前章─復讐の先に掴む未来は(1)
「この部屋に仕掛けます」
研究所の最下層、最奥部の部屋。メリーは爆薬の入った鞄からスイッチだけを取り出し、残りを鞄ごと機材の裏へ忍ばせる。
それよりもスイウはこの部屋の異様な光景に目が離せなくなっていた。先程入った部屋の三倍の広さがある天井の高い大部屋に、ずらりと並んだ大きなガラス張りのカプセルが三十基以上ある。その中は胎児とよくわからない液体で満たされている。一部のカプセルには「廃棄処分」と書かれた紙が雑に貼られていた。
人というのはどこまで残酷で傲慢 で愚かなのだろうか。その底知れぬ罪深さには毎度、心底辟易 させられてきた。
「ここまで研究が進んでたんですね」
机に置かれたファイルの中身を確認しながらメリーは呟く。
「これは良い証拠になりそうです」
この異様な光景を気に留めることもなく、淡々と事を進めるメリーは図太さを通り越していっそ不気味にすら思えた。
「この部屋は何の実験をしてるんだ?」
カプセルと、机の周辺にある僅かな機材や道具以外は特に何もない。
「優秀な個体を作ってるんじゃないですか? 父の納得のいく個体が生まれたって話は聞いたことありませんし。最後に研究所に来たときはまだ研究段階だったはずなんですけどね。今は実用化されて人工的に作れるようになってるみたいです。これなら全員満月生まれにすることも可能ですし、効率が良いんでしょうね」
満月生まれ──霊族の魔力は血筋と個人差ともう一つ、月齢が大きく関係する。誕生するタイミングを制御することで、確実に大きな魔力を持つ子供を作っているということだ。その質問にも当然と言わんばかりにメリーは答えた。
コツコツと鳴るその靴音が妙に響いて聞こえた。
「ここにいる胎児はみんな私の兄弟ですね。八十三番……私、八十三人兄弟みたいですよ?」
メリーは一番端にあるカプセルのラベルをまじまじと見つめてから、スイウに向き直る。
「マジで狂ってるな…お前の親父も」
お前自身も、という言葉は飲み込んだ。
「あはは、私もそう思います」
力なく笑う顔に諦めの感情が色濃く滲む。こんな環境と隣り合わせでずっと暮らしてきたのだろうか。
だとすれば、兄妹に危害を加えられて怒りの感情を持てるメリーは、まだだいぶまともな精神を保っている方だろう。まともな部分を捨てられないからこそ、諦めるわけにはいかないものもあるのかもしれない。
現にメリーは何かに突き動かされてここまで来ている。変えられない境遇と残酷な現実に向き合う姿は、僅かだが気の毒に感じられた。
人の死に触れ続けて五十年以上、いろんな人を見るうちに段々と何も感じなくなっていたと思っていたが──
フッとスイウの思考が遮られる。人の気配だ。だんだんと近づいてくるその気配に警戒を強める。数は二人。
『侵入者が……み……いだ……召集……かか……ときに……んで』
『まさ……警護が薄……なって……が漏れ……か?』
スイウの耳は人よりも良い。耳を澄ますと、遠くの気配の会話が微かに聞こえた。
「どうしました?スイウさん」
「遠くで会話が聞こえた。相手に気づかれてる……気配が近づいてくるな」
メリーは取り乱すでもなく、じっと考えるような素振りをみせ覚悟を決めるかのようにまっすぐな視線を向けてくる。
「一か八か掛けます。私に任せてスイウさんは堂々としててください」
スイウは視線を合わせ、頷く。ここはメリーの考えに任せることにする。
「この部屋から見て右から気配を感じる」
部屋入口から角にかけての廊下付近に気配がないのは幸いだ。
「わかりました。少し遠くなりますが左から行きますね」
このまま見つからずすんなりと脱出できるのがベストだ。気配は極力抑え、過剰に警戒はせずに進む。地下三階から二階へ上がる。一階への階段へ向かう途中、左前方の角から強い気配を感じた。
「メリー、左前方」
声を潜めて知らせる。だが引き返せば階下での遭遇は免れられない。
「このまま行きます」
どうせ遭遇するなら出口に近い方が良いと判断したのだろう。小さな返事のあと、そこから数秒遅れて白衣の男を一人視認する。相手もこちらの姿を認識するとあからさまに警戒の色を強めた。
「何者だ! 止まれ!」
男が叫ぶ。魔力を纏い始め、臨戦態勢に入った。それに臆することなくメリーはコツコツと優雅に歩み出る。
