前章─復讐の先に掴む未来は(1)

「フィロメナ、アイゼアをカストルに運ばせて撤退しろ。ここは俺とメリーだけでしのぐ」

 冷気をまとったスイウの刀が閃くのが見える。メリーは杖を虚空から呼び出し、右手に握った。戦力バランスや全員の状況を考慮すれば、ここをスイウと二人で凌ぐのはやむを得ない。すでに多数の気配が包囲するかのようにじわじわと近づきつつある。

「囲まれる前に行けっ」

 フィロメナが頷く。同時にカストルがアイゼアを抱え上げ、二人を守るようにして走り出す。森が開ける場所までは然程さほど距離もなく、脱出するのに時間はあまりかからないはずだ。
 メリーは打ち漏らさないよう注意しながら、魔術で敵の進路を妨害ぼうがいする。

随分ずいぶん嬉しそうだな、どうした?」
「スイウさんと二人だけなら久々に遠慮なく殺れそうだなって思っただけです」
「遠慮? お前はいつだって全力で殺る気満々だろうが」
「そんなふうに思われてたなんて心外ですね」

 無闇に殺すなと言われ、研究所ではともかく外では気をつけていたというのに。それなりに。

「心外? ははっ、面白い冗談だな」

 スイウは珍しく声を上げて笑いながらこちらを一瞥いちべつした。地面にはスイウの手によって無残に命を散らせた死体がいくつも散乱している。

 メリーが広範囲に魔術を展開して動きを封じ、スイウが確実に撃破することで先遣隊は想定していたよりも早く片付いた。以前より連携が上手くいっているのかもしれない。

 次に備え、いつでも魔術を放てるよう魔力を杖に貯め込みながら思う。自分はこんなにも簡単に人の命を奪えてしまうのだと。
 ストーベルの部下というだけで良心も痛まない。幼い頃からの訓練で、命を奪うということに対して普通の人より麻痺まひしている自覚はさすがにある。

 だがアイゼアと対面したとき、迷いがあったのは事実だ。もしこちらへ武器を向けるようなら殺さなければと思っても、いざそうなったときに躊躇ためらわないかと聞かれれば自信はなかった。クランベルカ家の教えでは、それを『弱さ』と呼ぶ。

「一気に来る、構えろ」

 スイウの声に物思いにふけっていた意識が引き戻される。スイウは右を、メリーは左を。互いに背を預けて立つ。一瞬の静寂のあと、周囲から複数人の魔力を寄り集めた魔術攻撃が一斉に放たれる。

 それをかわすこともなく杖で一度地面を突くと、メリーを中心に波紋のように炎の波が広がっていく。時間をかけて練られた炎が掃射された魔術を打ち消し、木々を焼き払った。

 威力を減衰させながらも拡大していく炎に、潜んでいた敵が文字通り炙り出される。メリーとスイウは分かれ、接近戦で敵を殺していく。

 杖を逆手に持ち、一人めは首を跳ね、二人めは振り向きざまに目から脳天へ向けて貫き、迫ってくる三人めは威力を圧縮した火球を頭部に至近距離でねじ込む。最小最短で片付けるなら、やはり頭部が最も効果的だ。

 クランベルカ家の一員として訓練してきたメリーにとって、血族外の構成員の練度などたかが知れている。どれだけ数を揃えようと一度足並みさえ崩してしまえば恐れるものはない。殲滅せんめつするまでに時間はかからないだろう。
 このまま少しずつ撤退しようかと思っていたとき、突然背後から聞こえた拍手の音に振り返る。

「お見事、相変わらずの強さで恐れ入る」

男が一人、こちらへ近付いてくるのが見える。

 クランベルカ家の証のピンバッジ、メリーと同じ薄紅色の髪、氷のように冷たく澄んだ水色の瞳。メリーはこの男をよく知っている。
 腹違いで同い年の兄、カーラントだ。同い年の彼とは何度も顔を合わせ、一時同じ場所で暮らしていたこともある。

「私があなたに模擬戦で勝てたことがなかったのを、つい思い出してしまったよ」
「なら殺されにわざわざ出向いてくれたんですか? 嬉しいですね」
「それは幼い頃の話だ。魔力をぶつけるだけしか能のないあなたと一緒にしないでもらいたい。当然勝てる算段はつけてきてる」
「私をそう評価してるなら足元掬われますよ」
「ほう……それは実に楽しみだ」

