前章─復讐の先に掴む未来は(1)

 ストーベルが突然出したスイッチが何のためのものか、アイゼアにはわからなかった。ただそれが何か良くないものであることだけはメリーとスイウの反応から推測できた。

 ストーベルによってスイッチが押され、その場にいる全員に緊張が走る。だが何度ストーベルがスイッチを押しても何も起こらない。

『あぁ、良かったです……何とか間に合ったようですね』

室内に響く、聞き覚えのある少年の声。

『この研究所のシステムは私が全て掌握しょうあくいたしました。誠に残念ですがそのスイッチは機能いたしません』

 二階部分にある板状の機械にエルヴェの姿が投影される。その姿は随分ずいぶん汚れていた。戦闘をこなし研究所を制圧するために奔走ほんそうしてくれたのだろう。

「少々遊びが過ぎたか。新しい兵器はついつい試したくなっていけない。少年、お前は随分ずいぶんと有能なようだが、その姿は確かベジェで捕えた──

 ストーベルの幻影は言葉を言い切る前に消え失せた。エルヴェが何か操作したことで切断されたのだろう。アイゼアはフィロメナが閉じ込められた機材の前まで駆け寄る。

「エルヴェ、フィロメナの入ってるガラス管を開けられないか!」
『承知いたしました』

エルヴェが返答をし、しばらくしてガラス管が開く。

「フィロメナ、大丈夫かい?」
「えぇ……大丈夫よ」

 声をかけると目を閉じたまま答えた。手を貸し、ゆっくりと立ち上がらせると機械の外へ避難させる。

「そんなことより、みんなは大丈夫かしら?」

 その問いかけにアイゼアは言い淀んだ。メリーとスイウの容態は良くない。特にメリーは駆けつけたときですら立っているのが不思議なほどだった。

 全身に火傷を負っており右半身の火傷はかなり深刻だ。特に右手の先から腕にかけて皮膚が大きく焼けただれており、神経が機能していないのか動かしているところを見ていない。悲壮感漂う姿だと言えば聞こえは良いが、あの執念と捨て身の行動は直視するのもはばかられるような痛ましさだった。

 押し黙ってしまったせいかフィロメナはあまり良い状況ではないことを察したようだ。

「すぐに案内してちょうだい」

疲れていたフィロメナの目に強い光が宿る。

「治癒術を使う余力は残ってるのかい?」
「平気よ。戦ってる声はずっと聞いてたもの。あたしだけ弱音なんて吐いてらんないじゃない」

 強がってはいるがフィロメナの足取りはまだ覚束ない。腕を貸しながらメリーとスイウの元へと連れて行く。

 メリーは意識を失ったのか仰向あおむけで寝かされていた。このまま放置すれば間違いなく死ぬのだとわかる。その焼けただれた姿にフィロメナが一瞬眉をひそめた。これが死体だと言われても誰も疑わないだろう。

「酷い……すぐに治療に取り掛かるわ」

 フィロメナの背から翼が生え、両手の柔らかな光がメリーに働きかける。ここで火傷が治ってこなければこのまま死ぬしかない。メリーの左手にはしっかりと赤い魔晶石が握られている。

 今にも泣き出しそうな顔で兄のことを「助けたいです」と強く言い切った彼女の姿がよみがえる。その先に待っていた結果がこれだ。こんなのはあんまりだ、と吐き捨てたくなるような惨状だった。

 怪我は少しずつ塞がりつつあるが治りは悪い。

「俺に残ってる回復力と魔力をメリーに回す」
「そうしてちょうだい」

 まだ自身の傷も治りきらないまま、スイウは治癒術の光を受けないよう、メリーの左手に手を添え目を閉じた。スイウが左手に触れて間もなく、メリーの顔の火傷がじわじわと修復し傷痕もなくなっていく。

「この右腕だけは治すのに時間がかかりそうだから、今は応急的な治療だけしておくわ。じゃないとあたしの魔力が持たないかも」

 顔の治療が終わると体全体の火傷の治療を始めたようだ。ここは二人に任せて良さそうだと判断する。アイゼアは立ち上がり、騎士たちに命令を下す。

「皆は先に撤退し報告と救援要請を。怪我人は運べる者が運ぶか、無理であれば救援隊に任せるように。シュド分隊長、頼まれてくれるか?」
「はっ、お任せ下さい。アイゼア隊長もお気をつけて」

敬礼を交わすと、シュド分隊長を中心に騎士たちは撤退していく。

「エルヴェ、部下たちを先に撤退させた。入り口までの道を開けておいてくれないか」
『承知しました』

 機械を通したエルヴェの声が響く。まさかエルヴェが魔工学や機械にこれ程まで強いとは思っていなかった。おそらくここまでの道が開かれたのもエルヴェのおかげで、彼がいなければ自分もスイウもここへは辿り着けなかった。そうなればきっとメリーはここで死んでいただろう。

