前章─復讐の先に掴む未来は(1)

 パチパチと焚き火の木が爆ぜる。降っていた雨も夕方頃に止み、街道沿いの道を少し外れたところでメリーたちは野営をすることにした。

「魚が大量だね。さっすが猫って感じ?」
「それを言うなら熊だろ? 無知を晒して恥ずかしくないのか」
「それは知ってるけど、猫に魚もよくあると思うけどなぁ」

 焚き火の周りには、スイウが近くの川で採ってきた魚を木に刺し、並べられて焼かれている。こんがりと焼けてきた香ばしい魚の匂いが鼻をくすぐる。
 食事を必要としないスイウが食料調達に行くのも不思議な話だが、新鮮な魚にありつけるのはありがたい。メリーは良い具合に焼けた魚を一匹手に取る。

「いただきます」

 焚き火で魚を焼くなんて何かの冒険小説の中での話だと思っていたが、こんなふうに食べる日が現実にくるとは思ってもいなかった。
 フランやミュールとこんなふうに旅をできたら、という何度目かわからない思いから目を背けるように一口かぶりつく。ほろほろの柔らかな身の食感と共に魚の香ばしさが広がる。身の味は淡白だが、焼き目の風味と良い塩梅に振られた塩加減が旨みを引き立てている。素朴ではあるが、素直に美味しい。

「んー、美味しいですよ。スイウさんもせっかく採ってきたんですから一匹くらい食べてみたらどうですか?」
「ん? あぁ、そうだな」

少々わざとらしい態度ではあるが勧めてみると、手持ち無沙汰にしていたスイウも一匹手に取りかぶりついた。

「どうせ食べるなら耳生やしてよ。猫が魚食べてる絵面って面白そうじゃない?」
「しつこいぞアイゼア……」
「冗談なのに、顔が怖いなぁ」
「この顔は元からだって何度言えばお前の頭は理解するんだ?」

などと二人は冗談なのかなんとも言えない空気をかもしながら雑談を交わしている。

 アイゼアはまるで旧知の友と会話するような雰囲気だが、スイウは迷惑そうにしており、両者の温度差は凄まじい。それでも全く臆することなく親しげに話しかけ続けるからこそ、何となくアイゼアの人となりが少しずつわかってきたような気もする。

 実際、アイゼアの人との距離の詰め方には目を見張るものがあるのは事実だ。どことなく胡散臭うさんくさい感じもするが会話を重ねると、この人の良さそうな笑みと飾らない気さくな雰囲気に親しみやすさを感じてしまう。あんなに警戒していたのに、気づけば心に作った壁を破壊することもなく、なぜか内側にいるような感覚で、何となく信頼しても良いのかなと思わせてしまう人柄だ。

 それもよく観察すれば、相手によって距離感を絶妙に調節している。これは簡単には真似できない一種の才能だ。彼の周りにいた騎士たちに厚く信頼されていたのは、傍目から見ても明らかだった。おまけに人の心を掴む力だけでなく、戦闘能力や状況判断力も申し分ない。その隙のなさは、敵に回せばやはり脅威だろう。

「エルヴェは魚は食べられないんだっけ?」
「えぇ。せっかくスイウ様がとってきて下さったのに、申し訳ありません」

 エルヴェは菜食主義で魚を食べられないからか、買っておいたりんごをかじっている。

「そんな草ばっか食ってて美味いか?」
「え、く、草……ですか?」
「宿でも山盛りの草、食ってただろ」

スイウの発言にアイゼアがカラカラと楽しそうに笑う。

「それは野菜のことを言ってるのかい?」
「サラダを山盛りの草と表現する方、初めて見ました……」

エルヴェも目をぱちくりと瞬かせながらスイウを見つめている。

 少しずつ空気が和やかになりつつあるが、フィロメナだけは一人で何か考え込むようにジッと焚き火の炎を見つめて続けている。仲間を殺した自分たちに、それでもついて行きたいと言ったときはかなり驚いた。行く宛もないのだから仕方ないのかもしれないが。

「フィロメナ、食べないのかい?」
「あ……いただくわ……」

アイゼアが魚を差し出すと、フィロメナは少し躊躇ためらいがちにそれを受け取る。

 アイゼアは野営の準備を始めた頃から、全員の精神面を気遣っている。戦いの後は気分が落ちたり、気が立っていることも多い。雰囲気の悪さというのは思いの外、その後の行動や周囲の人々に良くない影響を与える。
 隊員の弱気な発言が士気を下げ、瓦解したという事例は少なくない。学生時代、戦術の授業で聞きかじった知識をぼんやりと思い出していた。

 なんだかんだと全体を見て声をかけるあたりも、アイゼアは上官としての資質があると思わされる。おまけに騎士団に身を置いているのもあってか、かなり集団行動に慣れているようだ。

 フィロメナは昼の件から、明らかに騒がしさが鳴りを潜めてしまっていた。それまでの子供っぽくて世間知らずといった様子を思えば、現実を目の当たりにして相当ショックを受けたに違いない。

