前章─復讐の先に掴む未来は(1)

 フラフィスからネレスまでは数日を要する。ドゥエル、ドルミン、サントルーサ側の宿場町リープの間に跨がる峠に比べれば緩やかな道だが、連続した峠が上りと下りを繰り返しながら続く。道は徐々に高度を下げ、開けた荒野の先の草原地帯にネレスという街がある。

 そう話しているのをメリーは荷馬車の中で横になりながら聞いていた。フラフィスを出発して二日、距離で見ればネレスまでの道程みちのりの半分以上を過ぎている。

 今日は峠を抜け、荒野と草原の境にあるスティータという街まで進む予定だ。荒野に通った道の悪い街道を荷馬車が走る。荷台の前方の幕を上げ、切り取られたような枠の中を荒れた草原の景色が流れていく。

 さほど時間差なくネレスへ向かったはずの白フードたちや闘技場の優勝者の姿は見ていない。どのくらい距離を離されているのか見当もつかず、メリーの心の奥で焦燥が募る。

 だが焦ったところで仕方がない。今自分たちが進める最も早い速度で進んでいる。無茶をして馬に何かあればそれこそ時間の無駄になってしまう。もし遅れているというなら、フラフィスで足を引っ張ったメリー自身の責任だ。

 四人がいなければ、自分はミュールを助けることもできずにあの場で死んでいただろう。あの日闘技場であったことは、使い魔を通して見た光景と三人からの報告ですでに把握している。消費した魔力と体力が戻ったのは今日だ。ぼんやりと景色を眺めていると、アイゼアから声がかかる。

「メリー、そろそろ僕たちにクランベルカ家の目的を聞かせてくれないかい?」

 あまりにも唐突に出てきた『クランベルカ家』という単語に、ギュッと強く心臓が縮んだような心地がした。とうとう情報を掴まれてしまった。荷馬車に流れていた和やかな空気は急激に冷えたような気がした。

「アイゼアはお前の素性を知ってる。俺もクランベルカ家が何を目論んでいるのか聞きたいと思ってたところだ」

 スイウがアイゼア側に立って物を言うのは珍しい。それだけスイウにとっても知っておきたいことだということだろう。

「メレディス・クランベルカ、それが君の本名で間違いないね?」

久々に呼ばれた本名に、思わず体が強張る。

 だが、こちらを向いて話すアイゼアの声は穏やかで優しい。表情も柔らかく、メリーを責めたり疑ったりしているようなものではなかった。

「君を騎士団に突き出したりするつもりはないから心配しなくて良いよ。お兄さんのこと助け出したいんだよね」

 幼子に語りかけるようにゆっくりと言葉が紡がれる。じんわりと胸の奥が熱くなると同時に、締め付けられるような苦しさを覚えた。助けたい、助けたい、と叫んでいる。張り詰めたその思いを落ち着けるようにゆっくり息を吸い、静かに吐き出す。

「助けたいです」

一言、強く静かに言い切った。

 メリーは少し緊張を解き、父であるストーベルの姿を思い出しながら口を開く。

「私は父……ストーベルとは積極的に関わっていません。有益な情報を持ってるとは思えませんが、わかる範囲で話します」

全員の視線がメリーへと集まる。

「グースとハックル……だったかな。彼らは理想郷のためだと言っていたけど、これについては何か知ってることは?」
「いえ、初めて聞く話です」

 理想郷という単語は初めて聞いた。ストーベルがどんな理想郷を思い描いているのか、メリーは聞いたことがない。
 それでも何となく想像はつく。炎霊族の長の座を奪うために、クランベルカの血を受け継ぐ優秀な魔術士を作ることに余念のなかった父。そのために命を道具のように扱い、研究開発に惜しみなく全てを費やしていた。

「ストーベルは支配欲や権力志向の強い人です。地位、富、名声、それを得るためなら手段は選びません。おそらく自分が全てを管理して支配する世界にしたいのではないかと……具体的にはわかりませんがそれは間違いないと思います」