「何者とはなんです? 私はマール・クランベルカですよ」
メリーは小さな何かを取り出しながら凛とした声で言い放つと男は突然警戒を弱めた。
「そのピンバッジは間違いなく……! 申し訳ありません、クランベルカ家のご息女と知らず。ですがなぜこのような場所へ?」
メリーの右手には金色の小さなピンバッジ。相手の反応から察するに、このピンバッジを持てるのはクランベルカの血を引く者だけなのだろう。
「ストーベル様に直接ご報告したいことがありまして……どちらへ?」
終始落ち着いた様子で語りかけるメリーはとても演技には見えない。堂々としてるようにと言われたが、開き直って配下のフリをするつもりだったということか。
「そういうことでしたか。ストーベル様は一昨日ここを発たれたのでこちらにはおりません。どこに向かっておられるかも我々は存じ上げておりませんので……」
「そうでしたか。親切にありがとうございました」
「いえいえ! 少しでもお役に立てて光栄でございます」
メリーは丁寧に頭を下げると、一階の階段へ向けて歩き出す。
「あの、マール様。こちらの方は?」
その問いかけに歩を止め、メリーは柔らかく微笑みかける。
「腕の立つ方なので、私が部下として雇っているのです」
「そうでしたか。引き止めて申し訳ありませんでした」
男はスイウたちとは反対の方向へ歩いていく。ホッとしたような表情をしていたあたり、何とかやり過ごせたようだ。
無事に研究所から脱出し、足早に離れる。
「上手く騙しきれて良かったですね」
メリーは胸に手を当て、緊張の解けない面持ちで呟く。随分堂々とした対応だっただけに、緊張したのは自分だけかと思ったがそうでもなかったらしい。
「あぁ。思ってたより上手くやってくれて助かった」
スイウが労うと、ようやく安心したのかホッとしたような笑みを浮かべていた。
「フードマントの色を指摘されたらどうしようかと思いましたが、家紋のピンバッジの力が強くて助かりました。兄弟が多いことも良い方向に働いてくれましたね」
「マールってのもお前の兄弟なのか」
「そうです。昔一緒に住んでいた姉で、たぶん亡くなってるはずです。研究員なら把握してないでしょうし」
うーんと唸る様子からも、だいぶ古い記憶を辿っているらしい。だからといって相手が把握してないという確証はない。
「把握してたらどうするんだよ……」
そんな不確かな情報で賭けに出たのかと内心ヒヤリとする。
「八十三人、カプセルの数を引いても五十前後はいるんですよ? 一人一人全員なんて名前どころか生死すら実の兄弟でも把握できてないくらいなんです。あの若い研究員が知るわけないですよ」
メリー自身も兄弟の数を把握してないような反応をしていたことを思い出し、その考えもあながち間違いではないように思えた。
小高い丘まで逃げ、振り返るとすでに研究所が随分小さく見える。メリーは鞄からリモート式の爆薬のスイッチを取り出す。それを押せば、あの研究所と中にいる人の命全てが奪われる。親指がスイッチにかかる直前、スイウは口を開く。
「お前、人を殺すことに躊躇 いはないのか?」
深い意味はないが、なんとなく気になって聞いてみたくなった。
「当然ありますよ。あるに決まってるじゃないですか……スイウさんはあの研究所を見てどう思いました?」
「いや、どうって言われてもな」
みるみる感情の色を失っていくメリーの瞳は、底が見えない深海のように仄暗 く冷たい。
「研究員たちは命を命とも思ってない。それにあのカプセルの兄弟たちも生まれるべきじゃない。私はそう思いました。ただ、それだけです」
カチリ、と固い音がする。メリーは何の感慨もない表情で押した。研究所は一瞬にして赤く半球状に膨れ上がり、少し遅れて轟音と爆風が二人を襲う。
「そういうのを躊躇 いがないって言うんだけどな」
というスイウの呟きは爆発の轟音と爆風にかき消される。
メリーは怯むことなく、研究所のあった場所を記憶に焼き付けるように見つめている。紺色の瞳にはただだだ爆散していく研究所の姿が映っていた。
やがて風はやみ、辺りは次第に夜の静寂を取り戻す。爆発力は十分過ぎるほどだった。跡地に散らばる瓦礫と抉られた地形からは、もう生命の気配を感じられない。おそらく死んだのだろうという漠然とした現実に、スイウもまた、何も感じるところはなかった。
