前章─復讐の先に掴む未来は(1)
クロノ鉱石を無事に持ち帰ると、ミーリャは戦闘で傷ついた体を修理してくれた。それが終わると早速鉱石の加工作業にとりかかる。邪魔にならないよう隣の部屋へ移ると、ちょうど浴室のある扉からアイゼアが出てきた。
「エルヴェ、シャワーお先にいただいたよ。修理は終わった?」
「えぇ、終わりました。私も入ってきます」
荷物の中から着替えを取り出し、脱衣所の中へと入る。汚れた服をさっさと脱ぎ捨て、顔を上げると鏡の中の自分と目が合った。
『アナタの思いは、いつか凶器になる』
あれから何度目かわからないミルテイユの言葉が蘇る。掠れた声が耳にこびりついて離れてくれない。
逃げ込むように浴室に入り、蛇口をめいっぱい捻った。激しく叩きつける水の音と感触が土砂降りの雨のように降ってくる。
砂埃や血飛沫はゆっくりと水に溶けて流れていくが、この言いようのない不安感は洗い流されずに残っている。
『アナタの思いは、いつか凶器になる』
咄嗟 にギュッと耳を塞いだ。音声ではない。記憶が呼び覚まさせているだけなのはわかっていた。それでもそうせずにはいられなかった。
報われない思いはやがて憎しみへ、そして殺意に変わる。その意味をエルヴェは理解できなかった。憎む感情を持てない自分にそれが生まれることが果たしてあるのだろうか。
だが心が悲しみに晒され続けたとき、今まで通りの自分でいられるのかもわからない。どこかが壊れておかしくなってしまうかもしれない。それに気づくこともできず狂気を抱き、誰かに殺意を向ける自分など想像すらしたくなかった。
浴室から出ると、部屋には眠っているカストルとポルッカ以外誰もいなかった。加工作業が終わるまでは自由にしてて良いと言われたものの、特にやることもない。
エルヴェは気を紛らわすためにバルコニーへ出て夜風に当たってみることにした。時刻はすでに深夜をまわっていたが、首都というだけあってそれなりに人通りはあるようだ。
「エルヴェ、そこにいたら体が冷えるんじゃないか?」
アイゼアが部屋へ戻ってきたらしく、気遣わしげに声をかけられる。
「大丈夫です。風邪はひきませんので」
「……余計なお世話だったかな?」
アイゼアの少し沈んだ声色に、冷たい物言いをしてしまっただろうかと不安になる。
振り返ると眉尻を下げて微笑むアイゼアの顔が見えた。すぐに言葉を撤回 しようと動揺するエルヴェの隣へアイゼアが並ぶ。
「風邪をひかなくても、髪はきちんと乾かした方が良いと思うな」
上から大きなタオルを被せられ、大きな手でわしゃわしゃと乱雑に髪を拭かれる。
「えっ! あの!」
「いやぁ、つい余計なことしちゃうのが僕の悪い癖でね〜」
「自分で拭けます! 拭けますから!」
「あはは。ポルッカもそうやって嫌がるんだよね」
顔は見えないがアイゼアの声はとても楽しそうで、それ以上何も言えなくなる。
「何か悩んでるのかい?」
「悩みですか?」
「あれからずっと浮かない顔をしてたなーって気になってたんだ」
「心配して下さってありがとうございます。てすがお気になさらず。私の悩みなど些末事 に過ぎません」
悩みを言葉にするつもりはなかった。これは答えの出せる悩みではない。きっとどうしようもなく困らせてしまうだけだとわかっていた。
「それ、もうやめようか」
「何を……でしょうか?」
髪を拭く手が止まり、ポンとタオル越しに手のひらが乗せられる。
「仲間の悩み事が些末事 なわけないよね?」
「仲間と言っても私は所詮 ……」
機械なのですから、という言葉を飲み込んだ。だがその先に何を言おうとしたのかアイゼアに伝わってしまったらしく、まったく……と小さく呟くのが聞こえた。
「人と接するとの同じように接してくれと言ったのは君の方じゃないか。つい数時間前の話のはずなんだけどなー」
「そうでしたね」
かけられていたタオルが回収されていき、視界が開けると困ったように表情を曇らせるアイゼアが目の前にいた。結局困らせてしまった、と罪悪感ばかりが募る。
