前章─復讐の先に掴む未来は(1)
──遠い昔、人類には罰が下った。
災禍 の魔書は人々の欲望と魂を喰らい、終わりなき冬を呼び覚ます。
角笛が終焉を告げるとき、無の王が降臨する。
そうして人々は死に絶えた。──
ティム・パーシング著『終焉の黄昏と世界の再誕』
第一章「終焉の始まり」より抜粋。
日が暮れ、すっかり暗くなった部屋に、ストーブの炎だけがスイウとメリーの横顔をぼんやりと照らしていた。
スイウは自身の目的とグリモワールとはどんなものか、その二点に絞って事情を一通り話し終えたが、メリーは目を見開いたまま完全に停止していた。
冥界と魔族、天界と天族、災禍の魔書グリモワール。メリーはその全てがおとぎ話の中でしか聞いたことがない単語だと言った。
そして今、スイウの頭には到底似合いもしない可愛らしい猫の耳が生えている。背中の後ろに隠れている尻尾をメリーに見えるようにゆらゆらと揺らすと、視線だけが動きに合わせてついてくる。『おとぎ話じゃないなら何か証明してください』そう言われて渋々、耳と尻尾を可視化してやったのだ。
メリーは最初何度も目を擦ったり、瞬きしたり、頬をつねったりと忙しない様子で耳と尻尾を凝視し、やがて完全に停止してしまったというのが一連の流れだ。
獣の特徴を体に持つのは魔族の証だということは理解しているらしく、動揺がこちらにも伝わってくる。
「あの、えーっと……何と言えば……失礼だとわかってて聞きますけど、やっぱりその耳とか、体を張ったギャグってわけではないですよね?」
「ギャグ? お前、なかなか良い度胸してるな?」
今のスイウの姿は、メリーにとって滑稽 に見えるらしい。正直自分自身もそう思ってる部分があるせいか否定はできなかった。
そろりと伸びてきたメリーの手をスイウは払いのける。
「あっ……本物か確かめてみたいので触っても──
「ダメに決まってんだろ」
スイウはメリーの声を遮って却下し、触られる前に耳と尻尾を消すことにした。そもそも許可より先に手を伸ばすのはどうなのか。
「んー……残念です」
眉間にシワを寄せるスイウをよそに、メリーはがっかりしたような表情を隠さず肩を落とす。
「触れたら信じても良いんですけどね?」
スイウの頭上に向けられた名残惜しそうな視線に気づき、無言で睨みつけてやると、メリーは冗談です、と苦笑した。
「スイウさんの話、信じます。不利な従者側契約をした理由も魔族ってことなら理解できますし」
「話が早くて助かる」
スイウが話したのは自身の目的とそれに関する最低限の情報だけだったが、知り得る情報の中で推測して答えを出したのだろう。不利な従者側での契約を自ら進んで結んだ理由はメリーの言う通りだ。
魔族は太陽の光に灼かれると死んでしまう。人の魔力や生命力を糧とし、人を依代とすることで地上界でも通常通りの活動ができるようになる。契約できなければ死活問題で、その有利不利に構っている余裕などなかったのだ。
「そういえばグリモワールの情報は何もないんですか?」
「相手が行動するまではお手上げ状態だ。それまではお前の目的のために動くしかない」
本当に情けない話だと心の中で呟く。スイウは行き詰まった現状を紛らわせるように、苛立たしげに前髪を掻き上げた。
「それもそうですね。ありがとうございます」
「はぁ?」
何かどうなってこのタイミングで礼を言ってきたのか、スイウには全く理解できなかった。
「あ、そろそろ時間ですよ」
メリーがそう告げると同時に壁掛け時計の鐘が十回室内に響く。十時、出発の時間だ。メリーが爆破装置の入った鞄を小脇に抱えたのを確認し、外へ出る。
すっかり冷え切った夜空には無数の星。昨日よりも少しだけ太くなった月が浮かんでいる。二人は顔を見合わせて一つ頷くと、クランベルカ家のメラングラム研究所へ向かった。
周囲に民家のない郊外はすっかり人気がなく、静まり返っている。だだっ広い平原にぽつんと随分小さな白レンガ造りの建物が見えた。メリー曰くあれが研究所らしい。裏手の森に潜み、周囲を警戒する。
「ショボい研究所だな……」
「メインは地下ですから。上の建物はハリボテのようなもんです。と言っても、ここは元々他に比べてあまり規模は大きくないらしいんですけどね」
「複数あんのかよ」
地下に研究所を隠しているということは、やはりあまり表立ってできる研究はしていないのだろう。そんな研究所が他にもあるというだけでげんなりした。
