば当然日陰で縮こまっているだけで限界だ。
「そういえばメリーの鞄 がなくなってるね。メリーは一人で遺跡に向かったのかな。無理に連れ去られたなら鞄は残っててもおかしくないはずだけど」
「自分の意思で行動してるってこと? あの子を一人にしたら今度こそ死んじゃうかもしれないわ。あたしは一人でだってメリーを追いかける。遺跡に行けばいいんでしょ?」
「私も同行いたします。フィロメナ様を一人で行かせるわけには参りません」
「俺も行くしかないな」
自分の存在がかかっている。誰よりも悠長なことを言っている場合ではないのは自分自身だ。
「君たちは騎士じゃないから隊で動く義理もない。しかも勅命を受けてるから一般人だと止めるわけにもいかない。好きに動かれても文句は言えないんだよねー」
「あら、アイゼアはここに残るのかしら?」
薄情者とでも言いたげに睨 むフィロメナの反応にスイウは同情の視線をアイゼアに送った。
「あんまり責めるなよフィロメナ。騎士様は団体行動で規律遵守 だからなぁ」
「まぁおおむねその通りだね。じゃあ僕はこのことを報告しに行くよ」
「えぇ? ちょっと本気で行かないの?」
アイゼアはフィロメナに返事を返すことなく足早に天幕を出ていく。
「もー! 仲間より義務が大切なのかしら!」
「フィロメナ様、アイゼア様にも事情はありますから。人の社会というのは規則規律に厳しく、そこからはみ出す者には生きにくい世界なのです」
エルヴェが宥 めると、フィロメナはスカートを握りしめながら不満そうに唸 る。
「……わかってはいるわ。でも……あー、もういい! あたしがアイゼアの分まで頑張れば良いのよね!」
立ち上がり、勢いよく拳を突き上げるフィロメナにスイウはこれでもかというほどの冷ややかな視線を送る。
「そのやる気が空回らないことを俺は祈っとく」
「何か言った? スイウ」
「何も。風の音だろ。それよりとっとと準備してくれ」
急かすと、エルヴェとフィロメナが出発の準備に取り掛かる。動くのならできるだけ早い方が良い。手遅れになればメリーもスイウ自身も消えることになるのだ。
準備が終わり足早に街の入り口へと向かう。その先にぼんやりと闇夜に浮かび上がる人影が一つ。こちらに気づくと、カンテラの灯りに照らされた赤紫色の瞳が蝋燭 の火のようにとろりと柔らかく揺らめいた。
「思いの外遅かったね。置いていかれたのかと思ったよ」
「アイゼア! あんた行かないんじゃなかったのかしら?」
「僕は特務騎士だからね。隊に付随して命令を遂行するけど、状況に応じて個人の判断が許されてるから。報告を兼ねて単独行動することも伝えてきたよ」
一応許可が出ないと行くとは言えないからね、と笑うアイゼアにフィロメナとエルヴェの表情がわかりやすく明るくなる。
「時間が惜しい。早く行くぞ。夜目が利く俺が先導する」
「私も暗闇でも視界に支障はないので後方はお任せ下さい」
スイウを先頭にアイゼアとフィロメナ、その後ろにエルヴェという隊列で向かう。目指すのは、明日探索を開始する予定になっていた遺跡だ。
そこにメリーがいるのかはわからないが、試験管が落ちていたことを考慮し、最も高い可能性に賭けるしかなかった。
「そういえば隊長が作戦決行時間を早めると言ってたよ。メリーを含む行方不明者の捜索をするって」
「だからって待ってられないわ。あたしたちで早く見つけ出してあげなくちゃ。メリーもきっと一人で心細いはずだもの」
「ですが、メリー様はどうして何も言わずにいなくなってしまったのでしょうか?」
エルヴェの問いかけに沈黙が流れる。理由などわかるはずもない。
今更他人を巻き込みたくないなどとくだらない自己犠牲心に駆られたか。
スイウたちを信用できなくなったのか。
自分一人で決着をつけたいという慢心か。
なりふり構わず飛び出すようなことに遭遇したのか。
可能性は様々浮かぶが、そのどれもが違うような気がした。
砂塵を含む強風はいまだ止まず、女の悲鳴に似た甲高い音で鳴いている。暗い街道を吹き抜ける風は、まるでこちらを誘うかのように吹き抜けていった。
第56話 失踪 終
海沿いの荒涼とした平原を抜けた先にあるこの街は、こぢんまりとした素朴な街だ。時折吹き抜けていく乾いた風がスイウの襟巻きを揺らす。人気のない街は物寂しく、打ち捨てられているようにさえ見えた。
派遣された小隊は到着して早々に街の中の調査を開始する。街の中の調査や拠点のための天幕の準備などで慌ただしく動き回っている。
騎士ではないスイウには与えられた仕事もなく、ただ調査報告を待つだけというのも
「ちょっと!」
