前章─復讐の先に掴む未来は(1)
05 混乱の前奏曲
「冥界はどうなってるんだ!?」
「あれは厄災の種じゃない! 冥界は勝手にグリモワールを使用したってこと?」
地上界へ繋がる『天青 の水鏡湖 』にその様子が映し出されていた。
「落ち着きなさい。慌てたところで状況が変わるわけではない」
天界の王、天王 の一声で騒然としていた天族達が静まり返る。天王は取り乱す様子もなく、じっと映し出された地上界の様子を眺めていた。しばらく考え込んだあと、天王は口を開く。
「冥界と地上界へ天使を派遣する。最も重要なのはグリモワールの確保だ。冥界へ行く者は速やかに冥界を制圧せよ。魔族は捕えて事情を聞いた後、直ちに魂の『返還』をさせる。地上界へ行く者は大量発生するであろう魔物に備えよ。人を助け、被害を最小限に抑える。細かな采配は天使総長に任せる」
「御意」
天王の命令が下ると同時に天使総長が淡々と割り振りを決め、天使長達が慌ただしく動き出す。
「フィロメナ。俺たちやっとまともな任務につけそうだね」
「ちょっと、その発言は不謹慎過ぎじゃないかしら?」
声をかけてきた同期のヒースは、戦闘を含む任務を心待ちにしていたようで、わくわくとした表情を隠そうともしない。
ヒースを窘 めたものの、フィロメナ自身も天界の外には強い興味があった。憧れの外の世界で、自分の力を役立てられるときが来たのだと思うと素直に嬉しかった。
フィロメナには戦闘の才能はあまりなかったが、治癒術が使えるおかげで天使になることができた。どちらもできなければ魂をこの世界に返す『返還』を行使されていたはずだ。
天族や魔族に明確な死という概念はないが、その者がいなくなることを死と定義するのなら、消滅したときか『返還』でこの世界に還されるときに死ぬのだろう。そうならないためにもしっかり役に立たなくては、とまだ見ぬ世界への期待を抑える。
「ほら、フィロメナも何だかんだ言って楽しみにしてるじゃん?」
「あたしは新たな場所で役に立てることが嬉しいだけよ?」
会話していると、フッと影がかかり上を見上げる。天使長のソレッタがゆっくりと降りてくるのが見えた。
「ソレッタ天使長、俺たちはどっちですか? 冥界ですか? 地上界ですか?」
「我々は地上界へ参ります。ですが、フィロメナには天界での待機を命じます」
フィロメナは驚きのあまり声も出なかった。予想していなかったソレッタの言葉に胸の奥がギュッと握り潰されたような心地になる。同じ隊のメンバーの視線がフィロメナに容赦なく突き刺さっていた。
「どうして天界で待機を? 理由は教えてもらえないのかしら?」
動揺が伝わらないよう平静を装ったつもりだが、声が僅かに震える。
「今の戦闘力では足手まといなのです。この任務は治癒術だけでは厳しいものがあります。あなたには天界に戻った怪我人の治療が適任なのです」
天族には地上界に湧く魔物を秘密裏に狩り、バランスを保つ隊がある。その隊員たちの治療がフィロメナの主な任務だった。しかしそれでは今までと何も変わらない。変われない。フィロメナは急速に自分の世界が閉じていくのを感じていた。
「地上界へ参りますよ」
ソレッタの後に続き、数人の隊員が湖の中へ飛び込んでいく。
「フィロメナ、あんまり落ち込むなよ。機会はまたくるさ」
ヒースの憐れむような視線に、掻き毟られるほどの悔しさがこみ上げる。
湖の側で膝をついて覗きこむと、沈んでいく隊員の背中と無数に散る赤い光が見えた。フィロメナはただ見送ることしかできない。命令に従い、与えられた任務を遂行することが天族の存在意義なのだから。ぎゅっと噛み締めた唇に弱い痛みが走る。
本当にこのままでいいの?