「で、メリーの親父は何の研究をやってるんだ?」
「クランベルカの血を引いた優秀な魔術士を作るためだったと記憶してます。霊族社会では魔術の才能が全てですから」
ペシェとミーリャもそんなような話をしていたなと思い出す。才能が全てというのであれば、メリーの父親の研究テーマ自体は普遍的なもののはずだろう。ただメリーの事情を顧みれば、研究方法が黒すぎるということだ。
「その研究のためにお前の兄妹を?」
「おそらくは。ただ、私も具体的に何をしてるかは知らなくて。私たち子供は父の研究のために養育されてて、能力によって用途が違うんです。当主候補か、それ以外は材料だったり、手駒だったり、実験体だったり」
やはり、と思った。冥界で地獄の管理をしていると、時々道具のように消費されて死んだ人が来ることがあった。淡々と語るメリーの横顔が彼らの顔と重なる。
「お前の親父、無茶苦茶過ぎるだろ」
「父と呼ぶのも何かしっくりこないですけどね」
まるで他人事のようにケロッとしているメリーに感心する。このくらいの図太さがあるからこそ、妙な環境でも自分の価値観で生きてこられたのかもしれない。
「周囲に人の気配もありませんし、見張りも正面だけですね。昔来たときより随分人が少ない感じがしますが……」
「そりゃ幸運だな。研究内容見るついでに何か弱みになりそうなもんでも奪ってやるか」
「え?」
「徹底的に潰すなら、手段は多く準備した方が良いだろ? 物理的に潰すか社会的に潰すか」
スイウはニヤリと笑ってみせると、メリーは驚いたように目を見開く。
「私の事情、気にかけてくれてたんですね」
「俺は傲慢 なヤツが悔しがるのを見るのが趣味なんだ。グズグズしてないでとっとと行くぞ」
「はい」
極力気配を消し、裏の小さな通用口まで忍び寄る。扉の隙間から中を伺い、速やかに侵入する。メリーはこの研究所へ来るのは初めてではないらしく、内部構造についてもだいたいは頭に入っていると言っていた。
先導をメリーに任せ、後方を警戒しながら進む。地下施設は白レンガの温かさはなく、無機質な洋灰質の壁が続いている。廊下は静まり返り、ほぼ人の気配がしない。人が少ないと言っていたメリーの言葉はあながち間違いではないらしい。
しばらく進み、一つ目の部屋へ入る。中には大きな機材がいくつかあり、机の上には星晶石 が乱雑に散らばっている。
「ここは何の部屋だ?」
「魔晶石 に関する研究をしてたみたいですね」
メリーは研究資料をパラパラとめくりながら、周囲の機材を観察する。
「……魔晶石? これは星晶石じゃないのか?」
スイウは手近な石を一つ手に取り、照明に透かして見る。見た目は星晶石と何も変わらない。澄んだ青い光を放つこの石には水属性の力が宿っているのだろう。
「星晶石は天然で採掘されるもので、魔晶石は魔力を集約させて作った人工の星晶石のことです。流通してるのはほとんど魔晶石ですね」
「じゃあこれは水霊族 の魔力か水属性を集めて作ったってことか」
「もしくは、水霊族に魔力を注ぎ続けて作ったか」
「は?」
スイウはメリーの言っている意味がわからなかった。
「霊族は許容量以上の魔力を身体に溜めると解離して死ぬんじゃなかったか?」
霊族は魔力が飽和しても枯渇しても、『解離』という体が自然に還る現象を起こして死ぬ。魔力を注ぎ続けるということは限界を越えて解離が始まる、少なくともスイウはそう認識している。
「その通りです。だから解離を起こしても更に魔力を注ぎ続けて、解離している体ごと固めるんです。そうすると通常よりも大きな魔力を秘めた魔晶石ができるんですよ」
メリーは淡々と語るが、それを実証するために犠牲になった霊族がいるというのが現実だ。
「へぇ。血も涙もないな」
「そうです──
「……メリー?」
魔晶石を机へ戻し、突然言葉を止めたメリーへと視線を移す。無言で機械の台座の上にある石をじっと見つめているようだ。視線を辿るようにして、スイウも台座の石を見る。赤、青、緑、黄がマーブル模様に混じり合っている気味の悪い石だ。
『キメラ』
その石を見たとき、ふと頭の中に一つの単語が浮かぶ。何か大切なことを忘れているような気がして、妙に胸がざわついた。薄気味悪い感覚が迫り上がってくるのをメリーの一声が現実へ引き戻す。
