前章─復讐の先に掴む未来は(1)

 ──リー……メリー……起きて、メリー。

 誰かが名前を呼ぶ声がする。涼やかな風が優しく頬を撫でていく感触に、微睡まどろんでいた意識が少しずつ覚醒していく。

「あ、起きた」

 少し重く感じるまぶたを開くと、やや派手な化粧の女性がいた。

 いや、女装なだけで男性……か。メラングラムで別れた友人の一人だ。よく手入れされたうぐいす色の髪が、サラリと零れる。

「アンタ、大丈夫?」
「ペシェ……なんでここに?」
「それはこっちのセリフよ。アタシたちはこの森に身を隠してただけ」

 体を起こすと森の中だった。目が眩むほどの美しい緑と遠巻きに空色の花。その空色の花が赤錆あかさびの色に汚れているのが見えた。

空色の花。タリアの花──

 瞬間、意識を失う前の記憶が頭の中を駆け巡る。

 花の中に投げ出されて転がった。舞い上がる空色の花弁。不穏な笑み。妖艶で感情の見えない、絡め取られるような赤紫の瞳。銀髪の騎士と長槍。

「アイゼアさんっ」

思わず名前が口をついて出る。

「アイゼア……?」
「騎士のっ。銀髪の男の人、見てないですか!?」
「誰それ、見てないわよ。アタシが見たのはアンタ含めて四人だけ。とにかくちょっと落ち着きなって」

反射的に立ち上がったメリーをペシェがなだめる。

 見たのは自分を含めて四人。周囲を見回すと隣にスイウとフィロメナが眠っていた。少し離れたところにエルヴェともう一人の友人──ミーリャの姿を見つける。これで四人だ。

 だが怪我もなく穏やかに眠る二人とは対照的に、エルヴェの体は血に染まっていた。酸化した血はすでに赤錆あかさびのように変色している。腕が千切れ、その断面から何か長い紐のようなものが数本伸びていた。

 目を閉じている彼から生気というものを全く感じられない。頭から血の気が引いていくのがわかる。ドクドクと早鐘を打つ鼓動の音だけが耳を支配していた。どうか生きていてほしいという一心でエルヴェに近づき覗き込む。

 腕から伸びているのは配線のようだった。胸も貫かれていたが、血は一滴も流れておらず中に金属質の何かが見える。それがエルヴェが人ではないことを物語っていた。
 だからこそその血が全て返り血なのだとわかる。相手はアイゼアだろうか。

「起きたんだ。早速聞きたいんだけどこの子、何?」
「いや、何って聞かれても……エルヴェさんとしか」

 知らなかった。今まで人間だと信じ、全く疑ったこともなかった。エルヴェの見た目も振る舞いも何もかも、メリーの知り得る機械の範疇はんちゅうを軽く超越している。黙り込んだメリーを見てミーリャは淡々と解説を始めた。

「信じられないけどこの子、古代魔工学で造られてる。機械人形アンドロイドって呼ばれてる人型の機械で、古代人は機械人形アンドロイドと共生してたって古い文献がある」
「アンドロイド?」
「うん。今まで僅かな記述しかなくて。でも実物で間違いないと思う……記述と照らし合わせるとすごくしっくりくる。それにここまで人と寸分違わずに造る技術なんて現代にはないから」

 魔工学を研究しているミーリャにはかなり興味深く見えるのか、食い入るように細部まで観察している。

「でも古代人が滅びたって言われてるのは最低でも千年以上前の話ですよ。文献も遺跡もほとんど現存してませんし」
「さすがにウチでも何で残ってるのかとか、ちゃんと動いてたのかまではわからない」

 千年を優に超える古代の遺産とは思えないほどあまりにも綺麗な体だ。エルヴェにまつわる予想の話全てに、信じられないという思いでいっぱいになった。

「ねぇ。この子とどのくらい一緒にいた? 機械って気づかなかった?」
「全然……感情もありますし、受け答えもしっかりしてました。食事もとってたくらいなんです」
「そんなとこまで再現してたのは何でだろ。動力自体は外部から魔力を集めて変換してるみたい。この機構はホントにすごい……」

