前章─復讐の先に掴む未来は(1)

 エルヴェの発した『キメラ』という単語に胸の内がざわつく。

「今、何て言ったんだ?」
「え? キメラ……ですか?」

 瞬間、視界が真っ暗になり、ぬるま湯の中を揺蕩たゆたうような奇妙な感覚に襲われる。

「スイウ様、顔色が……」

 エルヴェの声に意識を傾けると、奇妙な感覚は引いていく。得体の知れない不安感に、じっとりと脂汗が吹き出す。

「悪い、大丈夫だ」

 スイウは撤退することをやめ、刀を構えてキメラと対峙する。その判断にエルヴェも同意したのか、同様に短刀を構えた。さすがにこんなものを街中へ連れて帰るわけにはいかない。

「スイウ様、あのバケモノはここで」
「あぁ。確実に殺す」

 エルヴェとスイウは同時に動き出す。地面から突き出す蔦を切り裂き、その後ろに控えた構成員たちの援護射撃の魔術を切り払いながらキメラへと間合いを詰める。

 先に攻撃を仕掛けたエルヴェが氷晶でできたキメラの上半身目がけて跳躍する。短刀を突き立てるも、突然氷晶が水へと変わり、ぽっかりと開いた穴へ腕ごと突き抜けた。腕に水がまとわりつくと一瞬にして氷晶に戻り、腕が胴の部分にめり込んだまま拘束されてしまう。

「あはっ、捕まえたー!」

 キメラはまるで遊んでいるかのように楽しそうな声を上げる。エルヴェは反対の手に握った短刀を胴に突き刺すが、それも部分的に水に変化することで避けられてしまう。下手に近づくのも危険だがあのままではかなりまずい。
 上が水と氷、下が草と地の属性。弱点をつけるメリーがいてくれればと思わざるを得ない相手だ。

 キメラは大きく息を吸い、口の中に冷気を溜め込む。魔力を感じられないスイウですら、凄まじい力が溜め込まれていくのがわかる。あれを至近距離でまともに受ければ一溜まりもない。

「白露、頼むぞ」

 魔力を刀に注ぎ、刀身に冷気を纏わせながら駆ける。冷気を吐き出す寸前、刀で防御の形を取りながらエルヴェの前へ割り込んだ。
 吐き出された冷気と刀に溜め込んだ冷気がぶつかり合い、カタカタと刀が震える。ぶつかり合って逸れた冷気はまるで吹雪のように広がり、通路の壁を凍りつかせた。何とか防ぎきれたあたり、メリーの魔力様々といったところだろうか。キメラの後方にいた構成員たちが数人凍りついて絶命している。

「エルヴェ、試験管を使え」
「は、はい!」

 エルヴェは思い出したように服の下に隠していた試験管を一本取り出すと、根でできた下半身へ投げつけた。炎術を込めた試験管から轟々と音を立てながら炎が溢れる。根に火がつき、キメラは悲鳴を上げて暴れ始めた。

「ハックル! 水っ水ー!!」

 キメラが叫ぶと同時に上半身が水へと変化し、水術が足についた炎を鎮火させた。体が水に変わった隙にエルヴェは拘束を逃れ、体勢を整える。

「お前ら絶対殺してやるっ!」

 炎術の攻撃が怒りを買い、氷術と地術の多段攻撃がスイウとエルヴェを襲う。氷の矢を刀で切り払いながら、地面から突出す岩の棘を避けていく。矢が頬を掠め、薄く血が滲む。その傷もすぐに癒えて消えた。後退するしかなく、みるみるうちに不利な間合いを強いられる。

 一方で、有効な攻撃方法が見出だせていない現状、無闇に近づくのも危険だった。どうすればこのキメラを撃破できるのか、手詰まりに近い思いが僅かにスイウを焦らせる。

「スイウ様、キメラには個体を繋ぐための核があります」
「その核ってのはどれだ?」
「わかりません……ですが個体の繋ぎ目に核はあるはずです。仮に核がなかったとしても、繋ぎ目が弱点なはずです」

 個体の繋ぎ目。キメラというのは個体を何らかの方法で繋ぎ合わせて造られた生命体らしい。

「ってことは、あの氷と草の体の境目が弱点ってことか?」
「おそらくは」

 エルヴェは自信のない返事を返してきたが、打つ手なしなのだから試してみるしかない。確証がない以上、弱点と思わしき部位に集中して攻撃を浴びせ、即座に離脱を繰り返すしかない。深追いは禁物だ。

「何でもいい、試験管を一本境目に捻じ込むぞ」

 エルヴェは攻撃を避けながら無言で頷く。
攻撃する瞬間を見極めて一気に間合いを詰めるしかないのだが、キメラ一体から二人分の攻撃が次から次へと繰り出され苛烈さは増していく。砂埃の隙間から再び冷気のエネルギー波を放とうとしているのが見えた。