「小言が言いたいわけじゃないんだ。君がどうしたらこの先、幸せに暮らしていけるか一緒に考えてみようかなって」
「私が、ですか?」
「そう。苦しんででも共に生きてみないかと言ったのは僕だからねー」
アイゼアは普段は飄々 とした態度でそんなふうに感じさせないが、芯は責任感の強い人物だ。それは騎士としての勤務態度や兄妹への接し方からもわかる。発言に責任を持つというのは彼らしくもあるが、それが自分に向けられていることに驚き、思わずじっと顔を覗き込む。
「とりあえず、君は周りの人ときちんと向き合ってないって自覚はあるのかな?」
「それはどういうことでしょうか?」
人の心に寄り添い、尽くすのは本分の一つだ。それなのに向き合っていない、というのは少し心外でもあった。
「君は『人』という括りでしか相手を見ない。『人』という存在そのものに対して尽くそうとしていないかい?」
「しています。それが私の存在意義ですから」
人類の繁栄のため、寄り添い、尽くすために造られたのだ。何の違和感も疑問もない。
「人の中にも生まれや育ち、権力、財力、能力、利用価値……そういったものでしか人を判断しない者がいる。そういう外面的なものでしか判断できていないって点では君も大差ないよ」
感情が強く揺さぶられるのがわかる。確かに『人』という大きな枠組みでしか捉えてこなかった。だが相手を利用しようとか選別しようという意思は毛頭ない。
「不満そうだね。言いたいことがあるなら言えばいい。それともやはり君は『人』には逆らえないのかな?」
アイゼアは不用意に挑発的な物言いをする人物ではない。わざと気持ちを逆撫でする言葉を選んでいるのは明白だった。こちらの感情を大きく揺さぶるのが目的だ。
理解していても反論したくなる感情と本当に口にして良いのかという感情がせめぎ合う。
こちらを見下ろす赤紫色の瞳が部屋から漏れる灯りに妖しく照らしだされる。随分 久々に見る胡散臭 さのある微笑みに、反論したい気持ちが掻き立てられるのは彼の思惑通りなのだろうか。
「人が悪いです。アイゼア様の言っていることは確かにそうかもしれませんが、そういった方々と私では行動原理が真逆なのではないでしょうか」
同じように外面で捉えていも、彼らは自分のため、自分は人々のためなはずなのだ。少し強めに反論したつもりだが、アイゼアは気分を害するどころか嬉しそうに笑っている。
「そういう『嫌』って気持ちをもっと尊重して大切にしてほしいんだ。役目でなく自分の心を」
アイゼアは本当によく人を見ている。表情や声色など表面的な情報から照合して察するのがエルヴェなら、その情報から更に奥にある本質を掬い上げることができるのがアイゼアだ。
彼は今、人とは少し違う難解なこの心に真摯に向き合ってくれている。少しでも理解できるところはないか、変えられるところはないか、と。
「君は人だけじゃなく自分のことも機械だとわりきってる。自分のことも他人のことももっと中身を見るといい。思いとか考え方とか本質とか、そういうものをね」
アイゼアの言いたいことがやっと理解できた。今の自分は、相手の心と自分の心のどちらとも向き合えてない状態だということだ。自分で自分を大切にできなければ、心に向き合ってくれる人がいても意味がない。
先程、アイゼアの気遣いを自ら振り払ってしまったように。結局自分で自分を機械として扱っていることが最も悪循環だと気づかされる。
「自分の心を尊重する……」
それは奉仕型機械人形 としては、本来許されない生き方だ。存在意義を覆 すのは容易ではない。それを覆 すということは、存在価値を失うということでもある。
「もしそれができたら、私は道具のように扱われなくなるのでしょうか? 皆様と同じように自分らしく生きられるのでしょうか?」
「なにそれ。道具みたいに扱われたから何? キミの価値が下がるって?」
