前章─復讐の先に掴む未来は(1)

 炎の魔物が現れたという東区にスイウたちは来ていた。建物は想像よりも形を保って残っているが、白レンガの壁はその大半が黒く焼け焦げている。木製の扉は焼け落ちたのか建物の中が見えた。
 斜め前を歩くメリーは、東区に入ってから終始無言だ。疲労でくたびれたような顔というよりは、どこか思いつめているようにも見える。

 焼け焦げるような臭いに混じる、独特の生焼けの臭いに羽織の袖で鼻を覆った。人らしきものの残骸が黒く焼けて所々に落ちている。

 路地を抜け、少し開けた所に数人の遺体が申し訳程度の布をかけられて安置されていた。布を捲ると、遺体はどれも苦悶に満ちた表情で絶命している。魔物化といえば簡単だが、魔物化すると想像を絶するような苦痛があるのかもしれない。何にせよ、スイウには知りようもないことだが。

「魔物から戻った人って、この人たちのことですかね?」
「焼けたあともないし、そうだろ」

 並んでいる遺体はどれも外傷はなく、不自然なほどに綺麗だ。魔物に襲われて死んだのならこうはならない。間違いなくグリモワールによって魔物化し、討伐されたことで元の姿に戻ったのだろう。

ここにいるだけでも六人。一体どれほどの人がすでに魔物に変えられてしまっているのか。刻一刻と破滅の足音が近づいてきている。

「見たいものは見れました。戻りましょうか」

 メリーの見たいものとは何だったのだろうか。焼けた街並みか、魔物化した人の遺体か、それ以外の何かか。あっさりと来た道を引き返すメリーの背に心の中で問いかけた。

 スイウもメリーに続き戻ろうと足を踏み出したとき、耳に入る複数人の悲鳴に足を止める。声の大きさからして近くはない。方角は中央にある広場からのようだった。

「メリー」

 名前を呼んでもメリーは歩みを止める気配はない。もう一度強く名前を呼ぶと、やっと気づいたのかこちらを振り返る。

「悲鳴が聞こえた」
「……聞こえました?」
「今は聞こえない。広場の方からだったが、行ってみるか?」

 人の耳には聞こえない大きさだったのかもしれない。メリーは睨みつけるような目つきを広場の方へと向けた。

「行きます」

スイウは特に返事をするでもなく、メリーの隣に並んで歩きだした。




 広場へ着いたが、魔物も白フードの姿も見当たらない。怪我をしたのも数人で程度も軽いらしく、目立った混乱はないように見える。

「落ち着いてるみたいですね」

 何があったのか尋ねるしかないと思っていたとき、近くで手当てを受けている騎士の一人がこちらへ声をかけてきた。

「申し訳ありませんっ。天使様が何者かに連れ去られてしまったんです。突然のことで守りきれず……」

メリーの息を飲む音が聞こえた。

「何者か、ってどんな人でした?」
「すみません。暗かったですし、白いフードを被ってて顔が見えなくて。たぶん体格的には男だと思うのですが………」

白いフードという単語でメリーの目に鋭い光が宿る。

「数は何人でしたか?」
「一人でした」
「教えてくれてありがとうございました」

 メリーは騎士に軽く頭を下げるとこちらへ向き直った。もうのんびりしている場合ではないとその目が訴えている。
 一人での襲撃、短時間での撤退、連れ去られたフィロメナ。敵の狙いは初めからフィロメナだったのだろう。

だとすれば、いつから見られていた?