そのまま中に入ろうとしたところで羽織を強く引かれて立ち止まる。
「勝手に入ったらまずいんじゃないかしら」
「中も見ないと情報は掴めんだろ」
「それはそうかもしれないけど……」
罪悪感があるのかフィロメナはもごもごと口籠りながらも、そっと中を覗き込んでいる。
「ごめんくださーい! 誰かいないかしらー?」
フィロメナの声が虚しく室内に消える。
「無駄なことを。気配がないなら人がいるわけないだろ」
「じゃあ何で中に入ろうとするのよ」
「いなくなった原因がわかるかもしれないだろ。殺されたなら血痕とか肉片とか──
「やめてちょうだい。縁起でもない」
「なら外にいろ」
顔を
「手がかりになりそうなものはないわね」
「なんだ。結局来たのか」
「そ、そうよ。悪いかしら?」
「悪いと思ってんなら俺は入らんがな」
いくつか部屋を覗くが、どこにも不自然な場所はない。これでは街の住人が行方不明になった理由など特定できそうもなかった。フィロメナと共に民家を出ると、入り口近くにメリーたちが立っているのが見える。
「街を調べるより、どこか潜伏できそうなとこを調べた方が良いと思うんですけど?」
「地図では確か、この辺り一帯は遺跡群になっているそうですよ。そこを探してみるというのはいかがでしょう?」
メリーの意見にエルヴェが提案をする。だがアイゼアは賛同できないのか僅かに眉を
「遺跡も広いし、余程のことがないなら騎士団と協力した方が安全だよ」
やはり遺跡への調査に対してアイゼアは否定的なようだ。時間はかかるが堅実な道を選ぶべきだというのは理解できる。そもそも騎士団の任務に付随する形で同行しているのだから、基本的にはその方針に沿うのは仕方ない面もある。
「とりあえずはこの街の調査に集中しろってことか」
「そういうことだね。ここで手がかりが見つからなければ、遅かれ早かれ遺跡へ行くことになるとは思うし」
この様子ではおそらくすぐに遺跡へ行くことになるだろう。そう確信できる程度、この街は綺麗なままで無人になっていた。
それ以外で変わったものといえば、崩れた天幕だ。おそらく行方不明になっている先遣隊が使用していたはずのものなのだろう。それも崩されたというよりは、人がいなくなり強風で勝手に倒れたといった感じだ。裂かれたり無理矢理折られたりといった襲撃を思わせるような目立った異常はないようだった。
目ぼしい手がかりもなく日は暮れ、街の広場から街の周辺にかけて張られた天幕で一晩を明かす。軍議から戻ってきたアイゼアから明日の方針を聞き、予想通り明朝から遺跡へ捜索に向かうことになった。
遺跡郡と呼ばれてはいるがそれぞれが繋がっているため、複数の遺跡が合わさってかなり大規模な一つの迷宮のようになっているらしい。その大半は地下にあり、アウラという街は遺跡の研究者や外部からの探索者によって形成された街だという。
「明日から遺跡の探索ですね。どんなところなのでしょうか」
隣に立つエルヴェがこちらを見上げて尋ねてくる。眠る必要のないスイウとエルヴェは天幕の外で寝ずの番を担当し、三人には一晩休んでもらうことにした。夜もすっかり更け、夜明けまであと数時間といったところだろうか。
「さすがに行ってみないことにはわからんな。わざわざ部隊を分けたってことは、ぞろぞろ大人数で動くのには不向きなとこなんだろ」
明日は部隊を複数に分け、少数編成で複数箇所からの探索計画になっている。
「なるほど。地下遺跡ですし、遺跡が広範囲というだけで空間自体はあまり広くないのかもしれないですね」
「戦闘で好き勝手やると巻き込むだろうな。考えて動く必要がある」
狭い空間での戦闘は正直あまり好まない。自身の持ち味である機動力も活かせず、身を潜ませる場所もない。刀の力を使うにしても周りや周囲の壁や地形に気を使う。それはエルヴェも同じなのか、口元に手を当て何か考え込んでいるようだった。
「狭いところでの戦闘が有利なのはメリー様くらいでしょうか?」
「ん? あぁ、そうだな。まぁ周りに人がいたら好きに魔術は使えんだろうが」
「でしたら、隊列を少し組み替えてスイウ様とメリー様に先頭を歩いてもらった方が良さそうですね」
確かにエルヴェの言う通りだろう。先頭で前に味方がいなければメリーは前方へ好きなように魔術を使用できる。
「そうだな。遺跡に向かう途中ででも話せばいい」
「はい。そうさせていただき──わっ」
砂を含んだ乾いた風が強めに吹き、濃藍色の羽織がパタパタと音を立ててはためく。少し前から強めに風が吹くようになっていたが、更に強まったようだ。暴れる襟巻きを片手で抑えながら空を見上げると、砂が舞っているのか月が霞んで見えた。
