前章─復讐の先に掴む未来は(1)

 フィロメナたちを背後に庇いながら、スイウはサクと対峙していた。少年の姿とはいえ、魔族は年齢と見た目は一致しない。
 グリモワールを奪い、冥王や魔族を封じ、冥界を壊滅させたのだ。侮れない相手であることは間違いなかった。

「天族をたくさん仕入れて使ってやろうと思ったのに邪魔されるし、ネリもヴァインも役に立たないし。全部台無しにしてくれてちょっとムカつくね」

 無邪気かつ大仰な身振りでわざとらしい演技をしていたかと思えば

「だからボクが直々に相手してあげる」

と、鋭い殺意を湛えた笑みへと豹変する。

 サクがグリモワールを開くと、地表から黒い塊が大量に噴出する。それらは魔物へと変貌し襲いかかってきた。冥界でグリモワールが奪われた日に見た妙な黒い魔物そっくりだ。

 フィロメナたちへも容赦なく襲いかかっていく魔物を、メリーとソレッタが範囲魔術を展開しながら的確に処理していく。だがいくら魔物を排除したところで意味はない。無尽蔵むじんぞうに湧き続けることをスイウは身を持って知っている。

 だとすれば狙うはただ一人。スイウは力を開放し、行く手を阻む黒い魔物共を斬り捨てながらサクへと迫る。

「さすが冥王のお気に入りだね」
「初耳だな」

 こちらの斬撃を軽々と避け、サクは氷でできた刃をスイウへ向けて放つ。どうやら死ぬ前は霊族だったようだ。魔族は死ぬ前の人だった頃の形質をそのままに引き継ぐ。
 外見は死んだときのまま止まり、使える能力も死んだときと変わらない。魔術が使えるということはつまりそういうことだ。

「自覚なかったの? まぁ知らなくても仕方ないか! キミは少し特別だからね」
「は?」

 その口ぶりから、サクは冥界にいた頃から一方的にこちらのことを知っていたらしい。

「キミの魂は欠けてるんだってね」
「それも初耳だな」

 サクは虚空から大鎌を呼び出し、軽々と操る。その鎌の刃を刀で受け止め飛び退すさる。魔族になると身体能力は人だったときよりも強化される。華奢な少年という見た目とは不釣り合いの力だ。

「もしかして動揺した? キミは魔族になる資質があるのに魂が欠けてるから不完全なんだってね」
「……何が言いたい?」

 スイウは刀に冷気を纏い、サクへ斬撃を飛ばす。あっさりと避けられたそれは木にぶつかり、風ともやを発生させた。靄の中を真っ直ぐに駆け抜け、鋭く斬り込む。サクは斬撃をギリギリでかわすと、至近距離で水術を放ってきた。
 避けきれず刀で受けたが勢いに負けてふっ飛ばされる。空中で身をひるがえし着地すると同時に両足に力を込めて勢いを殺す。泥濘ぬかるんだ地面に二本の線が引かれた。

「別に。ただ知ってることを教えてあげただけ。キミ何も教えてもらえてないみたいだったからさ。ボク結構優しいでしょ」
「そりゃ親切にどうも」

 地面を蹴り、瞬時にサクへと距離を詰め刀を振るう。器用に鎌の柄で防御し、たたみかけるような斬撃も氷術を利用した盾をその都度作り出しては防ぎきってくる。動体視力も悪くない、戦い慣れているような動きだ。

「ここからが本題なんだ。スイウ、ボクはキミがほしい。ボクに協力してくれないかな?」
「協力を仰ぐなら俺にどんな利点があるのか先に提示すべきだろ。頭悪いのか?」
「そうだった。キミがボクに協力してくれるならキミを自由にしてあげられるよ。それに魂を完全な状態に戻してあげられる。どう? 興味ないかな?」

その言葉に攻撃の手を止める。

「興味ないと言えばうそになるな」
「スイウさん何言ってるんですか?」
「目先の利益に飛びつくとは……やはり魔族というのは下等な存在としか言いようがありません。返還命令を取り下げる必要もなかったのです」