自分で自分に問いかける。
天界に待機する天使たちも持ち場へと戻り始め、しばらくすると湖の周りの人影は疎 らになっていた。それでもフィロメナは水面を凝視し続ける。その若草色の瞳は、湖に映し出された赤い光の散る空だけを映す。やがて静寂が訪れた頃、ぽたりと一つの波紋が広がった。
第0話 赤い星の降る夜 (フィロメナ) 終
「冥界はどうなってるんだ!?」
「あれは厄災の種じゃない! 冥界は勝手にグリモワールを使用したってこと?」
地上界へ繋がる『
「落ち着きなさい。慌てたところで状況が変わるわけではない」
天界の王、
「冥界と地上界へ天使を派遣する。最も重要なのはグリモワールの確保だ。冥界へ行く者は速やかに冥界を制圧せよ。魔族は捕えて事情を聞いた後、直ちに魂の『返還』をさせる。地上界へ行く者は大量発生するであろう魔物に備えよ。人を助け、被害を最小限に抑える。細かな采配は天使総長に任せる」
「御意」
天王の命令が下ると同時に天使総長が淡々と割り振りを決め、天使長達が慌ただしく動き出す。
「フィロメナ。俺たちやっとまともな任務につけそうだね」
「ちょっと、その発言は不謹慎過ぎじゃないかしら?」
声をかけてきた同期のヒースは、戦闘を含む任務を心待ちにしていたようで、わくわくとした表情を隠そうともしない。
ヒースを
フィロメナには戦闘の才能はあまりなかったが、治癒術が使えるおかげで天使になることができた。どちらもできなければ魂をこの世界に返す『返還』を行使されていたはずだ。
天族や魔族に明確な死という概念はないが、その者がいなくなることを死と定義するのなら、消滅したときか『返還』でこの世界に還されるときに死ぬのだろう。そうならないためにもしっかり役に立たなくては、とまだ見ぬ世界への期待を抑える。
「ほら、フィロメナも何だかんだ言って楽しみにしてるじゃん?」
「あたしは新たな場所で役に立てることが嬉しいだけよ?」
会話していると、フッと影がかかり上を見上げる。天使長のソレッタがゆっくりと降りてくるのが見えた。
「ソレッタ天使長、俺たちはどっちですか? 冥界ですか? 地上界ですか?」
「我々は地上界へ参ります。ですが、フィロメナには天界での待機を命じます」
フィロメナは驚きのあまり声も出なかった。予想していなかったソレッタの言葉に胸の奥がギュッと握り潰されたような心地になる。同じ隊のメンバーの視線がフィロメナに容赦なく突き刺さっていた。
「どうして天界で待機を? 理由は教えてもらえないのかしら?」
動揺が伝わらないよう平静を装ったつもりだが、声が僅かに震える。
「今の戦闘力では足手まといなのです。この任務は治癒術だけでは厳しいものがあります。あなたには天界に戻った怪我人の治療が適任なのです」
天族には地上界に湧く魔物を秘密裏に狩り、バランスを保つ隊がある。その隊員たちの治療がフィロメナの主な任務だった。しかしそれでは今までと何も変わらない。変われない。フィロメナは急速に自分の世界が閉じていくのを感じていた。
「地上界へ参りますよ」
ソレッタの後に続き、数人の隊員が湖の中へ飛び込んでいく。
「フィロメナ、あんまり落ち込むなよ。機会はまたくるさ」
ヒースの憐れむような視線に、掻き毟られるほどの悔しさがこみ上げる。
湖の側で膝をついて覗きこむと、沈んでいく隊員の背中と無数に散る赤い光が見えた。フィロメナはただ見送ることしかできない。命令に従い、与えられた任務を遂行することが天族の存在意義なのだから。ぎゅっと噛み締めた唇に弱い痛みが走る。
本当にこのままでいいの?
自分で自分に問いかける。
天界に待機する天使たちも持ち場へと戻り始め、しばらくすると湖の周りの人影は
第0話 赤い星の降る夜 (フィロメナ) 終