前章─復讐の先に掴む未来は(1)

「ねぇスイウ。聞きたいことがあるの」
「聞きたいこと?」
「人には贖罪しょくざいに生きる権利があって、あたしたちは慈悲をもって見守ってる。それでもあがなえない罪は冥界で清算するのよね……でも贖罪する気どころか、悪いことしてるって思ってなくて人々を不幸にしてるヤツもいるわ」
「あぁ、残念ながら腐るほどいるな」
「そういうヤツらまであたしたちは守ってあげないといけないのかしら? 善良に生きる他の人たちが傷つくってわかってても」

 フィロメナは昨晩の闇オークションのことを思い出す。メリーは珍しいことではないと言っていた。あんなことが平然とまかり通る世界を黙って見過ごすのは正しいことなのだろうか。知っていて見過ごすことはどれほどの罪になるのだろうか。

「それでもそれがお前らの役目だろ。死んだ後で罪をあがなわせるのが俺ら。そういうヤツを取り締まるのは人がやりゃいい。今は非常事態だからともかく、基本的には不干渉が鉄則だ。お前もわかってるだろ」

 スイウの言っていることはその通りだった。役目以上のことはすべきではない。それは天界でも常識だ。しかしそれでは納得できない自分がいる。少しでもより良い世界にするために、自分に何かできる事はないのだろうか。

「……まさかどうにかしようだなんて考えてないだろうな?」
「えっえぇ〜? そんなことあるわけないじゃない!」

 慌てて取り繕うとスイウは心底呆れたように重いため息をついた。

「顔に出過ぎ、嘘も下手過ぎ、思考回路も単純。あまりのお粗末さに泣けてくるな」
 努力のかいもなく、考えてることは筒抜けのようだ。スイウは腕組みすると背中をベンチの背もたれへと預ける。

「変えるなんてのは簡単じゃない。かといって皆殺しにしてもきりがない」
「皆殺しってあんたね……」
「さすがに冗談だ。だが方法の一つではあるだろ」
「そうだけど、あたしはもっと根本からどうにかしたいのよ」

 悪い人は消せばいいという問題ではなく、悪いことを未然に防いだり起こらないようにしたいのだ。そうでなければ意味がない。だが思っていてもどうすればこの問題が解消されるのかフィロメナには全く見当もつかなかった。

「良くしたいなら何か行動するしかないってのは間違いないが、歪み全部を是正するなんてのは到底無理だろうな」
「え?」
「一つ覚えとけ。人の性質的に根絶は絶対無理だ。人ってのはお前が思ってる以上に悪意や欲望に満ちた生き物だからな。根を詰めると絶望するぞ」
「急にどうしたの……あんたらしくない。天族が人に干渉するなって止めないの?」

 急に咎めるどころか、むしろ後押しするようなことばかり言い始め不気味さを覚える。

「止めてほしいのか?」
「そういうわけじゃないんだけど……」
「よくよく考えれば天界を追放されたお前が天族として役目を果たしてやる義理なんかないだろ。嫌でも地上界で暮らすんだから好きにすりゃいい」

 天界を追放されたからといって役目を放棄していいのかはわからないが、天界に帰れない以上地上界で暮らすことになるのは間違いないだろう。思考が追いつかず呆けていると、スイウの表情はみるみる渋くなっていく。

「フィロメナ、ホントに意味わかってんだろうな? いつも誰かが尻拭いしてくれると思うなよ。自分の行動には責任を持て」
「わっ、わかってるわよ!」
「ハッ、どうだか。その点に関しては全く信用ないからな」
「うぐっ……」

 スイウの言うことはもっともだ。今まで何か問題を起こしてしまったとき、必ず誰かが助けてくれた。これでは自分の行動に責任を持てていないと言われても仕方ない。

「ね、ねぇ。それよりエルヴェは元通りに動けるようになったのかしら?」

 責任を持って行動することは肝に銘じるとして、気まずさから逃れるために話を逸らす。

「さぁ? メリーのところに使い魔でも来ればわかるが、肝心のメリーは爆睡してるしな」
「そうよね。あっちは大丈夫なのかしら……」
「人数のわりに戦えるヤツが少ない。アイゼアは子守に護衛にで大変だろ。ま、自業自得だけどな」
「自業……自得?」

スイウの一言にフィロメナの中でゴングが鳴り響く。

「それは聞き捨てならないわね! アイゼアだって好きであんなことしたわけじゃないってあんたでもわかるでしょ?」
「つっても事実だろ。エルヴェが壊れなけりゃキルシェタニアなんてそもそも行く必要もないしな」

