前章─復讐の先に掴む未来は(1)
メリーの異様な家庭環境の話は何となく見聞きして察してはいたが、身の上について詳細を語るメリーは見たことがなかった。
初めてスイウと会ったときの彼女は、兄妹の件で怒りと憎しみに取り憑かれ、それしか見えていなかった。兄を助けるためなら、他人の命だろうが何だろうが全てを利用してやろうという勢いだったことを覚えている。
人を殺すことに躊躇 いのない様子は、おおよそ人らしいとは言えるものではなかった。倫理観や価値観が普通に生きている人々とズレているのは、やはり生い立ちが原因なのだろう。
人は過ちに気づいたからといって、全てを無にしてやり直すことはできない。深くつけられた傷痕が古傷となって、綺麗に消えてなくなることがないように、必ず何かは残るものだ。そうやって少なからず罪と業を背負い、向き合い、何がより良い道なのか惑いながら生きていく。それが人という生き物だ。
メリーと穏やかに生きる人々とのズレは、きっと死ぬまで埋まることはない。それでもそのズレは、子供の頃よりは随分と改善された方なのだろう。
グースとハックル。あれが昔のメリーだというなら、やはり昔のメリーはとても人と呼べるものではなかったのだろう。ストーベルの指示を聞き、疑いもなくそれを遂行する。命令なら、どんな非道なことも淡々とこなす。メリー自身も話していた通り、それはただの「道具」でしかない。使い捨ての、便利な消耗品として消費されていくだけだ。
しかしメリーはそうならなかった。メリーにあって、グースとハックルにはなかったもの。それが、兄のミュールと妹のフランの存在だ。道具でしかなかったメリーに、人としての尊厳を取り戻したのが兄、人としての情を生んだのが妹なのではないか、とスイウは推測する。
メリーを人として繋いでいるのが兄と妹だ。今のメリーは、人と人ならざる者の危うい境界線に立っている。何かが一つ……たった一つ変わるだけで、そのどちらにでも転んでしまう。大抵の人は躊躇 うような道へ簡単に逸れてしまえる。倫理観が希薄なメリーにはその選択ができてしまう。スイウはそれを懸念していた。
契約相手とはいえ他人事でしかないはずのメリーの生きる道が妙に気にかかり、奇妙な感情を抱く。例えるなら不安感や焦り、嫌な予感のようなものに近い。この何とも形容し難いざわついた思いは何なのだろうか。考えたところで答えは出そうもなく、その思いの根源までは辿り着けそうになかった。
「だからミュール兄さんを助けるために、みんなの力を貸してくれませんか?」
過去の話をしたメリーの切実な願いに、もちろんだと言わんばかりに三人は協力すると言う。つくづくお人好しなヤツらだなと心底呆れた。キメラなんてものを作り出し、命を道具のように利用し、理想郷だの何だのと宣う頭のおかしな連中が相手にも関わらずだ。
任務を帯びているアイゼアはともかく、エルヴェとフィロメナは無理に同行する必要もない。当然同行するからにはそれぞれ思惑があるのだろうが、それにしたって即決過ぎやしないかと思うほどだ。
「ちょっと! あんたは協力してくれないわけ?」
「は?」
フィロメナが、じとーっとした目で覗き込んでくる。
「まだ協力するかどうか、返事してないでしょ?」
「俺は契約してんだから言うまでもないだろ」
「あっ。そういえばそうだったわね」
フィロメナはポンと手を合わせ、満足したような晴れやかな笑みへと変わる。考えていることが顔に出過ぎてて、言葉にしなくとも手に取るようにわかる。頭お花畑は気楽なもんだな、と小さく息を吐いた。
「良かったですね、メリー様」
「ありがとうございます」
メリーの僅かに安堵した表情に、やはり会ったばかりの頃とは少し変わったなと感じる。どんなに戦闘力があっても、頭が良くても、要領が良くても、人一人に大した力はない。一人でできることにはどうやったって限界がある。
