前章─復讐の先に掴む未来は(1)

 今日中にフラフィス方面の宿場町ドルミンに到着するため、早朝にドゥエルを出発した。峠の中間には小さな宿場町があるらしいが、満場一致で今は少しでも先を急ぐことを選んだ。

 峠とはいえ、荷馬車が通行できるように道が整備されているため、順調に進めれば日が暮れるまでにはドルミンに着ける計算だ。ドゥエルからドルミンへは片峠と呼ばれる地形になっている。ドゥエルから中間の宿場町までの高低差はあるが、そこからドルミンまでは比較的平坦な道が続くらしい。

 エスノ方面から吹く海風と内陸の大気がぶつかり、非常に霧が発生しやすい土地柄なのだとアイゼアは言っていた。とすれば、日暮れまでに着けるかどうかがかなり重要だとスイウは考える。

 ここは賊の出没情報も多く、行商で通行する人々にとって難所の一つとも呼ばれている。霧深い夜に、この決して広くはない山道で賊に襲われるのはかなり厄介だ。相手は地形を熟知している。

 気配に敏感な自分はともかく、夜の闇と霧の中でメリーやアイゼアが上手く対応しきれる保証などない。おまけにこちらはエルヴェという保護対象までいる。戦えるとは言っていたが、どの程度の実力なのかまだ把握はしていない。襲われれば荷馬車を含め、全くの無傷というわけにはいかないだろう。


 中間の宿場町での分岐からフラフィス方面へと入ったのは昼をちょうど過ぎた頃だった。宿場町で手早く調達した昼飯をスイウは作業のように淡々と口へ運び、飲み込む。

 アルパネルテ群島国という国の商人から伝わったものらしく、付近で採れる山菜と米を炊き込み、樽のような形に握られたおむすびは腹持ちも良く持ち運びも便利で美味しいと行商人の間で評判が良いのだとか。

 山菜とざっくりとした呼ばれ方をしている茎みたいな草は独特の食感だが嫌ではない。味も評判が良いだけあって美味しい……たぶん。何より食に然程興味のないスイウにとって、片手で持ってそのまま食べられるスタイルは楽で良い。メリーとエルヴェも美味しそうに頬張っている。

 スイウが最後の一つに手を伸ばそうとしたとき、突然荷馬車が止まった。馬を休めるにはまだ早い。ここまで順調にきていたが何か問題でもあったのだろうか。周囲に妙な気配や殺気は感じない。

「アイゼア、何かあったのか?」

 荷台の幕を開き顔を覗かせると、アイゼアが荷馬車から降りて前方で屈んでいるのが見えた。

「人が倒れてるんだ」

 アイゼアのそばには確かに金髪の女が倒れている。そんなもん無視しろと言いたいが、職務にクソ真面目な騎士は聞き入れないだろう。面倒臭い気持ちに目を瞑り、スイウも荷馬車を降りる。それに続くようにしてメリーとエルヴェも降りてきた。

「この方、大丈夫なのですか?」

 エルヴェが心配そうに顔を覗き込む。メリーは女の首筋に手を当てて脈をみているようだ。

「うーん……死んでるわけじゃないみたいですけど、どうします?」
「どうするもこうするも保護するって選択肢しかな……

とアイゼアはそこまで言って言葉を止め、一つため息をつき苦笑いを浮かべる。

「君たちなら放置していくと言いかねないな」

スイウもメリーも否定はしなかった。

「え! こんな場所で見捨てるのはさすがに酷すぎると思いますっ」

 エルヴェは助け起こそうと女の上半身を抱えるように持ち上げた。その違和感からなのか、女は小さく呻きうっすらと目を開ける。その隙間から草原の若草のような色の瞳が覗く。

「大丈夫ですか?」
「うぅ……あ、たしは……」
「無理に体を動かさない方がよろしいのでは?」

 女はそのまま体を起こし、まじまじと四人を眺め最後スイウと視線が合ったきり固まったように動かなくなった。そして女の顔は見る見る険しいものへと変わる。スッとその人差し指がスイウへと向けられた。

「あんた、正体を現しなさい!」
「は?」
「避け──
「ディヴァージュ!」

 メリーの反応は僅かに間に合わず、女の指先から放たれた光をスイウは真正面から受けた。メリーが先に勘付いたということは魔術の類だが、痛みも衝撃もない。攻撃を目的とした魔術ではないらしく、相手の女にも殺気はまるでなかった。