 フィロメナ個人を狙うということは、天族だということを知っていると考えていい。闘技場で交戦したことはストーベル側に伝わっている。この街を通ることは当然予測していただろう。

 最初の襲撃自体、こちらを阻むために仕組まれていたものだとしたら、騒動のどさくさに紛れて街の住民に紛れていた可能性もある。やはりフィロメナが天族であることを晒したのは軽率だった。御しきれなかった自分にも責任はある。

「スイウ、メリー」

 アイゼアとエルヴェ、少し遅れてウィルがこちらへ走ってくるのが見える。

「フィロメナさんが連れ去られました」
「あぁ、すぐにネレスへ出発しよう。ただ馬が持てばいいんだけど」

 アイゼアの表情は思わしくない。このまま進めば、途中で馬が走れなくなる可能性が高いのかもしれない。

「難を逃れた馬がいるから、そいつと交換していけ。おーい! 手の空いてるヤツで荷馬車用の馬を手配してくれー」

ウィルの一声で数人の騎士が慌ただしく動き始める。

「ウィル、良いのかい?」
「良いって。アイゼアには恩もあるし、今回も街のみんなを助けてもらってるしな。それより急ぐんだろ? 荷馬車で待ってろ、すぐに馬を連れて行く」
「ありがとう、恩に着る。あと、ネレスの騎士団屯所に電報を打ってくれないか。スティータの襲撃の件と敵襲に備えるようにって」
「抜かりないねぇ。任せとけ」

 二人は短く言葉を交わし、荷馬車へ戻る。すぐに馬も交換されスティータからネレスへと発った。




 普段よりも明らかに速い速度で暗闇の街道を行く。だが心許ないランタンの光では全速力で走らせるわけにもいかない。

「なぜフィロメナ様が。やはり天族だから狙われたのでしょうか」

無言だった荷馬車の中でぽつりとエルヴェが呟く。

「おそらくそうだと思います。魔術に関することなら何でも興味はあると思いますし、治癒術は霊族にとって憧れのテーマですからね」

 治癒術は天族の特権だ。怪我を瞬間的に治す力は、人にとっては奇跡の力と言っても過言ではない。治癒術の研究に取り組む霊族はすでに存在しているはずだ。

「そういえばエルヴェさんも鉱山で捕まってましたね。何を調べられてたんですか?」
「わ、私ですか……」

 僅かに動揺し、エルヴェは俯く。あまり聞かれたくない話だということは、その態度からも伝わってくる。

「エルヴェさんは普通の人間なのに、どうしてその場で殺されなかったんですかね?」

 口に手を当てて真剣に考え込むメリーに、エルヴェは沈黙を貫いていた。ふと、エルヴェが闘技場の控え室で言っていた言葉がよみがえる。

『私は……私は『人』でありたいと願っています』

 それは、人とはまた違うものだという婉曲えんきょく的な返答でもあった。そこに、メリーの聞きたい答えがあるのかもしれない。

「それは……」

エルヴェはあの時と同じ悲しみの色を滲ませた目をしていた。

「それは今は良いだろ」
「スイウ様……」
「そんなことよりお前らは寝ろ。アイゼアもそこ交代しろ」
「ちょ、ちょっとっ」

 スイウはアイゼアから強引に馬鞭を取り上げ、無理矢理隣に座る。

「スイウって馬扱えるのかい? 道は?」
「たぶんいける。道も街道に沿って走りゃ良いんだろ? 俺は人より夜目が利く。心配するな」

適当にあしらうと、アイゼアは大人しく荷台の中へ入っていく。

「このままネレスの研究所に突っ込むなら休めるときは休め」
「君って優しいのか厳しいのかよくわかんないな。でも、ありがたく休ませてもらうよ」

 そう言うとアイゼアはすぐに横になって眠り始める。相当疲れているというのもあるだろうが、そういう図太さや判断の早さは素直に褒めたい。

「メリーとエルヴェも、要らん気を使うくらいならとっとと寝ろ。敵襲があれば徹夜になるぞ」
「ありがとうございます」
「敵が来たときはすぐに声をかけてくださいね」

 メリーとエルヴェも布を被って目を閉じた。あとは敵襲もなくネレスまで辿り着ければ良いのだが。鞭を打ち、速度を少し上げる。スイウは周囲を警戒しながら馬を走らせた。このまま行けば明け方にはネレスへ着くだろう。


第25話 襲撃(1)  終
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