「風が強くなってきたな」
「えぇ、嫌ですね。砂が内部に入らないように気をつけないと……」
エルヴェは少し困ったように眉根を寄せ、手を袖の中へと引っ込めてフードを被った。痛覚もなく修復もできる体は人のものよりも便利に見えるが、本人にしてみれば煩わしいことも多いのかもしれない。
風は次第に強まり、時折音を立てながら吹き抜ける。天幕が吹き飛ばされるような激しさではないが、砂塵が舞い更に視界は悪くなっていた。
「風の強い地域だとアイゼア様が仰っていましたね。もう少し弱まってもらえると助かるのですが」
今の季節はここから南東方向にある山から乾いた強い風が吹くのだと話していたことをぼんやりと思い出す。
「あれ、僕の話覚えててくれたんだ。きっと先遣隊の天幕が崩れてたのもこの風のせいだと思うよ」
背後にある天幕の入り口が開き、アイゼアが顔を覗かせる。
「……アイゼア? 寝なくていいのか」
「それなんだけど、メリーってまだ戻らないのかい?」
アイゼアの問いに思わずエルヴェと顔を見合わせる。
「何を言ってる。メリーは天幕から出てないが」
「ん? それはどういうことかな……?」
今度はアイゼアが固まる番だった。天幕の入り口を大きく開け、指を指す。本来メリーが寝ている場所に姿はない。
「最初に目を覚ましたときにはもういなくて。二人はずっとここにいたんだよね?」
「もちろんです。外すような理由もありません」
「俺たちに気付かれずどうやって出ていったんだ?」
徐々にただ事ではないことを理解し始め、アイゼアとエルヴェの表情が見る見るうちに曇る。
「……とりあえずフィロメナを叩き起こすか」
「私、メリー様がいないか探して参りますね」
「頼んだよ、エルヴェ」
メリーを探しに走っていくエルヴェの背中を
「わっ!!!」
フィロメナは半ば反射的に毛布を跳ね飛ばしながら起き上がると、ギッと音がしそうな勢いでこちらをきつく
「その起こし方はやめてって、いっつも言ってるわよね!」
冥界の気に反応する体質を利用し、起こすときは毎回これが定番になっている。当然やめるつもりもない。
「やめてほしいなら普通に起こされたときに起きろ」
「うぅ……それよりまだ真夜中よ? 朝まで寝てもいいって言ってたじゃない」
「それなんだけど、メリーがいなくなったんだよ。緊急事態だから起きてもらったんだ」
一瞬何が起こってるのか理解できずフィロメナは首を傾げる。
「えー……お手洗いとかじゃなくて?」
「それにしてはちょっと長い気がするけど。いなくなってからもうすぐ一時間になるしね」
アイゼアは懐中時計を片手に、より一層表情を険しくした。
「今エルヴェが街の中を探しに行ってくれてるとこ。万が一見つからなかった場合どうするかだけど……」
「そしたら探しに行くしかないじゃない! いなくなったってわかってて放っておくなんてできるわけないわよね?」
「まぁまぁ、フィロメナ落ち着いて」
立ち上がりかけるフィロメナをアイゼアが
「ったく、あてもなくお前はどこいくつもりなんだ……」
思考回路が単純すぎるというのも困りものだ。
「とりあえずわかってる情報を整理しよう。何か見えてくることもあるかもしれないからね」
「そうだな」
アイゼアの視線がこちらを向き、何か情報はないかと促してくるが答えられることは多くはない。
「俺が知ってるのは、メリーが天幕を出たところは見てないってことくらいだな」
「僕が一度目に起きたとき……一時間前にはもうメリーはいなかったよ」
「どうやって気づかれずにいなくなったのかもわからないけど、なんでいなくなったかもわからないわね。メリーは何か言ってたかしら……」
何か失踪に繋がるような発言はなかったか、ここに来てからの一連の言動を思い返すが特別思い当たることもない。
元々思い立ったら行動に移してしまう性格だが、どれもこれも推測の域であり根拠も何もない想像だ。沈黙する天幕内に、慌ただしくエルヴェが駆け込んでくる。
「エルヴェおかえり。どうだった?」
「いいえ、どこにもいらっしゃいませんでした。ですがこれが……」
差し出されたエルヴェの手には空の試験管が握られている。試験管などわざわざ持ち歩いているのはメリーくらいのものだろう。
「これはどこにあったんだい?」
「街の遺跡側の入り口に落ちていました。霊族の兵士の方に伺ってみましたが残留した魔力は感じられなかったそうなので元々空の試験管だったのだと思います」
空の試験管ということは、魔術を試験管から発動させたような戦闘をしたというわけではないだろう。