体の弱い兄と幼い妹。メリーの精神を守っていたのがその二人なら、物理的な面で守ってきたのはおそらくメリーの方だ。頼る者のない場所で、一人で奮闘してきたことは想像に難くない。
人を頼ること、協力することの強さを知りつつあるのなら、メリーにとってこれ程大きな前進はないだろう。人は一人では生きられない。誰かと関わり、社会を築いてその中で共同生活をしていく。
メリーは間違いなく、人の「普通」を取り戻しつつある。アイゼア、エルヴェ、フィロメナ、彼らとの関わりがメリーを良い方向へ導いていることはスイウの目から見てもわかる。
彼らが兄妹の他に、メリーを人として繋ぎ留めてくれる新たな存在となるかもしれない。もっとも、本人がそれに気づけなければ意味はないのだが。
荷馬車はいつの間にか荒野を抜け、草原地帯に入っていた。四人の雑談を音として聞きながら先の景色を眺める。遠くの丘の上に街が小さく視認できる。スティータはもうすぐだ。
ふわりと吹いた涼やかな風に、ほんの僅かに妙な臭いが混じっていることに気づく。荷台から顔を出すと、隣にいるアイゼアが不思議そうにこちらを見た。目を閉じ、嗅覚 に神経を集中させると、間違いなく独特の鉄のような臭いがほんの僅かにする。
「なぁ……」
雑談に割り込むようにして突然声を発したスイウを、全員が何事かと注目する。
「風に混じって血の臭いがする」
全員の顔色が一瞬で緊張したものへと変わる。
「全然気づきませんでした。スイウ様は聴覚だけでなく嗅覚 も敏感なのですね」
「人より少しだけだがな」
スイウ以外は気づかない程度の臭いのようだ。
「でも血の臭いのしそうなものなんてないですよ?」
メリーも身を乗り出し、周囲を確認する。スイウも見てはみたが、周りにはそれらしいものも妙な気配もない。
「……まさかとは思うんだけど、スティータの方角から臭う……なんてことはないよね?」
「さすがに方角まではわからん」
だが風向きはスティータ方面から吹いていることは間違いない。
「仮にスティータからだとするなら、一人や二人なんてもんじゃないな」
大勢の血が流れていなければ、いくら風を遮るもののない草原と言えど、ここまでは届かないだろう。
「なら急がないとダメじゃない!」
フィロメナに応えるようにアイゼアが頷く。
「速度を上げるから揺れるけどしばらくは我慢してもらうよ」
馬鞭がしなり、ピシッと音を立てると徐々に速度を上げる。荷台の骨を掴み、乱暴な揺れに耐えながらスティータへと向かった。
到着したスティータの街は酷い有様だった。家屋の崩れは然程 酷くはないものの、そこかしこに鮮血が飛び散り、こびりついている。多くの怪我人は街の中央広場に集められているらしく、アイゼアは広場から少し離れた位置で全員を止めた。
「状況を確認してくる。みんなはここで待機を」
「え! 待機って……」
救援指示を出している騎士の元へアイゼアは駆け寄っていく。広場からは人々の呻 きや助けを呼ぶ声が聞こえてくる。傍目から見ても重症者の数は多い。
「待機なんてしてる場合じゃないわっ」
鉄砲玉のように飛び出していきそうになったフィロメナの手を咄嗟 にスイウは掴む。相変わらず目の前のことしか見えていないようで、思わず眉間にシワが寄る。
「離してよスイウ!」
「アイゼアが待機してろって言っただろ。状況もわかってないのに無闇に突っ込むな」
「そんなことしてる間にあたしの治癒っ」
治癒術と言いかけたフィロメナの手を、折れない程度に強く握りしめる。
「あたしの何だって? そんなもん使ってみろ。この場が混乱するだけだ」
スイウが睨むと、フィロメナはビクッと肩を揺らし怯んだ。だがそれに負けじとスイウを睨み返す。
「……じゃあこのまま何もせずただ見殺しにしろって言うの!?」
「そうは言ってないだろ。アイゼアが戻るまでは待てって言ってんだ」
「こうしてる間にも手遅れになる人がいるかもしれないのに、そんなにのんびりしてられないわよ!」