 メリーはエルヴェが鉱山で捕まったときに殺されなかった理由を理解した。それを言い淀んでいたということは、エルヴェはきっと自分が機械であることを他の人に知られたくない事情があったのだろう。

 なぜかと問いたくても、本人にはもうそれを語る術がない。壊れる最後の瞬間まで一人で戦い、守り抜いてくれた。彼自身が語らずとも普段の様子や言葉から、たった一人で立ち向かったであろう姿が見えるようだった。

 薄汚れてしまった頬をそっと撫でると、人と同じ柔らかな肉感と酷く冷え切った感触が手のひらに伝わってくる。

「エルヴェさんは……こんなに冷たくなかった」

 思わず口から零れた言葉に胸が締め付けられた。彼の手がとても温かかったことはしっかりと覚えている。
 今のこれは、まるで死体だ。悔しさと申し訳なさがじわじわと胸に痛みを与える。

「あっち二人も起きたわ。ここにいるのもアレだし移動しよ」

 ペシェはこちらへ寄るとすぐにエルヴェを抱え上げる。メリーたちはペシェに促され、その後ろをついていった。迷いの森も地霊族のミーリャがいれば迷うことはない。




 連れてこられたのはつたや草木で建てられた小屋だった。二人はここで潜伏していたらしい。森の中にポツンと不自然極まりないな、と心の中で呟く。

「ウチの魔術で造った」

 地術と草術を合わせて造られた小屋は、入ってみると意外と広く感じた。

「精霊に頼んで人を寄せ付けないようにしてある。ゆっくり休んで」
「ありがとう」

 礼の言葉になど一切興味のないミーリャは、早速動かないエルヴェと向かい合っていた。

「ねぇ、メリー。この二人は誰なの?」

 フィロメナは妙に落ち着きのない様子でそわそわとしながら尋ねてくる。

「私の学生時代の友人ですよ」
「アタシはペシェ、あっちの子はミーリャよ」
「そうだったのね。あたしはフィロメナ、よろしく」

 二人は握手を交わす。フィロメナもホッとしたのか少しだけ落ち着きを取り戻した。

機械人形アンドロイドか……人らしくないとは思ってたが。まぁ納得」
「スイウは気づいてたの?」
「気配のないヤツだと常々思ってただけだ。別に全部お見通しってわけじゃない」
「そう……あたしは突然過ぎて信じられないわ。でも人か機械かなんて関係ない。エルヴェは体を張ってあたしたちを助けてくれた。でなきゃ今頃……」

 スイウもフィロメナも神妙な面持ちでエルヴェを見つめている。命を救われたということもあり、それぞれ思うところがあるようだった。

「ミーリャ、エルヴェさんは元に戻りそうですか? くれぐれも分解だけはやめてくださいね」
「しないよ。でも直るかはまだわかんない。とりあえず故障箇所の究明から順にやる」
「よろしくお願いします」