「俺が盾になる。この大技の隙で間合いを詰めるぞ」

 そう言いつつスイウの足はすでにキメラへ向けて駆ける。刀に魔力を注ぎ、冷気を纏わせる。体力も魔力も疲弊していたメリーのことが一瞬頭をよぎり、振り払った。
 今はそんなことを考えている場合ではない。だがそれでも魔力が枯渇すればメリー諸共消滅の危機に立たされるのも事実だ。何度も同じ手は使えない。早々に決着をつけなくては文字通り身が持たない。

 スイウの後ろにエルヴェが追随する。放たれたエネルギー波を魔力を纏った切っ先が裂いていく。速度を緩めずキメラへ肉薄し、上半身と下半身の境目へと一太刀浴びせる。
 しかし、すぐにその傷は修復されてしまう。霞の構えを取り、魔力を纏わせて突きを繰り出す。同時に氷の刃の多段攻撃が境目を抉っていく。

 後ろに控えていたエルヴェがその傷の中へ試験管を放り込んだ。修復する体に飲み込まれる直前、エルヴェの投げナイフが試験管を砕き、眩い光を放つ。
 反射的に飛び退り、地面に伏せると一筋の雷撃がキメラを貫いた。痛みに悶え苦しむキメラはその境目が大きく裂け、そこから真っ赤な鮮血を撒き散らかしている。分離するまでには至らなかったがこれは好機だ。畳み掛けるために両足に力を込めたとき、スイウの隣を弾丸のように鋭く突き抜けていく黒い影が見えた。

 影はキメラの境目に吸い込まれた瞬間に爆発を起こし、炎が上がる。爆風に吹き飛ばされかけるエルヴェを支え、更に後方へと下がる。砂埃が晴れ、床には二人の子供……グースとハックルが倒れていた。
 生き残っていた構成員が慌ただしく撤退を始める。背後に数人の気配を察知し、その中に覚えのある存在が一人いる。

「遅い……アイゼア」
「えー? 全力で駆けつけたつもりなんだけどなぁ」

 アイゼアはいつもの軽口を叩きながら、悠然とこちらへ歩み寄る。後ろに連れてきた騎士に指示を出したのか、グースとハックルはあっという間に捕らえられ、逃げた構成員を二人の騎士が追っていくのが見えた。

「助かりました。それにしても先程何を投げたのですか?」

エルヴェは服の汚れを手で払いながらアイゼアに尋ねる。

「使い魔の小鳥だよ。って言っても、投げたわけじゃなくて勝手に飛び出していって爆発したから、さすがに僕も驚いたけど」
「え……」

 エルヴェはそれ以上何も言わなかったが、自分の肩に乗っている小鳥を見つめるその目は憐れみの色を帯びている。魔力で作られた使い魔に命などないことはわかっているのだろうが、可愛らしい見た目なだけに同情してしまうというのはよくある話だ。

「それにしてもこんな年端もいかない子供まで構成員として使っているとはね」

 アイゼアは珍しく険しい表情をすると、グースとハックルへ歩み寄る。それに呼応するように使い魔の小鳥がエルヴェの肩を離れ、アイゼアの肩へと飛び移っていく。
 グースとハックルの表情は暗い。アイゼアを見上げる目は少し怯えているようにも見える。そんな様子を察してか、アイゼアは二人の目線に合わせるように屈み、優しく諭すように声をかけた。

「君たちのことは騎士団で保護しよう。大丈夫、話は聞かせてもらうけど、暴れたりしなければ痛い思いをさせたりはしないから」

 柔らかく微笑みかけるその表情はさすがだなと感心する。幼い兄妹がいると言っているだけあって、子供への対応も慣れているのかもしれない。そんなアイゼアの様子にグースとハックルは困惑したような表情でお互い顔を見合わせると、意を決したように頷いた。

「お兄さん、優しいね。そんなふうに言ってくれる人初めて見た」
「だからお礼に教えてあげる。俺たちは理想郷のために戦ってるんだ。その理想郷ではみんな幸せに暮らせるんだって父さんが言ってた」
「理想郷……? それは具体的にどういう世界なんだい?」
「知らなーい。ハックル知ってる?」
「ううん、知らないよー。でもお父さんがみんなを幸せに導いてくれるんだって」

 無邪気に会話する二人の姿に、先程までのキメラの姿がチラついた。子供の従順さを利用して、良いように駒として扱っているのは火を見るより明らかだ。

「お兄さんごめんね」
「お兄さんありがとう」

 グースとハックルは屈託なく微笑んだ。チチッと使い魔の小鳥が鳴いたと認識したとき、二人を中心に小爆発が起こる。スイウは咄嗟とっさに左腕で顔を庇い、爆風と砂埃の中、二人とアイゼアのいた方向へ目を凝らす。小爆発と言えど、あの至近距離で食らえば体へのダメージは大きい。
 爆風が止み、砂埃に薄っすらとアイゼアの背中が見える。その周りには白い半球状の薄い膜のようなものが展開していた。