フィロメナの背から白く輝く翼が生える。
「おい、早まるなっ」
掴んだフィロメナの腕が僅かに発光すると、スイウの手に焼けるような痛みが走る。
「お前っ」
その隙をつかれ、フィロメナの腕を放してしまう。
「お待ち下さいフィロメナ様!」
そして羽の生えたまま広場の方へ飛んでいく。その後ろをエルヴェが慌てて追いかけていった。
「あの阿呆がっ。どうなっても知らんぞ……」
最悪だ。これでこの街の住人に天族の存在が知られてしまう。性格を考えれば、こうなりそうなことは薄々感じていたが。止めてやった理由の半分は他でもないフィロメナのためでもあるというのに。いまだにヒリヒリと痛む右の手のひらは少し赤くなっていた。
「スイウさん、フィロメナさんは私たちの命の恩人だってこと忘れてないですか?」
「あ? あぁ、それがどうした」
数日前、毒を盛られたメリーを助けたのは他でもないフィロメナだ。フィロメナがいなければ、メリー諸共消滅していた可能性は十分にある。
「スイウさんたちが闘技場へ行ってる間に、何で私を助けたのか聞いたんです。そしたらすごく驚いた顔で、人を助けるのに理由なんてあるの?って」
フィロメナの姿があまりにも簡単に想像がついた。単純でまっすぐ過ぎるお人好し。評価そのまんまの行動と発言だ。
「私たちはフィロメナさんの仲間を三人も殺してるんですよ? あのまま見殺しにされても仕方なかったのに」
立場が逆ならメリーはフィロメナを見殺しにするかもしれない。フィロメナは元々感情に左右されやすい『人』に近い性質の性格だが、何かに対して怒りを示すとき、その大半は自身の正義感や価値観に反するときだ。
大切な仲間を奪われても復讐心だけに囚われず「正しさ」や「使命」を優先する利他的な面では、人というよりは天族らしさが出ている。
「人の価値観と天族の価値観は違う。阿呆みたいに正義感強いヤツの考えはお前には理解できないんじゃないか? 俺にも理解できんがな」
反面、メリーは私情優先だ。『正しさ』など、大切な者の命と天秤にかけたら紙切れ同然だろう。
「天族にとっては当然でも、私にはやっぱり当然とは思えないんです。自分は助けられておいて、他の人は助けに行くななんて言えませんよ」
メリーの言いたいことはわからないでもない。そもそもフィロメナの言っていることもやろうとしていることも、決して悪いことではない。むしろ讃えられても良いくらいだ。どちらかと言えば自分の方が冷淡で非道なことを言っている自覚はある。
だがそれと、天族という存在が実在することを認知される問題はまた別だ。大局を見れば、ここで正体を認知されるのは軽率としか言いようがない。しかしそれを嘆いたところで、すでに手遅れなのだが。
「フィロメナさんの思うようにさせてあげませんか?」
「あの頭お花畑を野放しにはできんだろ」
スイウの反応にメリーは苦笑しながら首を横に振る。
「野放しにはしませんよ。私も助けに回ろうかと思ってます」
「勝手にすりゃ良いだろ」
そう突き放しても、メリーの視線は非難の色を帯びてスイウに刺さり続ける。だんだん居心地の悪さを感じ、視線を広場の方へと逸らした。
「………俺にも手伝えってか?」
「私が助けられたってことはスイウさんも助けられたってことですよ?」
「それが?」
「私、恩も仇もきっちり返しておきたいタイプなので」
「へー、そりゃ律儀なことで。生憎俺は気にしないタイプだ」
スイウにもフィロメナに借りがあると言いたいのだろう。
「そんなこと言わずに協力してください。スイウさんが忠告していた通りの事態が起こると思いますし、こうなった以上収拾をつけないと」
遠くに見える広場では、すでに懸念していたことが起き始めている。揺らぎのない真摯 な瞳にスイウは根負けした。
「本当に、随分変わったもんだな」
ため息混じりに小さく呟いた。その言葉はメリーの耳までは届かない。
「今何か言いましたか?」
