前章─復讐の先に掴む未来は(1)

 必要な買い物を済ませ、宿舎への帰路についたのは正午より少し前のことだった。もうすぐで宿舎へ着くというところで

「メリーの目が覚めたみたいだな」

と、淡々とスイウが呟いた。

 同時に宿舎へ向かって走り出す。その後ろを慌ててアイゼアとエルヴェは追った。

「それは本当なのかい?」
「あぁ。大声で何か言ってるからよく聞こえる」
「急ぎましょう!」

宿舎の門をくぐると、フィロメナが駆け寄ってくるのが見えた。

「メリーの様子が変で……騎士の人たちが何とか抑えててくれてるけどっ。とにかく早く!」
「わかった。すぐに行こう」

 メリーの目が覚めたとき、少なからず取り乱すのではないかという不安が的中してしまったのだと確信する。だが想定していたより早い目覚めだ。フィロメナも連れ、全速力で部屋まで辿り着く。数人の騎士が部屋の入り口を塞いでいるのが見える。

「アイゼアさん! 良かった……彼女全然俺たちの話を聞いてくれなくって」

 ほとほと困ったといった様子で一人の騎士が声をかけてくる。

「僕たちが話をしてみるよ」

 そう答え、アイゼアたちは部屋の中へと入った。部屋の中には杖を構え、物々しい雰囲気のメリーがこちらをにらんでいる。その杖で何をするつもりだったのだろうか。

「どうして私の邪魔をするんですか」
「邪魔? 君は一体何をしようとしてるんだい?」
「ストーベルを殺しに行く以外に何かあると思いますか?」

 紺色の瞳は夜の闇のようにくらく、どろりとまとわりつくような憎悪が潜む。落ち着けと言っても素直に聞いてはくれないだろう。まずは否定するつもりはないということをわかってもらわなければ。

「殺しに行くってことは、ストーベルの居場所がわかったってことかな?」
「それはわかりません。ですが、このままじっとしてるなんてできません。きっと近くにいるはずなんです」

 その言葉でこの不可解な行動の理由の全てがわかる。湧き上がる感情の行き場がないのだ。

「はず……か。それって根拠はないってことだよね」
「研究所に幻影がいたんです。その場にはいなくても、そう遠くはないはずです」
「と言っても、それは昨日の昼の話だけどね。メリーが起きるまで丸一日、本当にまだ近くにいると思うかい?」
「丸一日……?」

メリーはそれ以上言葉を返してこなかった。

「焦る必要はないさ。必ず機会は来る」
「そんな悠長に構えてる暇なんてないっ!!」

 メリーの剥き出しの激情がアイゼアへと叩きつけられる。だがこちらが感情を乱してはいけない。あくまで落ち着いた静かな声色で話を続ける。

「向こうも君を野放しにしておくとは思えないし、次は絶対に勝てるよう周到に準備しておく方が賢明だと思うけどね」
「周到な準備?」

 そう呟くとメリーはベッドに腰掛け、自分の手のひらを凝視していた。とりあえず杖を構えるのをやめたことに静かに胸を撫で下ろす。フィロメナとエルヴェも顔を見合わせホッとしているようだった。
 ただ一人、スイウだけは険しい表情のままメリーを見つめている。入り口の前にいた騎士たちもしばらく様子を見届けたあと、それぞれ戻っていった。

 室内が静まり返る。それでも誰一人部屋を出ていこうとはしなかった。またいつメリーが暴走するかわからないと思っているのは自分だけではないのかもしれない。そんな中、メリーが沈黙を破る。

「スイウさん、精霊降ろしをしてください」

 魔術に関する専門用語なのだろうが、アイゼアは精霊降ろしという単語に馴染みがない。ただスイウとフィロメナの顔を見れば、何かとんでもないことを言い出したのだということだけはわかった。