「次へ行きましょう。あと一部屋だけ確認して爆破しましょう。ミュール兄さんの気配も感じませんし、この人の少なさ……ここにはいない気がします」
メリーは機材のセンサーを手際良く解除すると、台座の石を鞄に押し込み、次の部屋を目指した。
第3話 反撃開始(1) 終
角笛が終焉を告げるとき、無の王が降臨する。
そうして人々は死に絶えた。──
ティム・パーシング著『終焉の黄昏と世界の再誕』
第一章「終焉の始まり」より抜粋。
日が暮れ、すっかり暗くなった部屋に、ストーブの炎だけがスイウとメリーの横顔をぼんやりと照らしていた。
スイウは自身の目的とグリモワールとはどんなものか、その二点に絞って事情を一通り話し終えたが、メリーは目を見開いたまま完全に停止していた。
冥界と魔族、天界と天族、災禍の魔書グリモワール。メリーはその全てがおとぎ話の中でしか聞いたことがない単語だと言った。
そして今、スイウの頭には到底似合いもしない可愛らしい猫の耳が生えている。背中の後ろに隠れている尻尾をメリーに見えるようにゆらゆらと揺らすと、視線だけが動きに合わせてついてくる。『おとぎ話じゃないなら何か証明してください』そう言われて渋々、耳と尻尾を可視化してやったのだ。
メリーは最初何度も目を擦ったり、瞬きしたり、頬をつねったりと忙しない様子で耳と尻尾を凝視し、やがて完全に停止してしまったというのが一連の流れだ。
獣の特徴を体に持つのは魔族の証だということは理解しているらしく、動揺がこちらにも伝わってくる。
「あの、えーっと……何と言えば……失礼だとわかってて聞きますけど、やっぱりその耳とか、体を張ったギャグってわけではないですよね?」
「ギャグ? お前、なかなか良い度胸してるな?」
今のスイウの姿は、メリーにとって
そろりと伸びてきたメリーの手をスイウは払いのける。
「あっ……本物か確かめてみたいので触っても──
「ダメに決まってんだろ」
スイウはメリーの声を遮って却下し、触られる前に耳と尻尾を消すことにした。そもそも許可より先に手を伸ばすのはどうなのか。
「んー……残念です」
眉間にシワを寄せるスイウをよそに、メリーはがっかりしたような表情を隠さず肩を落とす。
「触れたら信じても良いんですけどね?」
スイウの頭上に向けられた名残惜しそうな視線に気づき、無言で睨みつけてやると、メリーは冗談です、と苦笑した。
「スイウさんの話、信じます。不利な従者側契約をした理由も魔族ってことなら理解できますし」
「話が早くて助かる」
スイウが話したのは自身の目的とそれに関する最低限の情報だけだったが、知り得る情報の中で推測して答えを出したのだろう。不利な従者側での契約を自ら進んで結んだ理由はメリーの言う通りだ。
魔族は太陽の光に灼かれると死んでしまう。人の魔力や生命力を糧とし、人を依代とすることで地上界でも通常通りの活動ができるようになる。契約できなければ死活問題で、その有利不利に構っている余裕などなかったのだ。
「そういえばグリモワールの情報は何もないんですか?」
「相手が行動するまではお手上げ状態だ。それまではお前の目的のために動くしかない」
本当に情けない話だと心の中で呟く。スイウは行き詰まった現状を紛らわせるように、苛立たしげに前髪を掻き上げた。
「それもそうですね。ありがとうございます」
「はぁ?」
何かどうなってこのタイミングで礼を言ってきたのか、スイウには全く理解できなかった。
「あ、そろそろ時間ですよ」
メリーがそう告げると同時に壁掛け時計の鐘が十回室内に響く。十時、出発の時間だ。メリーが爆破装置の入った鞄を小脇に抱えたのを確認し、外へ出る。
すっかり冷え切った夜空には無数の星。昨日よりも少しだけ太くなった月が浮かんでいる。二人は顔を見合わせて一つ頷くと、クランベルカ家のメラングラム研究所へ向かった。
周囲に民家のない郊外はすっかり人気がなく、静まり返っている。だだっ広い平原にぽつんと随分小さな白レンガ造りの建物が見えた。メリー曰くあれが研究所らしい。裏手の森に潜み、周囲を警戒する。
「ショボい研究所だな……」
「メインは地下ですから。上の建物はハリボテのようなもんです。と言っても、ここは元々他に比べてあまり規模は大きくないらしいんですけどね」
「複数あんのかよ」
地下に研究所を隠しているということは、やはりあまり表立ってできる研究はしていないのだろう。そんな研究所が他にもあるというだけでげんなりした。