 カーラントはほくそ笑みながら虚空から双剣を呼び出す。メリーの知っているカーラントは双剣ではなく片手剣を使用していた。
 次期当主候補の一人であったカーラントが剣術を学んでいても不思議ではないのだが、会わない間に武器を変えたらしい。接近戦主体に切り替えたのならあまり得意ではない相手だ。

「それにしても彼は想定より持たなかったみたいだ。完全に計算が狂ってしまったよ。こうなるとわかっていればもっと早くこちらへ来たというのに。これでは実験の経過もわからず終いか……」

 カーラントは深々とため息をついた。彼らというのはアイゼアたちのことを指しているのだろう。

「実験ってのは、このくだらない薬物のことですか? こんなもので足止めさせようと?」

 アイゼアから奪ったピルケースをチラつかせる。元よりアイゼアがこちらを殺すことは期待していなかったようだ。薬物の被験体を兼ねて、使い捨てで利用したのだろう。彼の弟と妹を思う気持ちを逆手に取って。
 アイゼアの話していた家族の話はメリーの憧れそのものだった。それをストーベル共に潰されるのはしゃくどころの話ではない。明確な殺意を覚える程に腹立たしかった。

「あなたが持っていたのか。彼はちゃんと被験体をしてくれてたのか? 効果と副作用は?」
「教えるわけない。身体強化、毒を効果として利用するなんて正気じゃない。ミュール兄さんの体も投薬実験で壊しておきながら、こんなことばかり繰り返して……本当にくだらない」

 込み上げる怒りと憎しみに杖を強く握りしめる。膠着こうちゃくした状態を打開するため火球を飛ばそうとしたが、なぜか不発に終わった。魔力もまだ戦えるくらいは残っていたはずだが、いつもの感覚が全くない。まるで人間になってしまったのではないかと錯覚するほど、自分の中に魔力というものを感じなかった。

「おや、どうした?」

 カーラントのわざとらしい声が耳に障る。魔力が使えない、こんなことは今までになかった。何か魔術で封じられているのかと思ったが、カーラントから魔力を感じられない。いや、魔力がなくなったのなら感じる術もなくなったという可能性もある。

 勝てる算段というのはこのことか、と悔しさに奥歯を噛みしめた。とにかく何らかの方法で封じられた魔力を取り戻す必要がある。だが今のメリーの戦闘力は杖術が使える普通の人間と考えて遜色そんしょくないほどに話にならない状態だった。

「スイウさんっ」

 助けを求めるも、返事はなく姿も見えない。この空間にはメリーとカーラント、先程殺したばかりの死体が転がっているだけだ。

「一緒に戦っていた男ならジューンを追っていったが……さて、どうする?」

 スイウがいなくなったことに全く気づかなかった。形勢の悪さに背中がじっとりと汗ばむ。
 カーラントは地面を蹴り、一気にこちらへ距離を詰めてくる。咄嗟とっさに投げナイフを放って牽制するも、剣に弾かれた。

 左右から繰り出される剣撃を必死で避ける。杖で応戦するものの、魔術が使えず防戦一方だ。次第に息は上がり、避けきれなかった小さな切り傷が少しずつ痛みと共に体へ刻まれていく。

「そろそろ本気を出させてもらおうか」

 辺り一面が朱の光に染まると凄まじい熱がメリーを襲った。ここに留まっていては危険だと判断し、森の奥へと走る。背中にじりじりと熱を感じて振り返ると、どろりとした溶岩が死体も木々も飲み込んで追いかけてくるのが見えた。

 カーラントは当主候補の一人ということもあり魔力量は確かに豊富だ。だがそれでも、詠唱も触媒もなくここまで強大な魔術を扱えるような人ではなかった。

 茂みに足を取られながらも前へ前へと走り続ける。溶岩に飲み込まれれば死しかない。森の先に光が見えた。開けた場所へ出るのかもしれない。
 そう思ったのも束の間、その先に待っていたのもまた溶岩だった。


第41話 戦うは己が理想の為か(1)  終
60/100ページ
スキ