「面倒だなって言ったんだ。けど、何もしなかったら後々アイツらがうるさそうだし、仕方ねーな」
特にフィロメナやアイゼアあたりはしつこく責め立ててくるに違いない。想像しただけでもうんざりするような光景が頭に広がる。わざとらしくため息をつき、広場へ向かって歩き出す。
遅れてメリーが隣へと並んだ。メリーの横顔が以前より堂々として見えた気がした。それでいい。そのまま人として真っ当な方へ進めばいい。そう心で呟きながら視線を広場の方へと戻した。
第23話 盲信 終
初めてスイウと会ったときの彼女は、兄妹の件で怒りと憎しみに取り憑かれ、それしか見えていなかった。兄を助けるためなら、他人の命だろうが何だろうが全てを利用してやろうという勢いだったことを覚えている。
人を殺すことに
人は過ちに気づいたからといって、全てを無にしてやり直すことはできない。深くつけられた傷痕が古傷となって、綺麗に消えてなくなることがないように、必ず何かは残るものだ。そうやって少なからず罪と業を背負い、向き合い、何がより良い道なのか惑いながら生きていく。それが人という生き物だ。
メリーと穏やかに生きる人々とのズレは、きっと死ぬまで埋まることはない。それでもそのズレは、子供の頃よりは随分と改善された方なのだろう。
グースとハックル。あれが昔のメリーだというなら、やはり昔のメリーはとても人と呼べるものではなかったのだろう。ストーベルの指示を聞き、疑いもなくそれを遂行する。命令なら、どんな非道なことも淡々とこなす。メリー自身も話していた通り、それはただの「道具」でしかない。使い捨ての、便利な消耗品として消費されていくだけだ。
しかしメリーはそうならなかった。メリーにあって、グースとハックルにはなかったもの。それが、兄のミュールと妹のフランの存在だ。道具でしかなかったメリーに、人としての尊厳を取り戻したのが兄、人としての情を生んだのが妹なのではないか、とスイウは推測する。
メリーを人として繋いでいるのが兄と妹だ。今のメリーは、人と人ならざる者の危うい境界線に立っている。何かが一つ……たった一つ変わるだけで、そのどちらにでも転んでしまう。大抵の人は
契約相手とはいえ他人事でしかないはずのメリーの生きる道が妙に気にかかり、奇妙な感情を抱く。例えるなら不安感や焦り、嫌な予感のようなものに近い。この何とも形容し難いざわついた思いは何なのだろうか。考えたところで答えは出そうもなく、その思いの根源までは辿り着けそうになかった。
「だからミュール兄さんを助けるために、みんなの力を貸してくれませんか?」
過去の話をしたメリーの切実な願いに、もちろんだと言わんばかりに三人は協力すると言う。つくづくお人好しなヤツらだなと心底呆れた。キメラなんてものを作り出し、命を道具のように利用し、理想郷だの何だのと宣う頭のおかしな連中が相手にも関わらずだ。
任務を帯びているアイゼアはともかく、エルヴェとフィロメナは無理に同行する必要もない。当然同行するからにはそれぞれ思惑があるのだろうが、それにしたって即決過ぎやしないかと思うほどだ。
「ちょっと! あんたは協力してくれないわけ?」
「は?」
フィロメナが、じとーっとした目で覗き込んでくる。
「まだ協力するかどうか、返事してないでしょ?」
「俺は契約してんだから言うまでもないだろ」
「あっ。そういえばそうだったわね」
フィロメナはポンと手を合わせ、満足したような晴れやかな笑みへと変わる。考えていることが顔に出過ぎてて、言葉にしなくとも手に取るようにわかる。頭お花畑は気楽なもんだな、と小さく息を吐いた。
「良かったですね、メリー様」
「ありがとうございます」
メリーの僅かに安堵した表情に、やはり会ったばかりの頃とは少し変わったなと感じる。どんなに戦闘力があっても、頭が良くても、要領が良くても、人一人に大した力はない。一人でできることにはどうやったって限界がある。