ただあの研究所の胎児たちは死んだとき、冥界のどこに送られるのだろうか。スイウはそれだけが少し気になった。
第3話 反撃開始(2) 終
研究所の最下層、最奥部の部屋。メリーは爆薬の入った鞄からスイッチだけを取り出し、残りを鞄ごと機材の裏へ忍ばせる。
それよりもスイウはこの部屋の異様な光景に目が離せなくなっていた。先程入った部屋の三倍の広さがある天井の高い大部屋に、ずらりと並んだ大きなガラス張りのカプセルが三十基以上ある。その中は胎児とよくわからない液体で満たされている。一部のカプセルには「廃棄処分」と書かれた紙が雑に貼られていた。
人というのはどこまで残酷で
「ここまで研究が進んでたんですね」
机に置かれたファイルの中身を確認しながらメリーは呟く。
「これは良い証拠になりそうです」
この異様な光景を気に留めることもなく、淡々と事を進めるメリーは図太さを通り越していっそ不気味にすら思えた。
「この部屋は何の実験をしてるんだ?」
カプセルと、机の周辺にある僅かな機材や道具以外は特に何もない。
「優秀な個体を作ってるんじゃないですか? 父の納得のいく個体が生まれたって話は聞いたことありませんし。最後に研究所に来たときはまだ研究段階だったはずなんですけどね。今は実用化されて人工的に作れるようになってるみたいです。これなら全員満月生まれにすることも可能ですし、効率が良いんでしょうね」
満月生まれ──霊族の魔力は血筋と個人差ともう一つ、月齢が大きく関係する。誕生するタイミングを制御することで、確実に大きな魔力を持つ子供を作っているということだ。その質問にも当然と言わんばかりにメリーは答えた。
コツコツと鳴るその靴音が妙に響いて聞こえた。
「ここにいる胎児はみんな私の兄弟ですね。八十三番……私、八十三人兄弟みたいですよ?」
メリーは一番端にあるカプセルのラベルをまじまじと見つめてから、スイウに向き直る。
「マジで狂ってるな…お前の親父も」
お前自身も、という言葉は飲み込んだ。
「あはは、私もそう思います」
力なく笑う顔に諦めの感情が色濃く滲む。こんな環境と隣り合わせでずっと暮らしてきたのだろうか。
だとすれば、兄妹に危害を加えられて怒りの感情を持てるメリーは、まだだいぶまともな精神を保っている方だろう。まともな部分を捨てられないからこそ、諦めるわけにはいかないものもあるのかもしれない。
現にメリーは何かに突き動かされてここまで来ている。変えられない境遇と残酷な現実に向き合う姿は、僅かだが気の毒に感じられた。
人の死に触れ続けて五十年以上、いろんな人を見るうちに段々と何も感じなくなっていたと思っていたが──
フッとスイウの思考が遮られる。人の気配だ。だんだんと近づいてくるその気配に警戒を強める。数は二人。
『侵入者が……み……いだ……召集……かか……ときに……んで』
『まさ……警護が薄……なって……が漏れ……か?』
スイウの耳は人よりも良い。耳を澄ますと、遠くの気配の会話が微かに聞こえた。
「どうしました?スイウさん」
「遠くで会話が聞こえた。相手に気づかれてる……気配が近づいてくるな」
メリーは取り乱すでもなく、じっと考えるような素振りをみせ覚悟を決めるかのようにまっすぐな視線を向けてくる。
「一か八か掛けます。私に任せてスイウさんは堂々としててください」
スイウは視線を合わせ、頷く。ここはメリーの考えに任せることにする。
「この部屋から見て右から気配を感じる」
部屋入口から角にかけての廊下付近に気配がないのは幸いだ。
「わかりました。少し遠くなりますが左から行きますね」
このまま見つからずすんなりと脱出できるのがベストだ。気配は極力抑え、過剰に警戒はせずに進む。地下三階から二階へ上がる。一階への階段へ向かう途中、左前方の角から強い気配を感じた。
「メリー、左前方」
声を潜めて知らせる。だが引き返せば階下での遭遇は免れられない。
「このまま行きます」
どうせ遭遇するなら出口に近い方が良いと判断したのだろう。小さな返事のあと、そこから数秒遅れて白衣の男を一人視認する。相手もこちらの姿を認識するとあからさまに警戒の色を強めた。
「何者だ! 止まれ!」
男が叫ぶ。魔力を纏い始め、臨戦態勢に入った。それに臆することなくメリーはコツコツと優雅に歩み出る。
「何者とはなんです? 私はマール・クランベルカですよ」