少し掠れた女性の声、問いかけに答えたのはアイゼアではなかった。
「ミーリャ様?」
「盗み聞きするつもりなかったけど聞こえた」
ミーリャはいつもの仏頂面のまま、ずんずんとバルコニーへとやって来る。
「他人の目なんかどうでもいいし、自分の価値も生き方も自分で決めなよ。キミが生きたいように生きればいいのに」
「これはまた極論を。まぁ、他人に左右され過ぎるのは良いとは言えないし、間違ってはないんだけど。エルヴェは人と関わって生きたいわけだしね……」
「理解。それで扱われ方を気にしてるんだ。ウチとは真逆」
まるで珍しい動物でも観察するかのように、前のめりになりながらじっくりと見つめてくる。
「あのー、真逆とはどういうことでしょうか?」
自分にない考えに興味を抱き質問すると、ミーリャはズレたメガネの位置を直しながら顔を離す。
「人に好かれようとか、相手の感情なんて自分の力ではどうにもできないし考えるだけ無駄。そんなことよりもっと興味あることあるから」
何かとんでもないことを言い出したような気がし、アイゼアの方を一瞥 すると、驚くでもなく興味深そうに話を聞いている。
「それにキミ、機械の体ならほぼ永遠を生きられる。ウチは逆に羨ましい」
「羨ましい? 周りの方が皆、先に亡くなってしまっても……ですか?」
親しい人に置いていかれ、今日なのか百年後なのか千年後なのかもわからない途方もない先の死を待つ。永遠を生きることがどんな悲しみを伴うか想像できているのだろうか。
「研究者なら一度は考える。この有り余る知識欲と探究心を満たすのに人生は短すぎるって」
ミーリャの言葉は目から鱗だった。人生が足りないという感覚はない。この瞬間に破壊されて全てが終わっても、それを短かったとエルヴェは思わない。
「四の五の言ってもキミは長生きする。人以外に生きる気力が湧くような何かを持つ方がずっといい。人はどうせ先に死ぬし気まぐれだから」
何か別の興味を持とうなどと考えたこともなかった。別の何かを考えようとしても、思い浮かんでくる感じはない。自分の関心の対象はやはりあくまでも人なのだろうか。
「欲求というものは……私にはまだ少し難しい感覚です。知識欲に近いものはありますが、他のものに興味をと仰 られても特に思いつきませんし」
与えるために造られたエルヴェに、自分のために何かを求めるという思考は乏しい。ただもし何か別のものに興味が持てるとすれば、それが何なのかには強い興味がある。
「すぐに答え求めすぎ。難しいからこそ探求しがいがあるのに」
「確かにミーリャの言う事には一理あるね。とりあえずは興味の湧くものを探すこと自体を楽しむのもいいんじゃないかな」
「同感。時間は腐るほどあるんでしょ」
自分の生活はできることばかりに終始していて、新しいものへ自ら率先して飛び込むことはなかった。共に暮らしていた恩人の家主たちが亡くなった後、新たな人との関わりすら求めず、主の存在に縋 ってあの小屋に住み続けていた。
ストーベルの手によって留まる場所を失い、行く宛もなく彼らに同行した。だがその選択は間違っていなかったのだと今になって思う。
「エルヴェの自分探しってヤツだね」
「その言い方、遊び人みたいでウケる」
楽しいイタズラでも思いついたような表情で二人は笑っていた。「外に出てたくさんの人やものに出会いなさい」と言い遺していった家主の思いが、やっと理解できるような気がしていた。外に出たからこそ、この笑顔にも出会えたのだ。
「あの、ありがとうございました」
エルヴェは強い思いを込めて感謝を示す。アイゼアとミーリャへ……そしてここにはいない家主ゼンザイへ向けて。
「礼なんかいいから早く来て。加工した鉱石、これで上手くいくのか早く試したい」
「わかりました。よろしくお願いします」
あまり表情の変わらないミーリャが傍目から見てもウズウズしているのがわかる。
「別にお願いされるほどじゃない。ウチは楽しいし」
「楽しい……ですか?」
