前章─復讐の先に掴む未来は(1)

 スイウとメリーは船に乗り、海上を移動していた。魔術鉄道の貨物列車に忍び込み、四時間かけて港町のポルティカまで移動した後、滞りなく始発の船便に乗ることができた。

 対岸の港町エスノはもうセントゥーロ王国領になる。それにはこのレイシー海峡を船で渡る必要があるが、この海峡は海流が複雑で荒く、一日程度は最低でもかかるとメリーは言っていた。

 天気は快晴、今日は波もあまり荒くはないらしい。乗船客は景色を眺めながら会話や食事を楽しんでいる。対照的に二人は売店で一人分のサンドイッチを買い、さっさと客室に引きこもる。
 スイウとしては情報収集をしたかったが、メリーの方はあまり人目につきたくないようだった。客室に戻るなりメリーはサンドイッチを水で作業のように流し込む。

「少し寝ても良いですか?」
「あぁ、休めるときに休んどけ」
「ありがとうございます」

 対岸まで一日以上かかるせいかこの船には客室が用意されていた。メリーは船内の商店で買った酔い止め薬を飲んでから、そのままベッドに横たわる。
 貨物列車で風を受けて移動してきたせいで体力の消耗が激しい。霊族は体力の消耗が魔力にも影響するらしく、契約者のスイウにはメリーの消耗具合がなんとなくわかることに今更気づいた。

「あの……」

 背を向けて横になっていたメリーがこちらへ寝返りをうつ。

「なんだ?」
「スイウさんは休まないんですか?」
「俺は寝食は必要ないからな。それより俺の正体を他のヤツらに気取られるなよ」

 死の象徴として認識されている魔族が目の前にいるとなれば場は混乱するだろう。面倒事を避けるためにも、正体が周囲に知られるわけにはいかない。
 メリーは無言で頷くと、再びこちらに背を向けて眠り始めた。スイウは向かいのベッドに腰掛けると、窓から外を眺める。眩しい朝の日差しときらきらと輝く水面、見えるのは空の青と海の青だけだ。

 出会ってから、メリーは日中にしか睡眠をとっていない。タイミングの話とはいえ、まるで明るい世界から逃げているようにも感じられた。再びメリーの背に視線を向け、ふと貨物列車での会話が蘇る。


約半日ほど前────


 貨物列車に乗り込んでから終始無言だったメリーが唐突に口を開く。

「私の行動は少なくとも正義だとは思ってません。スイウさんは、私の行動は間違っていると思いますか?」

 殺すことに躊躇いためらいはないのか、と聞かれたことを気にしているのかもしれない。だがそれにしては、自分の選択に迷っている者の顔ではなかった。
 すでに全てを背負い込む覚悟を決めていることは見ればわかる。かと言ってスイウに自身の行いを肯定してほしいというわけでもないらしく、ただ客観的にどう思うかを問いかけているようだ。

「俺の価値観から言わせてもらうんなら、そんなもん考えるだけ無駄だ」

 地上界だけでなく、冥界的にも『魂が穢れる』という理由で人が人を殺める行為は大罪だ。研究員たちを殺したメリーは間違いなく罪を背負った。
 だがそれは世の理に背き、命を弄んだ研究員たちも同様だ。同じ罪なら、罪を理解して飲み込んでいる方が幾分かマシで、自覚もなく重ねる罪ほど恐ろしいものはない。そもそもこの地上界は皆が平和で綺麗に生きられるほど優しい世界ではないということをスイウは知っている。

 冥界に訪れる死者たちは語っていた。辿った人生の幸福だけでなく、自身の罪と後悔を。人を殺したことがある人は決して珍しくはなかった。理由は時勢によって様々だ。大切な何かを守るため、貧困で日々を生きるため、戦争で、私欲で、保身で、快楽で、復讐で……挙げだせばきりがない。

「メリーはどこまでなら殺しても罪はないと思ってんだ?」

 その質問にメリーは一瞬驚くと真剣な表情で一人言のように呟く。

「殺さないことが善、無闇に命を奪うことが悪だということはわかりますが……」

 そう言うなり、考え込むように黙った。善と悪、その境界はどこにあるのか。物事の善悪や正誤に限らず、境界というものは常に曖昧あいまいで簡単に白黒ハッキリさせられるものではない。そして殺すということに善悪の境界などない。殺すということは絶対的な罪なのだから。

「戦争なら法では裁かれない。仕方ない理由があれば情状酌量。身勝手な理由なら責められる。だがそれは人が勝手に判別してるだけで突き詰めりゃ殺しは殺しだ。それが正当だと思うかなんざ見るヤツの立場と価値感でいくらでも変わる」
「人によって変わるから考えるだけ無駄だ、と?」
「まぁそれもあるが……俺が言いたいのはそういうことじゃない。そこに正当だと思える理由があろうが殺しは絶対的な罪、それが冥界的な意見だ」

