前章─復讐の先に掴む未来は(1)

 メリーと契約する前は歩くこともままならなかったメラングラムの街をスイウは悠々と歩く。情報収集がしたいと言って街へ出てきたが、厄災の種が散ってからまだ半日。めぼしい情報は得られなかった。

 この広い地上界で顔も名前も知らない犯人をシラミ潰しに探すのは途方もない。何人の魔族がこちらへ送り込まれたのかはわからないが、無事に契約相手を見つけられなければ身動きはとれない。他人をあてにするわけにもいかなかった。

クロミツは今何をしているのだろうか。

 別れ際のクロミツの顔を思い出す。風のように自由で勝手気ままなやつだが、要領も愛想も良い。自分より上手くやっているのは確実だろう。

 問題はグリモワールの行方だ。犯人の情報もない、全く手がかりなしの状態なのだ。グリモワールが人の願いを叶えることで、人が魔物化して暴れるか、魔物が大量発生でもすれば情報が流れてくるはずだ。

 直接聞き込みをしたり、立ち話を盗み聞きしたり、情報屋も訪ねてはみたが収穫は皆無だった。後手に回らざるを得ない現状に頭を抱える。


 そうしている間にすっかり日は傾き、空は緋色から柔らかな紫色へと変化しつつあった。冥界の空によく似た黄昏色の中に、鋭利に尖った細長い月が浮かんでいる。黄昏に浮かぶ月を見て、メリーの姿が頭を過った。

『危害を加えられたら焼き殺せば良い』

 腕を掴まれたときメリーはそう考えていた。まさか本心がスイウに見透かされていたなどと微塵みじんも思ってもいないだろうと思うと愉快で堪らない。

 そして自分をまっすぐ睨むあの目と、纏う魔力。あの善良そうな顔で、瞳の奥にはゾッとするような殺意を宿していた。
 戦うことや殺すことに躊躇いがないのはスイウにとって好都合だ。多少の倫理観の欠如などどうでも良い話で、問題は使えるヤツかそうでないか、戦力になるかならないかだけだ。

「『黄昏の月』……か」

 スイウは小さく呟き、ほんの僅かに笑みを浮かべる。メリーが契約相手として好条件だった理由はそれとは別にある。

 それが『黄昏の月』だ。月食の日に生まれた霊族をそう呼び、その魔力には冥界の気が混じる。これを精霊や天界の天族は忌み嫌うが、妖魔のような冥界寄りの精霊は好み、冥界に住む魔族もまた例外ではない。

 メリーはそれに加えて魔力量も豊富だ。スイウは自分の運の良さに内心ほくそ笑む。魔力があるということは魔術士としての戦闘能力にも期待できる証でもある。

 あとはこちらの事情をメリーにどう伝えるか、どこまで伝えるかだけだ。より彼女の能力を引き出せるように、積極的に協力してもらえるように。スイウは思考を巡らせながら帰路についた。



 翌日の早朝には既に爆薬と装置が完成していた。想像していたよりずっと早い仕事に、ペシェとミーリャの有能さが伺える。

 二人はこれから魔術鉄道で港町のポルティカへ向かい隣国のセントゥーロ王国へ渡る。それ以降どこへ逃げるのかは聞いていないが、その時間を稼ぐために作戦決行は今晩になった。

「メリー、しくじるんじゃないよ」
「死ぬのはダメ、ウチらも必ず逃げきる」
「当然です。二人も、くれぐれも気をつけて」

 出立の準備を終えたペシェとミーリャに別れの挨拶をし、見送る。大きく手を振る二人の姿が路地裏の角に消えていった。


 室内へ戻ると、一睡もしていなかったメリーは長いソファの上に横になっていた。顔が少し青白く、かなり疲れているのは傍目から見てもわかるほどだ。契約を結んだことでスイウに魔力が微量に流れてしまうことに慣れていないのも原因の一つだろう。

「スイウさん、日が暮れてきたら起こしてもらえませんか?」
「あぁ。お前が知りたがってた話もそろそろしておかないとな。少し早めに起こす」
「お願いします……」

 メリーは小さく返事をすると目を閉じた。立っている意味もないので、スイウも向かいのソファに座る。
時間を持て余しているのがもったいないが、一人にして万が一寝込みを襲撃されたらひとたまりもない。

 契約の従者側は依代よりしろにしている主人側が死ぬと一緒に消滅してしまう。だから例え時間をどんなに持て余そうと、ここに一人で置いて再度情報収集に行く気にはならなかった。

 間もなくメリーの規則正しい寝息が小さく聞こえ始める。話す内容について思案しながら、ぼんやりとメリーを眺めていると寒そうに僅かに身じろいだ。それを見て、この部屋の室温があまり高くないことに気づく。

 あらゆる感覚に鈍感な魔族でも、この街がかなり寒いことはわかる。ストーブを焚いてはいるが日の光があまり入らないせいか、なかなか室温が上がらないようだ。

 スイウは自分の隣にあるくしゃくしゃのまま置かれたブランケットを掴むと、メリーの上にかけてやった。
 こんなところで体調を崩されては元も子もない。これからはゆっくりと睡眠を取れるとは限らない。今のうちに休ませておかなければ後々面倒事になるのは明白だ。

 自己回復機能に優れる魔族と違って、人の身体はかなり脆弱ぜいじゃくにできている。メリーを死なせれば自分も消滅する。それを忘れないようにしなければ。管理を怠れば足元を掬われるのは自分自身だ。

「厄介だな……」

スイウの小さな呟きはストーブの炎の音に消えていった。


第2話 協力者(2)  終
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