 間髪入れずに飛んでくる非難の声に、メリーとソレッタを一瞥いちべつし、サクへと歩み寄る。

「自由にするってことは、魔族の役目から開放してくれるってことだな?」
「そうだよ」
「そりゃいい。死んでるのか生きてるのかもわからんような状態で何十年も扱き使われて、心底うんざりしてたところだ」
「だよねぇ。冥王だか何だか知らないけど、勝手に命令して偉そうにしてさ。ボクもずっと不服だったんだよねー」

 サクは冥王が封印されているはずのグリモワールを片手でくるくると弄ぶ。

「同感だ。俺はお前の側についてもいいが、一つ条件がある」
「なぁに?」

そう言うとサクは興味深そうにスイウへと近づいてきた。

「俺はメリーがいないと地上界で行動ができない。アイツもこちら側につかせる」
「ボクは別に良いけど? ストーベルもあの子を欲しがってたし、手土産にしたらきっと喜ぶと思うよ」

ケロっと了承するサクとは対照的にメリーは声を荒げる。

「何言ってるんですか……そんなくだらない理由で勝手に決めないでください! 手土産? 冗談じゃない!!」

 明確な殺意がスイウを射抜く。想定外の言動とストーベルのことで視野が狭まっているのが手に取るようにわかる。
 威勢が良いのは悪くない。激しければ激しいほど、それを崩したときの落差は大きい。共に旅をしてきたスイウには、その勢いを崩すだけの手札がある。

「くだらない? 死んだ後まで勝手に使命を課せられて、良いように使い倒される俺の身にもなってみろ。道具として生きたくないって言ってたお前なら、俺の気持ちも痛いほどわかるだろ?」

 魔族や天族の存在は言い方を変えれば、役目のために動く装置でしかないのだ。

 メリーはハッと息を飲み、押し黙る。手札は想定通り、メリーの中へ深く刺さったようだ。こちらへつくつもりはないが、道具のように扱き使われていることに対しては複雑な思いを抱いたようだった。
 いつの間に覚えたのか、人らしい共感能力を発揮していることに思わずほくそ笑む。単純なヤツを相手にするのはやりやすくて良い、と。

 刀を地面へと突き立てると氷晶がメリーの足元から突き出る。メリーはそれを予測し、こちらへと前進して回避した。繰り出された火柱をかわし、メリーの杖を刀で受ける。

「俺に接近戦をしかけるなんて気でも狂ったか?」
「殺せるもんなら殺してみろってことです。私が死ねばあなたも死ぬっ」

 逆手さかてに持った杖を槍のように扱い、打ってくる。遠距離が主体でここまで接近戦がこなせるのなら上出来な方だろう。炎をまとう突きが繰り出される度に、肌を焼く痛みが僅かに走る。

 だがそれだけだ。接近戦が主体のこちらの実力にはやはり遠く及ばない。様子見をやめ、一気に攻撃に出ると形勢はすぐにひっくり返った。

 突き出された杖を刀で絡め取り、弾き飛ばす。くるくると弧を描いて飛んだ杖は音を立てて地に落ちた。右手でメリーの首を締めると炎を纏わせた手で腕を掴まれた。肌が焼けていくのと治癒していくのが同時に起こる。

「メリー!! スイウ、さっきは見直したって思ったのに……結局そんなヤツだったなんて見損なったわよ!!」

フィロメナの飛ばす光輪を刀で弾ききると、今度は光球を作り出している。

「ねぇ、邪魔しないでくれるかなぁ?」
「なっ」
「させるかっての!!」

フィロメナに斬りかかるサクの鎌をヴァインのメイスが受け止める。

「あれ? ネリを押さえてなくていいのかな?」
「クソッ」

 暴れだそうとするネリをヴァインが押さえつけ、フィロメナは光で剣を作り出しサクを警戒する。ソレッタは黒い魔物の相手に手一杯で援護に回れていない。

「そうそう、今は大人しく眺めてなよ。キミたちは後でゆっくりなぶり殺しにしてあげるし」

 サクが明るく笑いながらスイウの隣へと並ぶ。メリーの手から少しずつ力が失われ、か細い息が漏れた。締め上げられて苦しむ姿を眺めながら、サクの顔はみるみる狂喜に染まっていく。