体の弱い兄と幼い妹。メリーの精神を守っていたのがその二人なら、物理的な面で守ってきたのはおそらくメリーの方だ。頼る者のない場所で、一人で奮闘してきたことは想像に難くない。
人を頼ること、協力することの強さを知りつつあるのなら、メリーにとってこれ程大きな前進はないだろう。人は一人では生きられない。誰かと関わり、社会を築いてその中で共同生活をしていく。
メリーは間違いなく、人の「普通」を取り戻しつつある。アイゼア、エルヴェ、フィロメナ、彼らとの関わりがメリーを良い方向へ導いていることはスイウの目から見てもわかる。
彼らが兄妹の他に、メリーを人として繋ぎ留めてくれる新たな存在となるかもしれない。もっとも、本人がそれに気づけなければ意味はないのだが。
荷馬車はいつの間にか荒野を抜け、草原地帯に入っていた。四人の雑談を音として聞きながら先の景色を眺める。遠くの丘の上に街が小さく視認できる。スティータはもうすぐだ。
ふわりと吹いた涼やかな風に、ほんの僅かに妙な臭いが混じっていることに気づく。荷台から顔を出すと、隣にいるアイゼアが不思議そうにこちらを見た。目を閉じ、
「なぁ……」
雑談に割り込むようにして突然声を発したスイウを、全員が何事かと注目する。
「風に混じって血の臭いがする」
全員の顔色が一瞬で緊張したものへと変わる。
「全然気づきませんでした。スイウ様は聴覚だけでなく
「人より少しだけだがな」
スイウ以外は気づかない程度の臭いのようだ。
「でも血の臭いのしそうなものなんてないですよ?」
メリーも身を乗り出し、周囲を確認する。スイウも見てはみたが、周りにはそれらしいものも妙な気配もない。
「……まさかとは思うんだけど、スティータの方角から臭う……なんてことはないよね?」
「さすがに方角まではわからん」
だが風向きはスティータ方面から吹いていることは間違いない。
「仮にスティータからだとするなら、一人や二人なんてもんじゃないな」
大勢の血が流れていなければ、いくら風を遮るもののない草原と言えど、ここまでは届かないだろう。
「なら急がないとダメじゃない!」
フィロメナに応えるようにアイゼアが頷く。
「速度を上げるから揺れるけどしばらくは我慢してもらうよ」
馬鞭がしなり、ピシッと音を立てると徐々に速度を上げる。荷台の骨を掴み、乱暴な揺れに耐えながらスティータへと向かった。
到着したスティータの街は酷い有様だった。家屋の崩れは
「状況を確認してくる。みんなはここで待機を」
「え! 待機って……」
救援指示を出している騎士の元へアイゼアは駆け寄っていく。広場からは人々の
「待機なんてしてる場合じゃないわっ」
鉄砲玉のように飛び出していきそうになったフィロメナの手を
「離してよスイウ!」
「アイゼアが待機してろって言っただろ。状況もわかってないのに無闇に突っ込むな」
「そんなことしてる間にあたしの治癒っ」
治癒術と言いかけたフィロメナの手を、折れない程度に強く握りしめる。
「あたしの何だって? そんなもん使ってみろ。この場が混乱するだけだ」
スイウが睨むと、フィロメナはビクッと肩を揺らし怯んだ。だがそれに負けじとスイウを睨み返す。
「……じゃあこのまま何もせずただ見殺しにしろって言うの!?」
「そうは言ってないだろ。アイゼアが戻るまでは待てって言ってんだ」
「こうしてる間にも手遅れになる人がいるかもしれないのに、そんなにのんびりしてられないわよ!」
フィロメナの背から白く輝く翼が生える。
「おい、早まるなっ」
掴んだフィロメナの腕が僅かに発光すると、スイウの手に焼けるような痛みが走る。
「お前っ」
その隙をつかれ、フィロメナの腕を放してしまう。
「お待ち下さいフィロメナ様!」
そして羽の生えたまま広場の方へ飛んでいく。その後ろをエルヴェが慌てて追いかけていった。
「あの阿呆がっ。どうなっても知らんぞ……」