メリーは小さな何かを取り出しながら凛とした声で言い放つと男は突然警戒を弱めた。
「そのピンバッジは間違いなく……! 申し訳ありません、クランベルカ家のご息女と知らず。ですがなぜこのような場所へ?」
メリーの右手には金色の小さなピンバッジ。相手の反応から察するに、このピンバッジを持てるのはクランベルカの血を引く者だけなのだろう。
「ストーベル様に直接ご報告したいことがありまして……どちらへ?」
終始落ち着いた様子で語りかけるメリーはとても演技には見えない。堂々としてるようにと言われたが、開き直って配下のフリをするつもりだったということか。
「そういうことでしたか。ストーベル様は一昨日ここを発たれたのでこちらにはおりません。どこに向かっておられるかも我々は存じ上げておりませんので……」
「そうでしたか。親切にありがとうございました」
「いえいえ! 少しでもお役に立てて光栄でございます」
メリーは丁寧に頭を下げると、一階の階段へ向けて歩き出す。
「あの、マール様。こちらの方は?」
その問いかけに歩を止め、メリーは柔らかく微笑みかける。
「腕の立つ方なので、私が部下として雇っているのです」
「そうでしたか。引き止めて申し訳ありませんでした」
男はスイウたちとは反対の方向へ歩いていく。ホッとしたような表情をしていたあたり、何とかやり過ごせたようだ。
無事に研究所から脱出し、足早に離れる。
「上手く騙しきれて良かったですね」
メリーは胸に手を当て、緊張の解けない面持ちで呟く。随分堂々とした対応だっただけに、緊張したのは自分だけかと思ったがそうでもなかったらしい。
「あぁ。思ってたより上手くやってくれて助かった」
スイウが労うと、ようやく安心したのかホッとしたような笑みを浮かべていた。
「フードマントの色を指摘されたらどうしようかと思いましたが、家紋のピンバッジの力が強くて助かりました。兄弟が多いことも良い方向に働いてくれましたね」
「マールってのもお前の兄弟なのか」
「そうです。昔一緒に住んでいた姉で、たぶん亡くなってるはずです。研究員なら把握してないでしょうし」
うーんと唸る様子からも、だいぶ古い記憶を辿っているらしい。だからといって相手が把握してないという確証はない。
「把握してたらどうするんだよ……」
そんな不確かな情報で賭けに出たのかと内心ヒヤリとする。
「八十三人、カプセルの数を引いても五十前後はいるんですよ? 一人一人全員なんて名前どころか生死すら実の兄弟でも把握できてないくらいなんです。あの若い研究員が知るわけないですよ」
メリー自身も兄弟の数を把握してないような反応をしていたことを思い出し、その考えもあながち間違いではないように思えた。
小高い丘まで逃げ、振り返るとすでに研究所が随分小さく見える。メリーは鞄からリモート式の爆薬のスイッチを取り出す。それを押せば、あの研究所と中にいる人の命全てが奪われる。親指がスイッチにかかる直前、スイウは口を開く。
「お前、人を殺すことに
深い意味はないが、なんとなく気になって聞いてみたくなった。
「当然ありますよ。あるに決まってるじゃないですか……スイウさんはあの研究所を見てどう思いました?」
「いや、どうって言われてもな」
みるみる感情の色を失っていくメリーの瞳は、底が見えない深海のように
「研究員たちは命を命とも思ってない。それにあのカプセルの兄弟たちも生まれるべきじゃない。私はそう思いました。ただ、それだけです」
カチリ、と固い音がする。メリーは何の感慨もない表情で押した。研究所は一瞬にして赤く半球状に膨れ上がり、少し遅れて轟音と爆風が二人を襲う。
「そういうのを
というスイウの呟きは爆発の轟音と爆風にかき消される。
メリーは怯むことなく、研究所のあった場所を記憶に焼き付けるように見つめている。紺色の瞳にはただだだ爆散していく研究所の姿が映っていた。
やがて風はやみ、辺りは次第に夜の静寂を取り戻す。爆発力は十分過ぎるほどだった。跡地に散らばる瓦礫と抉られた地形からは、もう生命の気配を感じられない。おそらく死んだのだろうという漠然とした現実に、スイウもまた、何も感じるところはなかった。
ただあの研究所の胎児たちは死んだとき、冥界のどこに送られるのだろうか。スイウはそれだけが少し気になった。
第3話 反撃開始(2) 終