「そういえば先遣隊や街の人は行方不明なのよね? まさかメリーも同じようにいなくなった……とか。もしそうなら早く助けなくちゃ!」
再び飛び出して行きそうになるフィロメナの腕をスイウは
「試験管で思い出したがメリーの魔力は使われた形跡がない。それから俺がここにいるってことは死んでもいない。一定の範囲内にはいるから急くな」
「あっ、そっか。言われてみればそうよね。契約してるから離れればあんたは弱るはずだけど、そんな感じはしないもの」
フィロメナの言うように契約の従者側は契約者と離れるほどに効力が弱まる。普通の精霊であればそれだけの話だなのだが、魔族にとっては致命的だ。
力が弱まるだけでなく、日光からの守りも薄くなり存在の維持に関わる深刻な問題になる。夜のうちはまだ行動できるとはいえ、それでもやや息苦しさは残る。日が昇れば当然日陰で縮こまっているだけで限界だ。
「そういえばメリーの
「自分の意思で行動してるってこと? あの子を一人にしたら今度こそ死んじゃうかもしれないわ。あたしは一人でだってメリーを追いかける。遺跡に行けばいいんでしょ?」
「私も同行いたします。フィロメナ様を一人で行かせるわけには参りません」
「俺も行くしかないな」
自分の存在がかかっている。誰よりも悠長なことを言っている場合ではないのは自分自身だ。
「君たちは騎士じゃないから隊で動く義理もない。しかも勅命を受けてるから一般人だと止めるわけにもいかない。好きに動かれても文句は言えないんだよねー」
「あら、アイゼアはここに残るのかしら?」
薄情者とでも言いたげに
「あんまり責めるなよフィロメナ。騎士様は団体行動で規律
「まぁおおむねその通りだね。じゃあ僕はこのことを報告しに行くよ」
「えぇ? ちょっと本気で行かないの?」
アイゼアはフィロメナに返事を返すことなく足早に天幕を出ていく。
「もー! 仲間より義務が大切なのかしら!」
「フィロメナ様、アイゼア様にも事情はありますから。人の社会というのは規則規律に厳しく、そこからはみ出す者には生きにくい世界なのです」
エルヴェが
「……わかってはいるわ。でも……あー、もういい! あたしがアイゼアの分まで頑張れば良いのよね!」
立ち上がり、勢いよく拳を突き上げるフィロメナにスイウはこれでもかというほどの冷ややかな視線を送る。
「そのやる気が空回らないことを俺は祈っとく」
「何か言った? スイウ」
「何も。風の音だろ。それよりとっとと準備してくれ」
急かすと、エルヴェとフィロメナが出発の準備に取り掛かる。動くのならできるだけ早い方が良い。手遅れになればメリーもスイウ自身も消えることになるのだ。
準備が終わり足早に街の入り口へと向かう。その先にぼんやりと闇夜に浮かび上がる人影が一つ。こちらに気づくと、カンテラの灯りに照らされた赤紫色の瞳が
「思いの外遅かったね。置いていかれたのかと思ったよ」
「アイゼア! あんた行かないんじゃなかったのかしら?」
「僕は特務騎士だからね。隊に付随して命令を遂行するけど、状況に応じて個人の判断が許されてるから。報告を兼ねて単独行動することも伝えてきたよ」
一応許可が出ないと行くとは言えないからね、と笑うアイゼアにフィロメナとエルヴェの表情がわかりやすく明るくなる。
「時間が惜しい。早く行くぞ。夜目が利く俺が先導する」
「私も暗闇でも視界に支障はないので後方はお任せ下さい」
スイウを先頭にアイゼアとフィロメナ、その後ろにエルヴェという隊列で向かう。目指すのは、明日探索を開始する予定になっていた遺跡だ。
そこにメリーがいるのかはわからないが、試験管が落ちていたことを考慮し、最も高い可能性に賭けるしかなかった。
「そういえば隊長が作戦決行時間を早めると言ってたよ。メリーを含む行方不明者の捜索をするって」
「だからって待ってられないわ。あたしたちで早く見つけ出してあげなくちゃ。メリーもきっと一人で心細いはずだもの」
「ですが、メリー様はどうして何も言わずにいなくなってしまったのでしょうか?」
エルヴェの問いかけに沈黙が流れる。理由などわかるはずもない。
今更他人を巻き込みたくないなどとくだらない自己犠牲心に駆られたか。
スイウたちを信用できなくなったのか。
自分一人で決着をつけたいという慢心か。
なりふり構わず飛び出すようなことに遭遇したのか。
可能性は様々浮かぶが、そのどれもが違うような気がした。
砂塵を含む強風はいまだ止まず、女の悲鳴に似た甲高い音で鳴いている。暗い街道を吹き抜ける風は、まるでこちらを誘うかのように吹き抜けていった。
第56話 失踪 終