「知識欲が満たされるから。そんなふうに言われたらキミは気分良くないかもだけど」
ミーリャはサッと踵 を返し、部屋から出ていく。その背中を呆然としたまま見送った。機械である自分に興味があると言われているのに不思議と嫌な気はしなかった。
「エルヴェ、行かなくていいのかい?」
「あ、そうでした……!」
アイゼアに促され、ミーリャを慌てて追いかけた。これで無事に直れば三人に追いつける。
また共に旅がしたい、力になりたい。破滅を止めて人々の未来を守りたい。この先の未来をもっと生きてみたい。今度は信頼できるたくさんの人に囲まれて。目的意識のなかった心に、小さく思いが芽生え始めていた。
第48話 思イガ「キョウキ」ニナル前ニ 終
「エルヴェ、シャワーお先にいただいたよ。修理は終わった?」
「えぇ、終わりました。私も入ってきます」
荷物の中から着替えを取り出し、脱衣所の中へと入る。汚れた服をさっさと脱ぎ捨て、顔を上げると鏡の中の自分と目が合った。
『アナタの思いは、いつか凶器になる』
あれから何度目かわからないミルテイユの言葉が蘇る。掠れた声が耳にこびりついて離れてくれない。
逃げ込むように浴室に入り、蛇口をめいっぱい捻った。激しく叩きつける水の音と感触が土砂降りの雨のように降ってくる。
砂埃や血飛沫はゆっくりと水に溶けて流れていくが、この言いようのない不安感は洗い流されずに残っている。
『アナタの思いは、いつか凶器になる』
報われない思いはやがて憎しみへ、そして殺意に変わる。その意味をエルヴェは理解できなかった。憎む感情を持てない自分にそれが生まれることが果たしてあるのだろうか。
だが心が悲しみに晒され続けたとき、今まで通りの自分でいられるのかもわからない。どこかが壊れておかしくなってしまうかもしれない。それに気づくこともできず狂気を抱き、誰かに殺意を向ける自分など想像すらしたくなかった。
浴室から出ると、部屋には眠っているカストルとポルッカ以外誰もいなかった。加工作業が終わるまでは自由にしてて良いと言われたものの、特にやることもない。
エルヴェは気を紛らわすためにバルコニーへ出て夜風に当たってみることにした。時刻はすでに深夜をまわっていたが、首都というだけあってそれなりに人通りはあるようだ。
「エルヴェ、そこにいたら体が冷えるんじゃないか?」
アイゼアが部屋へ戻ってきたらしく、気遣わしげに声をかけられる。
「大丈夫です。風邪はひきませんので」
「……余計なお世話だったかな?」
アイゼアの少し沈んだ声色に、冷たい物言いをしてしまっただろうかと不安になる。
振り返ると眉尻を下げて微笑むアイゼアの顔が見えた。すぐに言葉を
「風邪をひかなくても、髪はきちんと乾かした方が良いと思うな」
上から大きなタオルを被せられ、大きな手でわしゃわしゃと乱雑に髪を拭かれる。
「えっ! あの!」
「いやぁ、つい余計なことしちゃうのが僕の悪い癖でね〜」
「自分で拭けます! 拭けますから!」
「あはは。ポルッカもそうやって嫌がるんだよね」
顔は見えないがアイゼアの声はとても楽しそうで、それ以上何も言えなくなる。
「何か悩んでるのかい?」
「悩みですか?」
「あれからずっと浮かない顔をしてたなーって気になってたんだ」
「心配して下さってありがとうございます。てすがお気になさらず。私の悩みなど
悩みを言葉にするつもりはなかった。これは答えの出せる悩みではない。きっとどうしようもなく困らせてしまうだけだとわかっていた。
「それ、もうやめようか」
「何を……でしょうか?」
髪を拭く手が止まり、ポンとタオル越しに手のひらが乗せられる。
「仲間の悩み事が
「仲間と言っても私は
機械なのですから、という言葉を飲み込んだ。だがその先に何を言おうとしたのかアイゼアに伝わってしまったらしく、まったく……と小さく呟くのが聞こえた。
「人と接するとの同じように接してくれと言ったのは君の方じゃないか。つい数時間前の話のはずなんだけどなー」