 メリーはこれ以上邪魔にならないように、二人をペシェのいる方へ行くように促す。

「今後の方針なんだが俺に一つ案がある。花が血で汚れてたのは覚えてるか?」

スイウはいつになく真剣な眼差しでこちらを向く。

「あの血痕と血の臭いを追ってみる。何かわかるかもしれないしな」
「ちょっと待った」

その提案に異論を唱えたのはペシェだ。

「血痕はまだ理解できるけど、臭いって何よ。臭いって」
「そのままの意味だ。俺は臭いでも追えないことはない」
「アンタ何者なのよ……」

 ペシェは人間離れしたスイウの能力に苦笑しつつ、上着のポケットから何かを取り出しスイウに手渡す。

「予備もあるし一台貸してあげるわ。ヴェッラの森を歩くなら必要でしょ」

それはアイゼアが持っていた精霊のまやかしを払う機械によく似ていた。

「一人で行きますか?」
「あぁ。その方が身軽で良い。契約に支障の出るほどの距離でもないだろ」
「わかりました」

 メリーは魔力を集中させ、使い魔を二羽呼び出す。エナガを模した使い魔が一羽、スイウの頭の上にちょこんと飛び乗った。

「何かあれば報せてください」
「わかった。居所が掴めたらすぐに戻る」

必要なことだけ話し終わるとスイウはすぐに小屋を出ていった。




 フィロメナはじっと遠くからエルヴェを見つめ続けている。

「ねぇメリー。やっぱり機械に治癒術は効かないかしら?」

 治癒術については知られてないことも多く、知識は少ない。それでも生き物に施術するものだという認識はあった。

「さすがに無理だと思いますが……」
「そう。あたしはエルヴェに何もしてあげられないのね」

 切なそうにうつむくフィロメナに胸の内側が疼く。思えば、エルヴェに治癒術を施すところを見たことがなかった。エルヴェが大きな怪我をしなかったというのもあるが。

 突然ペシェがフィロメナの手を掴み、前のめりになって食い入るように見つめている。

「治癒術!? 今、治癒術って言ったわよね! 天族にしか使えない奇跡の力を人が使えるなんて……ぜひ見せてくれない?」

 ペシェの目がいつになく輝いている。どうやら研究者魂に火がついてしまったらしい。そういえば二人はスイウやフィロメナの正体を知らなかったのだと今頃思い出す。

 新魔術の研究をしているペシェにとって、治癒術という響きはさぞ魅惑的に聞こえたことだろう。フィロメナはあまりの勢いに気圧されけ反っていた。

「えっ、えーっと……あたし人じゃなくて天族なんだけど」
「本物!?」
「やってみせた方が早いわね」

 フィロメナの背から翼が生えると手をかざし、エルヴェに治癒術をかけていく。驚くことに、機械の部分はそのままだが、表面を覆う肌の部分はゆっくりと修復してくる。

「これが治癒術……」

 ゴクリとペシェが生唾を飲み込む音が聞こえる。それよりも機械の体に治癒術が効いてる方がメリーには不思議に思えた。その光景に全員が驚いていると、エルヴェの目がゆっくりと開く。

「あれ、私は……」
「エルヴェ! 意識が戻ったの?」

首を動かしエルヴェはこちらを見つめる。

「すみません、ご迷惑をおかけしました。ご無事で本当に良かったです」
「それはこっちの台詞よ。おかげで命拾いしたわ」
「ありがとうございます、エルヴェさん」

 お礼を言われ、エルヴェは少しだけ恥ずかしそうに笑った。だがその顔がすぐに曇る。

「フィロメナ様、治癒術はお止め下さい。治癒術の魔力が動力として供給されて目覚めただけですから。止めればまた私は動かなくなります。延々と魔力を無駄にしてほしくはないのです」
「そんな……」
「どうか聞き入れて下さい。でなければ貴女が倒れてしまいます」

 やんわりとエルヴェの右手がフィロメナの手を拒絶する。エルヴェは再び眠りにつくことを恐れていないようだった。

「お願いします」

フィロメナはうつむきながら治癒術を止める。

「アイゼア様は……?」
「わからない。目が覚めたときにはいなかったわ」
「そうですか。最期に一つ、私の願いを聞いて下さい。アイゼア様は去り際に涙を流していらっしゃいました。何か止むに止まれぬ事情があるのだと思います。どうかお願いです……彼を助けていただけませんか。それからもし叶うなら、アイゼア様を斬りつけたこと……謝ってお、い……て……」

 ゆっくりとまぶたが閉じていき、言葉を最後まで紡げずに停止する。ベッドから落ちそうになる体を支え、再び寝かせた。

 真剣な、とても機械とは思えないほどの感情をたたえた瞳だった。助けてほしいと願う姿がフランの最期と重なる。
 話からもエルヴェを破壊したのは間違いなくアイゼアなのだとわかる。だがどうして助けてあげてほしいなどと思えるのだろうか。それが不思議で仕方なかった。