「一緒に旅をしてきた契約者なのにね。スイウは噂に聞いた通り──

 サクの言葉が一瞬止まる。一瞬の隙をついて刀を素早く一閃した。サクの体は大きく両断されたが血は一切飛び散らなかった。同時にメリーの首から手を離す。

──容赦ないんだね。それにしてもこのボクに殺気を気取られずに斬るなんてさ。あーあ、ついつい油断しちゃったなー」

 ドサリと音を立てて落ちた上半身は何事もなかったかのように喋り続けている。それまでの明るい少年の声から、ドスの利いた一段低い声へと変わった。幼さの残る瞳におぞましいほどの邪悪さと憎悪を滲ませてスイウを映していた。

「でも残念だったね、この体は本体じゃないんだ。だから早くボクに追いつきなよ。キミたちに会えるのを楽しみにしてるからさ」

サラサラと空気に霧が溶けていくように姿が消えていく。

「天を統べ地を統べ人を統べ、我は最上に立つ王、全てを掌握する者なり……」

 最後に意味のわからない言葉と不敵な笑みを残し、姿も気配も完全に消え去った。サクの持っていたグリモワールも黒い魔物もまるで最初からそこになかったかのようだ。納刀しようとした瞬間、凄まじい殺気を前方から感じ取る。

「スイウさん……猛省しろっ!!」
「おいっ」

 メリーの強烈な火球が至近距離で放たれ、反射的に刀で両断する。二股に分かれた火球は遥か後方で爆炎を上げ、爆風に背中があおられる。火球を向けられるのは初めて会った日以来だろうか。

「ストーベル側に寝返るのかと私はっ。裏切られるのは、もう……」

 疲れ切った様子で目元に当てた手の隙間から僅かに見える瞳が不安げに揺れている。以前のメリーなら裏切られたところで気にも留めなかっただろうに。

「スイウさんが道具のように扱われてることだって。そんなふうに言われたら私はどうすればいいんですか。ストーベル側に寝返るなんて私は死んでもしませんが、スイウさんの気持ちは……」

 本当に随分変わったものだ。他人を気遣い心を痛めていることも、不安や弱さを見せるようになったことも。

「敵を騙すには味方からって言うだろ。そもそも俺は別に道具のように扱われてるとは思ってないから気にするな」
「それもうそだったんですか?」
「そうだ。まんまと騙されてくれて傑作だったな」

冗談めかしてみたものの、メリーの表情は晴れない。

「……そうですね。スイウさんのおかげで退しりぞけられたのも事実です」

 メリーは深呼吸し、気持ちを落ち着かせていた。傷を抉るようなうそをついたことに若干の罪悪感を抱きながら、あのくらいしなければあざむけなかっただろうとも思う。

「俺は約束は破らん。それだけ覚えとけ」
「そう言ってましたね。約束は必ず守るって」

メリーは少し困ったように、だが安堵あんどしたように小さく微笑んだ。

「ねぇー! ここから移動しましょー」

 フィロメナがネリを抱えて飛んでおり、その隣にいるヴァインがヒースを背負っていた。ここでの長居が危険という判断には同意だ。全員で周囲を警戒しながら宿へと戻ることになった。




 宿へと戻ってくると、フィロメナは目が覚めたばかりのヒースと依頼人のティーダと共にソレッタたちに呼ばれて出ていった。

 三つあるベッドのうち二つはネリとヴァインが使っている。サクの特殊能力によって酷使され、その疲れが出たのだろう。特にネリは呪術解除の負荷も大きい。

「フィロメナさん大丈夫ですかね」

 堕天したフィロメナが天族から良く思われないのは想像に難くない。何を言われているのか、何か危害を加えられていないかメリーは気が気じゃない様子だ。部屋の中を行ったり来たりして落ち着きがない。