「とりあえず危険域は脱したわ」
「俺たちも撤退するぞ。長居は無用だしな」

スイウはメリーを横抱きにし、蹌踉よろめきながら立ち上がる。

「少し待ってくれないか。あの魔晶石を拾ってくよ」
「あたしも手伝うわ」

 あの石がメリーの兄だというのならこんなところに放置するわけにはいかない。アイゼアとフィロメナは散らばった魔晶石を丁寧に拾い集め、ハンカチにくるむ。スイウは無言で様子を見守ってくれていた。

 魔晶石を包んだハンカチをジャケットの内ポケットに入れる。フィロメナが手をかざすと、散らばった小さな魔晶石の破片が赤くキラキラと煌めいて浮かび、空気に溶け込むように儚く消えていく。その不思議な光景に呆けていると

「魂の一部を還したのよ」

とフィロメナは説明してくれた。

「終わったんならとっとと行くぞ」
「あぁ。エルヴェ、僕たちも撤退する。君もすぐに撤退してくれ」
『はい。すぐに合流します』

エルヴェを映し出していた機材からその姿が消える。

「スイウ、僕がメリーを運ぶよ」
「そうしてもらえると助かる」

 素直に提案を受け入れたところを見ると、やはりスイウ自身もかなり具合が悪いのだろう。契約しているメリーが死にかけていたのだから仕方ないのだが。

 槍を収納し、スイウからメリーを引き継ぐ。メリーの全身の火傷は右腕以外綺麗に消えている。フィロメナの治癒術のおかげで何とか一命を取り留めていた。

 だがメリーは目が覚めたとき何を思うのだろう。妹のフランを殺され、兄のミュールを失った。兄自身でもあるその魔晶石を自らの手で砕いて。

 それをどう思うのか。現実を受け入れることができるのか。ストーベルに向かって、殺してやると吼えるメリーの激情はアイゼアには計り知れない。今までのメリーの行動を思い返せば、冷静でいられるとは到底思えず一抹いちまつの不安を抱く。

もし自分が彼女の立場だとしたら──

そう自問し、それ以上考えるのをやめた。




 安全面を考え、全員騎士団宿舎に泊まれるように二部屋確保した。その日はここで一泊し、翌朝魔力の戻ったフィロメナがメリーの火傷を完全に治癒させることに成功した。

 研究所という大きな証拠を掴み、クランベルカ家の暗躍について騎士団本部への報告も済んでいる。全国に散らばった騎士たちへ今日にも通達がいくだろう。
 結局ネレスの研究所には優勝者たちもグリモワールも存在しなかった。察知されて逃げられたのか、単に自分たちが罠にかけられただけなのか、今となっては判断もつかない。

 問題はこれからの行動だ。それを話し合うために、眠るメリーを傍らに四人は集まっていた。

「また足取りがわからなくなったわけだけど、これからどうする?」
「俺はサントルーサを目指す」

その問いに即答したのはスイウだった。

「あそこには研究所があるってメリーが言ってたからな」
「その研究所については本部の騎士が動くと思うけど、それでも?」
「手がかりがないなら仕方ないだろ。大きい街の方が情報も集まるだろうしな」

 スイウの言っていることは間違っていない。王都でもある首都のサントルーサであれば人も情報も集まる。

「サントルーサを目指すとして、出発はいつ頃にしましょうか?」

本来であればすぐにでもネレスを出たいところだが、メリーはまだ眠ったままだ。

「それだけど、今日一日……せめて半日だけでもメリーを安静にさせてほしいの」
「私もフィロメナ様に賛成です。移動中に襲撃を受けたとき、メリー様が動けないのは痛手になると思います。むしろ目が覚めるまではここに滞在する方が良いのではないかと……」

 ネレスの研究所を壊滅させたあとだ。スティータからネレスへの移動中に受けたような襲撃や待ち伏せがある可能性は十分にある。急がば回れ。ここは万全を期して慎重に進むべきかもしれない。

「わかった。メリーの様子を見つつになるが、出発はとりあえず最短で明朝みょうちょうってことにしておこうか。フィロメナはメリーについていて。旅支度は僕たちが進めておくから」
「えぇ、ここは任せてちょうだい」

 フィロメナはとんっと拳で軽く胸を叩き、得意げな表情だ。メリーとフィロメナを部屋に置いて、アイゼアたちは旅支度をするため街へと向かった。


第30話 軋む心とその悲鳴(1)  終
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