「そうでしたね」
かけられていたタオルが回収されていき、視界が開けると困ったように表情を曇らせるアイゼアが目の前にいた。結局困らせてしまった、と罪悪感ばかりが募る。
「小言が言いたいわけじゃないんだ。君がどうしたらこの先、幸せに暮らしていけるか一緒に考えてみようかなって」
「私が、ですか?」
「そう。苦しんででも共に生きてみないかと言ったのは僕だからねー」
アイゼアは普段は
「とりあえず、君は周りの人ときちんと向き合ってないって自覚はあるのかな?」
「それはどういうことでしょうか?」
人の心に寄り添い、尽くすのは本分の一つだ。それなのに向き合っていない、というのは少し心外でもあった。
「君は『人』という括りでしか相手を見ない。『人』という存在そのものに対して尽くそうとしていないかい?」
「しています。それが私の存在意義ですから」
人類の繁栄のため、寄り添い、尽くすために造られたのだ。何の違和感も疑問もない。
「人の中にも生まれや育ち、権力、財力、能力、利用価値……そういったものでしか人を判断しない者がいる。そういう外面的なものでしか判断できていないって点では君も大差ないよ」
感情が強く揺さぶられるのがわかる。確かに『人』という大きな枠組みでしか捉えてこなかった。だが相手を利用しようとか選別しようという意思は毛頭ない。
「不満そうだね。言いたいことがあるなら言えばいい。それともやはり君は『人』には逆らえないのかな?」
アイゼアは不用意に挑発的な物言いをする人物ではない。わざと気持ちを逆撫でする言葉を選んでいるのは明白だった。こちらの感情を大きく揺さぶるのが目的だ。
理解していても反論したくなる感情と本当に口にして良いのかという感情がせめぎ合う。
こちらを見下ろす赤紫色の瞳が部屋から漏れる灯りに妖しく照らしだされる。
「人が悪いです。アイゼア様の言っていることは確かにそうかもしれませんが、そういった方々と私では行動原理が真逆なのではないでしょうか」
同じように外面で捉えていも、彼らは自分のため、自分は人々のためなはずなのだ。少し強めに反論したつもりだが、アイゼアは気分を害するどころか嬉しそうに笑っている。
「そういう『嫌』って気持ちをもっと尊重して大切にしてほしいんだ。役目でなく自分の心を」
アイゼアは本当によく人を見ている。表情や声色など表面的な情報から照合して察するのがエルヴェなら、その情報から更に奥にある本質を掬い上げることができるのがアイゼアだ。
彼は今、人とは少し違う難解なこの心に真摯に向き合ってくれている。少しでも理解できるところはないか、変えられるところはないか、と。
「君は人だけじゃなく自分のことも機械だとわりきってる。自分のことも他人のことももっと中身を見るといい。思いとか考え方とか本質とか、そういうものをね」
アイゼアの言いたいことがやっと理解できた。今の自分は、相手の心と自分の心のどちらとも向き合えてない状態だということだ。自分で自分を大切にできなければ、心に向き合ってくれる人がいても意味がない。
先程、アイゼアの気遣いを自ら振り払ってしまったように。結局自分で自分を機械として扱っていることが最も悪循環だと気づかされる。
「自分の心を尊重する……」
それは奉仕型
「もしそれができたら、私は道具のように扱われなくなるのでしょうか? 皆様と同じように自分らしく生きられるのでしょうか?」
「なにそれ。道具みたいに扱われたから何? キミの価値が下がるって?」
少し掠れた女性の声、問いかけに答えたのはアイゼアではなかった。
「ミーリャ様?」
「盗み聞きするつもりなかったけど聞こえた」
ミーリャはいつもの仏頂面のまま、ずんずんとバルコニーへとやって来る。
「他人の目なんかどうでもいいし、自分の価値も生き方も自分で決めなよ。キミが生きたいように生きればいいのに」
「これはまた極論を。まぁ、他人に左右され過ぎるのは良いとは言えないし、間違ってはないんだけど。エルヴェは人と関わって生きたいわけだしね……」