「で、メリーの親父は何の研究をやってるんだ?」
「クランベルカの血を引いた優秀な魔術士を作るためだったと記憶してます。霊族社会では魔術の才能が全てですから」
ペシェとミーリャもそんなような話をしていたなと思い出す。才能が全てというのであれば、メリーの父親の研究テーマ自体は普遍的なもののはずだろう。ただメリーの事情を顧みれば、研究方法が黒すぎるということだ。
「その研究のためにお前の兄妹を?」
「おそらくは。ただ、私も具体的に何をしてるかは知らなくて。私たち子供は父の研究のために養育されてて、能力によって用途が違うんです。当主候補か、それ以外は材料だったり、手駒だったり、実験体だったり」
やはり、と思った。冥界で地獄の管理をしていると、時々道具のように消費されて死んだ人が来ることがあった。淡々と語るメリーの横顔が彼らの顔と重なる。
「お前の親父、無茶苦茶過ぎるだろ」
「父と呼ぶのも何かしっくりこないですけどね」
まるで他人事のようにケロッとしているメリーに感心する。このくらいの図太さがあるからこそ、妙な環境でも自分の価値観で生きてこられたのかもしれない。
「周囲に人の気配もありませんし、見張りも正面だけですね。昔来たときより随分人が少ない感じがしますが……」
「そりゃ幸運だな。研究内容見るついでに何か弱みになりそうなもんでも奪ってやるか」
「え?」
「徹底的に潰すなら、手段は多く準備した方が良いだろ? 物理的に潰すか社会的に潰すか」
スイウはニヤリと笑ってみせると、メリーは驚いたように目を見開く。
「私の事情、気にかけてくれてたんですね」
「俺は
「はい」
極力気配を消し、裏の小さな通用口まで忍び寄る。扉の隙間から中を伺い、速やかに侵入する。メリーはこの研究所へ来るのは初めてではないらしく、内部構造についてもだいたいは頭に入っていると言っていた。
先導をメリーに任せ、後方を警戒しながら進む。地下施設は白レンガの温かさはなく、無機質な洋灰質の壁が続いている。廊下は静まり返り、ほぼ人の気配がしない。人が少ないと言っていたメリーの言葉はあながち間違いではないらしい。
しばらく進み、一つ目の部屋へ入る。中には大きな機材がいくつかあり、机の上には
「ここは何の部屋だ?」
「
メリーは研究資料をパラパラとめくりながら、周囲の機材を観察する。
「……魔晶石? これは星晶石じゃないのか?」
スイウは手近な石を一つ手に取り、照明に透かして見る。見た目は星晶石と何も変わらない。澄んだ青い光を放つこの石には水属性の力が宿っているのだろう。
「星晶石は天然で採掘されるもので、魔晶石は魔力を集約させて作った人工の星晶石のことです。流通してるのはほとんど魔晶石ですね」
「じゃあこれは
「もしくは、水霊族に魔力を注ぎ続けて作ったか」
「は?」
スイウはメリーの言っている意味がわからなかった。
「霊族は許容量以上の魔力を身体に溜めると解離して死ぬんじゃなかったか?」
霊族は魔力が飽和しても枯渇しても、『解離』という体が自然に還る現象を起こして死ぬ。魔力を注ぎ続けるということは限界を越えて解離が始まる、少なくともスイウはそう認識している。
「その通りです。だから解離を起こしても更に魔力を注ぎ続けて、解離している体ごと固めるんです。そうすると通常よりも大きな魔力を秘めた魔晶石ができるんですよ」
メリーは淡々と語るが、それを実証するために犠牲になった霊族がいるというのが現実だ。
「へぇ。血も涙もないな」
「そうです──
「……メリー?」
魔晶石を机へ戻し、突然言葉を止めたメリーへと視線を移す。無言で機械の台座の上にある石をじっと見つめているようだ。視線を辿るようにして、スイウも台座の石を見る。赤、青、緑、黄がマーブル模様に混じり合っている気味の悪い石だ。
『キメラ』
その石を見たとき、ふと頭の中に一つの単語が浮かぶ。何か大切なことを忘れているような気がして、妙に胸がざわついた。薄気味悪い感覚が迫り上がってくるのをメリーの一声が現実へ引き戻す。
「次へ行きましょう。あと一部屋だけ確認して爆破しましょう。ミュール兄さんの気配も感じませんし、この人の少なさ……ここにはいない気がします」
メリーは機材のセンサーを手際良く解除すると、台座の石を鞄に押し込み、次の部屋を目指した。
第3話 反撃開始(1) 終