「精霊降ろしなんて正気じゃないわ! スイウも絶対にダメよ!」
「うるさいな……わかってる」

二人が険しい表情でメリーに詰め寄る。

「どんな代償があっても関係ありません。魂を売ってでもこの手でストーベルを殺して、地獄に引きずり落としてやる」

 尚も手のひらを見つめ続けるメリーの瞳は底のない沼のようににごって見えた。

「人を辞める覚悟でか?」
「人を辞める……? 面白いこと言いますね。私は生まれてから一度だって人として扱われたことなんてないのに」

 メリーは自嘲的な笑みを浮かべて言葉を吐き捨てた。きっと今のメリーは、ストーベルを殺せるなら命を引き換えにしても良いと思っている。ストーベルとの記憶だけが頭を占めてしまっているようだった。

「すみません。精霊降ろしとか人を辞めるってどういう意味でしょうか?」

 エルヴェが申し訳なさそうに肩を縮こまらせながら質問する。それに答えたのはフィロメナだった。

「精霊降ろしは、魂を契約相手に捧げることで膨大な魔力を引き出せるようになるの。でも一度降ろせば最後、魂を喰らい尽くされるまで止まらないわ。魂を触媒にした魔術はそれを上回る魔力を引き出せるけど一度きり。だけど、精霊降ろしは喰い潰されるまでは継続して力を行使できるの」
「喰い尽くされたらどうなるんだい?」
「精霊降ろしの場合は、人を殺して魂を求め続けるだけのバケモノになる。精霊側は喰った魂の性質を得られるし、特別不利益はない」

 フィロメナとスイウから返ってきた説明にぞっとした。命をなげうつ以上におぞましい結末が待っているのだ。それを理解していて交渉しているのかと愕然がくぜんとする。

「僕も精霊降ろしは反対。メリーは人なんだからバケモノになるような選択はすべきじゃない」
「道具扱いされて、黄昏の月の力で忌避されてきたのに、今更人なんだからって? 白々しい。そんな上辺の言葉だけで思い留まるとでも?」

 そんな自暴自棄にすら見える様子に、スイウは呆れたような深いため息をつく。その瞳に哀れみと静かな怒りが滲んでいる。

「……本気でそう思ってんなら、少し頭を冷やせ」
「いいえ、私は冷静です」
「全く冷静じゃない。何も理解してないし自分で言ったことすらも忘れてる。お前は人だ。その意味を一度よく考えてみろ。理解しても覚悟が揺らがないなら応えてやる」
「何を理解しろって言うんですか? 応える気があるなら今応えてください」

今度はメリーの方がスイウへと詰め寄る。

「だから落ち着いて考えろって。そもそもお前は本当に道具なのか? 俺はメリーやお前の兄妹を道具だと思ったことは一度もない。自分で勝手に道具だと思い込んでるだけだろ」
「スイウさんに……道具として生き続けた私たちの何がわかるっていうんですか!! 知ったような口利かないでください!!」

 声を荒げるメリーに対し、スイウは感情を乱すこともなく淡々とメリーを見つめ続けている。フィロメナとエルヴェは二人のやり取りを緊張した面持ちで見守っていた。
 スイウが冷静に会話してくれていることが救いだ。ハッキリと冷静に物を言うスイウは、こういう場面で本当に頼もしく感じる。

「その考え方こそストーベルの思うツボだろ。とにかく今のままじゃ、お前も俺も必ず後悔する」
「スイウさんが何を後悔するんですか? 従者契約から開放されて、魔力の枯渇こかつも太陽も何も心配いらなくなるんですよ? いつもみたいに自分の利益だけで決めれば良いじゃないですか」

 自分の利益を前にしても応えないスイウの態度に、聞き入れる意思が全くないのだと理解した上であえて言っているようだった。

「これ以上この話を続けるつもりはない」

 そう言い残し、スイウは部屋を出ていった。自分はこの場に残らない方が良いと判断したのだろう。メリーは頭を両手で掻き毟りながらうずくまる。

「……私には何も残ってないのに。どうしてストーベルを殺す力すら得られないんですかっ」

 絞り出すような声。僅かに漏れ聞こえた心の叫びがアイゼアの心を深く突き刺した。やるせない思いを抱えながら、窓から天を仰ぎ見る。現実はどうしてこうも残酷で無慈悲なものなのだろうか、と誰にあてるでもなく心の中で呟いた。


第30話 軋む心とその悲鳴(2)  終
46/100ページ
スキ