それを聞いたエルヴェが何かを思い出したように突然声を上げる。

「そういえば、グースと名乗っていた少年は、『父様がみんなを幸せに導く』と言っていました。ストーベルが指導者になり、管理と支配をするという解釈も確かにできます」

メリーは十中八九そういうことだろうと確信に近い気持ちを抱いていた。

「グースって言えば、あのキメラってヤツは何なんだ? エルヴェは知ってるみたいだったな?」
「えぇ。キメラというのは、全く別々の生物を無理矢理一つにした結合体のことだと認識してます。あと、人の手によって造られるもののようです」
「ストーベルは何でそんなものを造ったんだろうね」
「そうよ。それに子供が自爆したって言ってたわよね? そんなのおかしいじゃない……」

 その答えを求めるように四人の視線が突き刺さる。状況、経験則、理論を照らし合わせれば、メリーにはストーベルが何を考えたのか手に取るように解ってしまう気がした。
 血は争えないとはよく言ったものだ。理解できるということは、同じ思考ができるということ。自分はあの男と同じ、心ないバケモノなのかもしれない。もっとも、心という人らしさを残していれば、それをストーベルにつけ込まれるのが関の山だが。

「キメラは使役属性を増やす実験の試作でしょう。霊族は主属性と隣り合った複合属性の最大三つしか使役できません。一つの個体が四つ以上を扱うのは通常ありえないですから」
「待って、それ僕にもわかるように説明してほしいな。主属性……は炎霊族のメリーなら炎ってことかい? あと、隣り合った複合属性ってのは……えっとー」

 魔術に詳しくないアイゼアは、この説明だけではどういうことなのか理解が追いついていないようだ。その様子をスイウが呆れたように眺めている。

「属性円環も知らんのか。常識だろ」
「多少勉強はしたんだけど属性相性くらいしか知らなくてね」

 誤魔化すように苦笑するアイゼアを見兼ねたのか、フィロメナが得意気に説明を始める。

「属性円環ってのは、主属性と複合属性を円形に並べた図のことよ。炎、光、地、草、水、氷、風、雷、の順で一周するの。このとき主属性……炎、地、水、風の間にあるのがその両隣の属性を複合した属性ってことよ」
「炎霊族の私の場合、主属性は炎。使役できるのが両隣の雷と光ということです。どちらか資質の寄っている方しか使えない人が大半で、主属性しか使えない人もいます。三つ使役できるのは才能のある人だけなんです」
「なるほど、だから使役できる属性は三つが最大なんだね」

アイゼアは納得すると、何かを考えるように口元に手を当てる。
 一個体が持つ属性数を増やすために、違う属性を扱う者同士を一つの個体にした。これが見た目も維持して転用できるようになれば、世界初の三属性以上を使役する魔術士の誕生だ。一つの個体に繋げる方法まではさすがにわからないが、キメラと呼ばれる存在を造った理由は大きく外れてはいないだろう。

そしてもう一つ……

「二人が自爆したのは、そう教育されてきたからだと思います。ストーベルを信奉する従順な駒として」
「教育って、そんなことありえるの? 自分が死んでしまうのよ?」
「フィロメナさんにも聞きたいんですけど、天族は天王にとても従順でしたよね?」

フィロメナは息を飲み、黙り込んだ。

「洗脳や生まれたときから受けた教育を覆すことは簡単ではないんです。私もかつてはグースやハックルと同じだったからわかります」

 ストーベルの教育を受け、父を崇めていたあの頃の自分なら自爆もきっと厭わない。実際この体にも自爆術式が施されていた。今はミュールが解除してくれたおかげでなくなってはいるが。
 古い記憶を手繰り寄せ、フランにすら話したこともない昔話をすることにした。




「大丈夫。ストーベル様のために強くなれば、たとえ黄昏の月でも愛してもらえるわ」

 そう言って浮かべる悲しそうな笑みは、私に残る数少ないの母親の記憶だった。私は母が好きだった。母がそう言うなら、きっとそうなのだと信じて疑わなかった。

 どんな訓練も実験も勉強も、父に認められたい一心で必死に取り組んだ。父のためなら、必要としてくれるなら何だってできると思いを募らせていた。魔力が穢れていると罵倒されて見放されても、父に愛してもらうために。全てはその理想のために。