「あたし、アイゼアのこと許さないわ……」

 前に立っているフィロメナの背中が震えている。その背をゆっくりとさするとうつむいていた顔が前を向く。

「止むに止まれぬ理由って何なのよっ。首根っこ捕まえてでも連れてきてエルヴェに謝らせてやるんだから!」

 キッと振り返り、大粒の涙を流すフィロメナにメリーは頷いてみせる。

「そうですね。そのときは額を地面に叩きつけてやりましょうか」
「もー、メリー。あたしそこまでは言ってないわよ」
「そうですか?」

フィロメナはごしごしと涙を拭いながら苦笑する。

 アイゼアが涙を流していたというエルヴェの言葉。そして斬りつけたことへの謝罪。メリーたちが眠っている間に戦闘があり、何か言葉を交わしたのだろう。

 アイゼアの事情は当然わからない。だが他でもない殺された当人がアイゼアを助けてほしいと願うなら、やはり叶えてあげたいとも思う。今の自分がエルヴェにしてあげられることはそれだけなのだから。

 罠にかかり、ただ眠っていただけの自分に何の責任もないとは思わない。もっと早くタリアの花だと見抜かなければならなかった。油断と慢心に足元を掬われたのだ。たとえ裏切られたのだとしても、何度もアイゼアに助けられてきた事実も変わるわけではない。

 ふと、闘技場で彼と組んだときのことを思い出す。連携と戦略の大切さをアイゼアはとても丁寧に教えてくれたことを覚えている。

『僕は君のこと信じてみることにした』

そう言っていた。

 クランベルカ家の血縁者だと知っても、騎士団に突き出されることはなかった。本当にストーベル側についていたのなら、目障りなメリーを騎士団に引き渡して強制送還にでもすれば良かったはずだ。

 ミュールと対峙したネレスの研究所でストーベルはメリーを殺す気だった。ならばアイゼアがそこでこちらを殺さなかった理由もまるでわからない。つまり少なくともその時点では裏切るつもりなどなかったのではないだろうか。

 エルヴェの言葉も含めれば、何か考えを変えさせるようなことがアイゼアの身に起きたと考えることもできる。
 しかし自分が今のアイゼアを信じられるかと聞かれれば、手放しに信じることはできない。最初から裏切るつもりだった可能性を完全に否定することはできない。

 立ち塞がる者は殺さなければストーベルまで辿り着けない。ならばアイゼアを殺すべきだ。だがそれは話を聞いてからでも遅くはない……と信じたかった。
 メリーは魔力を使い魔へと送る。

「スイウさん、アイゼアさんと会っても殺さないようにお願いします。何だかワケアリみたいなんで」
『はぁ? ワケアリかどうかなんて関係ないだろ』

可愛らしいエナガの使い魔が低い声で悪態をつく。

「エルヴェさんが、アイゼアさんが涙を流していた……何か事情があるから助けてあげてほしいと。あと、斬りつけたことを謝ってほしいとも言ってました。とにかくもし会ったら何か会話してみてください」
『めんどくさっ。エルヴェは何考えてんだ……つーか、もう直ったのか?』
「いえ、そういうわけではないのですが。詳しいことは戻ってきたときに話しますね」
『はいはい』

魔力を切断すると、使い魔のエナガが静かになる。

「なるほど。これは魔工学者の血が騒ぐ」
「テンション低いミーリャがいつになく燃えてるわね」
「今ので動力部じゃなくて供給部の損傷だってわかった。魔力から動力への変換も問題なく処理されてるみたいだし。ウチ、これから修理に必要な資材を探してくる」

 ミーリャはサッと立ち上がり、出かける準備に取り掛かる。

「私がついていきます」

メリーは大きなかばんを下げたミーリャの後ろへと続く。

「いってくる」
「いってきます。エルヴェさんのこと守ってくださいね」
「もっちろん。いってらっしゃ〜い」

ひらひらとペシェが手を振る。

「じゃ、アタシはフィロメナちゃんから治癒術の話、たーっぷり聞かせてもらおっかなー」
「えっ……えぇーっっ!!」

 満面の笑みのペシェとがっちりと両肩を掴まれ悲鳴を上げるフィロメナを小屋に残して、メリーとミーリャはサントルーサへと向かった。


第37話 冷たいその体は  終
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