「ヒースってヤツはフィロメナと仲良さそうだし大丈夫だろ。そもそもかなり脅してたよな、お前」

 フィロメナが呼び出されたとき、メリーはソレッタに向かって「フィロメナさんを傷つけたら灰にします」と天族が毛嫌いしている『穢れた魔力』を放ちまくっていた。

 ソレッタは顔色を一切変えていなかったが、取り巻きの天族たちをこれでもかというくらいに震え上がらせていた。メリーもメリーで、さながら威嚇する猫のようだったと思い出し、うっかり笑いそうになる口元を襟巻きで隠す。

「てすが多勢に無勢ですし、効果があると思いますか?」
「そもそもそんなことにはならんから安心しろ」
「本当ですか? せめて遠くからでも見張りができれば……」
「あー、いいから大人しくしとけって」

 メリーをなだめ、近くにある椅子へと座らせる。相変わらず感情が極端なメリーに嘆息しつつ、スイウはサクと交戦中にした話を思い出していた。

 欠けた魂。不完全な魔族。聞いたこともない話だ。サクが動揺を誘うためについた嘘かもしれない。だがもし仮にそれが本当だとするなら、自分の失われた記憶と何か関係があるのかもしれない。記憶を全て失くしている魔族は知る限り自分だけだ。

 そしてサクはスイウが寝返ることを望んでいた。その利点は何なのか。単純に魔族の力がほしいだけならネリでも良かったはずだ。

──さん? スイウさん?」

 メリーが不思議そうに覗き込む顔が目の前にあり、僅かに驚く。

「突然ぼーっとしてどうしたんですか?」
「悪い、少し考え事をしてただけだ」
「……そうですか」

 メリーの表情が一瞬陰る。考え事の内容に踏み込んではこなかったが、何について考えているのか察しはついているようだった。

「そろそろ寝たらどうだ。寝れるときに寝ておいた方がいい」

 いくら船で寝放題だといっても戦闘の後で疲れが溜まっていないはずがない。ベッドは幸い一つ空いているのだ。だがメリーは首を横に振ると椅子に座り直し、かたくなに眠ろうとはしなかった。この調子だとフィロメナが戻るまでは起きているつもりなのだろう。

随分ずいぶんと仲間思いな性格になったもんだな」

ため息混じりに呟けば、メリーから苦笑が返ってくる。

「性格が変わったんじゃなくて、たぶん私の中で大切に思える人が増えただけですよ」
「……そりゃ良かったな」

 つまりミュールやフランと同じ枠に入る人物がメリーの中で増えたということだ。

「スイウさんもですよ」
「ん、なら自分を大切にするんだな。俺はお前が死んだら消える」
「言われてみればそうでしたね。自分、ですか」

 メリーはしみじみと噛みしめるように呟くと目を伏せて考え込む。生きてきた環境のせいか、彼女の自分の命への価値はかなり低い。誰かだけでなく自分を大切にできるようになることも人としては重要なことだ。

 急に静かになったかと思えば、メリーはうつらうつらと眠りに落ちそうになっている。魔力消費量的に持たないとは思っていたが。

「ったく、だから寝ろっつったのに」

 椅子からずり落ちそうになっている体を支え、空いているベッドまで運んでやる。もうすっかり夢の中といった穏やかな寝顔だった。妙に達観して割り切ったところがあるかと思えば、変なところで子供っぽい面もある。
 その無防備さは油断か信頼か。何にせよ、お互い随分ずいぶんと気を許すようになったものだ。

 窓辺に寄り背を預ける。いつの間にか雨は上がり、雲の切れ間から覗く月の光を浴びながら静かに目を閉じた。


第53話 欠落  終
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