 庇っていた腕を下ろすと、顔を強張らせて放心しているメリーの顔が真っ先に見えた。アイゼアとエルヴェはこちらを見て驚いたように目を見開いている。

 そして、どうだ! と言わんばかりに口角を上げている女の背中には淡く光る白い翼が生えていた。その場にいる者たちは皆一様に何が起こったのかわからず完全に停止してしまっていた。

 白く光る翼。こいつは天族だ、と思考が追いつき始めたとき小さく笑う声が場の空気を一瞬で破壊した。

「ふふっ……くくく……スイウ、その姿、傑作ふふっ……なんだけど、あはっあははは」

 アイゼアがひぃひぃ言いながら無遠慮に腹を抱えて笑い出す。急に壊れたように笑いだしたアイゼアを不気味に思いながら見つめていると

「スイウさん、猫耳が………」

 メリーが頭上を指差しながらそう言った。

猫耳?

 スイウは慌てて頭に手を当てると、いつもはそこにないはずの柔らかな感覚が手に伝わる。

「は? ……はぁぁー?」
「獣の特徴を身に持つ者。穢らわしい冥界の魔族、あんたたちには天王様から『返還』の命令が出てるわ。世界の破滅を目論む不届き者は大人しく成敗されなさい!」

 女は立ち上がると一際大きく白い翼を広げ、ロングスカートの裾をひるがえしながらふわりと浮かぶ。

「うわー、飛んだ……」

というアイゼアの間抜けな声。

 天族の女は指先に光輪を作り出し、臨戦態勢だ。こうなってはもう手遅れだが、こんなところで『返還』されるわけにはいかない。

 スイウも刀を抜き放ち構える。天族、どれ程の実力か。天族の光術は魔族にとっては猛毒であり、無闇に受ければ『返還』どころか消滅待ったなしだ。
 張り詰めた空気が一瞬流れる。先に動いたのは女だ。光輪がその手から放たれると同時にスイウは地面を蹴った。

 遅い。女はスイウの動きにまるで反応しきれていない。天族だと思って警戒したが、この程度の実力かと拍子抜けする。
 鋭く耳につく甲高い剣戟の音と共に、女に届くはずだった刀は槍に阻まれていた。

「何しやがるアイゼア」
「はい、終了」

 にこりと微笑むアイゼアにいつものような胡散臭うさんくささはない。そんな生温いものではない。その瞳は冷え切り、妖しく鋭い光を殺気と共に放っている。こんな気も放つのかと感心しつつ、スイウは後ろへ飛び退る。

 それを好機と見たのか女は光輪の追撃を飛ばすが、アイゼアが槍で光輪を砕き落とし女へ容赦なく槍を向けた。

「君も、大人しくしてくれないと困っちゃうんだけどなぁ」
「て……天族に向かって槍を向けるなんて! それにあんた、そいつは魔族よ! あんたたち騙されて──
「天族だか魔族だか何だか知らないけどさ、ここはセントゥーロ王国なんだよね。騎士の静止命令を聞かないと、後悔するのは君の方だよ?」
「うぅっ……」
「あぁ、逃げようなんて思わないでね。あんまり手荒なことはしたくないんだ」

女は悔しそうに口を閉じ大人しく地上へ降り立った。

「君は僕たちに同行してもらうよ」

 アイゼアに先程の鋭さはない。拍子抜けするほどの暢気な笑みで女を荷馬車に乗せると、自身も乗り込んだ。

「ほら、時間ないからみんな荷台に乗って」

 促されるままに三人は荷台に乗り込む。女は荷台の隅で居心地が悪そうにしながら座っていた。

「お前のせいで耳と尻尾が隠せないんだが?」

先程から試みているが耳と尻尾を消そうとしても消えてくれない。

「時間が経てば魔術の効力も消えるわ」

 ツンと女はそっぽを向いた。大人っぽい見た目のわりに中身はガキそのものだ。天族ならもっと落ち着いていても良いだろ、とスイウが深いため息をつくと同時に荷馬車がゆっくりと動き出した。


第13話 厄介者(1)  終
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