「メリー様の使い魔が爆発したのでしょうか?」
「わからん……」

 アイゼアの肩から使い魔の小鳥はいなくなっていた。情報が引き出せないならともかく、素直に二人は話していた。仮にこちらの様子を見ていて、使い魔が遠隔操作できたとしても、メリーがそんな相手をむざむざ殺すだろうか。それとも激情に駆られたか……それもあり得る。

 すっかり元の視界に戻ったが、二人の姿はなく、周りにいた騎士も遠くへ吹き飛ばされて倒れている。ただ白い半球状の膜に覆われたアイゼアだけが無傷でそこにいた。

「……違う」

 半ば放心状態のアイゼアが呟き、動揺を隠さずこちらを振り向いてこう言った。

「自爆したんだ、二人が」
「自爆、ですか」

 屈託なく笑っていた子供が躊躇ためらいもなく自爆したという事実。思いやり深いエルヴェには相当ショックな話だろう。
 二人からはまるで殺気というものを感じなかった。それが殺す気で自爆したわけではないということを物語っている。捕まったらそうするように指示されていたのか、自分たちの口を封じるために自ら死を選んだ、もしくは選ばされたということだ。何とも後味の悪い結末に、誰もが固まったまま動けないでいるようだった。

「お前アレを助けなくて良いのか?」

 傍にいる騎士に向けて、爆発に巻き込まれて倒れている騎士を指差す。我に返った騎士は、スイウたちの横をすり抜けて救護を始めた。

 スイウはアイゼアの方へ一歩踏み出すと、足裏にぐにゃりと柔らかい妙な感触を覚える。足元を見ると、千切れ飛んだ細い腕を踏みつけていた。手の指の配置から左腕だとわかる。おそらくあの二人のどちらかのものだ。二人は爆発で吹き飛んだわけでも、ましてや逃げたのでもない。自爆したから体が千切れ飛んだ。だから二人の姿を見つけることができなかった。それだけだ。

 それ以上意に介すこともなくアイゼアへと歩を進める。覆っていた白い半球状の膜は溶けるようにして消えていった。近くで見ればそれが魔術障壁だとわかる。使い魔はこの障壁を作るために使われたのだろう。おそらくは魔力を感知できるメリーの遠隔操作か、魔力を感知してそうなるように使い魔に仕込んでおいたかだ。

「アイゼア」

 声をかけるとアイゼアは無言で立ち上がった。その顔にもう動揺はない。

「みんな、速やかに撤退する。ザッファ副隊長、騎士団への報告とギルド責任者への聴取は頼んだよ」
「はっ、お任せ下さい!」

騎士たちはアイゼアの指示を受け、救護者を運びながら撤退していく。

「こうなっちゃうと、何も聞かないってわけにはいかないかな……」
「アイゼア様?」

アイゼアの鋭い視線がスイウを射抜く。

「さすがにもうメリーを疑ってはないけど、そろそろ僕にも教えてほしいね」
「何をだ?」
「クランベルカ家、と言えば何を聞きたいかは察しがつくんじゃないかな? 君は知ってるはずだよね、スイウ?」
「気付いてたのかよ」
「騎士を舐めてもらっちゃ困るね」

 つくづく食えないヤツだと、大げさにため息をついてやった。てっきり情報を掴めば、嬉々として追求しにくると思っていただけにだ。
 だが、スイウ自身もクランベルカ家について詳しくは知らない。ただ優秀な魔術士を作るために、裏で黒いことをしているということくらいだ。ストーベルが一体何のためにグリモワールに関わっているのか、グースとハックルの言っていた理想郷とは何なのか。メリーに聞きたいと思う気持ちは理解できる。

「俺もメリーの事情はよく知らん……が、それを尋ねるのは荷馬車でしろ」
「何か掴めたのかい?」
「ネレスってとこに『願いを叶えてくれるお方』ってのがいるらしい」
「ネレスか」

アイゼアは考え込むように黙る。

「ネレスには何かあるのですか?」

エルヴェが不安そうに眉根を寄せ、アイゼアの顔を覗き込む。

「いや、少し距離があるなって思っただけだよ。途中で街に寄りながら行くしかないだろうね。休みなしでは馬が持たないし、徒歩じゃ更に速度が落ちるし」
「ならとっとと出発するぞ」

 そのために昨夜のうちから準備も全て整えておいてある。相手にはスイウたちが潜り込んできたことはすぐに伝わるだろう。やっとそれらしい情報を掴めたのだ、この機会を逃すわけにはいかない。スイウは無意識のうちに、固く拳を握りしめた。


第21話 駒  終
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