「理解。それで扱われ方を気にしてるんだ。ウチとは真逆」
まるで珍しい動物でも観察するかのように、前のめりになりながらじっくりと見つめてくる。
「あのー、真逆とはどういうことでしょうか?」
自分にない考えに興味を抱き質問すると、ミーリャはズレたメガネの位置を直しながら顔を離す。
「人に好かれようとか、相手の感情なんて自分の力ではどうにもできないし考えるだけ無駄。そんなことよりもっと興味あることあるから」
何かとんでもないことを言い出したような気がし、アイゼアの方を
「それにキミ、機械の体ならほぼ永遠を生きられる。ウチは逆に羨ましい」
「羨ましい? 周りの方が皆、先に亡くなってしまっても……ですか?」
親しい人に置いていかれ、今日なのか百年後なのか千年後なのかもわからない途方もない先の死を待つ。永遠を生きることがどんな悲しみを伴うか想像できているのだろうか。
「研究者なら一度は考える。この有り余る知識欲と探究心を満たすのに人生は短すぎるって」
ミーリャの言葉は目から鱗だった。人生が足りないという感覚はない。この瞬間に破壊されて全てが終わっても、それを短かったとエルヴェは思わない。
「四の五の言ってもキミは長生きする。人以外に生きる気力が湧くような何かを持つ方がずっといい。人はどうせ先に死ぬし気まぐれだから」
何か別の興味を持とうなどと考えたこともなかった。別の何かを考えようとしても、思い浮かんでくる感じはない。自分の関心の対象はやはりあくまでも人なのだろうか。
「欲求というものは……私にはまだ少し難しい感覚です。知識欲に近いものはありますが、他のものに興味をと
与えるために造られたエルヴェに、自分のために何かを求めるという思考は乏しい。ただもし何か別のものに興味が持てるとすれば、それが何なのかには強い興味がある。
「すぐに答え求めすぎ。難しいからこそ探求しがいがあるのに」
「確かにミーリャの言う事には一理あるね。とりあえずは興味の湧くものを探すこと自体を楽しむのもいいんじゃないかな」
「同感。時間は腐るほどあるんでしょ」
自分の生活はできることばかりに終始していて、新しいものへ自ら率先して飛び込むことはなかった。共に暮らしていた恩人の家主たちが亡くなった後、新たな人との関わりすら求めず、主の存在に
ストーベルの手によって留まる場所を失い、行く宛もなく彼らに同行した。だがその選択は間違っていなかったのだと今になって思う。
「エルヴェの自分探しってヤツだね」
「その言い方、遊び人みたいでウケる」
楽しいイタズラでも思いついたような表情で二人は笑っていた。「外に出てたくさんの人やものに出会いなさい」と言い遺していった家主の思いが、やっと理解できるような気がしていた。外に出たからこそ、この笑顔にも出会えたのだ。
「あの、ありがとうございました」
エルヴェは強い思いを込めて感謝を示す。アイゼアとミーリャへ……そしてここにはいない家主ゼンザイへ向けて。
「礼なんかいいから早く来て。加工した鉱石、これで上手くいくのか早く試したい」
「わかりました。よろしくお願いします」
あまり表情の変わらないミーリャが傍目から見てもウズウズしているのがわかる。
「別にお願いされるほどじゃない。ウチは楽しいし」
「楽しい……ですか?」
「知識欲が満たされるから。そんなふうに言われたらキミは気分良くないかもだけど」
ミーリャはサッと
「エルヴェ、行かなくていいのかい?」
「あ、そうでした……!」
アイゼアに促され、ミーリャを慌てて追いかけた。これで無事に直れば三人に追いつける。
また共に旅がしたい、力になりたい。破滅を止めて人々の未来を守りたい。この先の未来をもっと生きてみたい。今度は信頼できるたくさんの人に囲まれて。目的意識のなかった心に、小さく思いが芽生え始めていた。
第48話 思イガ「キョウキ」ニナル前ニ 終