最悪だ。これでこの街の住人に天族の存在が知られてしまう。性格を考えれば、こうなりそうなことは薄々感じていたが。止めてやった理由の半分は他でもないフィロメナのためでもあるというのに。いまだにヒリヒリと痛む右の手のひらは少し赤くなっていた。
「スイウさん、フィロメナさんは私たちの命の恩人だってこと忘れてないですか?」
「あ? あぁ、それがどうした」
数日前、毒を盛られたメリーを助けたのは他でもないフィロメナだ。フィロメナがいなければ、メリー諸共消滅していた可能性は十分にある。
「スイウさんたちが闘技場へ行ってる間に、何で私を助けたのか聞いたんです。そしたらすごく驚いた顔で、人を助けるのに理由なんてあるの?って」
フィロメナの姿があまりにも簡単に想像がついた。単純でまっすぐ過ぎるお人好し。評価そのまんまの行動と発言だ。
「私たちはフィロメナさんの仲間を三人も殺してるんですよ? あのまま見殺しにされても仕方なかったのに」
立場が逆ならメリーはフィロメナを見殺しにするかもしれない。フィロメナは元々感情に左右されやすい『人』に近い性質の性格だが、何かに対して怒りを示すとき、その大半は自身の正義感や価値観に反するときだ。
大切な仲間を奪われても復讐心だけに囚われず「正しさ」や「使命」を優先する利他的な面では、人というよりは天族らしさが出ている。
「人の価値観と天族の価値観は違う。阿呆みたいに正義感強いヤツの考えはお前には理解できないんじゃないか? 俺にも理解できんがな」
反面、メリーは私情優先だ。『正しさ』など、大切な者の命と天秤にかけたら紙切れ同然だろう。
「天族にとっては当然でも、私にはやっぱり当然とは思えないんです。自分は助けられておいて、他の人は助けに行くななんて言えませんよ」
メリーの言いたいことはわからないでもない。そもそもフィロメナの言っていることもやろうとしていることも、決して悪いことではない。むしろ讃えられても良いくらいだ。どちらかと言えば自分の方が冷淡で非道なことを言っている自覚はある。
だがそれと、天族という存在が実在することを認知される問題はまた別だ。大局を見れば、ここで正体を認知されるのは軽率としか言いようがない。しかしそれを嘆いたところで、すでに手遅れなのだが。
「フィロメナさんの思うようにさせてあげませんか?」
「あの頭お花畑を野放しにはできんだろ」
スイウの反応にメリーは苦笑しながら首を横に振る。
「野放しにはしませんよ。私も助けに回ろうかと思ってます」
「勝手にすりゃ良いだろ」
そう突き放しても、メリーの視線は非難の色を帯びてスイウに刺さり続ける。だんだん居心地の悪さを感じ、視線を広場の方へと逸らした。
「………俺にも手伝えってか?」
「私が助けられたってことはスイウさんも助けられたってことですよ?」
「それが?」
「私、恩も仇もきっちり返しておきたいタイプなので」
「へー、そりゃ律儀なことで。生憎俺は気にしないタイプだ」
スイウにもフィロメナに借りがあると言いたいのだろう。
「そんなこと言わずに協力してください。スイウさんが忠告していた通りの事態が起こると思いますし、こうなった以上収拾をつけないと」
遠くに見える広場では、すでに懸念していたことが起き始めている。揺らぎのない
「本当に、随分変わったもんだな」
ため息混じりに小さく呟いた。その言葉はメリーの耳までは届かない。
「今何か言いましたか?」
「面倒だなって言ったんだ。けど、何もしなかったら後々アイツらがうるさそうだし、仕方ねーな」
特にフィロメナやアイゼアあたりはしつこく責め立ててくるに違いない。想像しただけでもうんざりするような光景が頭に広がる。わざとらしくため息をつき、広場へ向かって歩き出す。
遅れてメリーが隣へと並んだ。メリーの横顔が以前より堂々として見えた気がした。それでいい。そのまま人として真っ当な方へ進めばいい。そう心で呟きながら視線を広場の方へと戻した。
第23話 盲信 終