 自分の穢れを憎んだこともあった。こんな自分は父の望むような存在になれないと絶望した。それでも魔術の才能だけには期待してくれる父に、何か役に立てることがあるのではないかと、ただただ無邪気に一生懸命だった。どんなに足掻いても、道具でしかないとも気づかずに。

 父の役に立つことだけが唯一の存在価値で、自身の全てを捧げるのが常識の世界。その狭い世界が私の全てだった。それが普通だと信じて疑わなかった。でも、私にはそれが愚かなことだと気づかせてくれる存在がいたのだ。

「メリー、お前は自分を大切にしなさい」

 ベッドに横たわるその人は慈しみと憐れみの目を私へと向けていた。その瞳の奥に揺らぐ、仄暗ほのぐらい絶望の光が脳裏に強く焼き付いた。

「父様は私たちを愛してなどくれない。見てごらん、私のこの有様を。実験に耐えられず、使い物にならなくなった途端に捨てられた。今の私は駒としてすら使えないと思われたらしい。ただここで実験材料にされるのを待つ身なんだよ」

 実験の失敗。元々強くなかった体は、今ではベッドから出て動くのも一苦労なほどの虚弱さになっている。これまでの強く凛々しい姿からは想像もつかなかった。

「メリー、私は自由になりたかった。いつか自由になって自分のための人生を歩みたかった。私は当主にも、父様の駒にも、材料にもなりたくないんだ」
「どうしてそんなこと言うの? 自由って何? それは父さんよりも大切なものなの?」
「私は大切だと思ってる。メリーは早く逃げて自由になるんだ。私のように切り捨てられる前に」
「切り捨てる……?」

 動かすのも重いはずの優しい手がそっと頬を撫でた。その手を私は振り払う。そして「そんなことはない」と叫んだ。その人が頑張っていたことを私は知っている。

 次期当主候補の一人として、私たち兄弟の中で特別な扱いを受けていた。満月生まれのその人は、魔力量も多く制御力もある。
 使役属性は炎と光の二つだが、魔力許容量も申し分なく、十分才能に恵まれた逸材だ。能力を測る模擬戦で負けたところを見たこともなかったほどの実力だった。

 一緒に訓練や実験に参加するときは、他の兄弟たちから黄昏の月だと敬遠される自分をいつも気にかけてくれていた。強く、優しく、頼もしい。こんな人になりたい、そう思うような憧れの存在だった。だからそんな人が父から見放されるはずがないと思いたかった。

「本当は自分のために生きて良いんだ。私もメリーも父様のための道具じゃない」

 部屋を出ていく私の背に、必死に紡がれた言葉が刺さった。一度芽吹いた疑念は簡単に振り払えるものではない。それが尊敬する大切な人の言葉だったから。
 一度かけられた洗脳や価値観を振り払うのも簡単ではない。それが私の世界の全てだったから。

 その人は根気良く何年もかけて、私にかけられた洗脳という呪いを解いてみせた。目が覚めたような思いの私の前に広がる世界は、陰惨という言葉以外にない。

 盲目に、よく知りもしない研究に全てを捧げてきた。今まで私は何をしてきたのか。信じていた秩序を失い、寄る辺のない私をその人は支えてくれた。

「ありのままで良い。まだ今はわからなくても少しずつ自分が見えてくる」

 溢れるいろいろな感情ごと包み込む優しさ。背中を擦ってくれた柔らかな温もりを、今でも覚えている。その温もりが何度も私の心を救ってくれた。

「私も人として生きたいっ」

 私は心の底から迫り上がる叫びをその人……ミュール兄さんにぶつけた。その日から私とミュール兄さん、二人での戦いが始まった。




 一度はストーベルを信奉し、その環境に身を落としてきた。だからこそわかる。ストーベルの目指す未来に理想郷などない。そこに待ち受けているのは、身も心も凍てつくような生き地獄だけだと。


第22話 絶対零度の理想郷に  終
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