 殺したことに正当性があるかどうかと、殺したという事実に対する罪の有無は別の問題で、人はそこを混同して考えがちだ。

 その証拠に、地獄に落ちる前に「仕方なかったのだ」と必死に弁解する者もかなり多い。人を殺める理由は殺した事実への免罪符にはならない。
 正当な理由を振りかざし、罪を認めず向き合わないで穢れを浄化することなど到底無理な話だ。殺しという大罪を軽減させるだけの贖罪しょくざいを怠った者に慈悲などあるわけがない。

「正当性と罪は別、ですか。なるほど、確かに考えても仕方ないことですね」

 だからこそ命を奪ってでも通したいものがあるなら相応の覚悟をするべきだとスイウは思う。メリーの真っ直ぐな視線がスイウを貫く。

「たとえ間違ってても私は罪を重ねますよ。ミュール兄さんを連れ戻すまでは」
「当然だ。一々躊躇ためらわれたら俺も困る」

 自分と関わったがために、メリーはスイウの目的のためにも殺し、余分に罪を背負っていくことになるだろう。だが世界が破滅すれば人殺しだの罪だのどころの騒ぎではなくなる。
 一方で破滅を止めれば、メリーはその罪を地獄で清算する日が来る。穢れているほどに苦痛は大きい。破滅を止め、間接的に人を救うことでどれほどの穢れが払拭できるかはわからないが、おそらく地獄行きは免れられないだろう。もっとも程度の差はあれ、地獄に落ちない者の方が珍しいのだが。

「まぁ、巻き込んだよしみで地獄に落ちたときは案内くらいしてやるよ」

 気紛れにそう言えば、メリーは目を丸くして瞬かせる。

「本当ですか? 地獄を? 魔族直々に案内してもらえるなんて私は運が良いですね」

 その暢気な発言はやはりどこかズレているというか、何ともおめでたいヤツだと内心呆れる。

「スイウさん、それ約束ですよ?」

などと無邪気に笑って。




 思考が段々と現実へ戻されていく。ぼんやり物思いにふけるうちにそれなりに時間が経っていたようだ。
 日は高く昇り、昼前くらいだろうか。メリーは寝返りをうったのかこちらを向いて眠っている。さすがに客室にこもっているのも暇だ。幸いこの船は然程大きくない。客の中に妙な雰囲気の者も見当たらなかった。万が一何かあってもすぐに戻ってこられる距離だ。少しの間だけなら船内をぶらついても問題ないだろう。スイウは客室の鍵をかけ、甲板へと向かった。


 相変わらず甲板は乗船客で賑わっている。気の抜けるようなカモメの鳴き声がこの風景をより平穏な日常の雰囲気にしていた。すぐそこに破滅の足音が迫っているとも知らずに。

 まだ少し風は冷たいが天気もよく、柔らかな日差しのおかげでぽかぽかと暖かい。メリーと契約していなければ、この暖かな日差しはあっという間に身を灼き尽くすような熱に変わることを思い出して身震いする。あれはさすがにもう二度と経験したくない壮絶さだった。
 昼食をとりながら談笑している客たちを横目に、甲板の手すりにもたれかかる。同時に気になる会話をしている男たちの会話へと耳を澄ます。

──クランベルカ家の研究所が爆発したらしいな。作業中の事故らしいけど」
「あぁ、確か全員死んだらしいな。建物も跡形もなく吹き飛んでたらしいぞ」
「炎霊族の研究所だからなぁ。爆発事故も仕方ないってか?」
「おいおい、滅多なこと言うもんじゃ──

 ひそひそと声を潜めているが、スイウの耳には関係なかった。思いの外、研究所爆破の話は広がっているらしい。つまりメリーの父親側に伝わっていても不思議ではないということだ。爆破した犯人は状況的に間違いなくメリーだと断定されるだろう。
 起きたらすぐに知らせなければ、そう思ったとき不意に近くの席から上がった女性の悲鳴が耳をつんざく。少し遅れて客たちがどよめいた。その視線は皆一様に上空へと向いている。

 遠くから巨大な白い鳥が一羽とそれを取り巻くように大量の鳥がこちらへ向かってくるのが見えた。魔物の群れだ。船上には逃げ場もなく、ここへくるのなら迎え撃つしかない。

「ヴェズルフェルニルがどうして海に!?」

 男の声が恐怖に声を震わせて叫ぶ。普段この海にはいない魔物なのだろうか。
 誰かの逃げろという叫びと共に客たちは階下の客室のあるフロアへ雪崩込む。船の放送が、中への避難を呼びかけ始める。その流れを無視し、スイウは背中の刀「六花りっか・白露」に左手をかける。

 船に備え付けられた砲台が全て魔物の群れへ向けられ、光線が放たれた。凄まじい轟音と揺れに、刀に手をかけたまま片膝をつく。光線が僅かに魔物を減らすが、その大半はまだ残っている。攻撃したことで刺激したのか魔物たちはこちらへ向かってくる速度を上げた。この速度ではおそらく砲撃だけで抑えきれないだろう。

 刀を抜き放ち、白銀の刀身が日に照らされて閃く。スイウは目つきの悪い金の瞳をスッと細め、口角を不敵に吊り上げた。
 戦闘は嫌いではない。むしろ戦うことは好きだ。まるでこの時を待ち望んでいたかのように刀を構えた。


第4話 罪  終
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