 アイゼアが保護してから何となく同行させてはいたが、正直に言えば邪魔になるようなら排除してやろうかと考えることもなかったわけではない。これからも同行するつもりなら、これに懲りてもう少し思慮深くなってくれると助かるが。
 フィロメナを横目で見ながら、メリーは二匹目の魚に手を付ける。コップに水がなくなったのに気づき、水の魔晶石に魔力を与え、水を注いだ。

「いいよねー。そういうの見ると僕も霊族に生まれたかったって思うんだよね」

 アイゼアは三匹目の魚を手に取りながら、羨ましそうにこちらを眺めている。

「魔晶石があれば無限に水が飲めるし。明かりも灯せて、火も起こせて、雨に濡れても瞬時に服は乾くし。汚れても川に潜って乾かせばキレイになるし。ここのところずっと魔力の便利さを見せつけられちゃって羨ましくて仕方ないよ」

 今までそんなふうに考えたこともなかったが、人間のアイゼアには霊族が羨ましく見えるらしい。
 確かに魔術は便利だが、付き纏うしがらみはそれ以上に面倒なものだ。そんな軽い気持ちで羨ましがれても困るというのが本音である。

「霊族でも魔力と魔術制御力に優れていなければ使い物になりませんよ? 騎士団の霊族に、魔力を私のように活用する人がどれくらいいますか?」
「……言われてみればあんまり見ないな。魔晶石に魔力を与えてーってのはよくやってるけど」

 やはり、とメリーは思った。セントゥーロにいる霊族は、大抵スピリアで生きづらくなった魔力の低い霊族が大半だ。

「魔力の低い霊族は制御力も大抵低いんです。小さな魔力を扱うのに高度な制御力は必要ないですから」

 魔力のない霊族は大きな力を扱えない分、制御力に欠けていても何となく魔術を扱えてしまう。暴発しても大したことはない。
 生活に魔晶石を介さずに魔術を活用するのは、簡単そうに見えてそれなりに高度な制御を要する。服を乾かそうとしても制御力に欠けていれば、服は燃えてしまうし、いくら魔力が低くても服を燃やす程度のことは簡単だ。

「なるほど。だから魔晶石を使う人が多いのか」

 アイゼアの言う通り、そうならないためにするのが魔晶石や星晶石だ。

 元々魔晶石は魔力のない人間が使い捨てで活用するのだが、霊族は自分で魔力を補充して半永久的に使用することができる。
 それ用に計算されて作成される専用の魔晶石を使うことで、魔力を注ぎ過ぎても魔晶石が出力を制御する。制御力などなくても問題なく使用できるのだ。

 もちろん使えない属性も簡単なものなら魔晶石で補える。先程の水もそうだ。炎霊族のメリーに水術は扱えないが、水の力を持った魔晶石に魔力を与えることでその恩恵を受けることができる。

「それでも魔晶石を使い捨てにしなくて良いのは助かるよね」
「まぁ、それはそうですけど……」

メリーははぐらかすように苦笑した。

「そういえば、霊族は魔力で優劣が決まるって聞いたことあるけど本当なのかい?」

 霊族に関して興味があるのか、アイゼアは質問を続ける。セントゥーロでは霊族や魔術に関する知識や情報はあまり入ってこないのだろう。
 別に隠すことでもなく、調べればすぐにわかることだ。教えても特に支障はないだろう。それでも、何だか尋問されてるみたいだなと思考の隅で思った。

「本当ですよ。具体的には魔力量、制御力、許容量、使役属性数の順で重視されます。基本的に魔力のない霊族はスピリアでは見下されますし魔術士にもなれません。騎士団にいた霊族の大半は、スピリアでは通用しませんよ」
「メリーはそう思ってるのかい?」

メリーはその問いかけに首を傾げる。

「騎士団の霊族のことなら、魔術はおまけ程度にしておいて、普通に剣術とかに転向した方が良いとは思いますけど?」

何に対してそう思ってると問われているのかわからず、予測を立てて返答した。

「あぁ、ごめん。そこじゃなくて、魔力のない霊族は見下されるって話」
「……私もそう思ってるのかって聞いてるんですか?」
「そうだよ。君はスピリアで育ったんだろう? 魔力にも相当自信あるみたいだし、そういうふうに見てるのかなって」

 その言葉に一瞬にして苛立ちが募る。そんな程度の低い魔力至上主義者と同列に扱われることが腹立たしかった。
 魔力が少ないがためにフランが執拗しつように痛めつけられて広場に打ち捨てられた。友人のペシェとミーリャが魔術でなぶられ、馬鹿にされていた。その光景が呼び覚まされる。

 新月に生まれたフランは魔力が低く、よくいじめの対象になっていた。ペシェとミーリャは生まれたときの月齢が良くなく、魔術士の間では嫌がらせを受けたりないがしろにされていた。クランベルカ家の中では、魔力のない者は人権もない。
 そのときの苦く悔しい思いが怒りに火をつける。そんな下賤な霊族と同列に見られたという事実に、耐え難い何かが込み上げる。よりにもよって一番嫌いな人種と一緒にされるなんて冗談じゃない、と。

「思うわけないじゃないですかっ!」

 そんな感情や記憶が、まるで走馬灯のように頭の中を駆け巡ったとき、メリーはほぼ反射的に叫んでいた。


第16話 雨上がりの夜空の下で(1)  終
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