 やはりスイウという人物はどこか思いやりに欠ける。決して冷酷さだけではないことを知っているために、なぜそんなことを言うのかますます理解できず無性に腹が立った。

「だから何よ。そんな冷たいこと言う必要ある?」
「本人に直接言ったわけじゃないだろ。一々大げさなヤツだな」

 スイウの冷ややかな視線と火花を散らしていると、視線をさえぎるように手のひらが差し込まれた。

「また二人で痴話喧嘩ですか。私もいるというのに、すぐ二人だけの世界にいってし──
「おい、それ以上はやめろ」

 声のした方へ顔を向けると、メリーがやや芝居がかった調子で大仰に肩を竦めている。それに対しスイウは恨めしそうににらみながら身震いし、両腕を擦っていた。

「メリー、お前よりにもよって『痴話喧嘩』って言いやがったな」
「えーっと、今なんて言いました? 聞こえなかったのでもう一度言ってもらえませんか?」
「その逆撫でするような言い回し、アイゼアの真似か……?」

 楽しそうににこにことしたメリーの顔とげんなりとして遠い目をしているスイウを交互に見る。先程から繰り広げられているやりとりをフィロメナは飲み込めずにいた。

「ねぇちょっと、その『ちわげんか』って何? げんかは喧嘩のことよね。ちわは?」

 メリーが来る直前までの会話は喧嘩に近かったことを思えば、この部分はおそらく間違ってはいないはずだ。それにも関わらずスイウがここまで嫌悪感を示しているのが妙に気になった。

「お前知らないのか……意味」
「天界では聞いたことない単語ね」
「痴話喧嘩っていうのは、んぐっ……
「阿呆っ、説明しなくて良い! 面倒なことになるだけだろっ」

スイウがメリーの口を咄嗟とっさに塞ぎ、言葉を遮る。

「えー、教えてくれたっていいじゃない。知らないことは知りたいもの!」
「知らなくて良いこともある。メリー、絶対説明するなよ」

 スイウを押し退けてメリーに詰め寄るがすぐにスイウに引き剥がされる。

「わかりましたよ。フィロメナさんどころかスイウさんまで面倒臭そうですからね」
「もー! こうなったらアイゼアかエルヴェに聞くから良いもんねーっ」

 メリーが教えてくれないのなら仕方ない。だがここまで来たら知らないままというのも気持ち悪い。二人と合流したら真っ先に聞いてやろうと心に誓った。

「意味を知っても絶対突っかかってくるなよ。言ったのはメリーだってしっかり覚えとけ」
「何でもかんでも突っかかるわけでしょ」
「さて、どうだかなー」
「人のこと馬鹿にしてぇー」

 スイウとの言い争いをメリーが再び間に入って止めてくる。

「あのー、そもそも何でまた言い争ってたんですか?」

 メリーは服の乱れを直しながら改まった様子でこちらへ向き直る。事の経緯をかい摘んで説明していると少しずつ落ち着きを取り戻し、感情的になりすぎてしまったことを反省する。

 どうにも正義感を掻き立てられると心を乱してしまう。冷静に考えれば、原因や事情はどうあれアイゼアのしたことで招いた結果でもある。それを自業自得だと言うのなら間違ってはいない。だが兄妹を救うためだったと知った以上、アイゼアだけを責める気にはとてもなれなかったのだ。

「落ち込まないでください。アイゼアさんを庇いたくなる気持ちは私もわかります」
「へ?」
「物事には様々な側面があるんですから、複雑な事ほどいろんな意見があって当然です」

 スイウの言葉が正しいと否定されると思っていただけに内心驚いていた。

「自業自得って思う人もいれば、そんなことないと思う人もいていいってことかしら?」

 堕天する前はどこかで自分の考えは間違っていないと信じて疑わなかったように思う。今は堕天して自分の中に醜さが生まれたことで、何が正義かだけでなく、その考えが本当に正しいのかについても考えるようになってきた。だがまだ詰めが甘かったということだ。

「そうですね。フィロメナさんはいろんな方の話に耳を傾けて考えてみるのもいいんじゃないですか?」
「他人を気にしすぎだろ。俺は何と言われようが好きなようにやる」
「それは私もそうですけど、聞いて貫くのと聞かずに押し通すのでは全く違いますからね」

 耳を傾けるのも、自分の考えを重視するのも自由。考え方や価値感、正義ですら人によって変わる。自分の正義はあくまで自分の価値観に添ったものでしかない。

 人々のために、弱者のために。彼らを救うための必要な正しさと選択。きっと迷うことや、判断がつかず、時には間違うことだってあるかもしれない。そういう可能性に気づくことができるようになった。

 ならば自分は、価値観の押し付けにならないようにしたい。もっと相手の立場に立って物事を考えて判断できるようにならなければ。言葉にすれば簡単だが、実行するのは難しい。それでもまず考えてみることが大切なのかもしれない。強い決意を胸に、燦々さんさんと降り注ぐ太陽を見上げた。


第54話 燦然さんぜんと輝く希望の舟歌(バルカローラ)(2)  終
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